Nikon Imaging
Japan
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銀座ニコンサロン 2014年5月

金村 修写真展

写真
Ansel Adams Stardust (You are not alone)
4/23 (水) ~5/6 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

コンデジや携帯カメラ、iPhoneにスマホで大量に写真が撮られているこの時代に、写真の希望なんてどこにあるのだろうか。プリントもされずにデスクトップの中で陽の目を見ることもなく垂れ流しのまま朽ち果てるデジタル写真の山。見ることもできなければ、その片鱗すら感じることもできない不可視のデータの残骸に、フィルムがトラッシュな残骸の山を同期させてくる。
音楽評論家が、ラ・デュッセルドルフのレコードを塩化ヴィニールの無駄遣いと評したように、価値があるのか無価値な屑なのか、判断不能のごみの山を確信的に築くことだけが未来の写真の希望なのだ。
無駄のないフレーミング、黄金比で分割された構図、美しく再現された質感、モノクロのトーンが階調豊かに表現されたバライタ紙に、未来の写真のごみの山が侵食し、その美しい写真の表層に不可視のごみの縄目を刻印する。写真は美しくもなければ汚くもない。ただ薄汚い即物的な汚れがあるだけだ。
汚いという小手先のリアリズムは、現実に嘲笑される。汚さは結局リアリズムの概念に回収され、美意識の回路に組み込まれるだろう。美しさは無限に増え続ける写真の山の中で窒息させられ、その無残な姿を額装されて公衆の面前で辱しめを受ける。未来の写真は美しさの扉を激しく叩き、美しさにうめき声をあげさせるだろう。
写真は性的快感を廃棄し、不能を肯定するボストン絞殺魔。犠牲者が死んでいく過程になんの想像力も持たずに即物的な興味と観察による絞殺を実行する。着飾って美しく仕上げられたプリントに対し、脳腫瘍で鬱血した顔すらもきっちり階調を出す非情のゾーンシステムのリアリズムでトラッシュなアンセル・アダムスになることを未来の写真は希望する。

作者のプロフィール

金村 修(カネムラ オサム)
1964年東京生まれ。93年東京綜合写真専門学校研究科卒業。97年日本写真協会新人賞、第13 回東川町国際写真フェスティバル新人作家賞受賞。2000年第19 回土門拳賞受賞。
著書多数。主な写真展に、(個展)93年「Crashlanding in Tokyo's Dream」(銀座ニコンサロン)、95年「Tokyo Swing」(Yoshii Gallery/ニューヨーク)、00年「土門拳賞受賞記念展Black Parachute Ears 1999」(銀座ニコンサロン)、05年「Chinese Rocks」(ツァイト・フォト・サロン/東京)、13年「金村修展─ヒンデンブルク・オーメン」(photographers' gallery/東京)、(グループ展)92年「第3 回ロッテルダム写真ビエンナーレ Waste Land from Now on」(ロッテルダム/オランダ)、96年「New Photography 12」(ニューヨーク近代美術館)、03年「日本写真史展」(ヒューストン美術館/米国テキサス州)、04年「アルル国際写真祭」(アルル/フランス)、11年「JAPAN TODAY」(AMADOR GALLERY/米国ニューヨーク州)などがあり、作品は横浜美術館/ニューヨーク近代美術館/東京都写真美術館/東川町文化ギャラリー/東京国立近代美術館/土門拳記念館/ベネッセコーポレーション/ヒューストン美術館/福岡市美術館/サンフランシスコ近代美術館/シカゴ美術館にコレクションされている。

第33回土門拳賞受賞作品展
桑原 史成写真展

写真
不知火海 The Minamata disease Disaster
5/7 (水) ~5/20 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

作者が不知火海の沿岸、ことに水俣を中心に撮影を開始したのは1960年からである。この不知火海(八代湾)の沿岸は、ざっと200㎞だが、その一帯で住民に過酷なまでの事件が起き、現在も続いている。正確な数字ではないが約3,000人の認定患者(新潟県も含む)、また、救済を求める人たちが約6万5,000人、さらに係争中の訴訟も起こされている。
水俣事件は公式な発見から58年になる。作者は写真を表現手段として断続的だが記録を継続してきた。展示する写真は水俣事件の断片的な記録である。
なお本展は、昨年(2013年)暮れに銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンにおいて「不知火海 The Minamata disease Disaster」と題して開催された写真展内容を一部手直しして展示する。

