Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2016年9月

竹田 義之 写真展

写真
山を蝕(は) む
9/1 (木) ~9/7 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

つい最近まで、人びとは神仏や自然を恐れこれらに従順に服従していたが、今では人間が自らの力を信じる時代になった。
人間は、自己の欲求を満たすため、資源採掘、治山、道路建設などを行い、生活の利便性のため一方的に自然を開発・支配し、ねじ伏せる。しかも、重機を使用し山を刻んでいくがゆえにその変貌は急で、今日我々が目にするシーンも明日にはまた違ったものとなる。
これら人間の自然への挑戦が進歩・文明だと言われているが、一旦、削り取られた山肌の回復は至難のことだ。人間の独善的な自然支配がどこまで許されるのだろうかと作者は思う。
日本人は、わが国が山と海という自然、そして四季の移りの美しさに恵まれているのに当たり前のこととしてそれには気がつかないでいる。山が草木や昆虫や動物もいない「沈黙」の場所になってしまわないだろうか。
これは単に自分の考えすぎであって、人間の英知は必ずやこれらの問題を克服し、自然とうまくやっていくだろうと作者は期待をしているのだが。         
カラー40点。

作者のプロフィール

竹田 義之(タケダ ヨシユキ)
1946年兵庫県神戸市生まれ。96年から写真家・有野永霧氏に師事。また、京都造形芸術大学写真学科(通信制) で写真への研鎖を深める。主な写真展(個展)に2011年「ゴンの世界」がある。

新正 卓 写真展

写真
HORIZON OROgraphy
9/8 (木) ~9/14 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

新正卓の「HORIZON」は、1990年代後半から撮影行が始まり、2006年に催された新正の回顧展「黙示」(於・武蔵野美術大学)でその一部が公開された後も、写真家自身の当初のプランを大きくはみ出し、変容の過程を経てきたシリーズである。2012年の東京パブリッシングハウス(横田茂ギャラリー)、2014年ロンドンのAnnely Juda Fine Artでの発表に続き、いよいよ2016年ニコンサロンでの個展において、プロジェクトは一つの頂へ至り、「HORIZON」全貌が明らかにされようとしている。
本作において新正卓は、列島各地の海ぎわに切り立つ崖上にカメラ・ポジションを探し、日本と呼びならわされた圏域を輪郭づけている(だが、確然と見えるはずもない)境界が横たわる彼方へ、まなざしを遠投していく。ここでの身ぶりは、もはやドキュメンタリーという枠組みに収まるものとは言えず、あたかも夢や忘我状態の時に魂がさまよう場所を眺めているかに思えてくる。これらの画面に向き合っていると招魂または魂鎮めの気配めいたものが寄せ来て、スケールの大きな視界を静かに満たしだすようだ。
「HORIZON」シリーズは3つのパートから構成されている。「境界」、「植生」、及びピンホール・カメラで撮影された「可視の変容」の各パートで、世界の遠近を抱握するべく近年新正が実験をかさねてきた“OROgraphy”の方法(1900年前後のアメリカの写真家エドワード・カーティスが手掛けた金泥を用いるガラス・プレート陽画の写真術にヒントを得て、デジタル技術をまじえ新正が独自に生み出した黄金印画術)が導入されている。画像の組成に金という物質を加味することで、眺めは奥行きを深め、翳りを積層し、此方と彼方を溶け合わせるような光の効果が現出している。  (大日方欣一)
※本文は、大日方欣一氏(写真史家・フォトアーキビスト)より本展に対して寄せられた一文から抜粋したものです。

作者のプロフィール

新正 卓(アラマサ タク)
1936年旧東京府東京市豊島区生まれ。40年中国・旧満州へ渡る。47年山形県に帰国。57年旧武蔵野美術学校入学。61年同学卒業。62年(株)アルファーG設立。70年新正卓 写真事務所を開設、写真家として活動開始。73年文化出版局特派員としてパリで活動。76年パリから帰国、新正卓 写真事務所に復帰。93年武蔵野美術大学教授就任。2007年同学退任。
主な写真展(個展)に、87年「南米移民一世の肖像・遥かなる祖国(土門賞受賞記念)」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン、土門記念館、広島)、90年「双・家族(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、92年「私は誰ですか・親探し行動展」(広島市/福岡市)、94年「酋長の系譜 portraits of Native America」(有楽町アートフォーラム/東京)、95年「沈黙の大地/シベリア」(新宿パークタワー/東京)、00年「約束の大地/アメリカ」(ミツムラアートプラザ/東京)、01年「私は誰ですか」(ポラロイドギャラリー/東京)、05年「ARAMASA SAKURA(Stephen Wirtz Gallery/サンフランシスコ)、06年「黙示-ARAMASA Taku Photographs-」(武蔵野美術大学美術館/東京)、08年「ARAMASA SAKURA」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、12年「ARAMASA Taku Photographs -HORIZON-」(東京パブリッシングハウス、横田茂ギャラリー/東京)、14年「ARAMASA Taku OROgraphy -HORIZON-」(Anneli Juda Fine Art/ロンドン)がある。
写真集など著書多数。

