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第八十五夜 Micro Nikkor Auto 55mm F3.5

マイクロニッコールの真実
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5

八十五夜はニコンF用Micro Nikkor Auto 55mm F3.5を取り上げます。マイクロニッコールの名を不動のものにしたレンズ。脇本先生の力作銘レンズ。今夜はMicro Nikkor Auto 55mm F3.5の秘密を紐解きましょう。
脇本先生がなにを悩み、どのように解決策を見出したのか。今夜は歴史的背景を踏まえて、改めて辿ってみましょう。

佐藤治夫

小穴教授と脇本先生

第二十五夜、第二十六夜でお話しましたように、マイクロニッコールが誕生したのはニコンS型カメラの時代に遡ります。マイクロニッコール誕生のきっかけは、当時の東京大学教授の小穴純先生からのご依頼でした。そのご依頼に答える形で、東氏と脇本先生の二人がマイクロニッコールの開発を着手します。東氏は小穴教授と同窓。脇本先生にとっては恩師です。そして昭和31年にS型カメラ用Micro Nikkor 5cm F3.5が発売されます。このレンズはクセノター型の独創的なレンズでした。私は脇本先生から開発時の苦労話をうかがっています。当初脇本先生は、マイクロレンズを設計するのであれば、対称型の光学系で近距離収差変動に強いレンズタイプを採用することが肝心と考えていました。これは至極当然の発想です。無限遠方物体から撮影倍率等倍におよぶ物体までの全てが被写体なのです。そもそも残存収差が少ない光学系で、近距離収差変動への耐性があるレンズタイプ、しかも明るさにも耐える。そうなれば、だれもがガウスタイプが最適だと思うでしょう。脇本先生も当初、ガウスタイプで設計を開始します。そして幾案かの設計解を生み出します。しかしどの設計解も目標の解像力が得られない。何度やっても小穴教授は首を縦に振らない。そんな時、藁にもすがる思いでクセノタータイプの設計案を作ってみたそうです。試しに作ったクセノタータイプのレンズが、なんと解像力という点では満足な数値が達成できたと言うのです。脇本先生は首をかしげました。レンズタイプとしては片や6枚玉のガウス。5枚構成のクセノターより優れているはず。球面収差やコマ収差の補正能力においても、色収差の補正能力においてもガウスの方が明らかに勝る。なぜだ、なぜクセノターの方が高い解像力を得られたのだ。そう思ったのだそうです。そして脇本先生は、つぶさに残存収差を比較しました。しかし、なかなか尻尾をださない。そこで当時としては非常に煩雑であったスポットダイヤグラムや点像再現まで力技でおこない、やっと理由がわかったと言うのです。

実は私も業務の中で似たような経験をしていました。その原因は色収差の補正方法と点像形成のメカニズムにあったのです。例えば比較的口径の大きい標準レンズの場合、ガウスタイプは色収差(1次の色収差)の補正自由度の高さから軸上、軸外とも一見して良好に補正できるように思います。しかし、クセノターは潜在的に色コマ収差(各色でコマ収差がバラバラの補正状態になる)が補正しきれません。特にこの現象は画角に比例して増大します。この色コマ収差の傾向は軸上にも表れ、各色の球面収差の残差が取り切れないという現象も発生します(球面収差の各色補正形状の残差が色コマ収差に現れているとも考えられます)。ガウスタイプの場合、条件が整うとスフェロクロマート(スフェロアクロマート=各色の球面収差の補正形状がほぼ同様になる補正方法)が実現できます。しかしクセノタータイプでは経験上困難です。実はこの色収差の補正バランスこそが解答だったのです。詳しくは文末で図解して説明いたします。

