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vol.19
Arthur Edwards

「威厳のある職務」

英「サン」紙、王室取材担当フォトグラファー(イギリス)

アーサー・エドワーズは英「サン」紙のフォトグラファーとして、40年にわたり王室を撮り続けている。彼が手がけた仕事の中には、逆光でスカートが透けたダイアナ元妃から、ロイヤル・ウエディングの日にバッキンガム宮殿のバルコニーでケイト妃にキスするウィリアム王子まで、人々の記憶に残る、また親しみを感じさせる写真が数多くある。1976年、ポロ競技中の若きチャールズ皇太子を捉えた「とびきりのショット」。これをきっかけにエドワーズは、予想もしていなかった王室取材担当に抜擢された。以来、ロイヤル・ファミリーにとっての特別な存在となっている。かつてダイアナ元妃は彼を「アーサー」とファーストネームで呼んだ。また、チャールズ皇太子は各国から訪れる要人に「エドワーズ氏は30年以上も私と一緒にいます」と紹介するという。そんなエピソードからも、王室との親密な関係がわかる。2003年、新聞業界への多大なる貢献が認められ、大英帝国勲章の一つである「メンバー」の勲位を授与された。また、2012年には英アングリア・ラスキン大学の名誉博士号を与えられている。

下町に生まれ育って、報道の世界へ

1940年8月、私はロンドンの下町であるイーストエンドで生まれました。港の近くに住んでいたので、友人の多くは港湾労働の仕事につきましたが、母は子供たちにもっといい職について欲しいと願っていました。18歳の誕生日に、母が高級な二眼レフカメラを買ってくれました。以前からずっと、私がフォトグラファーになりたいと話していたからです。父は私が16歳のときにこの世を去り、暮らしは厳しいものでした。清掃員をしていた母にとって、非常に高額な買い物だったことでしょう。

15歳で学校を終えた私は、暗室でベタ焼きをする仕事につきました。続いて、ファッション・フォトグラファーのジョン・フレンチ氏のアシスタントになったのですが、私にファッションは不向きでした。イーストエンドの下町出身の少年にとって、スタジオでモデルたちと仕事をするなんて、お手上げでした。その後、ローカル新聞「イースト・ロンドン・アドバタイザー」に新たな職を得ました。それは私にとって最高の仕事でした。撮った写真をたくさん掲載してもらえましたし、フォトグラファーのキャリアを始めるにはローカル新聞は最適な場所でした。フリーランスとして2、3年働いたのち、1975年、「サン」紙に加わり、現在に至ります。初めは一般の記事を担当していましたが、ときどきスポーツも取材しました。「サン」紙では1日に1つの取材しかこなせないので、そこに全力を注がなくてはなりません。報道写真の仕事はいつも勝利と惨敗の繰り返しです。数週間かけて撮った写真がまったく使われないこともあれば、自分の写真で紙面が埋め尽くされることもあります。私が撮った写真を印刷物として見るときは、喜びを実感できる瞬間です。そんなことが、この仕事を続けられる原動力になっているのでしょう。

「予想外の」王室担当フォトグラファー抜擢

私は「サン」紙でクリケットやサッカー、そして一般記事の取材を楽しくこなしていました。そんなある日曜日の朝、ニュースルームに入っていくと王室担当記者になったばかりのジェームス・ウィテカーが座っていました。私は彼に、その日の午後におこなわれるポロの試合に一緒に行かないかと誘われました。そこにチャールズ皇太子が出場するというのです。私がそのときに捉えた皇太子の「とびきりのショット」が翌日の新聞に掲載されたのです。そのころ、私の編集担当だったラリー・ラムは、そろそろ次の女王候補を取材すべき時期だと考えていました。当時、28歳だったチャールズ皇太子が、かつて結婚には30歳が適齢と語っていたことがその理由です。そんなことから私は、皇太子が密かに交際している相手を探ることになりました。そしてダイアナ・スペンサー嬢を見つけ出したのです。二人が婚約したときには、「サン」紙のリポーター、ハリー・アーノルドとともに祝電を打ちました。皇太子は私たちの気持ちに率直に感謝しながらも「婚約したのだからもう余計なことはして欲しくない」と言っていました。

