Nikon Imaging
Japan
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銀座ニコンサロン 2011年3月

糸井 潤

写真
Cantos Familia
2/16 (水) ~3/1 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

昨年、作者の父親が死んだ。家の近所にある森の木にザイルをかけて。
長いあいだ糖尿を煩っていたが、直前の鬱に、家族は気付いていなかった。準備しておいたメモ書きを、財布に差し込んで置き去り、行方をなくした。近所の森で見つけるまで、皆で五晩、四日と捜した。
この経験から、森、の存在が作者にとって大きなものとなった。
フィンランドの光には独特の資質がある。日本の霞がかかった光や、アメリカで見られる硬質な光とも異なる。その地の森にて、地面に落ちた光を見ては、光の筋を、現世とあの世を分ける三途の川のように「隔てるもの」と重ね合わせる。それらをフィルムに焼き付けるために森の中をさまよい、地面に落ちている光を拾い歩く。
デジタル、銀塩の別なく、光と影は「写真」の要素として存在する。光と影、または生と死との狭間に存在する「何か」が、撮影という行為の中、強烈な視覚言語となって現れ、訴えかけてくる。
太陽光が月光に見えることもある森の深い中、場所によって変わる光と影の比率のせいで、昼間なのか、夜なのかという感覚が、時に交錯する。このような経験が、こちら側である現世においての、自身の存在に対する問いかけへとつながる。
「森の概念」は、自分の記憶へと通ずる。記憶への熟考は、常に制作への土台となってきた。そして今、父親の急な死によって、自身と家族との記憶が堰を切って溢れ出てくる。
作者にとって、写真とは詩である。一枚の写真は、ひとつの言葉となりうる。これらの写真は、父と作者、そして家族との対話の中にある言葉でもある。カラー12点。

作者のプロフィール

1971年生まれ。アメリカで12年間の滞在最後の年を、インディアナ大学芸術学部の客員助教授として帰国後、東京にて会社員の傍ら作品制作と発表を続けている。その活動が認められ、文化庁新進芸術家海外研修制度によりフィンランドのラップランド州にて、1年間滞在制作を行う。これまで、海外を含めた30以上の展覧会にて作品が発表され、ヒューストン美術館などに作品が収蔵されている。
写真作品を通して、自我や幼少時の記憶、内なるものと外世界との境界についての出来事を表現しようとしている。生まれ育った日本を離れて、人生の3分の1を異国で過ごした経験が、制作の大きな土台となっている。
現在取り組んでいるプロジェクトは、森の中にある光を、生と死の間にある境界線のメタファーとしてとらえようとしている。自身の父親の急な死がきっかけとなって、日本とフィンランドの、森の中にある光を撮影するようになった。

増田 彰久

写真
「現存せず」 消えた西洋館
3/2 (水) ~3/15 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

明治、大正、昭和戦前に建てられた近代建築いわゆる西洋館は、日本近代化の尖兵として日本各地に建てられ、多くの人々に歓迎された。
40数年前、作者が撮り始めたころは日本が高度経済成長期の真っ只中で、古い建物がどんどん壊され、そこに新しいビルが建設されていく時代だった。当時の人々はその古い建築にはまったく関心がなく、そこに何が建つのかが話題になった。
そして西洋館が大変な勢いで無くなっていった。作者は、せめて建物の最後の姿を残しておかなければと思った。まずは撮っておく必要があった。しかし、時代とはおかしなもので、最近では西洋館にたいする考えに変化が見え、普通の人が「懐かしい」「面白い」とか「好きだ」というようになった。
建築は歴史や記憶を秘めた私たちの文化遺産である。建物は、建てられたその場所に残っていないとダメである。建物が消えると言うことは、人々の記憶からも消えることなのである。
カラー55点。

作者のプロフィール

1939年東京生まれ。兵庫県立芦屋高校、日本大学芸術学部写真学科卒業。増田彰久写真事務所を主宰。40数年にわたり明治・大正・昭和戦前の近代建築や近代化遺産を撮り続ける。第33回日本写真協会賞年度賞、第9回伊奈信男賞、2006年日本建築学会文化賞受賞。日本写真家協会、日本写真協会、日本旅行作家協会会員。
主な著書に71年『写真集 明治の西洋館』(毎日新聞社)、79年『日本の建築[明治大正昭和]』全十巻、84年『アール・デコの館』朝香宮邸(以上三省堂)、85年『西洋館再見』(岩波書店)、86年『建築探偵術入門』(文藝春秋社)、88年『看板建築』(三省堂)、『建築探偵東奔西走』(朝日新聞社)、95年『伊東忠太・動物園』、『信州の西洋館』(以上筑摩書房新社)、97年『英国貴族の邸宅』(小学館)、2000年『写真集成・日本の近代化遺産』(日本図書センター)、『和風モダン』(河出書房新社)、01年『近代化遺産を歩く』(中央公論新社)、02年『ニッポン近代化遺産の旅』(朝日新聞社)、03年『日本の洋館』全六巻(講談社)、『写真な建築』(白揚社)、『日本のステンドグラス』(朝日新聞社)、04年『棟梁たちの西洋館』(中央公論新社)、06年『イギリスの近代化遺産』(小学館)、『建築のハノイ』(白揚社)、07年『西洋館を楽しむ』(筑摩書房)、08年『日本のステンドグラス・小川三知の世界』(白揚社)、10年『失われた近代建築 都市、文化施設編』などがある。

