Nikon Imaging
Japan
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新宿ニコンサロン 2013年4月

田島 さゆり写真展

写真
鏡像の祖国 -アルゼンチンの日系人たち-
3/19 (火) ~4/1 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

アルゼンチンは、日本とは地球上で、最も離れた場所に位置する国だ。タンゴで有名なこの国は、世界で5番目に日系人の人口が多い国であることは、案外知られていない。作者は縁があって、この国で暮らす日系人と知り合った。
彼らが移住した時期は、明治時代から高度経済成長期直前のピークまで長期にわたる。現在では80歳を過ぎた2世から50代の1世、そしてその子孫達と年齢構成も多様だ。2世3世には、日本語を話さなくなった人もいる。だが彼らの生活は、世代にかかわらず、日本の古い習慣を忘れることなく営まれている。
遥か遠い国に渡った日本人は、何時から日系人に変わっていったのだろう。過去の苦労を奥にしまって、こちらの笑顔に応えてくれる彼らの姿は、左右は反転するが、上下は変らないという、鏡に映った姿を見るようだ。
子供の頃に見た、昔の日本の大人の姿がそこにあると感じた作者は、1世を中心に、作者の年齢より長くアルゼンチンに暮らす人々を撮影した。モノクロ48点。

作者のプロフィール

田島 さゆり(タジマ サユリ)
1968年埼玉県生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科(有野永霧ゼミ)卒業。在学中、ロングアイランド大学芸術学部写真夏期講座を受講(比嘉良治氏の指導を受ける)。写真専門学校勤務後に渡仏。南フランスの写真家ルシアン・クレルグに師事。98~2000年海外青年協力隊隊員としてブルガリアに派遣され、国立写真印刷専門学校に勤務。帰国後フリーカメラマンへ。04~05年ブエノスアイレス(アルゼンチン)に生活の拠点を移す。その後もアルゼンチン在住の日系人の取材・撮影を行っている。

juna21 齋藤 小弥太写真展

写真
永遠の園
4/2 (火) ~4/8 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

抜けるような青空の下、教会の賛美歌が聞こえ、アラビア海からの優しい風が旅人を包み込む。白い砂浜が水平線の向こうまで続き、エメラルド色のバックウォーターが町を流れる。南インドを旅した人は喧噪や混沌といった、おおよそイメージする「インド」とは思えない光景を目にすることだろう。作者も初めて南インドの町、コーチンを訪れたときに、北インドとの違いに驚いた覚えがあると言う。なにより、北インドでは嫌になるほど聞いた「バクシーシ!(施しを!)」という言葉を、南インドでは全くといっていいほど聞かなかった。
それもそのはずで、ここコーチンではキリスト教徒が全体の8割を占めており、カースト制度や貧困から逃れるために、キリスト教共産主義の思想が人々の中に根強く浸透している。そのため、弱者救済のコミュニティや終末ケアのコミュニティが数多く点在していた。作者が撮影した施設もそのひとつだった。
空港からオート三輪に揺られること約40分、閑静な住宅街の一角にその施設は建っていた。
「Good Hope -死を待つ家-」
その庭には南国らしい色鮮やかな花々が敷き詰められ、外界と隔離された静かな空間が広がっていた。この場所で彼らは日々を過ごし、そして最期の瞬間を迎える。
過去への後悔、現状への嘆き、未来への悲観。この終末ケアの施設にも確かに様々な苦悩や悲しみは存在していた。しかし彼らは言う。「今が一番いいときだよ。食べ物もベッドもある。これで満足だよ」と。
貧困や病気、DVや事故、様々な事情からここに辿り着いた彼らにとって、この場所は唯一の安住の地なのだろうか。アラビア海の優しい風と色鮮やかな花々に抱かれて、今日も彼らは静かに眠る。
まるで彼らを守るかのように咲いている花々。その中で静かに流れるように過ぎてゆく日々。その苦悩や悲しみ、生きる姿を見つめ、カメラを向けた。そして作者は、彼らを守るあの園が永遠であることを願う。モノクロ30点。

作者のプロフィール

齊藤 小弥太(サイトウ コヤタ)
1986年生まれ。2008年日本写真芸術専門学校フォトフィールドワーク科卒業。在学中はカリキュラムにて6ヶ月間、東南アジア10ヶ国を撮影して旅する。卒業後、スタジオ経験を経てフリーランスに転身。現在はカメラマンの仕事をしながら、主にドキュメンタリー系の作品制作を続けている。

平林 達也写真展

写真
霊気満山-高尾山
4/9 (火) ~4/22 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

都心から近く、動植物が豊かな営みを続けている高尾山は、昔から遠足やハイキングコースとして都民に親しまれてきたところである。しかも真言宗智山派三大本山の1つ薬王院有喜寺があり、代々信仰の対象としての山という側面もある。
高尾山は西暦744年(天平16年)聖武天皇の勅命により東国鎮護のため、高僧行基菩薩が関東に派遣され、開山されたと伝えられている。その後真言宗の寺が建てられ、戦国の世には北条氏に、江戸時代には徳川幕府によりその山林は守られて、明治以降も国有林として開発が行われずにきた。その後明治100年を記念して大阪府箕面と共に、「明治の森高尾国定公園」として指定された。
現在高尾山はこれまで守られてきた豊かな自然により、毎年多くの観光客やハイカーが訪れている。しかしこの山は、東国鎮護のために開山されたと言い伝えられていることを忘れてはいけない。これから私たちは、もっと敬拝敬虔な気持ちをもってこの山に接する必要があるのではないだろうか。
2011年、東北地方で大きな自然災害があった。この山がいつまでも関東の安寧を見守ってくれることを祈るばかりである。モノクロ40点。

