大阪ニコンサロン 2012年3月

写真
ビジュアルアーツ専門学校・大阪 写真学科
卒業制作選抜作品展
3/1 (木) ~3/7 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

「知っておかなければならないのは、自分は何も知らないということ。自分はいつも手探りで歩いているということ」
カメラは認識の手段であるという先達のことばと写真に励まされて2年間過ごした学生たちの成果から選抜した作品展である。
銀塩写真、デジタル写真と方法の多様化で学ばなければならないことが増えており、自分に最もふさわしい表現手段として考え、選んだ方法で表現した写真から、彼らの冒険や奮闘をうかがい知ることができる。カラー150点・モノクロ50点(予定)

juna21 林 典子

写真
硫酸に焼かれた人生・パキスタンの女性たち
3/8 (木) ~3/14 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

人口約1億5000万人の国、パキスタン。この国では、家庭内暴力の延長や求婚を断られた報復などの理由で、女性の顔に硫酸を浴びせ、火傷を負わせる事件が次々と起きている。被害者は毎年150~300人、その半数は11~20歳の少女たちと報告されている。
作者は、2010年7月から2ヶ月半パキスタンに滞在し、硫酸の被害に遭った女性たちと寝食を共にしながら、彼女たちの家庭やシェルターでの生活を追った。
ナイラ(20歳)は、13歳の時に求婚を断ったため、報復として硫酸をかけられた。セイダ(22歳)は2008年、夫から突然顔に硫酸をかけられた。硫酸による火傷で、ナイラは左目と左耳を失い、セイダの顔から首にかけての皮膚は溶け落ちてしまった。
現在のパキスタンでは、被害に遭っても加害者が警察を買収したり、被害者に裁判で争うお金がないなどの理由で、訴えが認められて有罪になるのはごく僅かである。また、農薬などに使われている硫酸は100円程度で簡単に購入することができ、被害は減らない。
女性にとって顔が損壊される、これほど屈辱的な暴力はない。しかし、今回作者が撮影した女性たちは、毎朝鏡に映る自身の顔をしっかり見つめ、過去の傷を背負いながらも、その現実を受け止めて生きていこうとしている。
本展では、被害者たちと同世代の女性である作者なりの視点で、彼女たちの身に起きた悲惨な過去や、一生消えない傷を心に抱えながらも前を向いて生きている強さを、写真を通して伝えようとしている。カラー作品。

作者のプロフィール

1983年神奈川県生まれ。06~07年ガンビア共和国(西アフリカ)現地新聞社「The Point Newspaper」紙で、写真スタッフとして活動。第7回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞パブリックプライズ受賞。タイ外国人記者クラブ On Asia Photojournalism Contest 2010「人権部門」奨励賞受賞。
作品は清里フォトミュージアムに収蔵されており、また、作品が掲載された雑誌は「DAYS JAPAN」「アエラ」「Der Spiegel」などがある

juna21 Michelle Given

写真
Accommodations
3/15 (木) ~3/21 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者の両親は20代後半で結婚して子どもを持ち、それから30年もの間、住まいや仕事を変えたことはなかった。作者以外の家族は実に安定しているが、作者や友人のライフスタイルは分散的で転居が絶えず、旅にも出れば転職もし、親密な人間関係の間を循環している。
作者はよく、どうすれば自分を知ることができるのか、一見変化し続ける渦中にいる作者を他人がどう理解できるのか、を考える。
この考えをさらに探求するため、ホテルやコンピュータラボ、スタジオ、友人、知人、家族の家など、自宅以外で作者が眠りについた場所の記録を始めた。
自分をフレームにおさめて写真を撮ることで、あらゆる種類の空間や物が、何も自分を示していないこと、写真にはそれが作者自身そのものだと思わせるような影響力があるかもしれないが、その理解は正しいとはいえない。それは写真に写っている部屋とそこにあるほとんどのものは作者のものではないからだ。
今回の写真と手法にある不自然さは、作者がセットのような部屋に役のない無名の登場人物として住むところにある。
この作品は、アイデンティティーや孤独、表現、属性、無情の探求なのである。カラー作品。

作者のプロフィール

1982年生まれ。写真やビデオの制作、展示を中心に活動するアメリカのケンタッキー州マレー在住のビジュアルアーティスト。2008年インディアナ大学にて写真の分野で芸術学・写真学修士号を、オタバインカレッジでイングリッシュ・クリエイティブライティングと写真を中心としたスタジオアートの2つの分野で学士号を取得。デポー大学やアイビーテックコミュニティーカレッジ、そしてグッゲンハイムの同僚オサム・ジェームズ・中川氏やジェフリー・ウォリン氏とともに学んだインディアナ大学で教鞭をとる。現在は、マレー州立大学に写真学の助教授として勤務。

ニコンサロン連続企画展 Remembrance 3.11
石川 直樹

写真
やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る
3/22 (木) ~3/28 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