王室に関わった30年

30年という長い年月には、多くのハイライトがありました。7回のロイヤル・ウエディング、6回のロイヤル・ベビー誕生、1983年のチャールズ皇太子とダイアナ妃の6週間にわたるオーストラリア旅行、そしてウィリアム王子とハリー王子の誕生などです。ダイアナ妃が生まれたばかりの王子を抱いて退院した際には、どちらの王子のときにも私は病院の外でその瞬間を待っていました。いまや王子たちもりっぱな青年ですから、感慨深いものです。王子たちの存在は身近に感じるのです。なにしろ、二人が歩き始めたこと、幼稚園に通い始めたこと、イートン校に通学している様子、スキーを練習しているところ、飛行機の操縦を習う様子など、多くのことを目にしてきたのですから。

なによりも思い出に残っているのは、ローマで、チャールズ皇太子とカミラ(コーンウォール公爵)夫人のローマ法王謁見を撮影しているときのことです。皇太子が私を法王に紹介してくれたのです。「エドワーズ氏は私を30年間以上も取材し続けていて、カトリック教徒です」と説明してくださいました。法王は私のほうを向いてうなずかれ、その間も私は撮影を続けました。その後、チャールズ皇太子とカミラ夫人が立ち去ってから、私と、その場にいた5人の記者に内謁が許されると告げられました。帰りの私は少しぼーっとした状態でした。ホテルに戻って間もなく、息子のジョンが電話してきました。彼は「サン」紙で写真編集担当をしています。彼によれば、教皇宮殿で一緒だった記者たちが、法王と一緒にいる私の写真を送ってきたと言うのです。彼らはいつも、そういうところが実に抜け目ないのです。写真は翌日の「サン」紙に掲載され「撮影担当、法王に会う」と大見出しがつけられていました。

英帝国勲章の「メンバー」の勲位を授与されたことも驚くべきことでした。母が生きていたなら、とても誇りに感じてくれたことでしょう。私自身、このようなことはまったく予想さえしていませんでした。2002年11月のある日、税金の督促状だろうと思いながら封筒を開けました。書面には、この栄誉を受け入れますか、とありました。バッキンガム宮殿に行くと、エリザベス女王陛下が私の胸に勲章をつけてくださいました。陛下は微笑みながら、「あなたにこれを授与しているなんて信じられない気持ちです。どれだけ長い間、私を撮りにここへやって来たことでしょうか」とおっしゃいました。私が「27年になります」と答えると、「では、一緒に写真を撮りましょう」と言ってくださったのです。長い年月の中には、雨の中で凍えた日も炎天下で汗だくだった日もありましたが、この写真ですべてが報われました。

最も過酷な任務

最も過酷だった任務といえば、ウィリアム王子とケイト妃に抱かれて退院するジョージ王子の撮影に間違いないでしょう。非常に困難でしたが、その分、他の何にもかえ難い経験となりました。丸1年間、ロイヤル・ベビー誕生のことばかりでした。ある夜、私は100マイル離れたグロスターシャーで行われたジュールズ・ホランドのコンサートに行っていましたが、翌朝早く、ケイト妃が出産のため入院したというニュースが飛び込んできたのです。2、3週間もの間、病院前に陣取って準備をしてきたので、この機会を逃すわけにはいきません。妻をつかまえてロンドンへと急ぎました。1982年、ウィリアム王子誕生の際には、現場に来ていたテレビ局はBBCとITVだけで、どのフォトグラファーも皆、顔なじみでした。しかし、今回はまさにインターナショナルなイベントとなっていました。500人を超える報道陣が大きな群衆をつくり、フォトグラファーやリポーター、そして世界中のあらゆるテレビ局がそこにいました。

