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第八十四夜 AI Nikkor 35mm F2S

Nikon F用初の大口径広角レンズの系譜
AI Nikkor 35mm F2S

今夜は、AI Nikkor 35mm F2Sをとりあげよう。このレンズは、F用レンズ初めての35mm F2レンズのNikkor Auto35mm F2から、光学系の基本構成の変わらなかった超ロングセラーレンズである。

大下孝一

Nikkor Auto 35mm F2

1959年に発売のNikkor-S Auto 35mm F2.8より明るいレンズの開発はいつごろから始まったのだろう。ニコンに残されている設計報告書をひもとくと、28mm、200mm、500mmレフレックスなどの開発が一段落した1961年ごろに始まっている。まず1961年半ばごろ最初の試作が始まったが、レンズのサイズが大きすぎるという指摘があり量産化は断念。そこでその1年後、より小型にした2本目のレンズを試作するが、性能がいま一つで、これもボツになってしまった。以前お話した通り、F用レンズはアタッチメントサイズを52mmで統一したいという強い想いがあったこと、そして佐藤さんが第三夜で紹介したS用のW-Nikkor 3.5cm F1.8が頭の隅にあり、明るいレンズであっても極端に大きくすべきでないという意思が働いたのだろう。そして、さらなる設計検討を経て3番目の試作されたレンズが、修正を経てようやく量産に至るのである。Nikkor Auto 35mm F2の誕生は、最初の試作から4年を経た1965年のことであった。

AI Nikkor 35mm F2Sに至る系譜

その後、このNikkor Auto 35mm F2は、明るい広角レンズとして好評を博し、1971年のNikkor Auto 35mm F1.4の発売で最も明るいF用35mmの座を譲ったものの、1973年にはマルチコートレンズに置き換えられたNikkor Auto 35mm F2 Cにモデルチェンジされる。そして1975年には外観を一新したNEW Nikkor Auto 35mm F2に生まれ変わり、1977年にはAI化されたAI Nikkor 35mm F2となり、1981年にはフォーカスの作動や絞り環まわりのデザインを変更したAI Nikkor 35mm F2Sが誕生するのである。このように5世代にわたるモデルチェンジを繰り返したが、光学系の基本構成は変わることなく引き継がれ、愛用されてきたのである。それだけではない。AFカメラの時代となり、このレンズの直接の後継となるAI AF Nikkor 35mm F2Sの発売後も継続販売されていたロングセラーレンズなのである。

レンズの構成

このレンズを設計されたのは、この連載でも度々登場する清水義之さんである。清水さんは1952年の入社で、技能養成所でレンズ加工や機械、光学などを学び、レンズ研磨の職場で働かれたのち、光学設計の職場に異動し、カメラレンズや顕微鏡の光学設計に活躍された方である。

図1にこのレンズの断面図を掲げる。Nikkor Autoの時代からコバ形状などは変わっているが、基本的なレンズ形状は変更がない、6群8枚構成のレンズである。

図1  AI Nikkor 35mm F2S レンズ断面図

レトロフォーカスレンズの基本構成ともいうべきNikkor-H Auto 28mm F3.5(第十二夜で紹介)のレンズ断面図と比較すると、絞り前後に配置された凸レンズと凹レンズがそれぞれ凸凹、凹凸の接合レンズになり、第3レンズと第4レンズの厚さが増しているのがわかるだろう。この絞り前の肉厚レンズの効果については何度かお話しているが、前玉径が小さく抑えられることで、アタッチメントサイズを52mmに抑えることに一役かっている。そして、絞り前後の接合レンズは、凸レンズと凹レンズそれぞれの射出面で発生する高次の収差を緩和し補正する効果がある。図1のレンズ断面図を見ると、絞りより前側のレンズは絞りに向かって凹面を向けており、絞りより後側のレンズも同様に絞りに向かって凹面を向けている。このようにレンズを配置して、光線をレンズに対して素直に通してやることがレンズ設計の定石だが、この傾向に逆らっているのが第3両凸レンズと第5両凹レンズである。そのため第3レンズの後側面と第5レンズの後側面でそれぞれ期待されない高次の収差が発生するが、これらを接合レンズとすることで、全体としてメニスカス形状にして、レンズを明るくしたときに発生する高次収差を抑制しているのである。

清水さんは元々レンズ研磨が専門だったこともあり、常に頭の片隅にレンズ加工のことを考えながらレンズ設計を行っていたそうだ。そうした配慮がこのレンズ断面図にも表れている。機能的でかっこいいと思えるレンズ断面図である。

レンズの描写

それではいつものように実写でレンズの描写をみてゆこう。今回もフルサイズミラーレスカメラZ 6にマウントアダプター FTZを装着して撮影を行った。AI-Sタイプのマニュアルフォーカスレンズは、FTZに装着時は実絞り測光の撮影となる。ただしカメラ側にレンズ情報が伝達されないので、ボディー側で焦点距離や開放F値の情報を登録する必要がある。登録することで、撮影した画像のExif情報に焦点距離情報が記録され、ボディー内手振れ補正が正しく作動するようになる。ただし絞り環を操作してもボディーに伝達されないため、絞りのExif情報が変わらない点は注意が必要である。

