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第五十二夜 ニコンおもしろレンズ工房 Part1(ぐぐっとマクロ/ふわっとソフト)

ニコン初のトイレンズ?
ニコンおもしろレンズ工房 Part1(ぐぐっとマクロ/ふわっとソフト)

今回は少し趣向をかえて、佐藤と大下が開発に関わったレンズの紹介をしてみたい。ニッコールではなく、ニコンレンズシリーズEでもないレンズ「ニコンおもしろレンズ工房」である。ご存知のない方も多いかもしれないが、1995年12月に、日本国内のみ5000セット限定発売された3本のレンズキットである。

大下孝一

1、年末の座談会

今から20年前、1994年の暮れ、佐藤さんと私を含む光学設計の中堅数名がとある座談会に招かれた。主催者は、当時カメラ設計部第一設計課の塚本雅章さん。水中用カメラ設計の第一人者で、世界初の水中AF一眼レフ・ニコノスRSの開発を終え、新規分野での商品開発を模索しているところだった。この座談会も、レンズ分野でのネタ探しが目的であったという。

「何かおもしろそうなアイディアない?」

そこで出たアイディアが「簡易型ソフトフォーカスレンズ」を出してはどうか?というものだった。当時、いわゆるベス単を模した既成のソフトフォーカスレンズが発売されていた時期であり、私自身も佐藤さんの影響もあって、既成のレンズからレンズを摘出してはソフトフォーカスレンズを自作しており、ちょっとしたソフトフォーカスブームになっていたのだ。

「ソフトフォーカスレンズだったら2枚のレンズで設計できるし、マニュアルフォーカスにすれば機構も簡単で安く販売できますよ。」

教育や教材分野の商品をイメージしていた塚本さんに、この言葉は響いたようで、「いいねぇ、単純な機構だったらカメラやレンズのしくみを知るのにいい教材になりそうだね。」とすぐさま興味を示してくれた。

「いっそ、バラバラになるようにして組立式にしたらいいかも。」

「せっかくの一眼レフカメラだから、色々なレンズを交換して描写の違いを楽しんでほしいんですよね。」

「標準ズームは確かに便利だけど、単焦点レンズをつかってほしいなぁ。」

「超望遠とか、超広角レンズとかもね。」

話は多岐にわたって、座談会は和やかな雰囲気で終了した。この座談会からしばらくたったある日、突然塚本さんから電話があった。

「座談会のネタを上司に話したら、えらく乗り気になっちゃってね。それならいっそ、ソフトフォーカスレンズだけでなくて、マクロレンズや超望遠や超広角もセットにして売ろうっていうんだよね。で、ちゃちゃっと簡単なレンズ設計してくれないかなぁ。」

1994年12月某日、おもしろレンズの開発が始動した瞬間である。

2、おもしろレンズの企画

一眼レフの特徴が最大限に発揮できる特殊レンズとして、以下の4本が企画された。

  1. ソフトフォーカスレンズ
  2. 魚眼レンズ
  3. マクロレンズ
  4. 超望遠レンズ

各レンズは気軽に買えるよう5000円くらいで販売できるコストが目標、詳細スペックは光学設計部門に一任、性能は不問だがL判~2Lプリントに耐えることという注文付きであった。ソフトフォーカスレンズや超望遠レンズはともかく、魚眼レンズやマクロレンズが5000円で売れるような単純な構成で設計できるだろうか?と不安に思いつつも、私は仮の目標を設定した。一つは、ローコストを実現するため、レンズ3枚以下の構成にすること。そして、1群または2群の構成とし、群の相互の許容誤差を緩和するということだった。

ハイスペック高性能レンズでは、レンズ組込時に調整をおこない性能を確保するものだが、それでは組立のコストがかさんでしまう。安価なレンズなので、無調整で光学良品率100%が目標である。そして光学性能も、買ってくださったお客様に、安いレンズなのにこんなによく写るんだ!という驚きを提供したい。そんな想いで設計に着手した。3本あるレンズのエピソードを1話では伝えきれないので、今回はマクロレンズ、ぐぐっとマクロ/ふわっとソフトのお話を中心に書いてゆきたい。

3、ぐぐっとマクロ

図1:レンズ断面図 ぐぐっとマクロ(上)ふわっとソフト(下)

