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第四十九夜 Nikkor-S Auto 55mm F1.2

大口径レンズF1.2への挑戦
Nikkor-S Auto 55mm F1.2

第四十九夜は、大口径標準レンズのお話を致します。絞りF1.2への挑戦。焦点距離50mmへのこだわり。今夜はニッコール-S Auto 55mm F1.2の設計者の思いや、開発秘話を紐解きましょう。なぜ、55mmなのか?F1.2達成の鍵となった技術は何か?そして、肝心の写りは?はたして、どんな写りをするのでしょうか。
今夜は、ニッコール-S Auto 55mm F1.2の秘密を解き明かします。

佐藤治夫

1、一眼レフ用大口径レンズの創成期

第七夜でもご紹介しましたが、標準レンズの大口径化競争は、1950年代に一度激化しました。ズノー5cm F1.1を初め、各社がこぞって大口径レンズ商品化したものです。そして、キヤノンが50mm F0.95を発売したことによって、一度競争は収まります。

この時代といえば、レンジファインダーカメラの時代でした。レンジファインダーカメラ用光学系の最大のメリットは、フランジバックが短く、バックフォーカスの制約がないことでした。平たく言えば、レンズとフィルムまでの空間(距離)を自由に決められると言うことです。今では当たり前になった、一眼レフのミラー部のスペースを、確保する必要がないのです。したがって、バックフォーカスの短いゾナータイプや、ガウスタイプとゾナータイプの混合型といえるようなレンズタイプも開発できたのです。

また、ガウスタイプは、今でこそ大口径標準レンズの代名詞になっていますが、タイプ特有の問題を抱えています。ガウスタイプには、後側主点が開口絞りよりも、ずいぶん前に位置するという特徴があるのです。すなわち、長いバックフォーカスを確保することが難しいレンズタイプだったのです。

時代はニコンFに代表される一眼レフ時代になります。大口径競争で得たF1.1、F0.95の明るさは、夢物語になってしまいます。当時の一眼レフのバックフォーカスは、各社各様でしたが、おおよそ35~40mm程度でした。これは、レンジファインダーカメラに比べ、大きなバックフォーカスの確保が必要であることを意味します。特に50mmレンズを設計するには、当時としては厳しい制約条件を内在していたことになります。したがって、当初の標準レンズ、ニッコール5cm F2の設計でも、バックフォーカス確保に苦労の跡がしのばれます。その解決法は、ガウスタイプの前方に弱い凹レンズを追加し、レトロフォーカスの効果を利用し、足りないバックフォーカスを稼ぐというものでした。

一方、他社ではどうだったのでしょう。他社では、F2クラスのレンズであっても、50mmの焦点距離をあきらめ、5mm焦点距離を伸ばし、55mmとする事で対応しました。F2クラスのレンズですら、設計難易度が高くなったのです。しかし、当時の開発者は、一度レンジファインダーカメラで達成した、F1.4、F1.1~1.2レンズを、もう一度製品化したいという、強い思いがあったのです。鳴り物入りで登場した未来の新システムが、従来のシステムより劣っていては問題がある、と開発者の皆が思っていたに違いないのです。そこで、ニッコールでは、焦点距離を8mm伸ばして、5.8cm F1.4を開発します。しかし、当時の設計者はこの手法に満足しませんでした。いつかは50mmでF1.4を達成するという思いで、さらに開発が進み、ついに50mm F1.4を開発するのです。

2、F1.2の壁

F1.2の標準レンズは、当時としては、かなりチャレンジングなテーマでした。光学メーカー・カメラメーカー各社から、F1.2のレンズが発売されるのは1960年代まで待たねばなりません。キヤノンは1962年にキヤノンR58mm F1.2を発売しています。やはり、50mmでは設計できなかったのです。その後、1968年55mmに改良されますが、50mmになるには1980年まで待たねばなりませんでした。

一方、ニッコールは1965年に55mm F1.2を発売します。やはり50mmは困難でした。しかし、5mmだけ焦点距離を伸ばすことで、F1.2を実現しています。50mmになるのは1978年のAIニッコール 50mm F1.2発売まで待たなければなりません。しかしながら、ニッコールは比較的早く50mmという焦点距離でF1.2を達成したことになります。

3、開発履歴と設計者

それでは、開発履歴を紐解きましょう。ニッコール-S Auto 55mm F1.2を設計したのは、誰あろう、ニッコール千夜一夜物語でしばしば登場する「ニッコールオートの生みの親」清水義之氏です。清水氏にとって標準レンズの設計はライフワークともいえるものでした。清水氏は5cm F2から50mm F1.4、55mm F1.2とF2~F1.2までのすべての仕様を設計したのです。私は、当時のニコンの設計者の中で、ガウスタイプに最も精通していた方のひとりではないかと思っています。

