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第八十九夜 Ai Nikkor 85mm F1.4S

憧れの大口径ポートレートレンズ
Ai Nikkor 85mm F1.4S

第八十九夜はAi Nikkor 85mm F1.4S を取り上げます。ニコン初の85mm F1.4はどんなレンズだったのでしょうか。今夜は顧客が熱望してやまなかった憧れの大口径レンズ、Aiニッコール85mm F1.4Sの秘密を紐解きましょう。
高級感と威厳のある外観、そして当時最先端のスペック。きっと開発者の英知と技が詰まっていることでしょう。設計にはどんな拘りがあったのでしょう。今夜はAiニッコールの幕開けと共に企画、開発されたポートレート用大口径レンズの生まれた時代に辿ってみましょう。

佐藤治夫

時の流れと大口径化

ポートレート写真に最適な焦点距離は?と問えば、千差万別だと言われるかもしれません。しかし最適だとまで言わずとも、皆が使い勝手の良い焦点距離(正確には適する画角)と感じるレンズは自ずと決まってくるものです。以前第五十九夜でお話した通り、好みの焦点距離が85mm派と105mm派に分かれると思っています。ポートレート写真では背景を美しく省略する為にも、Fナンバーの明るいレンズが必要になります。元来ポートレート用レンズと称されるレンズの始まりは、F4やF3.5クラスの中望遠レンズからスタートしています。しかし時代と共にF2.8、F2、F1.8、F1.4と、どんどん大口径化が進みます。この中望遠の進化はまさに設計技術の進化、コンピューターの進化、更には光学ソフトの進化が深く関わっています。また35mm判では、実のところ70~120mmあたり焦点距離のレンズが最も設計しやすい焦点距離なのです。それは初耳!という方は多いでしょう。なぜ中望遠域のレンズが他の交換レンズより設計しやすいのか。それは色収差補正と軸外収差補正の難易度からちょうどバランスの取れた領域だからなのです。軸上色収差、特に二次の色収差といわれる二次分散の発生は焦点距離が長くなれば長くなるほど増大します。逆に画角が広くなればなるほど、軸外収差の補正難易度が急激に上がります。さらに一眼レフ時代では、バックフォーカスを一定量保ったまま小型化も求められました。それらの理由で、設計自由度を十分確保できる焦点距離が35mm判では70~120mm付近の焦点距離になると言う訳です。まぁざっくり言えば、あまり苦労せず設計できる焦点距離がこのあたりなのです。と言う事は、「十分稼げた設計自由度を何に使うのか」と言うことになるわけです。その結果、一つの方向性は大口径化、高性能化であり、もう一方は小型化と低価格化に可能性を見出したのです。そんな意向で各社の85mmはどんどん大口径化していきます。その結果ニコンではAi Nikkor 85mm F1.4Sが誕生したのです。ある意味必然と言えば必然でした。

開発履歴と設計者

日本の名設計者は一般に知られる事があまりありませんが、その足跡は報告書や開発履歴、特許公報等によって辿る事が出来ます。それではAi Nikkor 85mm F1.4Sの開発履歴を遡ってみましょう。このレンズは、当時としては珍しく、まさに分業したかの如く、基本設計から試作以降の改良設計へ襷を渡して開発したレンズでした。基本設計は当時、光学部第一光学課に所属していた滝口隆氏によるものです。設計開始から設計方針が決まり初めの解を作るところまでを滝口氏が行い、その後を引き継いだのが第二十三夜で華々しく登場したアカデミー賞受賞者の藤江大二郎氏でした。藤江氏は基本設計を基に量産設計を行い、図面作成、量産立ち上げを一手に引き受けたのです。滝口隆氏はこの85mm F1.4の設計以前は主にウルトラマイクロニッコールやアポニッコールなどの産業用レンズの設計開発を担当されていました。一方でブロニカニッコールHC 75mm F2.8DXやプラウベルマキナ用ニッコールも設計されました。85mmもそうですが、滝口氏は基本のレンズタイプを熟知したうえで、幾つもの独創的なレンズタイプを発明して世に送り出しました。それらのレンズはまさに立体物を撮影することを前提に考えられたとしか思えない様な光学設計が施されていたのです。滝口氏は光学設計者として、溢れんばかりの知識や設計センスを兼ね備えていた方なのです。しかし、滝口氏は多彩な知識やアイデアをお持ちの方で他職場からも引く手数多でした。その結果、1978年頃に大型コンピューターを管理する電算部に異動しました。そして優秀なソフト開発者に変貌を遂げたのです。第八十九夜を執筆するにあたり、藤江氏からその話を伺った時は、残念でなりませんでした。私が以前から卓越した設計だと思った3本のレンズが、まさに滝口氏の発明、設計であったからです。しかもこの3本は滝口氏が写真レンズを設計した唯一の作品だったのです。私はもっと沢山滝口さんの設計したニッコールで写真を撮りたかったです。もっと光学設計を続けておられたら、果たしてどんな銘レンズが誕生したことでしょう。歴史に「もしも」は無いと言います。しかし…。本当に残念でなりません。