作者ができることはまず動くことだった。断片的な情報に振り回されるのではなく、自分の目でそれを確かめ、自分の言葉で伝える。物資をもって被災地に行くことを決めたのは、震災から二日後の朝だった。
青森の三沢空港から八戸に入り、太平洋沿岸を車で南下した。瓦礫の山が道を塞いでいるため、行けるところまで行って、あとはただ歩くしかなかった。雨に打たれながら、雪に足をとられながら、砂塵に巻かれながら、荒野と化した被災地を歩いていると、あらゆる感情がこみあげてくる。
迂回を繰り返しながら岩手の宮古まで南下し、雪に覆われた山を下って壊滅した海辺の街の風景が視界に飛び込んできたときのことは、今でも忘れることができない。あれから一年が経ち、雪は溶け、街は家の土台を残して、更地になった。
世界はそこに在り続ける。たとえ自分が死んでも世界はそこに在る。言葉が追いつけない涯ての風景を留められるのは、写真しかない。

作者のプロフィール

写真

1977年東京生まれ。2002年早稲田大学第二文学部卒業。05年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。08年同博士後期課程修了。06年さがみはら写真新人奨励賞、同年ニコンサロンJuna21三木淳賞、08年日本写真協会新人賞、同年講談社出版文化賞、09年東川賞新人作家賞、10年さがみはら写真賞、11年土門拳賞をそれぞれ受賞。
主な個展:05年「THE VOID」(新宿ニコンサロン)、07年「NEW DIMENSION」(銀座ニコンサロン)、「POLAR」(SCAI THE BATHHOUSE/東京)、08年「Mt.FUJI」(銀座ニコンサロン)、「VERNACULAR」(PLACE M/東京)、10年「ARCHIPELAGO」(沖縄県立美術館)、「CORONA」(PLACE M)、「8848」(SCAI THE BATHHOUSE)
主なグループ展:07年「目黒の新進作家―七人の作家、7つの表現」(目黒区美術館)、08年「現代写真の母型2008」(川崎市市民ミュージアム)、09年「ARTIST FILE 2009」(国立新美術館)、「近くから遠くへ」(群馬県立館林美術館)、「Voyages」(パリ日本文化会館)、「日本の新進作家vol.8」(東京都写真美術館)、10年「瀬戸内芸術祭」(福武ハウス(旧女木小学校)/香川)、「トランスフォーメーション」(東京都現代美術館)
主な写真集:05「THE VOID」(ニーハイメディアジャパン)、07年「NEW DIMENSION」(赤々舎)、「POLAR」、08年「Mt.Fuji」(以上リトルモア)、「VERNACULAR」(赤々舎)、09年「ARCHIPELAGO」(集英社)、10年「CORONA」(青土社)

ニコンサロン連続企画展 Remembrance 3.11
笹岡 啓子

写真
Difference 3.11
3/29 (木) ~4/4 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

震災から一ヶ月経った4月、はじめて被災地へ行った。釜石市の高台で、私はカメラを取り出すこともできないまま眼下に拡がる町をみつめていた。そこで地元出身の方から「となりの大槌町はもっとひどい。広島に落ちた原爆が落ちたみたいだよ」という話を聞いた。広島出身の私はその表現に驚き、大槌町へ向かった。
車の窓ごしから見た町の印象は、確かに写真で見たことのある被爆直後の広島に似ていた。県道から海側へ、JR大槌駅のあった周辺を一人で歩いた。一面に茶褐色のがれきが拡がり、復旧用の道路が数本、白く交差していた。吉里吉里へ抜ける大槌橋から見ると、遮るものが無くなって、町を囲む山並みだけがくっきりと見渡せた。
冷たい海風が吹いて、肌寒い。砂塵が舞って目を開けていられない。焼け焦げた匂いと魚が腐ったような匂いが鼻をつく。折れ曲がったトタンが音をたてて転がっていく。骨組みが剥き出しになったビルの残骸がぶら下がったまま揺れている。よく見ると、がれきの間に行方不明者を捜索する人の姿がある。大槌町で見た光景は、3月11日以降、テレビやインターネットで繰り返し見てきた被災地の写真や映像の印象とも違っていた。いままで写真を撮ってきて、見たように写ったことは一度もない。もちろん、それを望んでもいない。歩いている間、たくさんのイメージが頭の中に浮かんでは消えていった。私はここで、はじめてシャッターを切った。
大槌町を撮影した後、津波の痕が生々しい三陸沿岸をゆっくりと南下していき、さらに、目に見えない原発の災禍に見舞われた阿武隈山地へと撮影地を拡げていった。あの釜石の高台で聞いた言葉の直接的な響きが、いまもずっと身体の奥に残っている。カラー30点。

作者のプロフィール

写真

1978 年広島県生まれ。東京造形大学卒業。2008 年「VOCA 展2008」奨励賞受賞。10年日本写真協会新人賞受賞。
写真展に、08年「SASAOKA Keiko 2001-2007」(タマダプロジェクトコーポレーション・東京)、「PARK CITY」(銀座ニコンサロン)、10年、「CAPE」(photographers’ gallery・東京)ほか、個展、グループ展多数。写真集に『PARK CITY』(インスクリプト、09年)、『EQUIVALENT』(RAT HOLE GALLERY、10年)がある。