Nikon Imaging
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銀座ニコンサロン 2016年8月

小松 透 写真展

写真
遠い渚 -a distant shore-
7/20 (水) ~8/2 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

山育ちの作者にとって海は子どものころの憧れだった。初めて海を見たのはいつだったか? 野蒜に海水浴に連れて行ってもらった時か、遠足で松島に行った時か? 大きくなったら海の近くに住もうと心に思った。今は山も海も見えないところに住んでいるが、いつもあの海を思っている。

2011年の東日本大震災以降、津波や地震の被害があった場所の木々を作者は撮り続けている。
その際にふと陸地に浮かぶ島のような岩山が気になりだした。たいていその岩山には松が育っていて、現在は陸地だが、もとは海に浮かぶ小島だったのだろうと思う。その岩山はたいてい、しめ縄が巻かれていて信仰の対象となっている。海に浮かぶ島、陸地に挟まれた島、陸に浮かぶ島。どれも興味深い対象である。陸に浮かぶ島は海から遠く隔てられても、海に浮かんでいた時を忘れていないのだろうと想像する。         
モノクロ約40点。

作者のプロフィール

小松 透(コマツ トオル)
1969年宮城県玉造郡岩出山町(現大崎市)生まれ。94年多摩美術大学芸術学科卒業。「静物」をテーマに92年から映像作品と写真作品を制作。
主な写真展に95年「静かな生活」(リュ・プラス)、2009年「STILL LIFE」(Place M)、11年「nature morte -aprés311-」(新宿ニコンサロン)、13年「metro's」(M2 gallery、TokyoLightroom)、14年「STILL ALIVE」(Place M)、同年「EVENT HORIZON」(新宿ニコンサロン)、15年「nature morte」(Place M)がある。
ホームページ http://stilllife.org

Wonzu Au 写真展

写真
透明な花
8/3 (水) ~8/16 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
休館:8/13(土)・14(日)

写真展内容

写真

微笑んだ

微笑んだ。    


愛しています。  (Wonzu Au)



彼と一緒に道を歩いていると、ふと、一人になってることがある。
来た道を戻ると、体を傾けファインダー越しに何かを見つめている彼がいる。

最初は少し慌てたが、誰と何処を歩いていても、どんな状況でも前兆なく彼は立ち留まり、
そうやって写真を撮るって事が分かって来た。
その行動には自尊や自意識の影がなく、流れていた水が石をすこし回っていくような淡々とした自然さがあって、大体の人は納得してしまう。

好奇心で立ち留まった彼の向こうをかいま見る。長く彼を知り、自分も写真を撮ってきたつもりだが、彼の写真を予見する事はできない。彼が特別な作業方式を取っているわけではないのに。

多分、何かが彼に触る。
それが何であるかはあまり大事なことではない。私が盗み見してた場面と彼が作り出す写真との乖離を何回も経験して、彼が見つめているのは触られた自分であることをやがて私は知るようになる。

触られた自分の欠片をかき集め,何とかシャッターを切り、傾けてた体を引き上げて、ふと気が付いたように辺りを見まわし、彼はまた歩いて来るのだ。

その写真たちは、一枚一枚が言葉になり難い。
光とも影とも言えない、明るさと暗さの中のどこかに置かれた、影が鳴くような場面たち。
そんな影の音標のような写真を、彼は20年間撮り続けて来た。

私もあまり配慮のある人間ではなく、夜遅く、予告もなく彼のアトリエにコーヒーかビールを飲むために寄る事がある。
たまに、その重い唸りを精製したような、無数の写真を見つめて見つめる事を続けて、辛うじて一枚を選び出してる最中に、予告もなく押しかけて来た私を、疲れた微笑みで迎える彼に出会う事がある。その微笑みを縁どる影は、彼の撮った写真が滲んだ物のようだった。

一つの展示を準備する期間は短くて数か月、長いと数年の場合もある。
今回は3年を要した。
その間、彼の深い所に凍り付いていた物を、彼は少しずつ、少しずつ、舌で山を削るように剥がし、数え切れない写真の中でぴったりの影を探して、一人の夜を過ごしたのだろう。

彼の写真には楽しくて美しい物が写っているわけではない。それでも今回の作品は、見てる間も見終わってからも、私の中に抑えがたい余韻を長く響かせた。見る者にそう感じさせる写真を作り出す作業がその一人の夜にどのように行われたのか、私には見当も付かない。

彼はそんなに強い者ではない。強かったのであれば、多分写真なんかやらなかっただろう。
そうするしかない何かがある。だから、あのように一人で写真を選び続ける事に耐えてきた。

暗い光と、光る闇の中を浮き流れる3年の選びの果てに、彼は言葉になり難い三つの文章をやっと重ねた。この展示が終われば、彼はまた前兆なく道端に立ち留まって写真を撮り、薄暗いアトリエで、一人で写真を選ぶのだ。

そして相変わらず彼は、彼がシャッターを切り終えるまで待ってくれている誰かの所に歩いて行く、そして、一人の夜明けに彼を訪れる誰かのために微笑むことを忘れないだろう。 (許 永旭)

モノクロ79点

作者のプロフィール

Wonzu Au
1977年釜山(韓国)生まれ。職場を辞め、Kyungsung大学芸術大学写真学科に入学、芸術写真と哲学を専攻。アトリエDummyFactoryを設立し、写真に関する交流の場所として運営し現在に至る。

地現 葉子 写真展

写真
White Out II -出発-
8/17 (水) ~8/30 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