それでは開発履歴を見ていきましょう。設計開始は不明ですが報告書は1979(昭和54)年に提出されています。しかしこれは、かなり遅延した後の提出だったのです。なぜなら滝口氏はこの解を基に1978年1月に試作図面を提出し試作を開始しているのです。試作は順調に進み、担当は藤江氏に代わります。光学試験等様々な評価試験の後に小修整、量産性の確認を行い1979年9月に量産を開始します。生産場所は当初Aiニッコールの殆どを生産していた相模原製作所で開始されました。試作の結果十分満足いくレンズに仕上がり、いざ量産という時期にレンズ設計報告書が書かれています。したがって実設計は1977年12月以前であることは間違いないです。順調に量産が進み1981年9月に発売されます。1980年にニコンF3が発売されますから、この大口径レンズは新生ニッコールの代表選手としての大きな価値がありました。ニコン初の85mm F1.4は、最初から所謂Ai-Sタイプで発売されました。したがってニコン初の85mm F1.4はAi-Sの一種類しか存在しません。その後時代が進み、ニコンはSIC ニコンスーパーインテグレーテッドコーティング(Nikon Super Integrated Coating)を開発。この反射防止膜は量産真只中のこのレンズにも適用されます。しかし順調に市場で評価されている最中に、業界をひっくり返すような大きな出来事が起きます。それがRoHS法です。この法律の施行前に、業界が一気にECO化時代に向かっていきました。その結果硝材が一変します。この時代に量産していた全ニッコールは影響を受けました。すべての量産品の修正設計を行い、図面を書き換える。ほんの小変更ではありますが、元設計解の収差補正状態を正確に再現するべく修正設計を行ったのです。その時に85mm F1.4も修正設計を行いました。しかし、いざ変更というタイミングで生産終了となり徒労に終わったようです。

一方、本格的なAFシステムへの移行は1986年にはニコンF-501の発売に遡ります。本格的なAF時代が到来しても1995年頃では、まだまだ時代はAiニッコールが主流でした。しかし1995年12月に大下氏の設計したAi AF Nikkor 85mm F1.4D(IF)が発売されて王座を譲ります。そしてAiニッコールは徐々に姿を消します。仮に1996年まで現役選手だったと考えても約15年、RoSH法公布のころまで販売継続していたとする約22年の長きにわたり愛されていたことになります。このレンズもまぎれもないロングセラー・ニッコールです。基本性能の良さが改良の必要性を感じさせなかった、このニッコールもそんなレンズなのです。滝口氏と藤江氏の二人三脚で開発した大口径レンズは、F3の相棒を立派に務めたのです。そして本格的なAF時代が到来し、F3と共に新たな時代を見守りステージの幕を引いたのです。

レンズ構成と特徴

(図1)Ai Nikkor 85mm F1.4S レンズ断面図

それではAiニッコール85mm F1.4の断面図(図1)をご覧ください。この光学系は滝口さんが生み出した新しいレンズタイプです。あえて分類分けを試みるなら、ガウスタイプの変形型と分類できると思われます。