ついに翌日の夕方、ウィリアム王子とケイト妃がロイヤル・ベビーを抱いて現れました。私は猛暑の中でまる2日間、この決定的瞬間を捉えようと脚立の上に立ち続けていたのです。興奮と同時に、強いプレッシャーを感じる状況でした。あれほど精神集中を要する仕事はありません。病院の敷地で一番いい場所を通信社であるプレス・アソシエーションのジョン・スティルウェルが押さえて、ロイヤル・カップルを見下ろしていました。私は新聞社のフォトグラファーにその場所を譲るべきだと、バッキンガム宮殿ともめたのですが、結局ロイヤル・ベビーの表情を捉えたのは彼でした。私は、そのショットがピクチャー・オブ・ザ・イヤーだと思いました。その日、新聞社のフォトグラファーの数はテレビ局を上回っていました。スチルカメラチームの勝利で、テレビ局はただ、ジョンが撮ったショットを放映するだけだったのです。

その晩に撮られた写真は何千枚とあり、もし私が心臓発作で死んでいたとしても「サン」紙は他の新聞社のフォトグラファーから写真を入手していたでしょう。それでも、私にとっては自分の手で撮影したということに意義がありました。その年の他の仕事はどれも「いつもの仕事」ですが、今回の撮影ばかりは将来の国王に関することです。ロイヤル・ベビーを抱いている男性が同じ病院から出てきてから31年が経ったということは、非常に特別であり、感慨深い瞬間でした。

ロイヤル・ファミリーと私

ひとつの家族と30年以上も一緒に仕事をすると、物事の考え方がその家族と同じになってくるものです。最初のころはそれほどいい関係ではありませんでした。事実、80年代はとげとげしいものでした。なんとかして良い写真を撮ろうと、ロイヤル・ファミリーの日常に立ち入ることも多かったので、彼らは私たちを敵対視していました。チャールズ皇太子がハイグローブの別荘に初めてやってきたときのことです。私は大きなレンズを携えて出向き、別荘の敷地内にある公道から撮影しようとしました。馬に乗って出てきた皇太子が私のところへ近づくと「私の土地で何をしているんだ」と叫びました。私は「ここはあなたの土地ではありません。ここは公道であり、自分の仕事をしているだけです」と答えました。

すると「仕事だって?少なくとも私にとっては厄介なことだがね!」と返されました。皇太子は怒りで顔を真っ赤にして、馬に乗って立ち去りました。その後、警護中の警官が私に話をしてくれたのですが、彼らがキッチンでコーヒーを楽しんでいるときにチャールズ皇太子が突然やってきて「君たちは私の警護をしているはずだろう。アーサー・エドワーズが私の前庭に立ち入っているではないか!」と叫んだそうです。私はその後すぐに立ち去りました。

しかし、その状況はゆっくり改善していき、今ではすべてのロイヤル・ファミリーと非常に良い関係にあります。時がたつにつれて、私はファミリー全員に親しみを感じるようになりました。とくにチャールズ皇太子のことが大好きです。私は過度に馴れ馴れしくしたり、個人的な質問をすることはありません。皇太子は私をアーサーと呼び、私は彼を閣下と呼びますが、皇太子は私の60歳と70歳の誕生日を覚えていて、カードとプレゼントを贈ってくれたほど、親しくしてくださいます。皇太子と仕事をすることはいい刺激になるのです。彼は人々に、とくに若者に対して熱意をもって接します。そしてかなりの長時間、仕事をこなします。ときにはランチも休憩もとらずに…。正直なところ、彼についていくのはひと苦労です。

