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第二十九夜 W-Nikkor・C 2.5cm F4

山椒は小粒で、ぴりりと辛い
W-Nikkor・C 2.5cm F4

第二十九夜は、とある愛好家の強い要望で、ニッコール2.5cm F4レンズを取り上げます。このパンケーキ広角レンズは、S用交換レンズの中でも、群を抜いてユニークなレンズでした。ピントリングすらないこのレンズの魅力は何なのか?なぜ愛好家に珍重されるのか?
今夜は、このビー球のようなニッコール2.5cm F4の秘密を、解き明かしましょう。

佐藤治夫

1、トポゴンと日本光学

今でこそ、あまり見かけないトポゴン型レンズは、1933年にツァイスによって発明されました。しかし、その原型は1900年にゲルツによって発明された、ハイペルゴン(Hypergon、2ω=135°、F22)に遡ります。ハイペルゴンは同じ曲率半径を持つ2枚の凸メニスカスレンズによって構成されています。最大の特徴は、当時、最大の包括角を持っていたことです。また、収差補正上の特徴は、歪曲、像面湾曲、倍率色収差が著しく小さいという点にありました。しかし、2枚の凸レンズのみで構成されていたハイペルゴンは、軸上色収差と球面収差が補正できないという、原理的欠陥も持ち合わせていました。そこで、ツァイスはこのハイペルゴンの対称構造を崩さずに、1組の凹レンズ(計2枚)を追加し、トポゴン(Topogon、2ω=100°、F6.3)を完成させたのです。このトポゴンは暗いレンズでしたが、当時はハイペルゴンに次ぐ、包括角を有していました。

そんな折、時代は戦争に向かっていました。次第に世界は太平洋戦争の渦に飲み込まれて行きます。そんな時代、このトポゴン型レンズは、歪曲と像面湾曲の少なさが珍重され、航空写真、地図作成用光学系として重責を担っていきます。こぞって各国の光学設計者は、この無歪曲広角レンズの開発に心血を注ぎ始めます。敵地の正確な地図を持たなければ、敗北を意味する時代でした。この時代、日本光学も盛んにトポゴン型レンズの研究をしていたと聞いています。やがて平和な時代が幕を開けて、先駆者たちの研究は、写真という芸術文化の世界で花開します。その成果がこのニッコール2.5cm F4にも活かされているのです。

2、開発履歴

それでは、ニッコール2.5cm F4の開発履歴を紐解いてみましょう。光学設計を手がけたのは、第三夜でご紹介した東秀夫氏です。光学設計は昭和28年の秋に完成しています。その後試作され、量産図面は昭和29年9月に出図されています。詳細に図面をみて、私は驚きました。まず、2枚の凹レンズのレンズ厚が、なんと0.45mmしかないのです。しかも半球に近い曲率半径で、前後の差も微小です。また、このレンズの偏心を60秒以内にせよという公差がついていました。この部品の加工は困難を極めたことでしょう。小型化というのは難しいものです。大きさを1/10に比例縮小すれば、公差の値も1/10、すなわち通常の10倍の精度が必要になるのです。

製造部門では、加工だけではなく、組み込みにも苦労したと聞いています。特にぺらぺらの凹レンズの取り扱いは、非常に難しいものでした。まず、エアガン(スプレー)を使ったゴミ取りは不可、アルコールによるレンズ拭きも不可、強く摘むのも不可・・・。エアガン(スプレー)で空気を吹きかけると、割れたり、飛んだりと大変なことになり、アルコールでレンズ拭きをすると、気化熱で割れる・・・。そこで、このレンズには専用の羽毛で作られた掃除道具があったそうです。なんとも現場泣かせのレンズだったのです。きっと現場の職人さんたちは、ニッコールを作っているという誇りと使命感で、この困難を乗り切り、作り続けていたのに違いありません。

3、描写特性とレンズ性能

W-Nikkor・(c)2.5cmF4レンズ

まず、断面図をご覧ください。トポゴン型レンズは、左から凸凹凹凸の4枚から出来ています。ころころに丸まったレンズの中心には、絞りがあり、対称型の構成を持っています。トポゴン型レンズは、凸(凹凹)凸構成と考えれば、ハイペルゴンと異なり、トリプレット構造を持っていると考えられます。したがって、ザイデル5収差と2つの色収差の補正能力が確保できたことになります。

