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銀座ニコンサロン 2016年12月

第16回三木淳賞受賞特典
林 典子 写真展

写真
ヤズディの祈り
11/23 (水) ~12/6 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

イラク北西部シリア国境沿いに東西に延びる、標高1463メートルのシンガル山。ここでは中東の少数民族ヤズディの人々が、独自の信仰を守りながら何世紀にも渡り自然と調和した豊かな生活を営んで来た。ヤズディの人口は世界全体で約60万〜100万人。イラク、シリア、トルコ、アルメニア、ドイツなどの地域に分散するが、そのうちの約30万人がイラク北西部のシンガル山周辺の村々で暮らしてきた。民族的・宗教的なマイノリティ―であるヤズディの起源についてはさまざまな起源があるが、古代ペルシャの信仰宗教、イスラム教、ゾロアスター教などが入り交じる中で、形成された独自の信仰や文化が口承で伝えられてきたと言われている。
2014年8月3日、シンガル山と周辺の村々が過激派組織ISIL(イスラム国)に攻撃された。住人である約5000人ものヤズディ教徒の男性や高齢の女性は集団で殺害、約6000人の若い女性は拘束され奴隷として戦闘員との結婚を強いられた。
ヤズディがイスラム国の攻撃の対象とされる理由に、彼らの思想や価値観はイスラム教徒と異なり、ヤズディが信仰の対象とする孔雀天使はコーランに記されるシャイターン(悪魔)に重なるからだといわれている。 これまでのヤズディの歴史の中で何度も虐殺の対象とされてきた。
私は2015年2月からイラク北部とドイツを訪れ、故郷の村を追われたヤズディの人々の取材を始めた。ヤズディを取りまく状況は変化し続けている中、今も故郷のシンガル山で避難生活を送る住人たち、美容師の夢を諦めてイスラム国に復讐するために兵士になった女性、一度はイスラム国戦闘員と結婚させられたが、その後脱出し今はドイツの高校へ通う少女たちなど・・・彼らの証言を記録し、生き抜く姿を切り取った。
イスラム国の攻撃を受け村から逃げる際に、多くのヤズディが自宅から持ち出したのは思い出の写真だった。そこに写された写真には 、私たち日本人と同じように友人や家族との平和な日常を愛する彼らの暮らしがあった。 悲惨な経験をした彼らの苦しみが消えることはなく、誰もが先が見えない将来への不安を抱えている。それでも、時間の流れと共に日々変化し続ける感情と向き合いながら生きている。
「中東の内戦」や「欧州の難民問題」など一時的なニュースの一部としてではなく、私たち一人一人と同じように個性ある人間であるヤズディの人々が、今後どのように信仰やアイデンティティーを未来へ引き継いでいくのかを想像していただけたらと思う。今も家族と共にシンガル山で避難生活を送り、2年前から取材をしてきたヤズディ教徒のファハドさんは、今年再会した際、別れ際にこうつぶやいた。「生き残った私たちの人生は、これからもずっと続いていくのです」 (林 典子)

作者のプロフィール

林 典子(ハヤシ ノリコ)
1983年神奈川県生まれ。イギリスのフォト・エージェンシー Panos Picture所属。大学時代の2006年に、西アフリカのガンビア共和国の現地新聞社The Point紙で写真を始める。以降、「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材している 。
受賞歴に、11年名取洋之助写真賞、12年DAYS国際フォトジャーナリズム大賞、13年フランス世界報道写真祭Visa Pour L'Image(ビザ・プール・リマージュ)報道写真特集部門「Visa d'or」金賞、14年さがみはら写真新人奨励賞、同年第16回三木淳賞、同年NPPA全米報道写真家協会Best of Photojournalism現代社会問題組写真部門1位などがある。15年World Press Photo (世界報道写真財団)Joop Swart Masterclass選出。
ナショナルジオグラフィック(日本版)、ワシントン・ポスト、デア・シュピーゲル、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン、DAYS JAPAN、マリ・クレール (イギリス版・ロシア版)などの雑誌や新聞でのニュース報道や、ドキュメンタリー作品の発表を行う。
著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ―いま、この世界の片隅で』(岩波新書)、写真集に『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナルジオグラフィック社)がある。

