Nikon Imaging
Japan
At the heart of the image.

vol.6 Sayaka Ikemoto 池本 さやか

Sayaka Ikemoto

「写真という"言葉ではないメッセージ"で、自分自身を表現したい」

水中写真/ネイチャー(日本)

フィルムとデジタル、二足のわらじ

気がつくと、いつの間にか二足のわらじを履いていました。作品作りはフィルムで、依頼されてする撮影はデジタルで、という感じです。でも、ある友人がふと漏らした、「二足履くなら、二足しっかり履く」という言葉が、写真家として私がこのスタイルを守り続けることに、自信を持たせてくれました。そして、フィルムにもデジタルにも、どちらにも良いところがあるのだということを意識して、それをより活かす方向に考えるという、前向きな姿勢を持たせてくれました。

フィルムとデジタルの両方で撮影することの最大のメリットは、フィルム撮影の集中力をデジタル撮影の時にも思い出せるということにあると思います。私は普段から、撮影する者にとってのフィルムとデジタルの大きな違いは、機材の違いよりも、撮影時の集中力、言い換えれば、「気持ち」にあると感じています。確かにデジタルには、フィルムよりもはるかに自由度の高いポストプロダクションに仕上げを委ねて、決定的瞬間を捉える確率を上げるためにシャッターをきり続けられる、という利点があります。でも、やはり私は、一枚の写真を撮るための一回のシャッターレリーズに集中することを、忘れたくはありません。たとえその場で簡単に撮り直しができるデジタルであっても、そうすることでこそ、一枚の写真に「気持ち」を込められると思うのです。

撮影した写真を選ぶときの、一枚一枚の見方も違います。それは、このデジタル時代にあえてフィルムで撮影することのアドバンテージでもあると思っています。フィルムは現像したりプリントしたりという工程が介在するので、撮影した写真に向き合うまでにどうしても時間がかかります。デジタルでの仕事に追われながらだと、なおさら時間がかかることがあります。その分、一枚一枚が本当に貴重に、価値あるものになってきますし、そこで一呼吸するから、自然と客観的に、切り変わった頭で見ることができます。デジタル画像を選ぶ際も、こんなふうになるべく客観的になるよう、一拍おくようにしています。

私がフィルムで撮り続ける、もう一つの大きな理由に、表面的にたくさんの写真を扱うより、暗室作業のようにじっくりと一枚の写真に向き合う方が性に合っている、ということがあります。一枚の写真にこだわって、暗室にこもってじっくり向き合うことは、いわば自分の日記を開いて過去の自分をひもとく、そして未来を考える、そんな作業に似ていると思うのですが、それって脳にとって暖かみのある作業だと思うのです。

また、デジタルに比べて不完全な感じがすることにも、フィルムで撮る良さを感じます。不完全さ、曖昧さに、より人間味があると思います。私自身が不完全であり、曖昧。ですがそれは、私が写真家として大事に思っている、枠に納まってしまわないこと、型にはまってしまわないことにとって大事な部分。自分の限界を広げられるようにいつも柔軟でいたいと思います。自分がどう変わってきたのか、そしてどう変わっていくのか。それを見ることができて、そこから得られるものが大いにあるからこそ続けている。そんな気がしています。

写真そのものが言葉ではないメッセージ

写真を志したきっかけは、銀座で観たユージーン・スミスの写真展でした。その頃私は、大学で論文を書くのに四苦八苦しながら、世の中には「言葉にできないもの」とか「言葉にしない方がよいもの」があると思っていました。だから、ユージーン・スミスの写真のなかの人たちの、何とも言えない表情などを観たとき、写真には「言葉にしない方がよいもの」を言葉にすることなく伝える力があることを、強く感じたのでした。
そして、朝日新聞社の写真部勤務。そこから私の写真が始まりました。そこでの、毎日のニュースや新聞用の写真は、出来事を「より早く、より正確に、より客観的に」伝えるための手段でした。もちろんそれも、写真が果たすべき大事な使命の一つであると思います。
しかし私は、何かの事象やストーリーありきでそれをそのまま伝えるというのではなく、完全に「客観的」にはなりえない、むしろ自分の主観を観る人に問う言葉ではないメッセージとしての写真を目指すようになっていました。

