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第六十一夜 Ai zoom-NIKKOR 50~135mm F3.5S

AFシステム前夜、高倍率ズームの創成期を担ったレンズ
Ai zoom-NIKKOR 50~135mm F3.5S

第六十一夜はAF(オートフォーカス)システムの幕明け前夜、高倍率ズームレンズ開発の創成期を担ったズームレンズAi zoom-NIKKOR 50~135mm F3.5Sを取り上げます。時はF3時代。新しいAi-Sのレンズ群の要が、ズームレンズの高倍率化、小型化でした。
今日はその中でも特異なレンズタイプを用いて設計されたAi zoom-NIKKOR 50~135mm F3.5Sについて、隠された秘密を探ります。

佐藤治夫

1、Aiズームニッコール50~135mm F3.5Sの変遷

まずはAiズームニッコール50~135mm F3.5Sの変遷を追ってみましょう。Aiズームニッコール50~135mm F3.5Sが発売されたのは1982年4月のことでした。当初から新しいAiシステムの所謂Ai-Sレンズとして登場しました。時代はニコンF3にリンクしています。後に時代はAFに移行していきます。その荒波の中、Aiズームニッコール50~135mm F3.5SもまたAF化されずに姿を消していきます。後継機は35~135mm F3.5~4.5。広角35mmスタートの標準高倍率ズームレンズへと進化します。その結果、Aiズームニッコール50~135mm F3.5は販売年数約2年、一代限りで代替わりとなってしまいました。ニッコールとしては非常に短命であったと言えます。

2、開発履歴と設計者

Aiズームニッコール50~135mm F3.5Sの光学系を設計したのは、以前第三十一夜でご紹介した私の師匠、林清志(はやしきよし)氏です。清水氏、綱嶋氏、森氏がニッコールオートを支えた設計者であるなら、林氏はF3の時代、新生ニコンのAiニッコールを支えた設計者の一人でした。日本の名設計者は一般に知られる事がありませんが、その足跡は報告書、開発履歴、パテント等によってたどる事が出来ます。それでは開発履歴を見てみましょう。光学設計報告書は1981(昭和56)年に提出されています。試作図面は1980(昭和55)年12月に発行されています。ご本人の記憶では設計着手は1980年の春とのことでした。量産に移行するのが1982(昭和57)年の初夏。そして満を持して1982年11月に発売されました。

3、レンズ構成と特徴

(図1)

Aiズームニッコール50~135mm F3.5Sの断面図(図1)をご覧ください。少々難しいお話をしますがご容赦ください。このズームレンズは正負負正(凸凹凹凸)4群ズームレンズです。聞きなれない方も多いかもしれません。このレンズタイプは山路タイプと呼ばれるズーム方式(タイプ)なのです。図1の左から4~6番目までがバリエータの凹レンズ群、そしてそのすぐ後方の凹凸のダブレットが、このレンズの最も特徴的な凹群のコンペンセータです。そもそも望遠ズームレンズの定番は、中村氏の大発明、正負正正(凸凹凸凸)のアフォーカルズームタイプのレンズでした(第四十二夜参照方)。社の内外、国の内外を問わずこのズームレンズが一世を風靡し、いまだに大口径望遠ズームレンズは、基本的にこのアフォーカルズームタイプを使用しています。その中で山路タイプは、この原理的に大型化しやすく、広角化に不向きな、このアフォーカルズームタイプに挑戦するものでした。ここで山路タイプの特徴を図で説明しましょう。図2、図3をご覧ください。

左から(図2)、(図3)

