Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2014年8月

juna21 山下 隆博写真展

写真
心の温度
7/31 (木) ~8/6 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

北海道後志(しりべし)地方。ここには原子力発電施設を3基抱える泊発電所がある。そしてここは、作者の生まれ故郷でもある。
この場所で起きていることは別の場所で起きていることとさして変わらないだろうと思うが、原発のある場所として認識されたとき、人々は様々なことを思うことだろう。
2011年3月以降、人々の原発に対する認識は大きく変わったはずだ。反対や賛成ということだけでなく、意識していなかった人たちに、意識を向けさせたということでは福島第一原発事故は大きな切っ掛けとなったことは明白である。
しかし、作者は自分が以前から抱いていた立地地域に住んでいる人たちの考えと、それ以外の、とくに都市部に住んでいる人たちの間にある温度差のようなものは、一層強くなってきたように思うという。カラー約30点。

作者のプロフィール

山下 隆博(ヤマシタ タカヒロ)
1984年北海道生まれ。2005年日本写真芸術専門学校II部卒業。
写真展(個展)に、07年「多摩川の陽々」(コニカミノルタプラザ/東京)、09年「この流れの彼方―多摩川―」(トーテムポールギャラリー/東京)、10年「Suicide Spiral ―tears and birds twittering―」(Juna21新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、11年「奇跡の傍らで眠る」(810ギャラリー/大阪)、12年「わすれて・わすれないで」(TAPギャラリー/東京)、「多摩川をなぞる」(Place M/東京)、13年「UMIYAMAYUKINO」(キチジョウジギャラリー/東京)があり、グループ展に11年「第4回写真1_WALL展」(ガーディアン・ガーデン/東京)、13年「Madurai Photography Festival 2013」(マドゥライ/インド)、14年「xishuangbanna Foto Festival 2014」(西双版納(シーサンパナ)/中国)などがある。

2014年ニコンサロン特別企画展「Remembrance 3.11」
土田 ヒロミ写真展

写真
フクシマ
8/7 (木) ~8/20 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
休館:8/16(土)・17(日)

写真展内容

写真

2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故は、甚大な被曝被害を今もなおもたらし続けている。過去の世界の原発事故、スリーマイル島(1979年)、チェルノブイリ(1986年)に比類する事故であり、ヒロシマ、ナガサキの被爆国日本が被曝の加害者の立場にもなってしまった事故であるという認識をしなければならない重大な状況が発生しているのである。
この事故は未だ終息をみたわけではなく進行中であり、広域にわたる高濃度な放射能汚染によって、汚染地域の人々の生命の危機、長期にわたる避難、それに伴って産業機構の崩壊、家族の崩壊、そして地域社会の破壊へと進行している。今後、永年の後に遺伝子学的障害も予測される事態が進行している。また、さらに地球規模の汚染が進行する可能性も大きい事故である。
このような放射能汚染事故は、巨視的に見ると自然と科学、言い換えれば自然と人間が調和してきた関係を一方的に人間側から放棄せざるを得ない文明史的破壊といえるカタストロフィー(catastrophe)である。

上記の認識から、本展は、我々が失った(放棄せざるを得なかった)モノの大きさを福島の四季の移ろう風景を記録することで、あらためて知覚、認識したという試みである。
福島の風景には、新緑、さくら、入道雲、紅葉、雪、……がある。まさに、日本の典型の景観が展開している。その風景は、日本人の誰もが親しんでいる自然と類似している。そのような風景を、自分自身が身近に体感している風景と同一性を発見することで「フクシマ」が他人事でなく自分自身の悲劇、大仰には現代文明を享受している我々が冒した誤謬として捉えられるべきものであるという変識化を促す表現をめざした表現である。

撮影時期:2011年6月~2013年11月(以降も予定)
撮影場所:福島第一原子力発電所から10~40㎞
(主に計画的避難区域、帰宅困難区域、住宅制限区域、避難指示解除準備区域等の国道339号、6号、県道114号、288号等の道沿、及び側道、林道などが中心。広野町、楢葉町、富岡町、浪江町、川内村、田村市、葛尾村、飯舘町、いわき市、南相馬市、川俣市、福島市など)
カラー約35点。

