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<ニッコールクラブ会員展>
加藤 清市
水没した村の記憶

会期

2022年10月18日(火)~2022年10月31日(月) 日曜休館

10:30~18:30(最終日は15:00まで)

開催内容

この写真の村は私の生まれ育った村である。千葉県市原郡高滝村高滝と養老地区が主とした水没地域である。高滝神社の前に伸びた参道は私の通学路であり、私が遊んだ場所であり、暴れ神輿が通った道であり、神輿は養老川に入り水をかけあってきらきら光った川である。そして屋号で呼び合う顔見知りである。
この地域は養老川が大きく蛇行していて、清澄山系から集めて流れ下り、この地に来て平地となり流れが淀み、ちょっとした雨で頻繁に洪水を繰り返していた。「雨垂れが途切れることなく、2時間降ると加茂の宿(高滝は昔賀茂と言われていた)に水が侵く」と言われていた。
忘れもしない昭和45年7月1日、その日は朝から激しい雨であった。出勤していた私はいつもの道で帰れず、上流のコンクリートの橋を渡って帰った。もうその橋に水が迫っていた。私の家は水没することはなかったが、田畑は水没した。次の日は村中総動員で被災地の応援に行った。私たちは鍬やスコップで床の泥をさらう。消防団の方たちはポンプで家を洗い流す。低い家は屋根まで水に浸かり、長押まで浸かった家も多い。私の行きつけの床屋さんの奥様は臨月の体で2階から筏で避難したという。この災害は「激甚災害」に指定された。
この災害を契機として予てから問題になっていたダム建設の話が急速に進んだ。調印式が済むと買収が始まり、買収と同時に工事が進行していった。水没家屋110戸、田畑合わせて119ha、集水面積107.1K㎡、先祖伝来の土地や家がブルドーザーで蹂躙される、それは心の痛むことであった。その気持ちにお構いなくブルドーザーの音は急ピッチであった。
私はこの痛みを後世に残そうと撮影をはじめた。私は水没する人たちと同じ気持ちだった。ダムになって新しい生活が始まる。その希望と、古を思い、古を失う寂たる気持ちと、混在したものだった。私は暇を作り撮影して歩いた。古い家や土地、人々がいとおしく思えていた。この気持ちが伝わればよいと思う。

(加藤清市)

プロフィール

加藤 清市(カトウ セイイチ)

1938年 千葉県市原郡高滝村不入に生まれる。以来84年この地に暮らす
1963年 川崎製鉄株式会社へ入社
1967年 会社の業務上で写真撮影、現像、プリント等に携わる。これを契機として写真全般に関心を持ち独習で写真を学ぶ
1969年 日本報道写真連盟(毎日新聞)に加入
1990年 二ッコールクラブに入る
2018年 個展「ちゃーちゃんありがとう」(ニコンプラザ新宿 THE GALLERY 2)

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