さて、報告書と図面を紐解いて見ましょう。報告書によると、設計完了は1964年(昭和39年)の夏の暑い盛りのことでした。その後、同年の冬に試作図面が出されています。そして、量産試作を経て、1965年(昭和40年)の春も終わるころに量産図が出図されています。

そして、満を持して発売されたのは、同年の真冬のことでした。その後、このレンズはニッコール-S Auto 55mm F1.2 (c)でコーティングを多層膜化し、1975年(昭和50年)に新硝材などを用いた修正設計によって、最短撮影距離の短縮を達成した、Newニッコール 55mm F1.2を発売します。そして、1977年(昭和52年)の春、AI化したAIニッコール 55mm F1.2として発売され、1978年(昭和53年)に念願であったAIニッコール 50mm F1.2の登場によって、13年間のロングセラーに幕を閉じます。

開発には、大口径レンズゆえの苦労があったに違いありません。いくつもの製品を並行して開発した清水氏の努力と忍耐力には、頭が下がる思いがします。

4、描写特性とレンズ性能

Nikkor-S Auto 55mm F1.2 断面図

まずは断面図をご覧ください。このレンズは、典型的なガウス(ダブルガウス)タイプのレンズです。ガウスタイプは比較的大口径化が得意なレンズタイプです。しかし、対応可能な画角は2ω=63度程度(35mm判換算で焦点距離35mm程度)が限界と思われます。35mm判写真レンズの場合、このレンズタイプは、46~24度程度の画角を持ったレンズが最も設計しやすいと思われます。また、標準レンズ領域では、F1.8~F2クラスでは6枚で構成が可能で、F1.2~F1.4クラスになると、良好な収差補正のためには7枚のレンズが必要になります。絞りを挟んだ中央の接合レンズ2枚の前後にある凸レンズの構成に特徴があります。一般に像面に近い側の凸レンズの枚数を増したタイプが、コマ収差、球面収差の補正が良好な傾向があります。

それでは、ニッコール-S Auto 55mm F1.2はどんな写りをするのでしょう。収差特性とスポットダイヤグラムの両方から考察してみましょう。まずは設計報告書を紐解きます。収差値、MTF、点像を観察すると、F1.2という大口径レンズの設計が、いかに大変だったのか、苦労のあとが見受けられます。

このレンズの収差的な特徴は、まず球面収差にあります。F1.2という大口径で、良好なシャープネスを得るには、まず球面収差を極限まで小さく押さえ込んでおく必要があります。このレンズは非球面なしで、強い曲率の面を駆使して、高次の球面収差を発生させ、「毒をもって毒を制す」方法で球面収差を良好に補正しています。また、像面湾曲にも設計思想が見受けられます。サジタル像面よりも若干メリジオナル像面の方が補正不足(アンダー)の傾向があり、像高5割位置まではメリジオナル像面とサジタル像面はほぼ一致し、非点収差が少ない特徴があります。また、大口径レンズらしく、軸上色収差、倍率色収差共に良好で、いわゆる「絞りの利く(絞込みによる収差補正効果の高いという意)」レンズであることが分かります。問題はコマ収差です。さすがにF1.2の大口径レンズだけに、メリジオナルコマもサジタルコマも大きめで、特に画面四隅のサジタルコマフレアーは、相当大きな量のフレアーが発生します。このフレアーの形状は、点像の形状に大きく影響を与えます。次に、歪曲ですが、無限遠合焦時に-2%と大口径レンズとしては平均的な値です。また、このレンズは、他の一般的なガウスレンズと同様に、近接撮影では、収差が軒並みアンダー(補正不足方向)に変化します。この現象は、シャープネスを低下させるものの、背景ボケの描写には好ましい方向です。一般に、ガウスタイプのレンズが、ポートレート用、接写用に良く使われる理由が理解できます。

F発売当時の最高峰F1.2の大口径レンズは、収差補正状態を見ると、確かに格段に優秀な収差補正状態とはいえませんが、今までに無い、先駆けの55mm F1.2 レンズとしては、破綻が無く、巧みに設計されたレンズといえるでしょう。清水氏の苦労が伺えます。次に、スポットダイアグラムで点光源の結像状態を観察しましょう。