言葉ではないメッセージをどのように表現するか。これは、私の写真にとって、最も重要な要素のひとつです。その意味で、自分で言うのはおこがましいですが、作家なのだと思っています。印象としては、書家に近いかもしれません。
手法としては、モノクロが一番好きです。モノクロ写真は、普段眼で見ている色のある世界とは違う、「写真を撮らないと生み出されない世界、現れ出ない世界」が出現するというところが、最大の魅力です。色情報がない分、こめられたもののメッセージ性が強くなる気がします。もちろん暗室作業も自分でやります。私にとっては、写真のアート性も重要なので、見る人が美しさを感じられる、バライタ紙の銀塩プリントという形も意味があると思っています。
同じアートでも、実際にあった物理的な光によって作り出された世界であるという点が、絵画やイラストとは違う、写真の面白さだと思います。ムービーも面白そうだとは思いますが、写真は、眼で見ているものとは異なり、言ってみれば「時を止める」ところに面白さを感じるのでしょう。こうして私は、写真の面白さに魅せられ、言葉ではないメッセージで、観る人に私自身の主観を問い続けているのです。

Life is beautiful, The Earth is beautiful というメッセージ

近年、私が作品として撮っているのは、海、自然、動物。人間も生き物なので、被写体として面白いですし、特に何かに取り組んでいる人はとてもフォトジェニックで魅力的なので機会があれば撮っていますが、いわゆるネイチャーと言われる分野の、動物や自然を通して「人間」というものがどういう存在なのかを考えたい、検証したい、客観視したいと思っています。

たとえば海。宇宙開発がここ数十年で飛躍的に発展したことを考えると、何千年も海とともに生きてきている人類なのに、我々が海に関して知っていることは、ほんのわずかでしかありません。海は私たちの生存に欠かせないものであり、我々を癒してくれるのに、人は、そんな海にゴミを捨て、汚し続けています。地球上で、地球を汚しているのは人間だけなのです。
アフリカの野生動物も、今は国立公園内に「保護」されていたりします。そうしなければ、すでに絶滅してしまっていたかもしれない種もたくさんあったのですが、何が「野生」なのか考えさせられます。しかし、そんな状況を作ったのは人間にほかなりません。そうして保護されている動物でさえ、いまだに密猟に遭い続けていると聞きます。そんな歴史を、そして現状を直視して、私たちは彼らからどんなメッセージを受け止められるのか。自分たち自身を問い直す、というのが私の問題提起です。写真で直接それを語るのは難しいかもしれません。が、私は「こんな美しい光景がこの地球上にはあるんだ。それを守らなければ」と、観た人がいつか思ってくれるような、そしてそれを実践する方向に向かってくれるような、そんな写真を撮り続けたいと思っています。

多くの生き物は、自分が子供を産んで子孫を残すなどとは考えもせずに、ただひたすらに、ひたむきに生きています。産卵にくるウミガメを見ていて思いました。ウミガメは自分が生んだ卵がどうなるのか、そんなことは知る由もなく、懸命に卵を産み、産卵が終わると静かに海へ戻って行く。卵は、多くがそのまま他の生き物に食べられ、たとえ孵化しても、子ガメが波打ち際にたどり着く前に、大半が他の生き物の食料になってしまう。そして、幸運にして無事に成体になった自分の子供に出会っても、おそらくは、それが自分の産んだ子だとは分からないでしょう。苦労して産んだ卵の行方や結果を知ることもできないのに、それでもウミガメは、懸命に砂浜に上がって来る。そうやってどの生き物も、ひたすらに、ひたむきに生きて、命がつながれて行く。Life is beautiful。ほかにどんな言葉があるでしょう。