作者のプロフィール

平林 達也(ヒラバヤシ タツヤ)
1961年東京生まれ。84年東海大学卒業。同年㈱ドイ入社。92年ヒューストン・フォトフェスト視察。2003年㈲フォトグラファーズラボラトリー設立。
主な写真展に、98年「成長の代価」、01年「東京メモリー」(以上渋谷ドイフォトプラザ)などがあり、写真集に、10年『成長の代価』(写真工業出版社)がある。

juna21 吉原 かおり写真展

写真
サヨナラと香辛料
4/23 (火) ~4/29 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作者は中学、高校と周囲の人間となじめず、学校に行かなかった時期がある。
それから5年後、小さな個室とそのとなりに共同スペースとしてキッチン、リビングルームなどがあったゲストハウス「カプセルアパート」に住むことになった。
たくさんの知らない人たちと同じ屋根の下に住んでいるということだけで、どこから来たのかも知らなかった人たちとの間で、居心地の良い距離感があったことを覚えている。
プライベートな場所である個室のなかで、写真を撮らせてもらった。そのことがその人をもっと知るためのひとつのアプローチになっていた。
写真の面白さと同時に人に興味を持ち始め、このことが内向きだった作者が外へと向かうきっかけとなった。

写真と人とが自身の世界を広げていく。
自分と何か共有できるものがあるかもしれないという思いから、今までは苦手だった同世代の人たちに声をかけるようになった。
「カプセルアパート」と同じように、部屋の物もその人自身であるかのように、写真を撮らせてもらうようになった。
しかし、写真があればどこかで通じ合えるという思いは思い込みでしかなく、自分に足りないものを満たしてくれるものでもなく、自己を投影するものでもなかった。
結局は写真を使い、他者を見ることで自分を知りたかったのだ。
作者は何が撮りたいというわけではなく、写真を撮る理由を探していた。
ただ、写真を撮らないと前に進めない気がして、写真を撮り続けている。
人との出会いも別れも、そして写真も、作者にとっては人生のスパイスになっている。
カラー10点。

作者のプロフィール

吉原 かおり(ヨシハラ カオリ)
1980年兵庫県生まれ。2011年三木淳賞奨励賞受賞。
主な写真展に、03年「カプセル アパート」(PLACE M/東京)、07年同展(Juna21新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、08~09年7回連続展「吉原十景」(PLACE M/東京)、10年「晴天乱気流」(TAP/東京)、「カプセル アパート」写真集出版記念展(TAP・PLACE M/東京)、11年連続展「#1」「#2」「#3」(TAP/東京)、「よびみず」(Juna21新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)12年「potion」「×××」「ruru」(TAP/東京)がある。
写真集に10年『カプセル アパート』、12年『よびみず』(以上TAP刊)があり、12年写真集出版レーベル『Plump WorM factory』を立ち上げる。

内山 英明写真展

写真
アトムワールド ATOM WORLD
4/30 (火) ~5/13 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

ここに掲げられた写真のすべては、原子力に関連する実験所や研究施設ばかりである。その要塞のように地中にそびえるメタリカルな光景に衝撃を受けたのが、撮影の動機だった。3.11の東日本大震災以前より、日本の最先端のそんな実験所を撮り続けてきた。

――ウランを燃料とする原子炉発電の実験所
――海水から重水素などを取りだし核融合反応を起こさせ、莫大なエネルギーを作る核融合実験施設
――光速で加速されたビームで物質に衝撃を与え、科学や医療の分野で貢献を果たしてきた加速器研究施設
――自然のニュートリノ素粒子と原子力施設で作られた素粒子を合わせて共にキャッチし、観測をしている宇宙観測施設
――原子力発電所の“核のゴミ”を保管する中間貯蔵機関と、地層処分に10万年も要する研究貯蔵施設

原子力実験場の底につらなり輝く巨大マシーン、今日では科学の力は我々の生活圏にとっても絶大だが、ときとしてそのリスクも凄まじく強大だ。施設内の限りない機能美あふれる世界も、それを思うと生々しいリアルな光景として迫ってくる。カラー50点。

作者のプロフィール

内山 英明(ウチヤマ ヒデアキ)
1948年静岡県生まれ。76年東京綜合写真専門学校中退後、週刊誌や月刊誌でドキュメント写真を次々と発表後、アジアや欧州の都市を回る。92年日本で初めてエイズ発症を公開した平田豊氏の撮影と支援を行う。その後、「TOKYO」をテーマに意欲的な作品を発表。また、都市と並行して日本の地下の撮影を開始する。2000年第25回伊奈信男賞受賞。06年日本写真協会年度賞受賞。06年第25回土門拳賞受賞。
写真展は、個展、グループ展など現在までニコンサロン、美術館を中心に多数開催。
主な写真集に、89年『島国へ帰る』『等身大の青春~俵万智』、93年『都市は浮遊する』、94年『いつか晴れた海で~エイズと平田豊の道程』、2000年~08年「JAPAN UNDERGROUND」1~4、03年「東京デーモン」、06年「トウキョウ・アンダー」、07年「東京エデン」などがある。

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