特徴的なのが、絞りより前方(前群)です。いわゆる凸凸凹のガウスタイプの前群にゾナータイプの血を加えて、ガウスとゾナーの混血タイプを生み出したのです。しかもその中央には凸メニスカス形状の空気レンズを備えていました。まさに滝口氏の大発明です。思い起こせば太平洋戦争の後、ガウスタイプとゾナータイプのどちらが優秀かという議論が巻き起こりました。そしてこの優秀なレンズタイプの混血児がたくさん生み出されたのです。その新たなレンズタイプは、さらなる大口径化に拍車をかけました。しかし残念ながら、完全に両者の利点を活かし切れてはいませんでした。そこで生み出された混血レンズ群を滝口さんがご存じで、意識されたのかどうかは私には分かりません。しかし、この歴史的なレンズタイプ紛争をご存じなく、突然このタイプの発明に至ったのであれば、まさにそれは人並み外れた発想力だと言えるでしょう。いずれにせよ、この空気レンズによって完成された混血レンズは大口径化に最適でした。硝材は一次の色消しのためだけではなく二次分散改善のために最善の硝種選択をされています。この点も匠の技といえるでしょう。絞りより後群は一般的なガウスタイプと同様の構成になっています。ただし、滝口氏はもう一工夫していました。最終凸レンズを近距離合焦時にそのまま繰り出すのではなく、前方6枚のレンズと異なる移動量で繰り出させました。いわゆる近距離補正方式(フローティング機構)です。この構造によって、大口径レンズでありがちな近距離収差変動を抑え込んだのです。

設計性能と評価

まずは設計データを参照しましょう。以前お書きした通り、評価については個人的な主観であり、相対的なものです。参考意見としてご覧ください。

このレンズも教科書に載せておきたいほどの斬新なレンズタイプです。前群凸凸凸凹レンズは、色消しとともに高次収差を巧みに使い球面収差、軸上色収差、コマ収差の良好な補正を絶妙に行っています。また非点収差も非常によく補正されていて、メリジオナル像面とサジタル像面がほぼ重なったまま顕著な近距離変動は起きません。これは近距離補正機構の採用のためもありますが、きっと滝口さんはこのレンズになにが大切なのかをよく理解されていたのだと思います。歪曲や倍率色収差は対称型レンズタイプの利点を十二分に活かして、非常によく補正されています。ガウス型大口径レンズの重大欠点であるサジタルコマもゾナーの血を入れたことで劇的に改善しました。まず一般撮影では気にならないレベルに収まったのです。

それでは収差補正上の特徴を、各撮影倍率でつぶさに観察していきましょう。まずは無限遠物点結像時です。まず明るさですが、F1.4というのは本来√2系列なのでF1.4141…が中央値なのです。しかしこのレンズは、なんと計算上ではF1.39でした。本来のF1.4の値よりだいぶ明るさに余裕を見ていたことが分かります。それでは収差特性を見ていきましょう。初めに軸上色収差ですが、他の比較的暗いニッコールと少し傾向が異なります。軸上では、俗に言うd-g色消しより少しだけg線がマイナスにあり、ちょうどF線とd線の間に位置しています。軸上色収差の二次分散が事実上大きめに見えてしまう補正方法です。それではなぜそのような軸上色収差の補正バランスにしたのでしょうか。それは色の球面収差が原因でした。このレンズはd線の球面収差がほぼフルコレクションに補正されています。しかしg線の球面収差が少しオーバーコレクションになっているのです。要は色ごとの球面収差のコレクションフォームが異なるのです。この現象は色の球面収差と言われていますが、量の差こそあれ一般的な写真レンズでは良く起こる現象です。しかし、元来ガウスタイプにはこの色の球面収差を押さえるすべも持ち備えているはずです。要するにガウスタイプは、他のタイプよりこの色の球面収差を制御しやすいのです。この点はゾナー混血が裏目に出た可能性があります。ゾナータイプは一般的に非対称な光学系で色の球面収差は比較的発生しやすいのです。滝口氏は、言わば色の球面収差対策で二次分散の発生を極力抑えた硝材選びを行い、この色消しに至ったのだと思います。