昔のマクロ(マイクロ)レンズをみればわかるとおり、レンズの明るさが暗ければ、全体繰り出しフォーカスでも性能は確保できるだろうという目算はあったが、問題はレンズタイプである。理想をいえば6枚構成のガウスタイプや5枚構成のキセノタータイプを使えば距離による性能変化も少なく、各収差も完全に補正できるが、コスト面で論外である。全ての収差を補正できる最小構成は凸凹凸のトリプレットレンズであるが、これも採用したくなかった。3枚のレンズが分離しているために鏡筒の組立が複雑になる上、各レンズの位置精度がシビアなのである。そこで、2群で構成可能で前後群の精度に寛容なテレフォトタイプに絞って設計を開始した。テレフォトタイプにすると、歪曲補正が困難なので必然的に焦点距離を長くせざるを得ないが、花の撮影がマイクロレンズの主な用途と考えると悪くないだろう。

こうして設計されたのが図1上のレンズ構成である。凸接合レンズの前群と、弱い凹レンズの後群からなる2群3枚構成のレンズである。通常前群は2~3枚の分離レンズ、後群は2枚のレンズで構成されているものだが、それぞれを接合レンズと単レンズで構成することで組立性を向上させている。

設計時に留意した点は、焦点距離とFナンバーである。後群を単レンズで構成しているため、周辺性能の確保と歪曲収差補正が難しく、中望遠でもやや長めの120mmとした。深度の浅いクローズアップ撮影では、花の形をしっかり写すためにF5.6前後まで絞るのが定石である。しかしこのレンズは、絞りが固定でマニュアルフォーカスの簡易レンズである。適切な深度とピントの合わせやすさを両立させなければならない。既存のレンズで実験の上F4.5に決定した。至近は試作時、花の写真だったら1/3倍くらいまであればいいよねと安直に決めたが、その後の試作評価で1/3倍では全然寄れないと指摘があり、製品版では組み換えで1/1.4倍まで寄れるよう改良された。

4、ふわっとソフト

しかし、ぐぐっとマクロの設計はこれで一段落しなかった。きっかけは後輩の一言だった。まとまりつつあったこのレンズの話をしていると、彼はこう言うのだ。

「私はマイクロレンズもっているし、いくら安くてもこれより性能の落ちるマイクロレンズを買おうと思わないですね。マイクロレンズを持っている人でも買いたくなるような、一ひねりがいるんじゃないですか?」

冷や水を浴びせられた思いだった。後輩の言うことはもっともである。マイクロレンズは単焦点レンズの中でも売れ筋のレンズで、既に所有している確率の高いレンズだ。そんな人たちにも買ってもらえるレンズにしなければ。このレンズの断面図を見るうち1つのアイディアが思い浮かんだ。前群の接合レンズをひっくり返せばソフトフォーカスレンズにできるんじゃないか?(図1下)早速試してみるとうまくゆきそうな感触である。3枚構成のマクロレンズとしての性能と、2枚構成のソフトフォーカスレンズの性能を交互に見比べながら修正設計をすすめ、ぐぐっとマクロ/ふわっとソフト兼用レンズが完成したのである。上記のように、おもしろレンズの企画には専用ソフトフォーカスレンズが入っており、早々に設計完了していた。しかしこのふわっとソフトの完成によって、専用ソフトフォーカスの量産化は立ち消えになってしまったのである。

5、レンズの描写

写真1 D700に取り付けたぐぐっとマクロ

写真2 ぐぐっとマクロを分解したところ

写真3 ぐぐっとマクロ状態

写真4 ふわっとソフト状態

いつものように、作例をもとにこのレンズの描写をみてゆこう。

このレンズはマウントこそプラスチックだが、金属外観で、D700やD810などにもデザイン的にマッチする。レンズは写真2のように4つの部分に分解される。奥がメインのフォーカスユニット、手前右がレンズを取り付ける鏡筒先端部。この下側にレンズを取り付けた状態が通常使用状態、上側にレンズユニットをとりつければ、さらにぐぐっとマクロ状態になる。

写真手前中央が前群の接合レンズ、手前左が後群凹レンズである。写真3がぐぐっとマクロ状態で、写真4がふわっとソフトの状態で、これをフォーカスユニットにねじこめば撮影準備完了である。なお、ふわっとソフト状態で余った後群は、35mmフィルムのパトローネケースに入るように工夫がされている。