開発履歴と設計者

それでは開発履歴を見ていきましょう。光学設計はもちろん脇本善司先生の手によるものです。その設計の足跡を報告書や図面によって振り返りましょう。まず光学設計報告書ですが、なんと未提出でした。どのような事情があったのか、今となっては計り知れません。この時期には、各種様々なフォーマットサイズのマイクロニッコールが開発されています。私は過去帳や当時の試作簿を調査しました。そしてある確信を得ました。きっと脇本先生はそれらのマイクロニッコール群の開発を最優先して、次々と試作し量産に繋いでいったのでしょう。その多忙さ故、脇本先生は報告書を一通も書けなかったに違いないのです。

時代はニコンSからニコンFの時代になりました。脇本先生は定評あるニコンS用Micro Nikkor 5cmの設計を基に焦点距離を5mm伸ばす修正設計をします。理由はニコンS用Micro Nikkor 5cmを設計不変でニコンF用に転用することができなかったからに他ありません。主な原因はバックフォーカスの不足でした。そこで焦点距離を新たに55mmとして比例拡大に基づいた修正設計をしたのです。その結果マイクロニッコールの名を不動のものにしたMicro Nikkor 55mm F3.5が誕生します。Micro Nikkor 55mm F3.5は1960年(昭和35年)10月に試作図面が出図されています。そして順調に試作が進み量産移行したのが、年を越した1961年(昭和36年)年1月でした。そして同年8月に発売されました。この初期型Micro Nikkor 55mm F3.5は、ニコンFシステムの特徴の一つであるオート絞りが採用できませんでした。その理由は特殊な鏡筒構造が故でした。この初期型は通称「ろくろ首」というあだ名が示す通り、無限遠から撮影倍率等倍までの間にピントリングが約二周するレンズだったのです。ところがこのこだわりの設計が逆に仇になってしまいました。このレンズは、鳴り物入りで登場したニコンF システムの特徴の1つである、オート絞りによる露出計への連動が出来なかったのです。そこで使い勝手を優先した改良と簡素化が行われました。その結果1963年(昭和38年)3月にMicro Nikkor Auto 55mm F3.5が発売されます。この連動爪を持ちオート絞りに対応したマイクロニッコールは、単体で等倍撮影することを止め、撮影範囲を無限遠から-1/2倍までとすることで思い切った簡素化と小型化を達成しました。そしてこのレンズにはその欠点を補う形で、-1/2倍から等倍までの撮影が可能な専用中間リングが付属していました。この中間リングを使う事で等倍までの撮影を可能にしたのです。ここで当時の開発陣は新たなマイクロレンズの「姿」を提案したのです。一般的な被写体を撮影する場合は無限遠から撮影倍率-1/2倍迄の撮影領域でほぼ満足できる。-1/2倍から等倍の範囲はかなり限定的な撮影であり、区分けしてそれぞれの使い勝手を優先すべきだ。そう考えたのです。この提案は称賛を持って受け入れられました。その証拠に、近年まで洋の東西を問わず世界中のカメラメーカーがこのシステムに追従したからです。またこのレンズにはもう一つ忘れてはならない機構が組み込まれていました。愛読家の皆さまには釈迦に説法かもしれませんが、実際のF値は被写体が近距離になるにつれどんどん暗くなります。一般的なF値(無限遠時のF値)と区別するために、その実際のF値を実効F値(実効Fナンバー)と言います。TTL露出計であれば問題になりませんが、近距離撮影時に外光式露出計を使用する場合や近距離でスピードライト、ストロボフラッシュ等を使う場合は、いわゆる露出倍数を計算して露出補正する必要がありました。この露出倍数こそ実効F値を考えた仕組みなのです。しかしこのレンズには、その手間を省くための画期的な機構が搭載されていました。それは撮影距離に応じて実効F値が変化しないように、絞り羽が開いていくという絞り機構なのです。要は無限遠のF値が至近まで変化しないという画期的な機構なのです。もちろん開放近傍は完璧に対応はできません。約F8よりも絞った時に、完全な効果を発揮します。そしてこのような新生Micro Nikkor Auto 55mm F3.5は顧客に絶賛愛用されます。55mmという焦点距離も手伝って、このレンズを標準レンズとしてセット購入する人も多かったと伺っています。その後このレンズはヒットし続けて長年製造販売されることになります。そして7年後の1970年(昭和45年)4月に外観デザインの変更を行ったMicro Nikkor P Auto 55mm F3.5へと代替わりします。この時に画期的な絞り機構が省略されます。なぜなら、すでにTTL露出計が一般化して、ストロボもいわゆるオートストロボに進化したためにその役目を終えたのです。そして1973年(昭和48年)8月に多層膜コートを採用したMicro Nikkor P・C Auto 55mm F3.5に進化します。そして更に1975年(昭和50年)5月に全ニッコールレンズの外観デザインの全面的な変更に合わせて、new Micro Nikkor 55mm F3.5が発売。そしてAi化にともない1977年にAi Micro Nikkor 55mm F3.5を発売します。そして1980年(昭和55年)2月にAi Micro Nikkor 55mm F2.8が発売され、マイクロニッコールの名を不動のものにした銘レンズが舞台を後にします。約19年間の生産期間でした。しかし市場には1980年前後までは在庫があったこと考えると20年近い間、光学系は基本設計不変で提供されたことになります。20年も進化する必要が無いほど完成されていた光学系。脇本先生は20年先の世界、光学の未来を見ていたのかもしれません。

