Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2016年3月

写真
ビジュアルアーツ専門学校・大阪
写真学科卒業制作選抜作品展
2/25 (木) ~3/2 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

プロの写真家になりたいと2年間学んできた学生たちの集大成である。
「写真は簡単には写らない」ことも知った。予想外に楽しく、面白いことも知った。自分の可能性を見つけるために、デジタルのみならず、モノクロ、カラーフィルム、ロケーション撮影からスタジオ撮影まで、表現のための方法と技術を学生たちは実践的に学び、懸命に撮り続けてきた。
本年もゼミナール、表現実習の各クラスより選抜された作品を展示する。
モノクロ約50点・カラー約150点。

学校のプロフィール

【ビジュアルアーツ専門学校・大阪】
大阪写真専門学校としてスタートし、写真表現と技術を教える学校として今年で創立50周年を迎える。現在は写真のみならず映像、音響、声優などの学科を持ち、優れた技術を持った表現者を育てる総合的な専門学校として各分野に多くの優れた人材を輩出している。

日本カメラ社

写真
2015日本カメラフォトコンテスト展
3/3 (木) ~3/9 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

本コンテストは、1950年創刊の『日本カメラ』における誌上月例写真コンテストがはじまりで、著名な写真家が1年間を通じて審査を担当し、毎月誌上で発表、さらに毎月の入賞得点を年間集計して、年度賞(「ビギナーズ」は年間優秀作品賞)を競うところに特徴がある。
部門は、「モノクロプリント」「カラースライド」「カラープリント」「ビギナーズ」の4部門で、2015年度の審査員は、モノクロプリントの部を北井一夫、カラースライドの部を吉村和敏、カラープリントの部を長倉洋海、ビギナーズの部をミゾタユキの4氏が務め、総応募点数は6万5千点にのぼった。

団体のプロフィール

【日本カメラ社】
1948年東京・銀座に光芸社として創立。同年に隔月刊誌『アマチュア写真叢書』を創刊。50年『日本カメラ』に改題、51年に月刊誌となる。71年に旧・西久保巴町から日本橋人形町へ移転。2010年に創刊60周年を迎え、“写真とカメラのいまを発見する雑誌”として現在に至る。
現在、月刊誌のほか、日本カメラMOOK各種、『写真の教室』、『カメラ年鑑』、写真集、単行本などを出版。

juna21 仲田 絵美写真展

写真
よすが
3/10 (木) ~3/16 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

17年前、作者の母が死んだ。

作者の家ではこれまでの間、母の遺品を保管していた。
しかし去年の父親の定年を機に、これらを処分することになり、作者は母の遺品撮影を始めた。作者が撮った遺品写真。母の遺品を身に纏った自分自身を撮影した写真。また、その姿を父に撮影してもらった写真など。

これらの写真から見えてきたもの。
それが身や心のよりどころ、すなわち「よすが」であった。
カラー20点。

作者のプロフィール

仲田 絵美(ナカタ エミ)
1988年茨城県生まれ。2011年写真ワークショップ松本美枝子の「キワマリ荘の写真部」を修了したのち、作品の発表を始める。茨城県水戸市を拠点に活動中。
受賞歴に、第6回写真「1_WALL」審査員奨励賞(選・小林紀晴/姫野希美)、第7回写真「1_WALL」グランプリがある。

juna21 五十嵐 翔平写真展

写真
アルペジオのゆりかご
3/17 (木) ~3/23 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

古くなったものは時間に淘汰され、いずれ消えてなくなってしまうだろう。人に皺が増えれば多くの街もまた老いてゆく。人にとって老いとは美化されることなく、常に若々しく新しい物を追い求めていくものなのだろう。

作者は新潟で生まれ、現在東京で生活をしている。多くの人がそうであるように、作者も日に日に更新されていく街にちょっとした期待を持ってやってきた。時代の流れにしがみつくのがやっとで、何が最先端なのか?何があたりまえなのか?などと考えている。もしかしたら生きているのではなく、生かされているのではないかとさえ思ってしまう。

2年ほど前に作者が実家に帰った際、田んぼの上にバイパスが作られ始めていた。こういう風景もなくなって東京のように現代の生活に合った街に作り変えられていくのかな。そんな想いを持って地方で撮影を始めた。その中で、老いにしか存在しない美しさがあるのではないか?という疑問が浮かぶ。