作者のプロフィール

写真

土田 ヒロミ(ツチダ ヒロミ)
1939年福井生まれ、福井大学時代に写真を撮り出す。71年本格的に写真作家を目指しフリーランンサーに。「自閉空間」で第8回太陽賞受賞。68~75年、日本の土俗性へ視線をむけ76年「俗神」出版。評価を得てニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、ポンピドーセンター(パリ)などの海外で発表続く。その後、次第に都市へ関心が移り、群衆を対象に「砂を数える」(75年、83年個展)。原爆に対峙して75年から現在まで「ヒロシマ1945~1979」(伊奈信男賞受賞)、「ヒロシマ モニュメント」、「ヒロシマ コレクション」など発表、今も継続してヒロシマの取材活動をしている。
95年頃より銀塩フイルムからスキャニングによりデジタルデータへ変容し作品化が始まる。「The Berlin Wall」(99年個展)、「新・砂を数える」(02年個展)、「Fake Scape」(02年個展)。2005年からイスラエル取材開始。「土田ヒロミのニッポン」(07年東京都写真美術館企画展)。同展で09年に第27回土門拳賞受賞。09年「The Berlin Wall」の再度のベルリン取材。11年6月より、「フクシマ」取材開始
主な作品収蔵美術館:ニューヨーク現代美術館/サンフランシスコ現代美術館/ポンピドーセンター/パリ国立図書館/ヨーロッパ写真センター/カナダ国立美術館/東京都写真美術館/東京近代美術館/ 川崎市民ミュージアム

太田 昭生写真展

写真
溶融の時(ハンセン病療養所 大島)
8/21 (木) ~8/27 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

らい予防法が廃止された1996年(平成8年)、大島を訪問した作者は、その島で隔離され続けた人たちの歴史「生きた証」を撮影した。
その後、15年ぶりに島を訪れると人口は100人以下になっていた。撮影した人たちも三分の二以上が亡くなり、入園者の平均年齢も82歳を超え、人口の激減と高齢化により、人類共通の「老い」と「死」の問題が迫っていた。
10年後、20年後の大島を想像したくない。島内で亡くなった人、全員が眠る納骨堂は誰が守るのか。入園者で陶芸家の山本隆久さんは、自分の骨壺を制作しているそうだ。
天寿を全うして死を迎えようとしている彼らの何を撮ればよいのか。
時間はすべての者に平等だが、時として短くも長くもなり、風化もし、不条理でもある。
大島の撮影は時間と人間の生き様を考えさせてくれる。日本におけるハンセン病の対応、島民の高齢化、意識の風化、何よりもそこで生活させられた「生きた証」さえも飲み込んでいきそうで、残酷である。モノクロ53点。

作者のプロフィール

太田 昭生(オオタ アキオ)
1950年香川県小豆島生まれ。元高校教師。99年酒田市土門拳文化賞奨励賞受賞。日本写真協会会員。
主な写真展に、92年「諦観の島―豊島」(銀座ニコンサロン)、95年「流離漂泊の俳人―尾崎放哉」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、96年「高松 Uni City」(銀座ニコンサロン)、98年「魂の島・大島」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、2001年「豊島10年」(銀座ニコンサロン)、06年「島が消える」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)などがあり、出版物に「魂の島・大島」(2000年刊)がある。

松野 良則写真展

写真
blinkers
8/28 (木) ~9/3 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

山砂は、埋め立てやコンクリートの材料に利用される埋蔵資源である。
房総半島の中西部には、良質な山砂の採掘場やその跡地が多数点在している。首都圏の高層ビルの建設やインフラの整備、東京湾の埋め立てなどで、山砂の需要は昭和40年代前半から加速していき、後半には採掘のピークを迎える。開発により、私達の生活は豊かさや便利さを享受することになる。
現在、採掘によって、富津市、浅間山丘陵(204メートル)は完全に消滅し多くの場所で山砂が次々に採掘され、森林を失った地表剥き出しの褐色の土地や山、放置、植林された跡地が各所に亘っている。
その景観に、人間の営為に、圧倒されてしまう。
かつて私達が望み、邁進した経済優先、豊かさを求める行為、行動は競走馬が直進、爆走する様を想起させる。
採掘場、埋蔵資源の枯渇した跡地はゼロサムの代償的景観である。(松野良則)
カラー45点

(*blinkers:競走馬に装着し、視野を制限する馬具)   

作者のプロフィール

松野 良則(マツノ ヨシノリ)
1968年静岡県生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業。デザインスタジオ、写真スタジオ勤務後、武蔵野美術大学映像学科研究室助手を経て、現在武蔵野美術大学、明星大学非常勤講師。
主な写真展(個展)に、2006年「遡行 scenes from TAMAGAWA 2001~2005」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)があり、グループ展に、98年~2000年毎1月「武蔵野美術大学助手展」(武蔵野美術大学美術資料図書館)、00年「武蔵野美術大学映像学科創設10周年記念写真表現新作展・11+1写真展」(ミツムラ・アート・プラザ)、11年「発科展 早稲田大学芸術学校空間映像学科閉科展」(竜宮美術館)などがある。

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