次に有限距離物点に対する収差性能を見ていきましょう。撮影倍率-1/30倍(撮影距離約2.7m)においてですが、まさにこの撮影距離近傍がポートレート撮影で最も頻繁に使われる撮影距離です。近距離収差変動量としては極僅かです。変化が判別できるのは下方コマ収差の変化と倍率色収差の変化ぐらいです。下方光線が微量だけプラスに変位し、むしろ横収差のバランスが最もよくなります。倍率色収差もわずかにマイナスに変位してさらに残存収差が減少します。

それでは至近距離0.85m撮影時の収差特性はどうなるでしょうか。まず球面収差ですが、無限遠時よりは球面収差の輪帯がよりマイナスに変位します。要はより膨らんだ形になると言うことです。また像面湾曲は非点収差を増加させることはなく、球面収差に合わせて少しだけマイナスに変位。もっとも変化するのは、下方光線がさらにプラスに変位して所謂外コマ状態になります。これはある意味、設計起因ではないのでやむを得ませんが、MTF値は著しい低下を招かぬレベルを保っています。また倍率色収差もg線がマイナスに変位しますが、横収差の変化によって、むしろ実写ではあまり目立たなくなります。

次にスポットダイヤグラムを見てみましょう。まず無限遠から撮影倍率-1/30倍辺りでは、センター付近は点像のまとまりが非常に良く、マクロ的に観察すると、中心に核があり周辺に若干のフレアーが取り巻くような強度分布になっています。しかし、像高が上がるにつれて、サジタル方向に徐々にフレアーが発生しはじめます。しかしそのエネルギー濃度は微量で、一般撮影では気にならないと思われます。それでは至近近傍ではどうでしょう。センター付近は若干フレアーが増加しますが、さほど遠景撮影時と大きな変化はありません。しかし、像高が増すにつれて、周辺部は外コマ傾向が出てきます。一方、周辺光量は最低でも40%近い値を確保しています。これはF1.4の大口径レンズとしては立派な値だと思います。

次にMTF評価値を観察してみましょう。まず無限遠ですが、まず10本から30本/mmまでを観察して言えることはメリジオナルとサジタルのMTFピークの値も形も、最周辺までぴったりと一致していることです。これは点像の芯がきれいに丸くなっていることを予想させます。三次元的描写特性上も良好です。30本/mmのコントラスト値は、センターでは50%を切る程。周辺部は徐々に低下しますが30%程度を確保しています。一方10本/mmは、センターでは85%近くを維持しています。しかし、やはり大口径レンズですので周辺に行くにしたがってコントラストが徐々に低下し50%程度になります。このMTF特性からは、解像感はあるが若干フレアーぽく柔らかめのトーンが期待できます。撮影倍率-1/30倍のちょうどポートレート領域はセンターが、さらに若干柔らかくなりますが全体的には無限遠と同傾向を維持しています。それでは至近ではどうでしょうか。撮影距離が0.85m(撮影倍率は-1/7.9倍)では、センター近傍では30本/mmで30%程度のコントラスト再現性を維持していますが、周辺は外コマ収差の影響で徐々に低下し最周辺では20%程度まで低下します。10本/mmのコントラストも低くなりますが、撮影倍率を考えれば十分写ることが推測できます。また、以前触れましたが、至近時は撮影倍率が増加するにつれて被写界深度が浅くなります。そのため、同一平面内の被写体があるとするなら、それは新聞などの複写以外に見当たりません。立体物を撮影する場合は、各像高における合焦部分のMTF値が重要で、画面全域の平面性を極端に重視すべきではないと私は思います。むしろ三次元的描写特性としては良いかもしれません。実写で確認してみましょう。

実写性能評価

次に遠景実写結果を見ていきましょう。今回はニコン Z 7にFTZを用いて撮影し評価をいたしました。

それでは、各絞り別に特徴を箇条書きに致します。評価については個人的な主観によるものです。参考意見としてご覧ください。

F1.4(開放)

予想通り解像力が非常に良い。センターからごく周辺まで非常に細かい被写体まで解像している。その一方、コントラストは対称的なフレアーによって適度に圧縮されている。所謂、線の細い描写。色収差の発生は感じられない。非常にやさしい画像再現性で好印象。