めまぐるしく展開する日々

朝起きて、その日がどんな日になるのか分からないことはしばしばあります。そこがエキサイティングなのです。ある週を例にとれば、月曜にポートレートを撮り、火曜にウェールズ公(チャールズ皇太子)のインド訪問に同行するためのミーティングに出て、さらにクリスマス向けに発売する私の本「マジカル・メモリーズ」についての雑誌インタビューを受けました。この本にはウィリアム王子とケイト妃と一緒のジョージ王子、そしてアイルランドを訪問したエリザベス女王など、王室にまつわる出来事を捉えた写真でまとめました。そしてその後は、ハリー王子に同行してシドニーに1日滞在し、そのまま王子に付いてドバイへ行って1日過ごし、その後、デヴィッド・キャメロン首相そしてクリス・グレイリング大法官のそれぞれの執務室での撮影がありました。バラエティに富んでいるから、この仕事は楽しいのです。

カメラバッグの中身

仕事を始めたころはライカを使っていましたが、壊れると修理に3ヵ月もかかりました。そのためニコンF2を購入しました。私にとって最初のニコンです。サービスがよく、使い勝手にも満足していたので、それ以来、ずっとニコンを使っています。レンズもボディーも最高品質ですから、ニコンに並ぶ機材はないと思っています。これほどまでカメラ機材が進化したことが過去にあったでしょうか。ニコンは小型カメラの技術や先進性においても卓越していて、COOLPIXには本当に驚かされます。コンパクトデジタルカメラ製品からデジタル一眼レフカメラ製品まで、ニコンのカメラの品質はきわめて優れていると感じています。

ニコン製品にはいつもワクワクさせられます。さまざまな仕事に最適なレンズを作り続けていることにも感謝しています。ニッコールは実に秀逸で、驚くほど鮮明でシャープです。AF-S NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6G ED VRを借りて使ってみました。開放F値f/4.5-5.6ではありますが、ISO感度を上げても問題のないD4なら、驚きの仕上がりが得られます。とりわけ手ブレ補正の効果は絶大です。先週、シドニーにも持っていきました。王室の同行に使うには最適なレンズだと思ったのですが、そのとおりの実力でした。ヘンリー王子の表情を捉えた傑作ポートレートをはじめ、様々な状況カットもおさえることができました。

最も気に入っているレンズはAF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G EDです。今まで使った中で最高のレンズだと思います。シャープな描写力が魅力です。もし一本だけ持っていくとしたらこのレンズでしょう。他のどのレンズよりも使用頻度が高いです。これなしでは仕事ができないので、二つ揃えていて、一つはいざというときのバックアップとして持ち歩いています。このレンズを設計した人たちは天才ですね。

ニコンが優れている点をもう一つ挙げるなら高感度性能でしょう。ISO感度を上げてもノイズの少ないクリーンな写真が撮れるので、フラッシュをなるべく使わずに済みます。エリザベス女王はフラッシュが嫌いなので、このメリットは大きいです。私にとってデジタル時代がもたらした技術的ブレイクスルーは間違いなく高感度性能です。たとえば、石炭置き場をうろつく黒猫だって撮影できます。D4を購入するまで使っていたD3Sの画質にはとても満足していました。しかし、新しい技術に合わせて進んでいかなければ、取り残されます。それでD4に乗り換えたのですが、これは本当に凄い。間違いなく最高のカメラでしょう。

D800も持っています。大口径の単焦点レンズを装着して主に私用で使っています。休暇や誕生日パーティ、または洗礼式のときにと幅広く活躍します。上がってくる写真は実にエキサイティングです。仕事で使うことはほとんどありません。現場では機動性が重視されるので途中でカメラをかえることは困難です。通常はD4を2台で撮影していますが、D800も車に用意しておきます。たとえばポートレート撮影をすることになれば、D800のほうが素晴らしい結果を生み出せるからです。「軍旗敬礼分列式」やバッキンガム宮殿のバルコニーの様子など、イベントの撮影にもD800を使ってみたいと思います。36メガピクセルで何もかも描き出せるのですから。愛車の後部に安全な保管庫を装備してあるのでカメラの心配は無用です。いつ何が起こるかわかりませんから、どこに行くときもすべての機材を持ち運んでいるのです。