「人間」は、いろいろなことを考え、やがて集団を作り、社会を作り、いつしか地球環境を変えてしまうほど影響力を持ちました。そんな人間には、大きな責任と義務があると思うのです。自分たちのことしか考えないのではなく、自分たちも地球上の自然の一部なのだという自覚を持って、すべての生き物を、そして自然を守るという。だって、もし宇宙のどこかで地球人以外の誰かに出会ったら、「地球って、こんなに美しく、素晴らしい、面白い、わくわくするステキなところなんです、ほら」って、写真を見せて誇りたいじゃないですか。

NPSについて

撮影の仕事は準備次第。万全の準備が整っていなければ、思うように撮影することができません。もちろん、機材の状態を良好にキープしておくことは、中でも大きなウエイトを占めます。そのためにも、NPSのサービスは私たちにとって重要な意味を持っています。そんなに頻繁に行くわけではありませんが、万一の事態に備えて、そこにあってくれるだけで大安心で、余計な心配も少なくなります。
経験的に、NPSは本当に素晴らしいと思っています。たとえ機材を修理に出すことになっても、それと全く同じ物を貸してもらえるから不自由することはない。その安心感は絶大です。万一の場合にも、仕事に影響することはほとんどないわけですから。メンテナンス(点検)もNPSに持って行っちゃおう、といつも思います。NPSの人に見てもらえばコワイものナシ、と言った感じです。そして、スタッフの人たちがプライドを持って丁寧な仕事をしてくれていることが肌で感じられる。このことも、私たちに大きな安心感を与えてくれます。
Nikon への信頼は、NPSも含めての信頼です。NPSがある限り、私はNikonを使い続けたいと思います。そして、Nikonを使い続ける我々がいる限り、NPSは変わらずにフォトグラファーの支え、パートナーでい続けてほしいです。

カメラバッグの中身

デジタルの仕事の時は、依頼の内容に応じてFXフォーマットのD3とDXフォーマットのD300を使い分けます。時には、両方を補完的に使うこともあります。レンズは、開放f/2.8で焦点距離14mmから200mmをカバーできるAF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED、AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRと、コンパクトで軽いAI AF-S Nikkor 300mm f/4D IF-ED。機動力と実用性重視のパッケージです。
水中での撮影は作品作りなので、NIKONOS-VとUW Nikkor 15mm F2.8N、UW Nikkor 20mm F2.8、UW Nikkor 28mmF3.5、UW Nikkor 35mmF2.5。そして、世界で唯一の水中専用システム一眼レフカメラNIKONOS RSに、世界初の水中用AF魚眼レンズR-UW AF Fisheye-Nikkor 13mm f/2.8、R-UW AF Nikkor 20-35mm f/2.8、R-UW AF Micro-Nikkor 50mm f/2.8の組み合わせ。72枚撮れるように、たいてい2台(NIKONOS Vを2台かVとRS1台ずつ)持って潜ります。
陸上で、フィルムで撮るときは、これも作品作りがメインで、主に名機F6。ときおりF4、F3、FM2も使います。レンズはAI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D、AI Nikkor 50mm f/1.4S、 AI AF Zoom Nikkor 35-70mm f/2.8D なども使います。選べるなら、広角で面白い写真を撮る方が好きです。
ニコンの中判カメラがあればな~、とよく思うのですが、これは贅沢でしょうか。

プロフィール

東京生まれ。東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業、同大学地域研究研究科ラテンアメリカ地域研究修了。1993年朝日新聞社入社、西部本社写真部勤務、写真を始める。1995年水中写真家中村征夫氏の師事を経て、その後フリーランス。
2000年~2002年パリの写真学校に留学/以降東京を拠点に、フリーの写真家として多方面に活動中。
海の中(大型の生き物、魚の群れ、海中風景等)、人間の活動(スナップ、旅風景、舞台もの-クラシックコンサート、ダンス等)を撮影。最近はそれ以外の分野(オーロラ、アフリカの動物等)にも挑戦中で、テーマは「地球とその上のLife」として海の中から宇宙の果てまでフィールドを広げている。ニコンカレッジ、JCII(日本カメラ財団)などの写真講座の講師を行う他、雑誌等の連載、NPCI (Nikon Photo Contest International)、IPA(INTERNATIONAL PHOTO AWARDS)ほか写真コンテストの審査員なども。
個展開催も多数。