レンズ構成と特徴

図1 レンズ断面図

それではMicro Nikkor 55mm F3.5断面図(図1)をご覧ください。少々難しいお話をしますがご容赦ください。この光学系は典型的なクセノタータイプの光学系です。絞りより前方はガウスの前群と同様に凸レンズと凸凹の接合レンズからなっています。この接合レンズは凹レンズの屈折率が凸レンズより高く、色消しに加えて球面収差補正の役目も備えています。そして絞りより後方、後群は凹レンズと凸レンズの分離した2枚レンズで構成されています。やはり前群同様、凹レンズの屈折率が凸レンズより高くなっています。このガラスの使い方は、いわゆる旧色消しと言われ、色消しや球面収差、コマ収差の補正には適した使用方法です。しかしペッツヴァールサムが大きくなりやすいため、像面湾曲の補正が難しくなる難点があります。また使われている全ての光学ガラスは、いわゆる旧ガラス(古い時代から作り続けられている硝材)で構成されています。ガウスタイプは、後群が(凹凸)凸の3枚構成ですから、クセノタータイプの光学系と比較して、色消しと球面収差補正の自由度が高いのです。そのため前群後群の二つの接合レンズのどちらかを、凹レンズより凸レンズの屈折率の方が高い、いわゆる新色消しの接合レンズにすることが可能になります。新色消し接合レンズを使う事でペッツヴァールサムを小さく抑えることが可能になり、像面湾曲補正の自由度を高めて高性能化を助けることができるのです。近代的な大口径ガウスタイプのレンズは、この新色消し接合を上手く活かした設計になっていることが多いのです。この設計手法によって、近年のガウスタイプは画角と明るさに対するレベルアップが図られたと言っても過言ではありません。一方、クセノタータイプでは後群が凹凸2枚に減量されているため、収差補正に余裕が無いのです。したがって、画角もガウスよりは抑え、明るさも抑えることでこのタイプの収差補正が成立すると考えられてきました。特にマイクロの場合、撮影距離が無限遠から等倍まですべてにおいて良好な画質を保つ必要があります。その点でもガウスタイプの方が向いているはずです。しかしそんなことは、脇本先生は重々わかっていたはずです。それではなぜクセノターを選んだのか。脇本先生と東さんはクセノターとガウスの二通りの解を創造し、比較して結論に至ったというのです。それはクセノタータイプの一見欠点とも思える色コマ収差(コマ収差の色(波長)ごとのバラツキ)に答えがあったのです。