季節が移り変わるころ、渡り鳥はおのおのが旅立ちの時を感じ取り、向かうべき方角へと渡り始める。彼らは何をもとに判断しているのだろうか。自然の中で生きる者たちには、それほど特別なことではないのかもしれない。でも、都会で暮らし、誰かに与えられた情報に従って行動することに慣れた作者にとって、彼らの能力は驚異的にも思える。
鳥たちは、旅の途中で徐々に仲間を増やし、岬に集結するころには大群となっている。そして大海原を前に、興奮と恐怖でしばらく右往左往しているが、ある時、勢い余って飛び出してしまった者の後に大勢が追従し、大きなうねりとなって海峡を越えていく。
彼らのどこか人間臭い旅立ちを見送りながら、本来は私の中にも、自らの感覚で本当に必要なことを見極め、時を逃さず進んでいく力があったに違いない。私はいったい何を忘れてしまったのだろう。などと、自分自身や人類の未来についてまでも、果てしない妄想に作者は耽る。 モノクロ約50点。

作者のプロフィール

地現 葉子(ジゲン ヨウコ)
1970年広島県生まれ。
写真展(個展)に、2008年「光、満ちる」(コダックフォトサロン)がある。
グループ展・二人展に、10年「Imperfect Vision」(インスタイル・フォトグラフィー・センター )、14年「Cross Over」(インスタイル・フォトグラフィー・センター)がある。

ニコンサロン特別展
江成 常夫 写真展

写真
多摩川 Tama River 1970-1974
8/31 (水) ~9/13 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真 写真

戦後の日本は経済を至上価値としてきたことから、奇跡と呼ばれるほど復興、発展を遂げてきた。しかし、その一方で水俣病に象徴されるように海を汚染し、列島改造のもと自然を破壊してきた。そうしたなか、東京の空が光化学スモッグに覆われ、都民の〝水瓶〟としての多摩川が砂利採取や生活排水によって〝死の川〟となるのは、東京オリンピックや大阪万博が世界の耳目を集めた1960年代後半から70年代にかけてである。
堰堤を滑り降ちる汚水から妖魔のような泡が湧きあがり、風に乗って舞いあがる。それは川の精霊が怒り狂って叫んでいるように思えたりする。
上流では鶯や山女が自然を謳歌する反面、岸辺を下るごと鯉や鮒、ウグイやオイカワが酸欠死し、そこはまぎれもなく〝死の川〟である。そこが首都の川であれば、この国の自然に対する無知狼藉ぶりが見てとれる。
人間は古来、過去の過ちを未来の教訓としながら、その間違いを忘れることを生の糧とする指摘がある。事実、半世紀前の一河川の汚染が、どれだけ記憶されているかは、心もとないところである。しかし命の源泉である川が、死に瀕したとあれば、人間の生死に通じる、時を超えた重大事である。
すでに半世紀が過ぎた今、生活排水の泡が川面を埋め、魚の死骸が浮かぶ首都の川を、あえて写真展として纏めたのは、未来は過去の罪の反省によって築かれる、と考えるからである。折しも今年は水俣病が公式に確認されて60年に当たる。戦後の経済至上の価値観がもたらした、首都の多摩川を死に追い込んだ記憶が、未来の人間と自然との共生を占ううえの縁(よすが)になれば仕合せである。   (江成 常夫)

モノクロ約50点。

作者のプロフィール

写真

江成 常夫(エナリ ツネオ)
1936年神奈川県相模原市生まれ。62年東京経済大学経済学部卒業。同年毎日新聞東京本社に入社。74年同社を退社しフリーとなる。
74年から75年、ニューヨークに滞在。敗戦後、米兵と結婚し渡米した日本人「戦争花嫁」と出会い、再度渡米。カリフォルニアに滞在し、花嫁と家族を撮影取材。
以後、一貫して、昭和の15年戦争の発端となった「満洲国」(中国東北部)をはじめ東南アジア、オセアニア諸島を巡り、大戦のもとで翻弄された声を持たない人たちの声を写真で代弁し、戦後日本人の現代史に対する精神性を問い続ける。
88年からニッコールクラブ幹事、98年から07年まで同クラブ会長を務める。九州産業大学名誉教授。
主な写真集・著作に、1976年『ニューヨークの百家族』(平凡社)、81年『花嫁のアメリカ』(講談社)、84年『シャオハイの満洲』(集英社)、同年『花嫁のアメリカ』(講談社)、86年『花嫁のニッポン』(講談社)、88年『シャオハイの満洲』(新潮社)、89年『ニューヨーク日記』(平凡社)、95年『まぼろし国・満洲』(新潮社)、同年『記憶の光景・十人のヒロシマ』(新潮社)、2OO2年 『ヒロシマ―万象 : Sleeping souls of Hiroshima』 (新潮社)、O5年『レンズに映った昭和』(集英社)、同年『記憶の光景・十人のヒロシマ』 (小学館)、06年『生と死の時』(平凡社)、11年『鬼哭の島』(朝日新聞出版)がある。 
受賞歴に、1977年「第27回日本写真協会新人賞」、81年「第6回木村伊兵衛賞」、85年「第4回土門拳賞」、同年「第52回毎日広告デザイン賞 (公共福祉部門)」、95年「第37回毎日芸術賞」、2001年「2001年度日本写真協会年度賞」、同年「第50回神奈川文化賞」、同年「2001年度相模原市民文化彰」、02年「紫綬褒章」、10年「旭日小綬章」、15年「酒田市特別功労表彰」がある。

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