図2は正負負正(凸凹凹凸)山路タイプのズームレンズの模式図です。図3は中村氏の正負正正(凸凹凸凸)アフォーカルズームタイプの模式図です。両方とも左から、フォーカス群、バリエータ群、コンペンセータ群、マスターレンズ群です。バリエータが大きく動くことで変倍し、そのピント移動をコンペンセータが補償します。一目でわかることは、ズーム比が大きければ大きいほど、レンズの移動距離が必要となり大型化すると言うことです。ここで注目したいところはコンペンセータの移動軌跡です。アフォーカルズームは像面(右側)に対して凸面を向くように移動し、山路タイプは像面に対して凹面を向くように移動します。したがって、山路タイプ(図2)はアフォーカルズームタイプ(図3)よりも図の「d3」間隔が少なくできるのです。ここに小型化の可能性があるのです。しかし、その理屈には大きな落とし穴がありました。山路タイプはバリエータとコンペンセータを凹凹と重ねて配置するため、結像に導くにはその直後に大きな凸のパワーを配置させ、光線を大きく曲げる必要があります。したがって、マスターレンズの凸の構成をおごる必要があったのです。せっかく全長を短くできる可能性があったのですが、一長一短で必ずしも山路タイプが小型になるとは言えませんでした。しかし、最も可能性を秘めた特徴は、バリエータとコンペンセータが共に凹群と言うことにつきます。要は変倍部の凹のパワー強めることができるのです。この特徴はペッツヴァール和の最適化にも貢献します。また、察しの良い方はここでピーンと来たのではないですか。そうです、このレンズタイプは広角化に向いているのです。Aiズームニッコール50~135mm F3.5Sでは、広角端を50mmまで短くすることができた秘密はここにありました。しかしながら、更なる広角化は凹先行ズームや第1凸群移動タイプのズームレンズに道を譲らなければなりません。35mm判のズームレンズであまり見かけないレンズタイプになった理由は、第1群移動の凸先行ズームレンズタイプの発明によるものだと思います。しかし、山路タイプは、著しい高倍率化と全長固定が必要なテレビカメラの世界で花開きます。現在では動画用(業務用)高倍率ズームレンズの大部分がこの山路タイプで構成されています。動画用レンズではとてもスタンダードなレンズタイプになっているのです。

それでは、なぜ林氏は、高倍率ズームの創成期のレンズにこのレンズタイプを使ったのでしょうか。以前伺った時には「技術的な興味と山路タイプの可能性と限界の検証」が目的であるとおっしゃっていました。その結果、光学性能的には良好で、大きさもさほど大きくない高倍率ズームレンズが出来上がりました。しかし、山路タイプはこの一本でお蔵入りになりました。林氏曰く、マスター部分の構成を凝る必要があり、35mm判では思ったほど小型化の効果が出ない。さらには、更なる広角化が困難というものでした。林氏はこの設計を通して、このレンズタイプの限界を読み取ったのです。偶然と言うのはおもしろいものです。そんな林氏の好奇心から、ニッコールの中では非常に珍しいズームレンズが産み落とされたのです。今となっては珍品の部類に入るかもしれません。

さて、それではAiズームニッコール50~135mm F3.5Sの収差的な特徴を見ていきましょう。まずは、広角端の50mm時から見ていきましょう。

まず初めに気が付くことは、ポートレート領域で非点収差が減少する設計になっていることです。この手の一群繰り出しの合焦方式は、多かれ少なかれ近距離収差変動があるものです。要はいかに残存収差を上手く残すか、が腕の見せ所なのです。林師匠はまさに匠でした。最もシャープネスに被害が少なく、TPOを考えた収差バランスの設定。やはり、若かりし頃の写真趣味があったればこその設計だったのです。広角端の球面収差は、ほぼフルコレクションで、近距離変動はほとんどありません。光学の教科書に載っている作例のような模範的な形状です。また、コマ収差も良好。コマ収差の色ずれも巧みに抑え込まれていて、非の打ちどころがありません。歪曲収差は約-3.9%。少々大きめですが素直な形状の樽型収差で、画像処理がしやすい形状です。それでは、中間焦点距離の90mm近傍ではどうでしょうか。球面収差は無限遠では少々過剰補正で、脇本バランスになっています。それが近距離時にマイナスに変位します。これは風景では少し絞るとシャープに、ポートレートでは良いボケ味をと言う、まさに脇本バランスのお手本のような収差バランスでした。特記すべきは倍率色収差、コマ収差、コマ収差の色ずれが巧みに補正されていることです。デジタルの今の時代でも通用するレンズであると言えます。最後に望遠端135mの収差を見てみましょう。無限遠では球面収差はほとんど無く、超望遠の球面収差図のようにそそり立っています。それが近距離でどんどんマイナスに変位していくのです。コマ収差もほぼ完璧に補正されていますが、若干内コマ傾向が残っています。球面収差といい、色収差といい、コマ収差といい、まるで超望遠レンズの収差バランスそのものです。特に無限遠の収差形状は、まるで林師匠たちが開発したAi-NIKKOR 300mm F2.8に代表されるニコン内焦型超望遠レンズの様です。林師匠にはこの特徴的な設計方法が身についていたのでしょう。違いは近距離収差補正の傾向です。合焦で凸群を前に出すため、収差、特に球面収差はマイナスに変位します。これはむしろポートレート、物撮りには良い傾向です。