設計性能と評価

まずは設計データを参照しましょう。以前お書きした通り、評価については個人的な主観であり、相対的なものです。参考意見としてご覧ください。

このレンズは典型的なクセノタータイプの写真対物レンズです。ガウスタイプとの違いは後群の構成です。この後群ですが、ご存じの通りトポゴン由来であるという説があります。しかしトポゴンの後群は、一般に各レンズエレメントのパワーやベンディングが強いところが特徴です。私はそこに違和感を覚えました。本家本元のドイツのレンズはともかく、日本で発展したクセノタータイプのレンズを調査すると、ほとんどが「廉価版的位置付けの安価なレンズ」という姿が見えてきます。要は「6枚構成ガウスタイプからコストダウンのために1枚減らした光学系」という考え方です。ガウスの後群の接合レンズを1枚の凹レンズで代用。したがって、クセノタータイプは潜在的に明るさにも画角にも弱くなり、自由度が削がれて色消しにも難点を持つレンズタイプになったという見方ができます。トポゴンの特性が活きているなら明るさはともかく、画角には有利なはず。いずれにしてもクセノタータイプは、ガウスタイプの収差補正能力には至らないという考え方が一般的でした。しかしクセノタータイプのレンズは、明るさと画角をほんの少し抑えればガウスタイプに匹敵するほど十分な収差補正が可能であることは言うまでもありません。

それではMicro Nikkor 55mm F3.5の収差補正上の特徴を各撮影倍率でつぶさに観察していきましょう。

まず無限遠の収差特性です。まず球面収差ですが、私はてっきり、いわゆる脇本バランスになっているものだと思っていました。しかし実際は、過剰補正の傾向はあるもののそれは微量で、ほぼフルコレクションの補正形状をしていました。しかもF3.5ということもありますが、球面収差の残存量はごくわずかでした。軸外物点のコマ収差は少し内コマ傾向があります。これは対称型レンズのセオリー通りの収差バランスと言えましょう。なぜなら、対称型レンズの場合、無限遠から近距離物体に撮影距離が変化するしたがって球面収差が補正不足方向に変位し、像面湾曲もマイナスに、歪曲もマイナス(樽型)に変位し、コマ収差は外コマ傾向に変位するのが一般的な近距離収差変動です。日本の光学設計者は、昔からこの近距離収差変動をなんとか抑え込んで、無限遠と最至近で性能のバランスを取ることに注力しました。どの撮影距離でもできるだけ均一に写るレンズ、そんなレンズがベストな設計であると確信していたのです。したがって多くのオールドレンズでは、無限遠時は球面収差も像面湾曲もプラス気味(過剰補正気味)、コマ収差は内コマと言うのが定番だったのです。話はMicro Nikkor Auto 55mm F3.5に戻しましょう。色収差の補正状態ですが、非常に優秀です。しかし厳密にはやはり色コマ収差が補正し切れていないことがわかります。非点収差と像面湾曲の補正は理想的で、ごく周辺部でもプラス側に像面が流れることはありませんでした。非点隔差は最大画角までほとんどありません。歪曲は最大画角で-0.16%。さすがマイクロニッコールです。軸上色収差はいわゆるd-g色消し(d線(黄色)とg線(青紫)の色消しをしている)でまとめており、倍率色収差もほぼ無視できる量と言って良いでしょう。周辺光量も十分あり、サジタルコマ収差も予想以上に抑え込まれおり、点像の形状やMTFに期待が持てます。