石川 武志

写真
ガンガー巡礼
3/16 (水) ~3/29 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

世界でガンジス河ほど信仰の対象になった河があるだろうか。インドの人たちはガンジス河のことを敬愛を込めて「ガンガーマタジー」と呼ぶ。「母なるガンガー」とか「女神ガンガー」という意味で、まさしく母なる大河なのである。
ヒマラヤの氷をその源とするガンジス河は、約3000キロに及ぶインド大陸の旅を終えてベンガル湾に注ぐ。その上流から下流までには数え切れない聖地や寺院があり、絶えず祭りや儀礼が行われ、女神ガンガーをはじめ多くの神々や悪霊、聖人、動物たちが登場して神話が演じられている。ここでは河そのものがまさしく巨大な劇場であり宇宙でもあるのだ。
人々は「聖なる河ガンガーの聖なる水で沐浴すればすべての罪は浄化され、ここで死んで、遺灰がガンジスに流されれば、輪廻からの解脱が得られる」と信じられていて、この河を目指し、巡礼という形で劇場に参加する。
作者が最初にガンジス河を訪れたのは1980年のことである。以後何度もインドに通った。あるときはヒマラヤの聖峰の洞窟で、あるときはベンガル湾に注ぐ河口の島で、あるいは12年に一度行われるクンブメーラという大祭では、裸体に牛糞を焼いた灰を塗ったサドゥーたちと多くの時間を過ごし、またヒンドゥー教徒のようにガンガーを彷徨した。
以来30年に及ぶ作者のガンガーを巡る旅は、幻想と現実、生と死、神聖と穢れ、彼岸と此岸との間を交錯する巡礼の旅であり、展示する写真はガンガー巡礼の叙事詩でもある。
モノクロ約50点。

作者のプロフィール

1950年生まれ。72年東京写真学校卒業。71~75年ユージン・スミスの「水俣プロジェクト」でアシスタントを務める。75年渡米。以後フリーランスとなる。78年シルクロードの取材を機に、以後アジアの祭りや民族、宗教、遺跡などを取材。80年インドでガンガーの取材を開始。82年インドのトランスジェンダーの世界「ヒジュラ」の取材を開始。85年よりインド、アジアや南米などの世界遺産や宗教、文化を取材、現在に至る。
写真展に、83年「ヨーギ」(新宿ニコンサロン)、85年「ヒジュラ」(ミノルタ・フォトスペース)、2008年「ヒジュラ・インド第三の性」(外国人特派員協会)があり、出版物に、95年「ヒジュラ・インド第三の性」、98年「アジアの奇祭」(以上青弓社)などがある。

澤田 勝行

写真
紀伊国小夜曲
3/30 (水) ~4/12 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

二眼レフカメラにモノクロフィルムを詰め、青春18きっぷを片手に旅を続けて10年が過ぎた。日本各地の様々な街や風景、人々の狭間を風の如く彷徨い歩いてきたが、その中で最も作者の心を惹き付けた場所が紀伊半島であった。
大阪に生まれ育った作者にとって紀伊の海や山、小さな線路の延びる古い街並みは、幼い頃幾度となく連れられた思い出の場所であり、旅の原点でもある。
いつの間にか作者は、幼い頃の旅の残像を手繰り寄せるかのように、紀伊の街を歩いていた。そしてその中で出逢う人々の透明な視線に心を奪われた。
世界遺産登録などで注目を浴びた「聖地」とは一線を画す、普段着の中の紀伊。約6年間にわたる旅の足跡を紡いだ作品を展示する。モノクロ40点。

作者のプロフィール

1982年大阪府生まれ。2004年大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。06年同校大学院芸術制作研究科修士課程修了。その後同校藝術研究所嘱託助手を経て現在フリーランスで活動中。04年「風ノ唄」にて富士フォトサロン新人賞受賞。08年「風の棲む街へ」にてコニカミノルタフォトプレミオ2008入賞。

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