中心部は点像のまとまりも良く、フレアーも少なく良好です。しかし、周辺に行くに従い、芯はあるものの、メリジオナル方向とサジタル方向の両方向にフレアーが出ています。近代的なレンズは、高いMTFを望むあまりに、比較的補正が簡単な、メリジオナル方向のフレアーのみを補正してしまう傾向があります。しかし、メリジオナル方向のフレアーのみを補正すると、点像はほうき星状にフレアーになり、非対称の点像になってしまいます。むしろ、写真描写の観点から見れば、シャープネスが若干落ちたとしても、55mm F1.2の点像の形状の方が、好ましい結果を生むと思われます。ここにも匠の技を見ることができます。しかしながら、さすがに像高の高いところの点像は、ビネッティングによりメリジオナルコマフレアーが取り除かれ、サジタルコマフレアーの目立つ、ほうき星状にフレアーになります。非球面も使えない、この当時の設計では、このあたりが限界だったに違いありません。

5、実写性能と作例

次に実写結果を見ていきましょう。各絞り別に箇条書きに致します。

F1.2開放

中心は割合に解像感はあるが、ベールのようなフレアーが取り巻いている。中心から画面周辺に向かうにつれて、フレアー感が増すが、ピークは画面6割ぐらいの位置であり、その後はビネッティングの影響で、フレアーも若干減少する。全体的に線の細い描写をするが、四隅は若干解像力が低い。しかし、色にじみが少なく、発色はすっきりしていて好感が持てる。

F1.4~2

F1.4に絞り込むことによって、解像感はあまり変化がないものの、ベールのように降り巻いたフレアーが減少し、ビネッティングも改善する。さらにF2に絞ると、中心から中間部まで、フレアーも消え解像感が向上し、周辺部、特に四隅を除いて良化する。四隅の解像力、フレアーの改善はわずかである。

F2.8~4

フレアーもほとんど消えて、解像感がグッと向上。ごく四隅を除いて、十分満足できるシャープネスになる。F2.8ではやわらかさの中に上質の解像感が同居するイメージ。F4では高精細を達成できたイメージ。

F5.6~8

画面全体が均一な描写で、高いシャープネスを達成。全F値の中で最高の画質と思われる。

F11~16

画面全体が均一な描写で、高いシャープネスを達成。F16まで絞ると、回折の影響が若干現れ、解像感を若干損ねる。

シャープネスを期待するなら、F5.6~F11の絞りで使用すると良好な結果を得られるでしょう。また、やわらかい描写、独特の描写を楽しむのなら、F1.2~F2を試していただきたい。物撮りポートレートに独特の味わいを与えてくれると思います。また、ある程度シャープネスを求めつつ、やわらかい描写を望むのであれば、F2.8で写してみるのも良いかもしれません。今回の実写テストでは、このレンズが、「各F値による描写が、刻一刻と変化する玄人好みのレンズ」であることが分かりました。

それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。

作例1

ニコンD3X Nikkor-S Auto 55mm F1.2
絞り:F1.2
シャッタースピード:1/160sec
ISO:400
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ニュートラル
撮影日 2011年8月

作例1拡大

作例2

ニコンD3X Nikkor-S Auto 55mm F1.2
絞り:F1.2
シャッタースピード:1/3200sec
ISO:400
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ニュートラル
撮影日 2011年8月

作例1、作例2は、このレンズのやわらかな描写と、空気感の再現性を狙った作例です。あえて、深度の浅いF1.2開放で、最短撮影距離60cm近くで撮影しました。作例1は点列のある背景を選びましたが、ボケ味には破綻がなく、良好な描写をしていることが分かります。ピントの合った瞳のシャープネスも良好で、かつボケかかったところの描写は、なだらかで良好です。作例1の拡大写真をご覧ください。三次元的な描写にすぐれていることが分かります。あごの消え入るような描写、線の細いぼけた髪の毛、立体感のある瞳のぼけ方、どれをとっても良好で、申し分ありません。このレンズは三次元的にハイファイなレンズと言えるかもしれません。作例2は、あえて逆光で格子状の反射物の前で撮った作例です。後ボケに破綻がなく、二線ボケの発生を抑えています。また、ピント面のシャープネスも良好で瞳や髪の毛の再現性も豊かです。

作例3

ニコンD700 Nikkor-S Auto 55mm F1.2
絞り:F2.8
シャッタースピード:1/800sec
ISO:200
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ニュートラル
撮影日 2011年8月

作例4

ニコンD700 Nikkor-S Auto 55mm F1.2
絞り:F2.8
シャッタースピード:1/2000sec
ISO:200
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ニュートラル
撮影日 2011年8月