次に点像の状態を観察します。驚くことにこのレンズは、すべての焦点距離で同様な点像の傾向を示します。正直私は、林師匠はそこまで考えていたのか、と心の中で叫びました。各焦点距離で同じ傾向の点像特性が得られれば、ズーミングしても画質の差に違和感が無くなる。これは卓越した設計思想です。サジタルコマ収差が抑え込まれ、点像は三角形になっている。しかしフレアーが無い。センターは若干フレアーが取り巻くが、芯があり理想的な形に近い。点が点に写るレンズ。これは神業か、狙っていたのか。まったくそっくりな点像形状。私はこのレンズを通じて、また林師匠から教えを頂いた思いがしました。

それではMTFを観察しましょう。10、30本/mmのコントラストはF3.5のズームレンズとしては良好です。特に全域、全像高で10本/mmのMTFは最高の値になっています。これはフレアーの無い点像特性でも理解ができます。林師匠の狙いはこれだったのでかも知れません。また、30本/mmのMTFは特にポートレート領域では周辺部まで均一になります。望遠側は近距離でソフトになり、ボケ味も近距離でより良くなる傾向があります。

4、実写性能と作例

次に実写結果を見ていきましょう。各絞り別に箇条書きに致します。評価については個人的な主観によるものです。参考意見としてご覧ください。

広角端50mm時

F3.5開放

センターはフレアーがあるが 、中心から周辺まで比較的均一な解像感がある。際立って解像力が高いわけではないが、端整で好感のもてる画質。色にじみは少ない。

F4~5.6

F4に絞り込むことによって、センターはフレアーがなくなり、コントラストが上昇。F5.6で周辺までシャープネスが向上。

F8~11

画面全体が均一な描写になる。特にコントラストが大幅に向上し、少々固くなる。F8~11が全絞り中最も良い画質。風景写真にはF11が好ましい。

F16~32

画面全体がさらに均一な描写になるが解像感低下。特にF22~32では回折の影響で解像感を若干損ねる。

中間焦点距離85mm時

F3.5開放

若干フレアーが増し50mmよりややソフトな描写。中心から周辺まで比較的均一な解像感がある。際立って解像力が高いわけではないが、端整で好感のもてる画質。やはりこのポジションでも色にじみは少ない。

F4~5.6

F4に絞り込むことによって、フレアーが少なくなり、コントラストが上昇。F5.6でフレアーがほとんど消えて周辺までシャープネスが向上。

F8~11

画面全体が均一な描写になる。特にコントラストが大幅に向上。しかし柔らかさは残る。F11が全絞り中最も良い画質。風景写真にはF11が好ましい。

F16~32

画面全体がさらに均一な描写になるが解像感低下。特にF22~32では回折の影響で解像感を若干損ねる。

望遠端135mm時

F3.5開放

フレアーが多めでややソフトな描写。少々解像感に欠ける。端整な描写傾向は変わらず好感が持てる。やはりこのポジションでも色にじみは少ない。

F4~5.6

F4に絞り込むことによって解像感が増す。F5.6でフレアーがほとんど消えて周辺までシャープネスが向上。

F8~11

F8で急にシャープになる感じ。画面全体が均一な描写になる。特にコントラストが大幅に向上。しかし柔らかさは残る。F11が全絞り中最も良い画質。風景写真にはF11が好ましい。