全機材一式:
Nikon D4 2台
Nikon D800 1台
AF Nikkor 14mm f/2.8D ED
AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED
AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR Ⅱ
AF-S NIKKOR 200-400mm f/4G ED VR Ⅱ
AF-S Nikkor 300mm f/2.8D IF-ED
AF-S Nikkor 300mm f/4D IF-ED
AF-S NIKKOR 500mm f/4G ED VR
ワイヤレストランスミッター WT-5
スピードライトSB-910

ニコンに望むこと

次のステップは、当然、ワイヤレス・システムのカメラ搭載でしょうか。でも、誤解しないでください。現行のワイヤレストランスミッター WT-5が素晴らしいことはわかっています。最適なWi-Fi環境とモデムさえあれば、欠かせない機材です。トリミングから画像調整、RAWからJPEGへの変換まですべてカメラの中で行えますので、ワイヤレストランスミッター WT-5で送信すれば、ほんの数秒でワークフローが完結します。時間のない状況においては本当に役に立ちます。

つい先頃、米国でハリー王子とジョン・マケイン上院議員を取材したときのことです。ロンドンは夜9時だったので、私は自分のカメラから直接、写真を送信し、その晩の新聞の印刷に間に合わせることができました。

引退はまだ先のこと

ロンドンの下町、イーストエンドで15歳で学校を終えた少年にとっては、写真という職業のおかげで素晴らしい人生を送ってこれたといえるでしょう。自分が夢見たことはほとんど実現させたように思えますし、そう言える人は多くはないでしょう。数多くの大イベントでは最前列に座ってきましたし、クレムリンの内部や、ホワイトハウス、ローマ法王の執務室など、素晴らしい場所を目の当たりにしてきました。数々のロイヤル・ウエディング、洗礼式、葬儀に同席しました。毎日が驚くべき人々との出会いです。映画スターやサッカー選手、大統領、首相、そしてチャリティー活動の「プリンス・トラスト」で業績を残してきた若者たちなどです。ネルソン・マンデラ氏にも会いました。今の時代に存在した最も偉大な人物のひとりです。彼は握手をして、「私の国へようこそ」と言ってくださいました。

学生たちには、最も大切なことは自分の仕事を楽しむことである、そうすれば働いているすべての時間が報われる、と教えています。私はとにかく写真を撮ることが大好きで、人々にその写真をあげて喜んでもらえることが私の喜びです。誰かがロイヤル・ファミリーと一緒に写真を撮ると、いつも焼き増しして彼らに送っています。なぜなら、そのような出会いが彼らにとってどれほど特別かよく分かるからです。ローマ法王との出会いも同じように、とても大切なものに感じました。法王と一緒に撮ってもらった写真は数々の賞状などとともに、今も我が家に飾ってあります。

もちろん、腹の立つことは仕事のたびにあります。ずぶぬれになったとか、飛行機に乗り遅れたとか。それでも、優秀なリポーターや編集者と一緒に仕事をするというプラスの面があります。同僚とは真の友情関係にあって、彼らのおかげで素晴らしい仕事ができます。73歳になりましたが、まだまだ現役です。週3回ジムに行き、とても協力的な妻もいます。かなり前の話ですが、英国のテレビ司会者デヴィッド・フロスト氏に「好きなことは、できる限り続けなさい」と言われました。体が健康で、会社がサポートしてくれるうちは、この仕事を続けていくつもりです。私が70歳になったとき、実業家ルパート・マードック氏からもらった手紙には、こう書かれていました。「70歳なんて、私にはものすごく若く思えるよ、アーサー」。2012年9月、ウィリアム王子とケイト妃がソロモン諸島を訪れた折には、王子がこうおっしゃいました。「あなたは絶対引退させませんよ。車椅子に座らせてでも、押して最前列まで連れて行き、二人であなたにだけポーズしますよ。」いつの日か引退のときはやってくるでしょうが、予定には入れずに、たくさんの巡り会いを続けていこうと思います。

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