作例3から4はF2.8の描写を確認した作例です。両作例とも、ピントの合っている範囲が広がり、シャープネスも向上している様子が確認できます。しかしながら、描写特性は、やわらかさを失っていません。作例3では、やわらかい光を背にした逆光写真で、フレアーの発生や、背景のボケを観察していただきたい。ボケ味も破綻なく、いやな色フレアーも発生していません。作例4では、比較的中庸の撮影距離における描写を観察していただきたい。後方のボケ味も破綻なく描写しています。また、ピント面のシャープネスも良好です。これらの結果をみると、ポートレートには、開放からF2.8の範囲で、色々試してみることが良い結果を生むと思われます。

作例5

ニコンD700 Nikkor-S Auto 55mm F1.2
絞り:F4
シャッタースピード:1/3200sec
ISO:200
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ニュートラル
撮影日 2011年8月

作例6

ニコンD700 Nikkor-S Auto 55mm F1.2
絞り:F5.6
シャッタースピード:1/1000sec
ISO:200
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ニュートラル
撮影日 2011年8月

作例5~6はF4~F5.6と絞り込んだときの作例です。F4~F5.6まで絞り込むと、大口径レンズ特有のやわらかさは影を潜め、画面周辺までシャープな描写をします。作例5はF4の作例です。周辺まで建物の壁がきれいに再現しています。また、作例6はF5.6まで絞った作例です。ここまで絞れば、周辺までシャープで、このレンズの最も良い描写特性を体感できるでしょう。風景写真にはF5.6~F8が最適だと思われます。

それぞれの作例から分かるとおり、ニッコール-S Auto 55mm F1.2は、絞り毎に、刻一刻と描写特性が変わる、味わい深いレンズです。したがって、ポートレート、物撮りにも使え、絞れば風景写真もこなす、玄人好みのレンズであるといえるでしょう。

6、50mmへのこだわり

今回の55mm F1.2のお話で、皆さんは、なぜ、設計者が50mmにこだわっていたのか、不思議だとは思いませんでしたか?それは、35mm判の標準レンズには長い歴史があるからなのです。先ず始めに、標準レンズを5cm(50mm)と決めたのは、このシステム自身を作り上げた、オスカー・バルナック氏やマックス・ベレーク氏を始めとしたライツ社の技術者でした。それでは、なぜ50mmが標準レンズと定められたのでしょう?諸説ありますが、代表的な説は50mmの画角(対角線46°水平40°)が注視していない時に肉眼で視認できる視野に一番近いとする説です。また、実画面の対角線長と焦点距離が近いという説(しかしこの場合、正確には50mmにならない)、広角レンズと望遠レンズの特性がお互いに薄れる焦点距離が50mmであるとする、レンズ特性からきた説(しかしこの場合も、正確には50mmという焦点距離を限定できない)等があります。

いずれにせよ、システムを作り上げたオスカー・バルナック氏とマックス・ベレーク氏にしか真相は分からないでしょう。確実で正しい事実は、ライツの初めての35mm判カメラについていた標準レンズが、ライツ・アナスチグマット(後のエルマックス)5cm F3.5だったということです。世界中のカメラメーカーはこぞって、ライカをお手本にしてカメラを作り始めます。その時に5cm(50mm)標準レンズもお手本にされました。その歴史的背景があり、長年50mmレンズを作り続け、開発者もユーザーも、50mmの画角に慣れ親しんでいました。その歴史と伝統により50mmを標準レンズと位置付けたのです。したがって、当時の開発者は、一眼レフ時代になっても、レンジファインダー時代と同じ画角で標準レンズを作りたかったのでしょう。設計者のこだわりこそ、進歩発展の種です。58mmから55mmそして50mmへと、標準レンズの開発は幕を開けたのです。

7、50mm、実は51.6mm?

我々が、焦点距離50mmといっているのは、実は公称値なのです。設計値は、必ずしも50mmではありませんでした。先に書きましたとおり、標準レンズの始まりが、ライツ・アナスチグマット5cm F3.5です。このころの、ライツの5cm標準レンズの実焦点距離が51.6mmになっていたのです。ライカも当初は、レンズ交換できませんでしたが、後に交換式となります。

多くの光学メーカーは、ライカ用の交換レンズを作り出します。その時、ファインダーや距離計の関係から、焦点距離を同じにした方が、都合が良かったのです。したがって、歴史ある日本の光学メーカー、カメラメーカーは、公称50mm標準レンズを51.6mmで設計したのです。その習慣が、一眼レフ時代になっても受継がれ、その歴史と習慣は現在も活きているのです。51.6mmには歴史の重みがあるのです。

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