下瀬 信雄 写真展

写真
つきをゆびさす II
12/7 (水) ~12/20 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

指月 (しがつ・しげつ)は仏教用語で「つきをゆびさす」ことを言う。
月という真理を指し示しているのにその指先だけにとらわれると両方を見失うという楞厳経(りょうごんきょう)の教えによる。
私の育った萩には指月(しづき)公園という城跡があり子供の頃からの遊び場だった。萩城は別名「指月山城 」(しづきやまじょう)とも呼ばれ、毛利氏の居城だったが明治以後城は取り壊され公園になった。
その重箱読みの名前の由来や幾多の変遷を知ったのはずいぶん後のことだ。
「つきをゆびさす」はその「指月」に由来する題名で、指し示す「写真」と指し示そうとする「思い」との関係を模索する中で生まれた。
もっとも私に「指し示す真理」などあろうはずもなく、出来事もごく些細なものでしかない。それでも日常の中にある小さな出来事に光を当てて浮かび上がるエッセイのようなもの、写真でしか表せない表現のようなものを集めて一望してみたいと思っている。 (下瀬信雄)

カラー36点。

作者のプロフィール

下瀬 信雄(シモセ ノブオ)
1944年満州新京(満州)生まれ。終戦に伴い山口県萩市に引き揚げる。67年東京綜合写真専門学校を卒業。以後、萩市を拠点に写真雑誌、個展などで作品を発表する。
受賞歴に、90年日本写真協会新人賞 (写真集『萩・HAGI』)、05年第30回伊奈信男賞 (写真展「結界V」)、15年第34回土門拳賞 (写真集『結界』(平凡社))、杉道助記念・萩市芸術文化奨励賞 (杉道助賞)、山口県選奨などがある。
作品はプリンストン大学(米国)、山口県立美術館などに収蔵されている。

山田 新治郎 写真展

写真
ある建築家のかたち
12/21 (水) ~12/29 (木)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

建築写真の世界に入った27年程前から建築家山田守が設計し現存している建物を記録している。山田守 は祖父であるが、私が生まれる3年前に亡くなっているので会ったことはない。祖父との唯一の繋がりは、残された建物の前に立ち、感じ、写し込む、ことだった。
建築家山田守は、1894年に岐阜県に生まれた。東京帝国大学建築学科卒業直前に同窓の有志と日本で初めての近代建築運動「分離派建築会」を結成し、卒業後は逓信省に入り、技師として多くの逓信省関係の建物を設計した。1949年に山田守建築事務所を設立し、代表作として長沢浄水場、東海大学校舎、京都タワー、日本武道館などを残した。初期の頃は、インターナショナルスタイルを取り入れながら曲線を多用したモダンなデザインで評価を得たが、晩年の日本武道館などでは和の要素を取り入れ、京都タワーでは景観問題で批判を受けるなど、そのすぐ後に亡くなったこともあってか、没後の評価は微妙だと感じていた。だが、撮影で立ち会った建物たちは、周りの風景に馴染み、時が経つことで評価も変わり、人々にいとしまれているのを感じた。
建築家が亡くなってから50年が経ったが、残された建物たちはそれぞれしなやかに生き続け、建築家が思っていなかった表情を見せているのではないだろうか。 (山田新治郎)

カラー43 点 ・モノクロ 9 点。

作者のプロフィール

山田 新治郎(ヤマダ シンジロウ)
1969年東京都生まれ。東京工芸大学短期大学部 卒業。写真家・村井修氏に師事。ドイツに3年間滞在後、2003年よりからフリーランスの写真家として建築写真を中心に活動。
写真展(個展)に99年「長沢浄水場」(青山蔦サロン /東京)、97年「TOKYOのかたち」(ギャラリー伝/東京)、08年「浮遊」(TIME&STYLE HOUSE STORAGE南青山 //東京)、グループ展に12年「consonances展」(TIME&STYLE MIDTOWN /東京)がある。

12/30 (金) ~1/4 (水)
年末年始休館
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