作例1

Z 6+FTZ AI Nikkor 35mm F2S
絞り:開放
シャッタースピード:1/4000S
ISO:100
NX Studioにて現像

作例2

Z 6+FTZ AI Nikkor 35mm F2S
絞り:F5.6
シャッタースピード:1/1000S
ISO:100
NX Studioにて現像

作例1は、絞り開放で撮影した遠景画像、一方作例2は、絞りF5.6に絞り込んだ時の同じシーンの画像である。絞り開放で撮影している作例1では、画面中心からややフレアっぽく、画面周辺にゆくにつれてフレアが増しているが、当時の明るいF2レンズの開放としては、コントラストが高くしゃきっとした描写といえるだろう。また画面中間部から周辺では、白い建物のエッジが色づいており、倍率色収差の発生が認められるが、広角系レンズの倍率色収差としては小さい方で、ボディー内またはNX Studioの倍率色補正機能で目立たなくなるレベルである。このように開放から一見良好な結像性能だが、画像を拡大して、画面中心から中間部、周辺部と眺めてゆくと少し違和感を覚えないだろうか?(下の部分拡大の画像も参照)画面中心と画面周辺部は、解像感が高く細かい部分も描写されているのに対して、中間部の画像が、なんとなく視力が落ちたような、像が流れているような感じに見えてくるだろう。これは非点収差といわれる収差があらわれているのである。看板などの文字に着目するとわかりやすい。この作例の場合、メリジオナル方向(下の部分拡大の画像で言えば左上から右下への斜め線)の解像が高いのに比べ、サジタル方向(右上から左下への斜め線)の解像が低いため、文字の判読が難しくなっているのである。なお、メリジオナルとサジタルのどちらがよく見えるかはピントの位置に依存するため、この例とは逆にサジタル方向の解像が高い場合もある。歪曲も小さく良好な性能のレンズだが、唯一といえる欠点が、この中間画角の非点収差である。

作例2は、絞りをF5.6まで絞り込んだ作例である。この非点収差は絞り込むにつれて目立たなくなり、F5.6からF8まで絞り込むとほぼ解消される。もちろん絞り込むことで全体のフレア感も解消され、全画面でシャープな描写が得られるだろう。

下に掲載したのは、作例1、作例2、それから第二十七夜にお話したAI Nikkor 35mm F1.4Sを絞りF2に絞った時の部分拡大写真である。作例1と35mm F1.4の部分拡大を比較すると、同じF値であるが、一見して作例1の方がコントラストの高い描写であることがわかる。また中間部の拡大写真に着目すると、35mm F1.4の方がフレアっぽいものの、看板の文字などの描写がしっかりしており、非点収差が少ないことがわかるだろう。また、作例2の部分拡大では、全体にコントラストが向上し、非点収差も目立たなくなっている。

作例1の部分拡大 右から中心、中間、周辺部
作例2の部分拡大 右から中心、中間、周辺部
AI Nikkor 35mm F1.4SをF2に絞り同条件で撮影

作例3

Z 6+FTZ AI Nikkor 35mm F2S
絞り:開放
シャッタースピード:1S
ISO:100
NX Studioにて現像

作例4

Z 6+FTZ AI Nikkor 35mm F2S
絞り:F4
シャッタースピード:2S
ISO:100
NX Studioにて現像

作例3は、作例1、2とほぼ同じ構図の夜景写真である。作例3は絞り開放、作例4は絞りF4に絞り込んだものである。作例3を見ると画面中心の光源に球面収差と色収差による像の滲みが認められ、作例1で見られた画面中心のフレアは、球面収差と青色の色にじみが原因だったことがわかる。また中間画角ではサジタルコマフレアと共に点像の歪みが認められ、非点収差が点像の形状の歪みとなってあらわれている。サジタルコマフレアは画面周辺でさらに顕著になるが、フレアの発生していない暗めの点像に着目すると、非点収差による点像の歪みが解消されていることがわかる。

作例4では、F4に絞り込んだことによる効果で、画面中心のフレアは完全に解消されている。画面中間部のサジタルコマフレアもほぼ解消されているが、点像の歪みは残っており、もう少し絞り込む必要がありそうだ。また、画面最周辺のサジタルコマフレアもわずかに残っており、解消するには作例2のようにF5.6まで絞り込む必要がある。作例1や3で目立っていた周辺減光も、F4に絞り込んだ作例4ではほとんど目立たなくなっている。

以下に、作例1、2と同様に、作例3、作例4、それから第二十七夜にお話したAI Nikkor 35mm F1.4Sを絞りF2に絞った時の部分拡大写真を掲載する。作例3と35mm F1.4の部分拡大を比較すると、同じF値であるが、作例3の方が全画面にわたりフレアが少ないことがわかる。また中間部の拡大写真に着目すると、35mm F1.4の方がフレアっぽいものの、点像が丸に近く非点収差が小さい事がみてとれるだろう。そして作例4の部分拡大では、全体にコントラストが向上し、サジタルコマフレアや非点収差が大きく減少している。