F2

1段絞っただけで描写は一変する。取り巻いていたフレアーはほぼ去り、コントラストが急上昇した。しかし高コントラストのドンシャリ画像にはならない。すっきりした画で、こちらも好感の持てる描写。

F2.8

さらにクリアーになる。さらにシャープネスが向上した印象。解像力もコントラストもともに向上した感じ。申し分ない画質になる。

F4~5.6

均一で全面高画質。最周辺まで画質がさらに向上する。フレアーが最周辺まで全くなくなる。申し分ない画質。

F8~11

均一で全面最良な画質。全画面平均の画質がさらに向上する。さらに申し分ない画質。総合的に見てベストな画質と言えよう。

F16

ボテツキが出てきて若干解像力が低下する。回折の影響が出ていると思われる。通常撮影ではやはりここまでは絞らないほうが良い。

作例

それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。今回もすべて絞りは開放F1.4で撮影しています。

毎回の事ですが作例はレンズの素性を判断して頂くため、できる限りピクチャーコントロールをポートレートモード等の輪郭協調の少ないモードを使っています。また、あえて特別な補正やシャープネス・輪郭強調の設定は行わないようにしています。被写体は一般ユーザーがこのレンズを使用することを想定して選びました。撮影距離の遠近が網羅できるように心掛けました。

作例1

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/6400 sec
露出補正:+0.1EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 3月

作例1は近距離撮影距離における作例です。

あえて前後に被写体を配置した構図に致しました。勿論絞りは開放絞りF1.4です。ピント位置のシャープネスは文句ありませんし、前後に写り込んでいるボケ味も二線ボケの傾向が少なく違和感のない良い描写だと思います。

作例2

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/8000 sec
露出補正:+0.15EV補正
ISO:450
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 3月

作例2はもう少し離れて撮影した作例です。勿論絞りは開放絞りF1.4。ピント面より連続して後ボケが観察できる被写体を選びました。ピント面のシャープネスは高いのは言うまでもないのですが、特記すべきは後ボケ味の素直さです。ご覧の通り二線ボケ傾向が少なく素直な描写であることが分かると思います。

作例3

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/8000 sec
露出補正:+0.1EV補正
ISO:500
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 3月

作例3はさらに近い、ほぼ最至近距離で撮影した作例です。勿論絞りは開放F1.4です。花の解像感、おしべの先端や花びらの質感、とてもきれいに再現されています。また、ディフォーカス部分の描写を観察してください。ボケ味が上質で美しく自然です。

作例4

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/1250 sec
露出補正:±0EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:オートモード
撮影日:2023年 3月

作例4は撮影距離約2m時の作例です。勿論絞りは開放絞りF1.4。ピント面の先鋭さと前後のディフォーカス領域の描写が観てとれます。ピント面でも高い解像力があります。若干、滴る水や深度がぎりぎり外れた岩肌に軸上色収差等の影響による発色が見て取れます。しかし、この領域になるとあら捜しに近い観察です。当時のレンズとしては明らかに色収差が少なく良好に補正されたレンズであったと思います。

次からはポートレートにおける描写特性を観ていただくための作例です。残念ながらニッコール千夜一夜物語のボランティア専属モデルであった私の娘は、社会人になりモデルを卒業しました。そこで、今回は私の音楽の師の娘さんにお願いいたしました。それでは作例を観ていきましょう。

作例5

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/1250 sec
露出補正:±0EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 8月

作例5はまず最もポートレートで使う撮影距離、約1.5mにおける作例です。85mm F1.4のレンズ評価を人像写真なしに語ることはできません。勿論絞りは開放絞りのF1.4です。まずピント面のシャープネスは文句がありません。目を拡大してご覧ください。まつ毛の解像感、そして瞳に映り光る陰影のリアル感、実に素晴らしいです。それに加えて、背景は二線ボケの傾向が少なく、非常になだらかで柔らかいボケを生んでいます。

作例6

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/1250 sec
露出補正:±0EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 8月

作例6はポートレート定番の縦位置全身の撮影です。作例5から少し離れて撮影距離約2.5m。勿論絞りは開放絞りのF1.4です。ピント位置のシャープネスは文句ありません。