次に有限距離の収差性能です。撮影倍率-1/30倍を越えてもほとんど収差変動をしないことがわかります。さすがマイクロニッコールです。近距離変動が非常に少ないレンズに仕上がっています。撮影倍率-1/10倍を超えたあたりから、少しずつ収差変動が目についてきます。球面収差、像面湾曲がマイナスに変位し始め、球面収差の輪帯も少し膨らみだします。コマ収差は内コマがきれいに消失。ちょうどフルコレクションに近い状態になります。コマ収差としてはすべての撮影距離の中で最も優れた補正バランスになっています。撮影倍率-1/2になると球面収差も像面湾曲もマイナスに変位し、軸外では内コマから収差から外コマ収差に変位します。色の二次分散も増すので画質は若干柔らかくなります。さらに中間リングを追加し等倍まで繰り出した場合、球面収差の変動はさほど顕著ではないですが、像面湾曲および非点収差は大きくマイナスに変位します。軸外の外コマ傾向はさらに顕著になります。しかし一次の各色収差は良好な状態を保っています。ここで問題になるのは、平面物体の撮影に対する結像性能なのです。各像高における最良結像位置は一平面に揃いません。しかし、等倍ともなれば被写界深度が非常に浅くなるため、そもそも立体物を撮影している場合は平面のような同一像面は存在しません。したがって、新聞の複写でもしない限りは問題にならないと思われます。

次にスポットダイヤグラムを見てみましょう。まず無限遠のセンターですが、点像のまとまりが非常に良くフレアーがほとんどありません。これは球面収差がほぼフルコレクションであることと合致します。しかし、前後の描写特性を観察すると前ボケは非常に良い点像の崩れ方をするのに対し、後ボケは若干二線ボケの傾向を示しています。もちろんこの傾向は開放絞り時のみの特徴です。絞ることによって特徴は変化します。それでは周辺像を確認しましょう。周辺では点像の芯は強く鋭いピークを持っていますが、内コマ傾向のためにハの字にフレアーが残っています。この傾向は像高が増せば増すほど顕著に表れます。ピント面の前後を観察すると、後ボケの2線ボケ傾向は画角が増すと薄れていき、最大画角ではほぼその傾向は無視できるレベルになります。それでは近距離撮影時の点像はどうでしょうか。同様にスポットダイヤグラムを観察しましょう。無限遠時の点像の傾向は、撮影倍率-1/10倍辺りから徐々に変化します。センターはアンダーコレクションになり後ボケが非常に良い点像の崩れ方に変わります。逆に前ボケに二線ボケ傾向が現れます。ベストフォーカス時のシャープネスも若干陰りが見えだします。コマ収差は内コマが解消されますから、フレアーはハの字ではなく、点対称にフレアーを取り巻く点像に改善されます。さすが脇本先生。マイクロレンズの神髄、物撮りや花、小動物の撮影の多い近距離撮影距離においでは三次元描写特性をきちんと考慮されていたようです。さらに撮影倍率-1/2倍から先では、周辺部分は外コマに変化します。その効果で奥行き方向の描写は徐々に柔らかいものになっていきます。

それではMTF特性について簡単に触れます。30本/㎜を観察した結果を書きます。まず無限遠はセンターが87%と非常に高く周辺に向かうにつれて徐々に減衰していきます。ちょうど像高の半分付近で55%程度。最周辺でも約33%までコントラストを維持しています。MTF特性的には倍率-1/30倍のちょうどポートレート領域に差し掛かったあたりが像面平均値的には最も高いです。しかし値は僅差。ほぼ無限遠から撮影倍率-1/10倍辺りまでMTF特性の劣化はありません。その点では非常に優秀なオールマイティーなスタンダードレンズと言えます。-1/10倍からさらに近づくにつれて、周辺部分のMTFピークが像面湾曲の変動に合わせてマイナスに移動し始めます。したがいまして同一平面内ではMTF特性は劣化する様に見えます。しかし先にも触れましたが、接写時は極端に被写界深度が浅くなります。そのため、同一平面内の被写体があるとするなら、それは新聞などの複写以外に見当たりません。立体物を撮影する場合は、各像高における合焦部分のMTF値が重要で、画面全域の平面性はさほど気にならないと思います。その点においても実に匠な設計がなされていると感心致しました。

