Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2016年12月

第17回三木淳賞受賞特典
阿部 祐己 写真展

写真
霧のあと
12/1 (木) ~12/7 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

幼少の頃から足繁く通った霧ヶ峰は、名前の由来どおり、しばしば濃い霧に包まれる。草原の中で視界が霧に覆われると境目が消え、どこまでも先へ続いているかのような錯覚を覚えた。
 
春になると、山には火が放たれる。火入れは人為的に形成された草原の維持に一役買ってきた。ある年、風に煽られた炎が防火帯を越え、山へ燃え広がる山火事騒ぎがあった。数ヶ月後、草原は元の緑に姿を変えたが、焼け焦げた白樺の森は数年後に切り落とされ、姿を消した。

かつて山では山岳信仰が盛んだったという。秋に草原に残る社跡で行われる神事は800年前に武士たちが行っていた狩猟祭の名残でもある。人々の山への畏敬の念が 今に伝わる一方で、草原には本来の役目を終えた建築群が一つ、二つと増えている。 そのまま放置された無人の建造物は、現代の活動を後世に伝える新たな遺跡のようにも思えた。

山を覆う霧は一瞬の出来事だ。出ては消え、全てを覆うように見えてもどこかへと消える霧。人間の活動も同じだろうか。古い史跡も、現代の建物跡も、山の表面に作られた一過性の存在に過ぎない。
山の持つ長い時間軸の中で、霧の先には、はじまりはなく、終わりもない。
あとに残る、あるいは埋れていく霧のあとを探し、私は道を辿っている。 (阿部祐己)

カラー50点。

作者のプロフィール

阿部 祐己(アベ ユウキ)
1984年生まれ。2011年日本写真芸術専門学校卒業。
写真展(個展)に、14年「新しき家」(Juna21新宿ニコンサロン、Juna21大阪ニコンサロン)がある。
主なグループ展に、11年・12年「写真新世紀」(東京展:東京都写真美術館、仙台展:せんだいメディアテーク)、13年「キヤノンフォトグラファーズセッションファイナリスト展」(品川オープンギャラリー)、14年「三菱商事アートゲートプログラム展」(GYRE/表参道)、同年「BIRTH展」(CANSON Gallery Seoul/韓国ソウル市)、15年「Jeonju International PHOTO FESTIVAL」招待作家 (全州郷校/韓国全州市)がある。
受賞歴に、11年・12年写真新世紀佳作入選、14年三菱商事アートゲートプログラム入選、15年第17回三木淳賞がある。13年キヤノンフォトグラファーズセッションに参加。

加藤 國子 写真展

写真
杜 その2
12/8 (木) ~12/14 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者の記憶にある天災は、1948年の福井地震である。家族みんな寝巻に裸足で外に飛び出した。作者の妹を抱いた父、作者やそのすぐ上の姉の手を引いた母、かばいあう姉たち。裸足の足は冷たかったはずだが記憶にはない。それからも毎年のように台風や大雨に見舞われ、伊勢湾台風の記憶や、また近年の阪神・淡路大震災や東北、熊本の震災は作者にとって衝撃的だった。自分一人が持つ天災の記憶だけでも結構な数だが、この国の歴史が始まって以来ではいったいどれほどの数になるのか、と作者は思う。
そして、どんな大きな災害も長い年月の間には新しい記憶の下に埋もれて人の心から消えてゆく。
災害のない穏やかな日々を願って建てられた神社にもいろいろな記憶が残されて、それも長い間には苔むしたり、朽ちていったり、また新しく作られたり。そんな記憶の深い積み重ねの上に今日の我々の祈りの日々がある。
モノクロ41点。

作者のプロフィール

加藤 國子(カトウ クニコ)
1942年岐阜県生まれ。滋賀県に転居して以来約40年在住。写歴は約15年。2006年から神社や祈りの風景などをテーマに撮り続ける。
主な写真展に、02年「時の過ぎゆくままに」(コンタックスサロン京都)、12年「近江風土記 祈りの風景」(12年滋賀県立近代美術館、13年Place M、同年ギャラリーら・しい/奈良県當麻)、15年「杜」(新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、15年「加藤國子写真展」(ギャラリー風の門/滋賀県草津市)、15年二人展「比良下し」(ギャラリーマゴット/大阪、吉川隆之氏と同時展示)がある。このほか、大阪写真月間「写真家150人の一坪展」、ギャラリーの企画展などにも参加している。

第16回三木淳賞受賞特典
林 典子 写真展

写真
ヤズディの祈り
12/15 (木) ~12/21 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