瞳に映り光る陰影。このリアル感が素晴らしいです。洋服の模様でもシャープさは一目瞭然です。また、この作例では前後のボケ味を判断しやすい様、少々意地悪ではありますが、細かな周期パターンが写り込むシチュエーションを選びました。前ボケは素直ですが、後ろボケには若干二線ボケの傾向がありそうです。しかし、ギリギリこらえていると言う感じです。

作例7

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/1600 sec
露出補正:±0EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 8月

作例7はさらに離れて写しました。勿論F1.4の絞り開放における作例です。ピント位置のシャープネスは文句ありません。少し前ピンで。リアルなピント面は洋服の柄になっています。この作例でも前後の連続したボケ味が判断できます。微ボケから中ボケ領域の変化で二線ボケの傾向が判断できますし、中ボケから大ボケ領域でヴィネッティングの影響が分かります。後ボケで比較的大ボケ領域に近いところに、少し二線ボケの傾向があります。しかし、ここでもギリギリこらえている感じです。

作例8

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/2500 sec
露出補正:±0EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 8月

作例8は背景に反射光を写し込んだ作例です。撮影距離は約1.5mぐらいでしょうか。勿論絞りはF1.4の開放絞りです。ピント面は逆光時でもシャープです。また背景のボケ味も悪くないです。二線ボケは発生せず好印象な描写と言えます。

作例9

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/2500 sec
露出補正:±0EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 8月

作例9は完全な逆光の作例です。ちょうど日差しが強くなった時に背景に強い反射光を写し込んだ作例です。撮影距離は3mぐらいでしょうか。勿論絞りはF1.4の開放絞りです。ピント面は逆光時でもシャープです。また背景のボケ味は若干二線ボケ気味ですが、やはりギリギリこらえている感じです。次に顔に注目してください。横顔の稜線が色付いています。若干赤い色にじみが発生しているのが観察できると思います。拡大率等倍でやっと確認できるレベルですが、これは残存した軸上色収差の影響と言えるでしょう。

作例10

ニコンZ 7+FTZ
Ai Nikkor 85mm F1.4S
絞り:F1.4開放
シャッタースピード:1/100 sec
露出補正:±0EV補正
ISO:640
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレートモード
撮影日:2023年 8月

作例10は最至近距離R=0.85m時の作例です。勿論絞りはF1.4の開放絞りです。ピント面はまつ毛です。文句なくシャープな描写です。また背景のボケ味も非常に素直で、前ボケ後ボケともに二線ボケの傾向は見られません。

いかがでしたか、このレンズの素直な描写、繊細で緻密な写り。どれをとっても満足できるレンズでした。滝口さんは、誠実で真面目なニッコールらしい大口径ポートレートレンズを開発してくださいました。ズームレンズ全盛の中にいて、この大口径レンズの描写は単焦点であるが故の描写だと言えるでしょう。

ガウスとゾナーの融合

皆さんもよくご存じのDr.ベルテレが発明したゾナーは、当時限界と思われていたF2の壁を越えてF1.5という世界一の明るさに到達しました。氏の非常にユニークで独創的なレンズ構成は、写真家や愛好家だけでなく世界中の光学設計者を驚かせました。「発明」に対して後から分析評価することは、発明者の何百分の一の知識さえあれば可能と言われています。まさに同分野の学者、同業技術者なら容易なことです。本来パイオニアにこそ絶大なる賛辞を与えるべきです。その本家ゾナーをお手本にして、世界中の設計者が研究し各種ゾナータイプのレンズを開発します。そのゾナータイプの最も特徴的な光学的構造は以下のように示せます。

ⅰ,パワー配置がテレフォトタイプになっている

利点は全長縮小と絞り径の寸小化が図れること。欠点は対称型レンズと比較して近距離収差変動が多い点、正の歪曲(糸巻型歪曲)が先天的に残存する傾向がある点。

ⅱ,3つのエレメントで構成されている

利点は空気接触面が6面と少ないこと。ゴーストフレアーに強く、いわゆる「ヌケの良い」描写にできる点。欠点は3枚接合を多用することでレンズ面の設計自由度を制限してしまうこと。これは、簡単に言えば3枚貼り合わせのレンズ面の曲率半径は4面しかありません。ところが分離した3枚レンズなら6面のレンズ面を持っているのです。従って分離レンズの方が、明らかに設計自由度が高いのです。