F16~32

画面全体がさらに均一な描写になるが解像感低下。特にF22~32では回折の影響で解像感を若干損ねる。

どのポジションにおいても、シャープネスを期待するならF8~11の絞りで使用すると良好な結果を得られるでしょう。また、ポートレートで使用するならF3.5~4の間で使いたいところです。

それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。

今回の作例もレンズの素性を判断していただくためにあえて倍率色収差補正、軸上色収差補正とヴィネッティング補正、シャープネス・輪郭強調の設定はしておりません。

作例1

ニコンD800 Ai NIKKOR 50-135mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/125sec
ISO:1000
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:NL
撮影日 2016年11月

作例2

ニコンD800 Ai NIKKOR 50-135mm F3.5
絞り:F5.6
シャッタースピード:1/125sec
ISO:1500
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:NL
撮影日 2016年11月

作例1は広角端50mmで絞り開放F3.5の時の作例です。顔や髪の毛の的なシャープネスは好感が持てます。足元の落ち葉もシャープに写っています。ボケはすこし固めですが、ぎりぎり二線ボケにはなっていませんでした。コントラストのバランスも良好で不満の無い描写です。

作例2は60mm近傍、F5.6で撮影した作例です。シャープネスは十分で、髪の毛やコートの繊維が良く再現されています。ボケも素直で好感が持てます。

作例3

ニコンD800 Ai NIKKOR 50-135mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/200sec
ISO:500
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:NL
撮影日 2016年11月

作例4

ニコンD800 Ai NIKKOR 50-135mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/125sec
ISO:1000
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:NL
撮影日 2016年11月

作例3は85mm近傍、開放F3.5時の作例です。このレンズはズーミングによる描写の差が少なく、安定したシャープネスを持っています。ボケ味は若干固く、二線ボケの傾向がみられるのが残念ですが、この時代のズームレンズとしては優秀な方だと思います。

作例4は望遠端135mm、開放F3.5で撮った作例です。ピントの合っている目や髪の毛は心地よいシャープネスで好感が持てます。望遠端ではボケ味も素直で、二線ボケの傾向も少なくなります。

5、林師匠の人となり

S時代のカメラ用ニッコールの創設者が東、村上、脇本各氏であったなら、ニッコールオートの生みの親は、清水、中村、森、綱島各氏。そして今回取り上げた林氏をはじめ、濱西、藤江、若宮各氏は新生ニッコールの覇者です。私は幸福なことに脇本先生の教えを乞い、清水さん、中村さんを始め、ここおられたすべての師のご指導も受けることができました。特にその中でも林氏は教育係として、出来の悪い私を育ててくださいました。そんな思いで、私は林氏を師匠と呼ばせて頂いています。それらの環境がベースになり、光学設計を30年超えて従事することができたのです。また、このニッコール千夜一夜物語も、そのような環境の中で培った知識を基に書くことができるのです。退職なさった林師匠とは、今も変わらずお付き合いさせて頂いています。今回の六十一夜も、実際に林師匠にお聞きして裏をとり書き上げました。林師匠とは年に一回は「林さんを囲む会」と称して、大下さんや他の仲間たちと近況報告をしています。林師匠の最近の興味事の一つはバロック音楽の様です。先日は、ヴィヴァルディのレアなオペラを入手したよ、と氏は少年のような目で嬉しそうに語っていました。その目は二十年前と変わらない輝きでした。音楽は一生の友。林師匠にはまだまだお教えいただきたいことが沢山あります。いつまでもお元気でいて頂きたいと思います。

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