イラク北西部シリア国境沿いに東西に延びる、標高1463メートルのシンガル山。ここでは中東の少数民族ヤズディの人々が、独自の信仰を守りながら何世紀にも渡り自然と調和した豊かな生活を営んで来た。ヤズディの人口は世界全体で約60万〜100万人。イラク、シリア、トルコ、アルメニア、ドイツなどの地域に分散するが、そのうちの約30万人がイラク北西部のシンガル山周辺の村々で暮らしてきた。民族的・宗教的なマイノリティ―であるヤズディの起源についてはさまざまな起源があるが、古代ペルシャの信仰宗教、イスラム教、ゾロアスター教などが入り交じる中で、形成された独自の信仰や文化が口承で伝えられてきたと言われている。
2014年8月3日、シンガル山と周辺の村々が過激派組織ISIL(イスラム国)に攻撃された。住人である約5000人ものヤズディ教徒の男性や高齢の女性は集団で殺害、約6000人の若い女性は拘束され奴隷として戦闘員との結婚を強いられた。
ヤズディがイスラム国の攻撃の対象とされる理由に、彼らの思想や価値観はイスラム教徒と異なり、ヤズディが信仰の対象とする孔雀天使はコーランに記されるシャイターン(悪魔)に重なるからだといわれている。 これまでのヤズディの歴史の中で何度も虐殺の対象とされてきた。
私は2015年2月からイラク北部とドイツを訪れ、故郷の村を追われたヤズディの人々の取材を始めた。ヤズディを取りまく状況は変化し続けている中、今も故郷のシンガル山で避難生活を送る住人たち、美容師の夢を諦めてイスラム国に復讐するために兵士になった女性、一度はイスラム国戦闘員と結婚させられたが、その後脱出し今はドイツの高校へ通う少女たちなど・・・彼らの証言を記録し、生き抜く姿を切り取った。
イスラム国の攻撃を受け村から逃げる際に、多くのヤズディが自宅から持ち出したのは思い出の写真だった。そこに写された写真には 、私たち日本人と同じように友人や家族との平和な日常を愛する彼らの暮らしがあった。 悲惨な経験をした彼らの苦しみが消えることはなく、誰もが先が見えない将来への不安を抱えている。それでも、時間の流れと共に日々変化し続ける感情と向き合いながら生きている。
「中東の内戦」や「欧州の難民問題」など一時的なニュースの一部としてではなく、私たち一人一人と同じように個性ある人間であるヤズディの人々が、今後どのように信仰やアイデンティティーを未来へ引き継いでいくのかを想像していただけたらと思う。今も家族と共にシンガル山で避難生活を送り、2年前から取材をしてきたヤズディ教徒のファハドさんは、今年再会した際、別れ際にこうつぶやいた。「生き残った私たちの人生は、これからもずっと続いていくのです」 (林 典子)

作者のプロフィール

林 典子(ハヤシ ノリコ)
1983年神奈川県生まれ。イギリスのフォト・エージェンシー Panos Picture所属。大学時代の2006年に、西アフリカのガンビア共和国の現地新聞社The Point紙で写真を始める。以降、「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材している 。
受賞歴に、11年名取洋之助写真賞、12年DAYS国際フォトジャーナリズム大賞、13年フランス世界報道写真祭Visa Pour L'Image(ビザ・プール・リマージュ)報道写真特集部門「Visa d'or」金賞、14年さがみはら写真新人奨励賞、同年第16回三木淳賞、同年NPPA全米報道写真家協会Best of Photojournalism現代社会問題組写真部門1位などがある。15年World Press Photo (世界報道写真財団)Joop Swart Masterclass選出。
ナショナルジオグラフィック(日本版)、ワシントン・ポスト、デア・シュピーゲル、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン、DAYS JAPAN、マリ・クレール (イギリス版・ロシア版)などの雑誌や新聞でのニュース報道や、ドキュメンタリー作品の発表を行う。
著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ―いま、この世界の片隅で』(岩波新書)、写真集に『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナルジオグラフィック社)がある。

ハナブサ・リュウ 写真展

写真
パリの肖像 1976-2016
12/22 (木) ~12/29 (木)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

1976年、私は初めてパリを訪れました。10代から憧れていたパリにやっと来たという喜びでいっぱいでした。街並の美しさ、それにも増して、素晴らしい人々との出会いは、掛け替えのないものでした。のちに2度もパリに住むようになり、通算12年にもおよびました。
2015年11月13日 金曜日、パリで同時多発テロが起き、多数の人々の命が奪われ傷つきました。またパリに住む大切な友人アラン・ジュフロアが、12月に亡くなりました。この2つの不幸な出来事は私に言葉にならないほど強い失望感を与えました。彼との記憶、そして沢山の人々との出会いの記憶が走馬灯のように蘇ってきました。
傷ついたパリの人々にとって、その心を癒すのは容易ではありません。しかし、「いつも通りに過ごすこと、それは、テロに負けないということ」パリの人々にそう教わった私にできることは、今までやってきたように人々に会いに行って向き合い、肖像を撮ることでした。
これらの作品は、40年のパリに生きる人々の記録であり、私の写真家としての「原点」と言える作品なのです。  (ハナブサ・リュウ)

モノクロ約60点

作者のプロフィール

ハナブサ・リュウ
1949年大阪府生まれ。70年、銀座ニコンサロンでの写真展「もうひとつなにか」でデビュー。78年から4年間、91年から8年間パリに滞在。東京とパリを中心に活動し、アーティストの肖像、ファッションや料理、ホテルや建築、芸術作品など、ヨーロッパ文化の真髄をテーマにしている。日本写真家協会会員。ニッコールクラブ顧問。
写真展に80年「パリに生きる女たちの肖像」(銀座ニコンサロン)、01年「BAROQUE」(新宿ニコンサロン)、07年「美の王国」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、15年「身体作品」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)など多数がある。写真集に『フェミニテ パリの女たちの肖像 1979-1983』(思索社)、『プレザンス』(七賢出版)、『BACK』、『PARIS PARIS』(以上、新潮社)ほか多数がある。共著に『ルーヴル美術館』『パリ オルセー美術館』(平凡社)など、著作に『美しいヌードを撮る!』(平凡社)がある。

12/30 (金) ~1/4 (水)
年末年始休館
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