ⅲ,後群3枚接合の補正効果の高さ

利点はストッパー面の存在。絞りに対してコンセントリックな形状で小さい曲率半径のレンズ面を設けることで、瞳に対する高次収差の発生を利用して球面収差を削減し、更なる大口径化を実現した。しかし同時に欠点も存在する。このストッパー面の効果は画角が大きくなると減少し、ついに補正効果がなくなってしまう。従って大画角化は困難。また製造上の難易度も高い。

Dr.ベルテレの大発明は、これらの利点欠点を十分理解したうえで世界中の光学設計者に受け継がれていきます。一方、ガウスタイプ(正確にはダブルガウスタイプ)にも利点と欠点は存在しています。ところがその特徴はゾナータイプと相反する部分がありました。皆さんならどうしますか。そうです、世界中の多くの光学設計者は、このゾナーとガウスの折衷案を考えました。この技術展開は自然の流れです。その結果、大まかに言って「前群がゾナーで後群はガウス」という発想の光学系が多く生まれます。その中でもさらに後群構成を進化させたレンズがズノー 5cm F1.1やフジノン 5cm F1.2でした。ところが前群の3枚接合は長い間手付かずだったのです。もちろん時代的には4、50年前の話ですから、硝材も計算機の速度も天と地ほどの差があります。しかし私は、設計者の発想力やひらめきこそ時代を超越すると思っています。このAiニッコール 85mm F1.4Sで今まで40年間手付かずであった前群の完全な改良型が完成したのだと私は思っています。

Aiニッコール 85mm F1.4の設計方法は、今まで手付かずだったゾナー前群の3枚貼り合わせレンズにメスを入れたと言えるでしょう。まずはゾナー前群の3枚貼り合わせレンズの収差補正効果の確認をしておきましょう。通常の3枚接合レンズのように凸凹凸や凹凸凹の組み合わせであれば、すべての接合面の光学補正効果は、それぞれ十分発揮できます。しかしゾナー前群の3枚貼り合わせレンズは凸凸凹なのです。問題は中央の凸レンズの光学補正効果です。本家ゾナーでは1枚目の凸よりも2枚目の凸の方が明らかに低屈折率で分散の小さい硝材を使っています。実はこの2枚目の凸は無くても良いとまでは言いませんが、凸凸の接合面は積極的な収差補正を行っていません。Dr.ベルテレは空気の代わりに最も屈折率の低いガラスで間を埋めたのです。まさにゾナーが開発された時代はコーティング技術発展前夜でした。空気接触面をとにかく減らしたい。Dr.ベルテレはその思いで1枚目の凸と凹の間をガラスで埋めるという方法に至ったのです。したがってコーティングが一般的技術になると、この3枚接合レンズは分離の凸凹2枚のレンズで置き換わります。それでは全くこの凸凸の接合に意味がないかというと、実はそうでもないのです。凸凸の接合では1枚目の凸の屈折率・分散と2枚目の凸の屈折率・分散の丁度中間の凸レンズを作り出す効果があると考えられるのです。少し贅沢な使い方ですが硝材が少なかった時代では、特に有効な使い方であったかもしれません。その凸凸凹3枚貼り合わせレンズは、滝口氏によって最も光学補正効果の高い構成へと進化したのです。氏は凸凸凹3枚接合の1枚目の凸を分離させて次の凸レンズとの間に凸メニスカス形状の空気レンズ(凹の屈折力)を形成させました。これにより凸凸凹3枚貼り合わせは「凸+空気レンズ+凸凹2枚接合レンズの構成」という画期的で新しいタイプに進化したのです。その効果で各エレメントの光学設計上の役割が明確になり、矛盾がなくなりました。その絶大なる収差補正効果は、多種多様な硝材の使用方法や曲率半径選択の自由度も生みました。まさに滝口氏はゾナーとガウスの折衷案を完成させたのです。永年続いた高次収差を使い「猛毒をもって猛毒を制す」トリッキーな設計は、滝口氏の手で終止符を打ったのです。

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