それでは、ニッコール2.5cm F4はどんな写りをするのでしょうか。収差特性と実写結果の両方から考察してみましょう。

前にも述べましたが、このトポゴン型レンズの最大の特徴は、歪曲収差と像面湾曲の少ないことです。各レンズの形状はメニスカス形状をしています。これは軸外光線(周辺光線)に対して、著しい収差を発生させないための知恵なのです。しかし、軸外光線に対して、前後の凸レンズの発生している収差を、中央の凹レンズで補正しきれていません。したがって、ニッコール2.5cm F4においても、各画角で補正不足のコマ収差が残存しています。しかも、上下のコマ収差が、比較的対称で均等に発生しています。また、軸上収差の補正の自由度が少なく、球面収差、軸上色収差も若干残存しています。

私は収差的な考察を終えた後、いくらニッコールでも、やはりトポゴン型レンズでは、写りは期待できないと思っていました。しかし、私は実写結果をみて、判断の誤りに気が付きました。確かに球面収差と、補正不足のコマ収差によって、開放近傍はフレアーがあり、甘いというより、やわらかい描写をします。しかし、解像感が割り合いあり、自然なコントラストとパースぺクティヴが得られたのです。

もう一度、私は設計データを見直しました。注目したものはスポットダイヤグラムという、点光源の描写を確認する評価方法です。このレンズの点像は複雑に変形していました。しかし、共通していたことは、点像の芯に大きなフレアーが取り巻いていることでした。これが適度な解像感とコントラストの秘密だったのです。また、このフレアーはユーザーの使用頻度の高いF8で、ほとんど消失し、階調性は維持しつつ、シャープネスが向上します。また、現在のカラーポジフィルムや、カラー印画紙が比較的硬調なことも、結果を好ましいものにしている理由だと思われます。

また、トポゴン型レンズは周辺光量が少ないのは周知の事実です。これは、トポゴン型レンズには開口効率を100%以上にさせる手立てが無いからなのです。しかし、ニッコール2.5cmは、最周辺でも約13%もの周辺光量を確保しています。この値はトポゴン型レンズとしては立派な値です。この辺りに東氏のこだわりと開発者魂を感じます。

それでは、各絞りごとの特徴を実写結果から見ていきましょう。

前記したように、絞り開放では、中心部分のシャープネスは良好ですが、周辺に行くにしたがって、徐々に像は甘くなります。また、全体的に若干フレアーが発生し、この効果が逆にコントラストを圧縮し、適度な階調再現性を生み出しています。しかし、割り合い解像感はあり、強いパースペクティヴも発生しないので、ごく自然は描写をします。

F5.6に絞ると、徐々に中心部分からフレアーが消失し、周辺光量も改善します。さらに、F8まで絞ると、周辺部分まで十分な解像力と適度なコントラストが得られます。また、さらにF11まで絞ると、シャープ感はさらに増し、このレンズの最良の画質になります。さらに、F16~F22まで絞ると回折の影響が現れ、徐々に解像感が低下します。

それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。作例1は撮影した遠景実写の作例です。広角レンズの特徴が出やすい構図を選びました。しかしながら、まるで標準レンズで写した写真のように自然に写っています。作例2は解像感を確認するために選んだ被写体です。線が細く、コントラストも強すぎず、階調も豊富で、自然な描写をしています。

私は、今回の経験で、このレンズが愛好家に珍重される理由が、分かったような気がします。私は、このレンズの魅力は「広角臭さがまったく無い」ことだと感じました。

トポゴン型レンズに対する認識を新たにすることが出来ました。要望をお寄せ頂いた、すべての愛読者の皆様に感謝いたします。

職場の引越し

今日は私の失敗談をお話します。どこの会社も同じだと思いますが、我々も昔は良く職場の引越しをしました。その度に資産整理を行い、いらないものを処分していったのです。

私が新人の頃のお話です。上長から、ダンボール2個分のガラクタ(?)の山を渡され、「種別して、いらないものは捨てなさい」と命令されました。中を見ると、古いレンズの残骸や、金物部品、プリズムや箱・・・。私も一応、ニコン愛好者でしたから、宝捜しのように目を輝かせ、お宝を水際で救い出しました。中にはハンザキヤノン時代のレンズやヘルメスが転がっていて、びっくり仰天。もちろん、その後きちんと管理保管する手続きをしたものでした。

しかし、ちゃんと製品に見えるものは救い出せたのですが、あたかも試作部品の残骸のようなものは廃棄したのです。後で気が付いたのですが、そのとき私は2.5cm F4のフードを捨ててしまったのです。当時の私には、そこに転がってるキズだらけの黒いリングが、到底売り物には見えなかったのです。そこで、躊躇無くごみ箱にポイ。私は後で市場価格を知り、びっくり。後悔先に立たず!恐る恐る上長に謝ったところ、上長はニコニコしながら、まったく気にしていない。私は、ほっとしました。しかし、とある時、友人(ニコン愛好家)に一部始終を話したところ、こっ酷く怒られました。よっぽど、愛好家の方がおそろしい。

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