受賞理由

受賞作の写真展「不知火海 The Minamata disease Disaster」と写真集『水俣事件』は、水俣病の公式発見から4年後の1960年から昨年まで、熊本県水俣市に通い続け、半世紀にわたり、丹念にそして広くこの国の「事件」を記録し続けたモノクロ作品である。
病床の患者のみならず、日常の暮らし、漁村の営み、集会、裁判、慰霊祭での政治家の表情などを捉え、淡々と積み重ねられた事実が「ひと」の「愚かさ」と「いきる力」を浮かび上がらせている。
ジャーナリスティックで距離感を保った一貫した姿勢によるドキュメント写真は、私的な写真があふれる日本の写真界に刺激と重みを与えた。

作者のプロフィール

写真

桑原 史成(クワバラ シセイ)
1936年島根県生まれ。60年東京農業大学、東京綜合写真専門学校卒業。フリーの写真家として活動を始める。最初の仕事として水俣病の撮影に取りかかる。炭鉱閉山の局面を写した「筑豊」は、在学中の59年に撮影。64年から四半世紀にわたり、政治的混乱による情勢が不安定だった「韓国」を撮影。67年から75年にかけてベトナムを取材。91年8月、ソ連崩壊のきっかけとも言える8月クーデターを含む「ロシア」を撮影。97年には郷里の津和野に「桑原史成写真美術館」が開館した。
63年日本写真批評家協会新人賞、65年講談社写真賞、82年伊奈信男賞、2003年 Dong Gang 賞を受賞。
主な写真集に、『報道写真家』(岩波新書)、桑原史成写真全集(全4巻:水俣/韓国/ベトナム/筑豊・沖縄)(草の根出版会)などがあり、写真展を多数開催している。

ニコンサロン特別展
石川 文洋写真展

写真
戦争と平和 ・ ベトナムの50年
5/21 (水) ~6/3 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

1964年8月、ベトナム沖で米駆逐艦が北ベトナム魚雷艇の攻撃を受けたとされる「トンキン湾事件」で米軍は北ベトナムを爆撃した。この年、作者は初めてサイゴン(現ホーチミン市)を訪れた。
その後1965年1月から4年間サイゴンで暮らし、南ベトナム政府軍、米軍への同行取材を続けた。
帰国後も、70年米軍のカンボジア侵攻作戦、72年・73年爆撃下の北ベトナム、75年ベトナム戦争終結、78年ベトナム・カンボジア国境紛争、79年ベトナム・中国戦争などを撮影した。
現在は枯葉剤・不発弾被害者ほか、戦争の後遺症と戦後の復興を取材している。
作者が初めてベトナムの地を踏んでから50年の月日がたった。来年は戦争終結40周年。第二次世界大戦以降、最大となったベトナム戦争を撮影した写真記録を展示する。
モノクロ・カラー40~50点。

作者のプロフィール

写真

石川 文洋(イシカワ ブンヨウ)
1938年沖縄県那覇市生まれ。64年毎日映画社を経て香港のファーカス・スタジオに勤務。65年1月~68年12月、フリーカメラマンとして南ベトナム(当時)の首都サイゴン(現ホーチミン市)に滞在。69年~84年、朝日新聞社カメラマン。84年~現在、フリーカメラマン。
98年ベトナムのホーチミン市戦争証跡博物館内に石川文洋写真常設展示室開設。2009年沖縄市が開設した「戦後文化資料展示室ヒストリートⅡ」に、作品が随時展示される。
主な写真展に、「戦争と民衆」「カンボジア 民衆とアンコール遺跡」「琉球舞踊」「大航海時代」「普賢岳・深江町の1年」「ヴェネチアの幻想」「沖縄の基地とアメリカの戦争」「日本縦断徒歩の旅 ―65歳の挑戦」「世界の笑顔」「四国八十八カ所」などがあり、主な著書に、『戦争はなぜ起こるのか ―石川文洋のアフガニスタン』(冬青社)、『日本縦断徒歩の旅 ―65歳の挑戦』『カラー版 ベトナム 戦争と平和』『カラー版 四国八十八カ所 ―わたしの遍路旅』(以上、岩波書店)、『石川文洋のカメラマン人生 貧乏と夢編』『石川文洋のカメラマン人生 旅と酒編』『てくてくカメラ紀行』『アジアを歩く』灰谷健次郎共著(以上、エイ文庫)、『サイゴンのコニャックソーダ』(七つ森書館)、『私が見た戦争』『まだまだカメラマン人生』(以上、新日本出版社)などがある。

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