作例3の部分拡大 右から中心、中間、周辺部
作例4の部分拡大 右から中心、中間、周辺部
AI Nikkor 35mm F1.4SをF2に絞り同条件で撮影

作例5

Z 6+FTZ AI Nikkor 35mm F2S
絞り:F4
シャッタースピード:1/320S
ISO:100
NX Studioにて現像

作例6

Z 6+FTZ AI Nikkor 35mm F2S
絞り:開放
シャッタースピード:1/640S
ISO:100
NX Studioにて現像

作例5は、絞りF4で撮影したアジサイの写真である。撮影距離は60cmくらいだろうか。一般に広角レンズは後ボケがきたないといわれる。その原因の1つはサジタルコマフレアによって、ボケのエッジが出てしまうためである。それを防ぐためこの作例ではF4に絞り込んでいる。ボケに多角形のエッジが出ているが、比較的素直なボケになっている。よく見ると、少しボケた部分に非点収差の影響によるボケの流れがみられるところに、このレンズの個性があらわれている。

今度は絞り開放で撮影したアジサイを作例6に掲げる。距離はおよそ80cmくらいだろう。このレンズは1965年発売のNikkor Auto 35mm F2から脈々と引き継がれた光学系のため、近距離補正機構は装備されていない。しかし、80cmくらいまでの距離なら比較的良好な平面性能を保っている。開放での撮影なので、作例5で説明の通り背景に2線ボケ傾向があるが、背景の人物など大きくボケた部分ではそれほど目立ってはいない。素直なボケが印象的なレンズである。

作例7

Z 6+FTZ AI Nikkor 35mm F2S
絞り:開放
シャッタースピード:1/1600S
ISO:100
NX Studioにて現像

作例7は、絞り開放、ほぼ最至近で撮影した花(ニゲラ)の写真である。作例6で紹介した通り、このレンズには近距離補正機構は搭載されていない。第二十七夜で紹介したAI Nikkor 35mm F1.4Sには搭載されていることを考えると欠点のように感じるが、作例6で説明した通り、普通に撮影で利用される距離までは比較的良好な性能をもっているため、実写では不都合は感じない。またそれより寄って撮影する場合は、作例7のように被写体を中央付近にいれる「日の丸構図」になるので、周辺部の像の劣化は気にならない。むしろ近距離補正機構がないことによる素直なボケが好ましく感じられるのである。

そうお話しすると、なぜ?と驚かれる方もいると思うので、少し解説を加えよう。近距離補正機構とは、広角レトロフォーカスタイプのレンズで原理的に生じる近距離での像面湾曲や非点収差を補正するためのものだ。この機構を搭載したレンズは、近距離の平面被写体に対して良好な結像性能を持っている。ところが、この近距離撮影のレンズ状態は、近距離の結像性能に特化した性能バランスになっているため、無限遠の被写体(後ボケ)に対しては、像面湾曲や非点収差発生してしまうのである。そのためボケが歪んで、放射状に流れたように映る場合がある。一方全体繰出しのレンズでは、近距離撮影でも無限遠の被写体(後ボケ)に対する平面性能が保たれているため、素直なボケ像が得られるのである。

35mm F2その後

Nikkor Auto 35mm F2発売当初は、本稿で指摘した画面中間部で非点収差が現れるという欠点は、社内外でそれほど問題にされなかったそうだ。それは、当時唯一の明るい35mmレンズという価値もあったろうし、微粒子フィルムを使い、平面的な被写体の写真を大伸ばしにしてようやくわかる欠点だったからだろう。とはいえ、光学設計者の中ではこの弱点は認識されており、Nikkor AutoからAI Nikkor、AI NikkorからAI-S Nikkorとモデルチェンジの度に、光学系をリニューアルして性能をブラッシュアップしようという設計変更が試みられたのだが、試作評価までは進むものの量産化までいたることはなかったのである。資料から推測すると、現行の35mm F2より(サジタル)コマフレアが悪化したことが理由のひとつと思われる。弱点はあれど、開放でもコントラストが高いというこのレンズの魅力には、なかなか勝てなかったということだろう。また、より明るいF1.4と、小型で安価なF2.8の間に挟まれ、製造コストに制約があったことも改良設計を難しくしたに違いない。

このレンズは私が最初に購入した35mmレンズである。当時は星の写真を撮影するために購入したので、開放でコマフレアの少ないF2レンズの方が、F1.4より好ましいと考えたからだ。絞りの変化でフレア量が劇的に変化するAI Nikkor 35mm F1.4Sに比べると、一見個性が少ないレンズだが、中近距離の素直な描写と、古いレンズながら開放からしゃきっとした描写が魅力のレンズである。

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