作例1

D700 ぐぐっとマクロ 120mm F4.5
絞り:開放
シャッタースピード:A-auto(1/400sec)
ISO:200
ホワイトバランス:オート

作例2

D700 ふわっとソフト 90mm F4.8
絞り:開放
シャッタースピード:A-auto(1/250sec)
ISO:200
ホワイトバランス:オート

作例1は、東京都庁舎の壁面である。このレンズは1mより近距離の描写に重点をおいたレンズなので、遠景のこのシーンでは、周辺部がわずかにフレアっぽく解像感の低下がわかるだろう。一方テレフォトタイプのレンズながら歪曲はほとんど目立たない。「マイクロレンズ」だからと筆者がひそかにこだわった点の一つである。

作例2は、ふわっとマクロソフトに組み替えた遠景描写である。理想のソフトフォーカス描写は、描写に芯があり、芯から円型にフレアがとりまいていること、かつフレアの量や形が全画面にわたって均質であることだ。この条件を満たすためには、ビグネッティングがないこと、コマ収差と非点収差が良好に補正されていることが必要となる。このレンズでは、コマ収差はほぼ完璧に補正されており、全画面フレアが均一にとりまいていることがわかるだろう。一方非点収差は平均像面が平坦になるよう画面四隅で残存している。子細にみると四隅で芯が流れ気味なのがわかるだろうか。

作例3

D700 ぐぐっとマクロ 120mm F4.5
絞り:開放
シャッタースピード:A-auto(1/200sec)
ISO:200
ホワイトバランス:晴天

作例4

D700 ふわっとソフト 90mm F4.8
絞り:開放
シャッタースピード:A-auto(1/500sec)
ISO:200
ホワイトバランス:オート

作例3、4は、同じ中~遠景をぐぐっとマクロ/ふわっとソフトで撮り分けたものである。ぐぐっとマクロの焦点距離が120mmなのに対して、ふわっとソフトは90mmになるため、ひとまわり広く写るのがわかるだろう。また作例1で見える四隅の画質低下も、このような立体物になるとボケも加わりほとんど目立たない。また使用説明書に書いてあるとおり、ふわっとソフトのフレアの度合いは絞りをつけることによって減らすことができるので、試していただきたい。個人的には、開放ではややフレアが多すぎると感じるので、絞りφ15(F6)くらいまで絞るのがおすすめである。

作例5

D700 ぐぐっとマクロ 120mm F4.5
絞り:開放
シャッタースピード:A-auto(1/400sec)
ISO:200
ホワイトバランス:オート

作例6

D700 ふわっとソフト 90mm F4.8
絞り:開放
シャッターズピード:A-auto(1/640sec)
ISO:200
ホワイトバランス:オート

作例5、6は近距離での花の撮影である。作例5がぐぐっとマクロ、作例6がふわっとソフト、被写体の花の大きさが同じになるように撮影距離を調整した。このレンズの描写がもっとも発揮される距離なのでシャープな描写が期待できる。ただ、2群3枚の単純な構成のため、球面収差の曲りが大きく、前後のボケまで配慮する設計余裕はなかった。シーンによっては後ボケがうるさく感じることがあるかもしれない。一方作例6のふわっとソフトでは、大きな球面収差のおかげできれいな後ボケが得られている。

作例7

D700 ぐぐっとマクロ 120mm F4.5
絞り:開放
シャッターズピード:A-auto(1/320sec)
ISO:200
ホワイトバランス:オート

作例8

D700 ふわっとソフト 90mm F4.8
絞り:開放
シャッターズピード:A-auto(1/500sec)
ISO:200
ホワイトバランス:オート

作例7は、ぐぐっとマクロ最至近距離(約1/3倍)での花の写真である。作例8は、作例7とサイズを揃えているが、撮影したふわっとソフトの作例である。ちなみに、ふわっとソフトではさらに踏み込んで拡大撮影ができる。最至近では性能は若干低下するが、このような立体物ではそれほど目立っていない。これ以上拡大するには、レンズユニットを鏡筒前側に組み替えて、さらにぐぐっとマクロモードにしてお使いいただきたい。

設計当初、単に安いというだけが特徴のだったマイクロレンズが、ユーザー自身で組み替えればソフトフォーカスになるという機能を手に入れて、真に遊び心のある、おもしろレンズに変貌を遂げたお話しである。このレンズシリーズは、レンズや写真のおもしろさや楽しさを、多くの人に味わってほしいという思いで開発された。そんなおもしろレンズを体現するレンズである。

残り2本のレンズについてもいろいろエピソードがあるが、それはまた別の機会にお話ししたいと思う。

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