Nikon Imaging
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新宿ニコンサロン


第12回酒田市土門拳文化賞受賞作品展
山下 昭展
[ゆめの腕(かいな)に]

5/16 (火)~5/29 (月)
10:00~19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休






<写真展内容>
作者の10歳年上の兄・正辰は、昭和20年5月25日、太平洋戦争末期の沖縄海域作戦で特攻隊員の一員として戦死した。残された母は、戦後60年間遺骨の返らぬ兄の帰りを待っていたが、平成17年5月2日死去した。
作者の母は40歳頃から四国八十八ヵ所の巡礼の旅を65回繰り返した。作者はこの母の姿を垣間見ながら、ひたすら基礎医学の研究に没頭し、あえてこの戦争の深い傷痕を忘れようとした。しかし4年前に母が脳梗塞で倒れたのをきっかけに、作者のこの写真撮影の旅が本格的に始まった。
「もう過ちは決して繰り返しませんから、安らかにお眠りください……」と祈念するよりも、「安らかに眠らないでください。再び私たちは過ちを繰り返すかもしれませんから……」と自問することこそ、戦死者に対する生き残った者の務めであることを自覚した。
作者は弟の立場から、一人の特攻隊員が青春をどのように生き、死んでいったかを、そして残された母親がどのように戦後を生きたかを、写真の原点は記録性に始まることに立脚して、カメラの目を通して映像化した。
郷里宇和島をはじめ、四国の各地、鹿児島、知覧、大分、沖縄など、兄や母が歩いた足跡を求めて撮影した。
題名“ゆめの腕に”は、兄が残した遺書の中で詠われた歌「父や母よも散りしとは思ふまじ みたまかえるかゆめの腕に」から選んだ。18歳の兄は、母の温かい腕の中にもう一度帰りたいと切に願っていたに違いない。
この一連の写真は、特攻死した作者の兄と、戦後60年間待ちつづけ、昨年他界した母へ捧げる作者の鎮魂のフォトメッセージである。

<授賞理由>
敗戦から60年が過ぎた太平洋戦争では、数多くの方々が戦没している。そのなかには十代で学徒動員されて戦地に赴き、あるいはまた爆弾を搭載し機体もろとも敵艦に突っ込んだ特攻隊員も少なくない。
文化賞に決まった山下昭氏の「ゆめの腕に」は、特攻死した実兄と、わが子への哀惜を生涯抱き続けて逝った実母への追慕を視覚化した、いわば私的ドキュメントである。山下氏は郷里の風景をはじめ、実兄が散華した海、わが子の冥福を祈り続けた母堂の姿、さらには母堂が保管していた実兄の遺品を丹念に撮り込み、そこに二人の哀絶の念を託している。この作はすでに同題名のもとに写真集として上梓されているが、収められた作品群は単にアルバムに終らず、叙事詩的な幅を持って迫ってくる。それは、写真が語る言葉が幾百万もの人命を犠牲にした戦争への問いと重なるからである。家族のリアルな人生劇が戦争の昭和と融合して、稀有な秀作を創りあげた。




<作者のプロフィール>
山下 昭(ヤマシタ アキラ)
1936年愛媛県生まれ。62年京都大学医学部医学科卒業。63年京都大学医学部助手(解剖学)。71年熊本大学医学部助教授(解剖学)。75年浜松医科大学教授(解剖学)。2002年同大学名誉教授。静岡医療科学専門学校校長就任。
94年世紀堂フォトクラブ新間隆子氏に師事。写真展に、2000年「The last brightness」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)があり、02年写真集『The last brightness』を発行。
96年日本カメラ・フォトコンテスト(モノクロの部)年度賞受賞。
04年世紀堂フォトクラブ会長。ニッコールクラブ浜松センチュリークラブ会長。SBS学苑講師。
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