実写性能評価

次に遠景実写結果を見ていきましょう。今回はニコン Z 7にマウントアダプター FTZを用いて撮影し評価をいたしました。

それでは、各絞り別に特徴を箇条書きに致します。評価については個人的な主観によるものです。参考意見としてご覧ください。

F3.5(開放)

中心から周辺までの目立ったフレアーもなくコントラストも良い。解像力も高く特にセンターにおける画質、切れが良い。最周辺のコーナーは若干フレアーが発生するが解像感はある。フレアーはあるが目立った流れや色づきがないところが良い。

F5.6

一段絞ってシャープネスがググっと向上した印象。特にコントラストが増し、コーナー部を除いてフレアーがほぼ消える。
中心部から中間部までは解像力が開放から比較的高かったが、更なる向上が図れた感じ。コントラストが絞り込むことでより改善されて申し分ない画質になる。

F8

画質が全面でさらに一段向上する。コーナー部も含めてフレアーがほぼ消失。申し分ない画質。全面的に解像力がさらに増す。

F11

均一で全面良好な画質。更に画質が向上する印象だが、特に周辺、最周辺のコーナー部分の解像力が向上する。
最も高画質になる絞り値。常用で推奨できる絞り値。
F5.6、8、11と画質は向上するが、実用的には深度を考えてF8~F11で撮影することを推奨する。

F16

全面平均化はされて、フレアーは微塵も感じない。ボテツキが出てきて若干解像力が低下する。回折の影響が出始めている。

F22~32

明らかに解像力が低下。回折の影響と思われる。マクロ撮影時の様な限られた撮影条件下では絞り込むことは必要不可欠だが、通常撮影ではやはりここまでは絞らないほうが良い。

作例

それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。今回もすべて絞りは開放F3.5で撮影しています。

毎回の事ですが作例はレンズの素性を判断していただくため、できる限りピクチャーコントロールをポートレートモード等の輪郭協調の少ないモードを使っています。また、あえて特別な補正やシャープネス・輪郭強調の設定は行わないようにしています。被写体は一般ユーザーがこのレンズを使用することを想定して選びました。撮影距離の遠近が網羅できるように心掛けました。

作例1

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
撮影倍率:-1/10倍近傍
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/400sec
露出補正:±0EV補正
ISO:800
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:標準
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日:2022年 4月

作例1は撮影倍率-1/2倍近傍で撮影したものです。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。ピント位置のシャープネスは文句ありませんし、後方に写り込んでいる微ボケの花のつぼみや花びらの描写がまた秀逸です。ピントの合っているところからの三次元的な描写の変化が実に自然。大ヒットの真っ最中に、このレンズをニッコールレンズの代表と称して「硬いレンズ」とか「ボケ味の最も汚いレンズ」と酷評された方がおられたとうかがっています。しかしこれらの作例からは、その面影は微塵も感じられません。皆さんもぜひご自分の目で再評価してみてください。

作例2

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
撮影倍率:-1/5~-1
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/320sec
露出補正:-0.7EV補正
ISO:800
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ビビット
撮影日:2022年 5月

作例2はもう少し離れて撮影しました。-1/10倍近傍だったと思います。深度がその分広くなりますので、ピント面の解像感が確認しやすくなりました。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。花に加えて葉の葉脈の解像感、立体感が良く表れています。また後ボケも非常に素直で、奥行き感に対しても違和感は微塵もありません。

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
撮影倍率:-1/2~-1/5倍近傍
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/400sec
露出補正:-0.7EV補正
ISO:800
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ビビット
撮影日:2022年 5月

作作例3 は丁度作例1と作例2との間の撮影距離における撮影例です。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。花の解像感、おしべの先端や水滴、きれいに再現されています。また後方のディフォーカス部分の描写を観察してください。奥行き方向の位置関係が分かる像再現。文句の言い様がないほど自然です。

作例4

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/3200sec
露出補正:±0 EV補正
ISO:800
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:オート
撮影日:2022年 6月

