Nikon Imaging
Japan

ニッコールクラブ会員展
かとう せいいち 写真展
チャーちゃんありがとう

会期

2018年8月21日(火) 〜 2018年8月27日(月) 日曜休館

10:30〜18:30(最終日は15:00まで)

開催内容

<チャーちゃんのこと>

チャーちゃんは2005年7月頃の生まれ、公園のボート乗り場へ捨てられていた。その子を手ですくうようにして車に乗せて家へ帰った。妻は「わあ いやだ」と言いながらも、「牛乳を飲ませなくちゃ、トイレはどうしよう 」などとかいがいしく準備をした。
名前はどうしよう?と言うので、「今までミーと言う名前であまり長生きしなかったから今度は変えようよ、茶色だからチャーとするか」と言った。この子はチャーと言う名前で呼ばれることになった。
犬や猫は捨てられた子の方が可愛いような気がする。何十万円もする猫よりも、捨てられた猫の方が、その時点で不憫さがあるので人の気持ちが移るのだと思う。
予防注射のため石川と言う近所の医者に連れて行ったら「7月頃の生まれですかねえ」と言われた。次の年の3月頃おしっこの出が悪くなって石川医院に連れて行ったら、膀胱結石だと言う。洗浄して出してもらった。水晶のような角ばった小さな石だった。それから下部疾患対策のご飯にした。
その年の5月1日、2日、3日と家に帰らず、心配して探していたら大怪我をして帰ってきた。野良猫と喧嘩して足が着けないほどの傷を右足のくるぶしあたりに負っていた。5ミリほどの穴が貫通するほどに開いていた。例のお医者に連れて行って、洗浄して消毒、抗生物質を注射していただいた。41度の熱が出ていた。何も食べず、じっと寝ていて治した。
チャーちゃんは優しい猫だった。呼ぶと必ず「ニャー」と返事した。そして尻尾を振った。隣に「スズ」と言う猫がいて、そこへよく遊びに行った。そこのお家で大事にしてくれたので、自分の家と同じにしていた。スズのご飯を食べたり、スズに猫パンチをくったりしていた。それでもスズの所へ遊びに行った。木登りは下手だった。家の前のお池の水を飲むのが好きだった。そして妻の肩が好きだった。
2015年あたりから口内炎が出来て、猫の口内炎は治らないと医者に言われ、抗生物質や炎症止めで治療をしていた。2017年10月頃にそれがひどくなり、口内に2cmほどの塊ができて、本納と言う所に名医がいると言うので、診ていただいたら「癌」だという。私は手術はしないと言った。チャーちゃんに嫌な思いや不安を与えるのは耐え難かった。それでよくなると言う保証もなかった。口からたらたらと血を垂らした。それからも以前の医者で治療して、2017年12月24日よりご飯が食べられなくなった。今までは治療をすれば食欲が出たのだが、今度ばかりは食べられないまま痩せ細り、6キロあった体重が2.15キロに激減した。
妻は亡くなる前日、暖かい日だったので、チャーちゃんを抱いてお家の周りを見せて歩きました。そして日向ぼっこをさせました。
亡くなった日、チャーちゃんのお池の水も凍りました。その朝私が「チャーちゃんお仕事に行ってくるね」と言ったら尻尾をかすかに振ったのでした。もう言葉が出なかったのです。その日4時ごろ茶色いものを吐きました。そして8時ごろ4本の足を動かして、カーペットの上から板の間まで移動しました。「チャーちゃんどうした」と妻は言って抱きました。それからしばらく経って「くっくっ」といって妻の膝の上で息途絶えました。2018年1月22日午前8時ごろでした。私が仕事から帰るとチャーちゃんは段ボールの箱へ入れてありました。私はすぐに埋葬する気にならなくて、「埋葬は明日にしよう」と言いました。まだそこに生きているような気がしました。体は温かかったが硬直していました。
次の日チャーちゃんの段ボールの棺を前にして、私は下手な般若心経を唱えました。そして埋葬の穴を掘っていたら、チャーちゃんに感謝の気持ちがふつふつと湧いてきました。土をかける前に、いったん閉じた棺の蓋をあけて、鼻を触って「チャーちゃんありがとうね」と言いました。私たちが可愛がっていたのではなく私たちがチャーちゃんに慰められていたのでした。13年6ヵ月の生涯でした。
今ここに個展を開催するにあたって、チャーちゃんの醜い姿を衆目にさらすことになり申し訳ない気持ちでいっぱいです。「チャーちゃんごめんなさい」この個展もチャーちゃんが開催させてくれたことなので、ありがとう。(かとう せいいち)

プロフィール

かとう せいいち

1938年(昭和13年)3月17日生まれ

義務教育終了後「千葉県中堅青年養成所」(現 千葉県農業短期大学)卒
昭和38年「川崎製鉄株式会社千葉製鉄所」入社
川崎製鉄にて金属材料試験業務に従事その際、金属材料試験の一環として顕微鏡組織の検査で顕微鏡写真撮影等を行い写真撮影をするきっかけとなる。
在職中から日本報道写真連盟に加入して、ドキュメント写真を撮る。
昭和50年ごろからニッコールクラブに入会、後半ニッコールクラブ千葉支部に入る。
爾来三十数年にわたりシャッターを切り続ける。

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