高齢化社会と言われる現在、そんな考えを抱きながら、彼らと、彼らの営みから溢れる生に作者は目を向ける。カラー約35点。

作者のプロフィール

五十嵐 翔平(イカラシ ショウヘイ)
1989年新潟県生まれ。2012年大東文化大学卒業。15年東京ビジュアルアーツ卒業。写真展(個展)に、15年「A TOWN FOR SLEEP」(TOTEM POLE PHOTO GALLERY)がある。

鈴木 賢武写真展

写真
観山十字路に末枯れていくこと
3/24 (木) ~3/30 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者がこの土地を終の棲家と決めて二十年が過ぎた。
二人の子供はそれぞれ巣立ち、作者の仕事も定年を迎え、夫婦に余生という時間が訪れた。朝夕の散歩が日課となり、この十字路で深呼吸して一日が始まる。

散歩道にある観山十字路は、わずかながら小高くなっている。自転車を漕ぐ人は思いがけない坂にさしかかり、ペダルを強く踏み込むことになる。

作者と妻は、毎日のようにこの坂を行き来する。特別に上り下りを意識したことはないけれど、たまに高い場所から景色を眺めているようで、おおらかな気持ちになることがある。

作者夫婦は、そんなささやかな幸せの中にいる。ただ、この坂道が坂道であることを感じさせないように、自分たちは気が付かないまま、この世の道理に従って末枯れていることを知っている。

やがて作者の何もかもが消えて最後の瞬間を迎えるとき、この十字路から眺めた山の稜線や土地の起伏が思い出されるような気がしている。
ささやかな幸せ、というかけがえのない日々を歩いた記憶がよみがえるだろう。

作者のプロフィール

鈴木 賢武(スズキ ヨシタケ)
1940年静岡市清水区生まれ。96年から木村仲久氏に師事し写真を始める。三の会静岡「21の会」所属。

岩波 友紀写真展

写真
もう一度だけ/One last hug
-津波に奪われた命-
3/31 (木) ~4/6 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

東日本大震災の津波は、多くの命を奪い去った。津波がほかの自然災害と大きく違うのは、被害にあった人たちがどこにいるかわからなくなることがあることだ。4年半がたった時点でいまだ行方不明者数は2,573人にのぼる。
震災後から現在まで行方不明の幼い我が子を捜す3人の父親を作者は取材してきた。その状況はすべて自然災害だけではない要素を含んでいる。石巻市立大川小学校では地震後も校庭にとどまり続け、避難が遅れたことで多くの児童が犠牲となった。南相馬市原町区萱浜では、原発の爆発によって捜索の自衛隊員や警察官がいなくなった。大熊町でも原発事故によって捜すどころか町に入ることすらできなくなった。助かったかもしれない命、せめて野ざらしにされることはなかった命があった。
「復興」の言葉があふれる中で、父親たちは震災から5年を迎えようとする今も、同じことが繰り返されないことを願いながら、愛する我が子を捜している。あの日から一歩も前に進めない孤独な戦いがあり、続けることを可能にした仲間の支えがあった。願いはひとつ。「もう一度だけ、この手で抱きしめたい」。
カラー22点・モノクロ28点。

作者のプロフィール

岩波 友紀(イワナミ ユキ)
1977年長野県生まれ。フォトジャーナリスト。2001年から活動を始め、アジアや中東、バルカン半島などの写真を撮る。03年から日本の大手新聞社のスタッフフォトグラファーとして、東京や仙台、大阪、福島を拠点に国内外のニュースやストーリーを撮影。現在はフリーとして福島市に居を構え、東日本大震災と福島第一原発事故の取材も続ける。
コニカミノルタプラザ(東京)やOCHA(神戸)などで写真展を開催するほか、Southeast Museum of Photography(フロリダ)、Corden|Potts Gallery(カリフォルニア)、THE POWER HOUSE ARENA(ニューヨーク)などで作品を展示。受賞歴に、「フォト・プレミオ」(コニカミノルタ)、「Prix de la Photographie Paris」銀賞、「CRITICAL MASS TOP50」などがある。オンライン新聞「The PHOTO JOURNAL」主宰。

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