作例4は丁度5~8mぐらいの撮影距離における作例です。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。昔懐かしい砂壁ですが、ピント面の先鋭さとなだらかに変化するディフォーカス部分の描写が観てとれます。ピント面の平坦性が良く、端の端まで高い解像力があります。

作例5

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/3200sec
露出補正:±0 EV補正
ISO:800
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:オート
撮影日:2022年 6月

作例5はほぼ無限遠撮影時の作例です。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。とても端正でそつのない描写です。暗部の再現性も良く、階調再現性も自然です。周辺減光もほとんどありません。

作例6

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/1600sec
露出補正:±0 EV補正
ISO:800
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ビビット
撮影日:2022年 6月

作例6は撮影距離1~3mの作例です。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。手前の狛犬がピント位置です。ピント面のシャープネスは言うまでもないですが、奥の狛犬を見ればこのレンズのボケ味の良さ、三次元的描写特性の良さが確認できます。

作例7

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/400sec
露出補正:-0.3 EV補正
ISO:1600
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日:2022年 7月

作例7は撮影距離10mのぐらいでしょうか。遠景一歩手前という距離です。望遠レンズのように使用した作例です。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。手前をぼかしています。ピント面のシャープネスは言うまでもないですが、前ボケも癖がなく好感が持てます。

作例8

ニコンZ 7+FTZ
Micro Nikkor Auto 55mm F3.5
絞り:F3.5開放
シャッタースピード:1/400sec
露出補正:±0 EV補正
ISO:4500
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日:2022年 7月

作例8の撮影距離は2~3mぐらいでしょうか。ピント面前後のなだらかな描写の変化、三次元的な描写特性がつぶさに確認できる作例です。もちろん絞りは開放絞りのF3.5です。前ボケのなだらかな変化、癖のない後方のボケを確認できます。ピント面のシャープネスは言うまでもないですが、ここで特に注目して頂きたいのが三次元的な描写特性です。心地よい画像、自然な描写を手に入れられるレンズでもあることがご理解いただけたと思います。

今回は撮影可能範囲が広いマイクロニッコールということで、撮影距離を無限遠から1/2倍まで網羅するように作例を作成しました。各作例を観察されて皆さまどう感じられたでしょうか。脇本先生の名作レンズが決してガリガリで硬いレンズではなかったことを証明できたと思います。当時の謂れ無き酷評は、返す返すも残念でなりません。このレンズに対する汚名返上がこんな後年になってしまって、本当に申し訳ないと思っています。脇本先生、マイクロニッコール愛用者の皆さまにおかれましては、今回の再評価にてお許しいただきたいと思います。

不思議なクセノター

なぜ、クセノタータイプがガウスタイプより高解像力を実現できたのでしょうか。ここからは私の考察を交えて解説してみたいと思います。今回も少し難しいですが、図解しながら丁寧に解説いたします。是非、頑張って読み解いてください。

初めは色収差についてのおさらいです。実は今回のこの現象は色収差の補正方法が密接に関わっているのです。先に書きましたが、ガウスタイプは実に上手に一次の色消しが出来ます。しかも二つの接合レンズで軸外の色消しもきれいに消すことが可能です。それに対してクセノターは後群の構成のおかげで、軸上の色消しは何とかなるのですが、軸外の色消し方法にある特徴を持っていました。それは、構造的にいわゆる色コマ収差や各画角における入射高差に対する色収差の補正差が残存しやすいという特徴です。これはある意味、補正自由度不足から生まれる欠点と考えられます。図解いたしますのでご覧ください。

図1
図2

図1はガウスタイプの典型的な軸外の横収差図です。残差が見やすいように、あえてスケールを拡大しています。これは画面の周辺のある結像位置の収差を表しているとお考えください。色分けはしてあるのは各波長の横収差量です。DGCFはそれぞれd線(黄色)、g線(青紫)、c線(赤色)、F線(青色)を表しています。図1の横収差では各色のほとんどが直線に近く平行に並んでいます。その収差量(残差)は極僅かで拡大されているとお考えください。

次の図2です。こちらはクセノタータイプの典型的な横収差図です。横収差の両端では花が開いたようになっていますね。その収差量はむしろ図1に示す収差量よりも大きいです。これが俗にいう「色コマ収差」です。クセノタータイプは潜在的にこの色コマ収差が残存する傾向があります。

それではまずd線の横収差(図中の黄色線)を比較しましょう。ガウスタイプもクセノタータイプもd線は収差量が少ないですね。ほぼ同じような横収差をしています。それでは他の色の光線を個別に見てみましょう。ガウスタイプでは、他の光線もほぼd線に類似しています。各光線が平行にずれたような横収差になっています。この収差図から、各色は個々にはシャープに結像することが想像できます。ところがクセノタータイプではいかがでしょうか。d線の収差以外は収差が大きい値を持っていることが分かります。この違いは各色の光線の結像位置が「像高方向にずれている」のか「奥行き方向にずれているか」の違いと見て取れます。この収差値を一平面内で考えた場合、見かけの数値比較では、ガウスタイプの方が上だと思ってしまいます。しかしそこが落とし穴でした。

図3と図4をご覧ください。これは色ごとの点像強度分布を表しています。そして、大雑把ではありますが、赤で示した部分が大まかにすべて積分して白色(太陽光)に置き換えた点像分布だとお考えください。

図3
図4

図3では各色それぞれの点像は均等で非常にコントラストも解像力も高いことが見てわかります。言わば図1に示したような、ガウスタイプの典型的な点像分布です。しかし、白色にすると各色のピークが一定間隔を持って強いコントラストとシャープネスを持っていますから、赤線で示すようにコントラストは非常に良いのですが、高解像部分、すなわち分解能に限界がある事がわかります。各色の残存収差の少なさが、高解像部分ではまさに仇になったわけです。

次の図4の説明をいたします。図2の収差状態を思い出してください。各色の残存収差の傾向はd線から波長が離れるのにつれて増大していました。図4ではd線以外の色の点像強度分布のピークは低くなり、横に広がっていることが見て取れます。しかし注目して頂きたいところは、それぞれの色の「ピークが近づいている」ところです。図3の点像強度分布と比較して図4のピークが低く台形になっているということは、特に低周波数領域におけるコントラスト再現性が低いということです。要は色のフレアーによってコントラストが落ちている状態ということになります。しかし、白色の点像強度分布の芯は鋭いことが分かります。これが高周波数の再現、いわば解像力の高さを表しています。したがって、図4のような点像強度分布を持つレンズは「解像力は高いがフレアーが多いためにコントラストが低めの写り」という表現になろうかと思います。しかし、図3に示したような点像強度分布を持つレンズは「コントラストが高くクリアーだが、高解像領域では急に解像しなくなる。」という表現になろうかと思います。もちろんこれは白色で考えた場合です。

ここで、皆さんも巷でささやかれているレンズの写りに対する表現で思い当たるところはないですか。「このレンズはシャープで発色も良いが、ここぞという時に解像力の押しが足りないよね」とか「このレンズはフレアーっぽいけど、線が細くて解像力が高いよね」とか。巷の噂話は、あながち間違っていないですね。実に的確に光学性能や収差的特徴を言い当てていることがあるのです。

いかがでしたか。少し難しい話題でしたがついてきていただけましたでしょうか。あの著名な光学設計者の脇本先生ですら数値の大小に心を奪われて、当初はガウスタイプの優位性を信じていました。マイクロニッコールは、このような日々の気づきや深い洞察力によって誕生したものでした。これは光学設計の歴史そのものです。この学びが永遠に続き、無限の可能性をもって進化する、私はそんなレンズの未来を思い描いています。

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