juna21 森田 剛史 写真展

写真
続 きのくに
9/15 (木) ~9/21 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

前回の展示を終え、僕は三人の写真行為が変わっていってしまう、もしかしたらこれで『良い思い出ができた』と終わってしまうかもしれないという不安がありました。
そんな僕の心配は本当にくだらないことで、展示をみた祖父と祖母は「こんなんやったらわたしらも撮ってみたいなぁ」と言いました。
なんて元気なじじいとばばあと思いながら僕は急いでカメラを用意。
じいにはニコンのF3、ばあにはペンタックスの67を渡しました。
三人で旅に出て撮影をするという僕たちのやり方に変わりはないですが、被写体、撮影者、アシスタントという境界が今はありません。
“祖父の肖像と祖父の選んだ土地を写し、和歌山という土地を繋いでいきたい”という思いはまだ見る人に伝わる形ではできていないかもしれません。
それでも撮影から発表というひとつの決着を終え、なお続いているこの写真行為の中間を僕はとても愛しく思っています。
この展示をもって三人の関係にまた一つ楔を打ち、次の展開が始まる。
そんなことを考えて、もういちど写真をおきたいと思います。   (森田剛史)

作者のプロフィール

森田 剛史(モリタ タケシ)
1990年生まれ。和歌山県和歌山市出身。2013年東京ビジュアルアーツ写真学科卒業。
写真展に、13年「平成24年度東京ビジュアルアーツ写真学科卒業制作優秀作品展」(ニコンサロンbis新宿)、「肖像Ⅰ/planar」(J3gallery) 、14年「キノクニ」(Juna21新宿ニコンサロン、Juna21大阪ニコンサロン)がある。

juna21 筋野 健太 写真展

写真
長春 2006-2015
9/22 (木) ~9/28 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

中国・吉林省長春市。10年前の夏、作者が乗っていたタクシーが不意に大通りをそれた。渋滞を避けて裏道の小さな通りを進むと、黄土色の古びた建物が立ち並んでいて、人々のにぎわいがあった。ここはかつての満州国の首都、新京の日本人街跡だった。戦後日本人が去り、主に山東省から長春市に入ってきた人たちの街になった。
しかし作者が訪れたそのころには、もうすでに取り壊しのカウントダウンに入っていた。戦後ずっと住み続けた彼らは「私はこの家で生まれ、育った」と胸を張って言った。建物も人も自然の摂理のように、新たなものへと代わっていく。それらが繰り返され、土地の歴史が作られていく。それは仕方のないことだ。
それでも作者は失われゆくこの街に、身体を置き、往時の日本人たちに思いをはせ、住民たちと同じ時間を共有したかった。そうすれば、自分の存在を確認することができた。逆にそうしなければ自分の心は、スカスカだった。
街が壊されていったある日、作者は蓮の花を持った男を見かけ追いかけた。交差点で立ち止まったので、花のにおいを嗅ごうと、のぞき込んだ。しかしそれは造花だった。
カラー約50点。

作者のプロフィール

筋野 健太(スジノ ケンタ)
1980年東京都生まれ。2001年中国・黒龍江大学国際文化教育学院修了。03年中央大学経済学部卒業。

ギャラリートークのお知らせ

作者の筋野健太氏と写真家・赤阪友昭氏のギャラリートークを写真展会場にて開催いたします。
ぜひご参加下さい。

日時:9月24日(土)13:00~14:00
出席:筋野健太 × 赤阪友昭(写真家、PHOTO GALLERY SAI主宰)
会場:大阪ニコンサロン
※入場無料・予約不要です。当日は直接会場にお越し下さい。

ニコンサロン特別展
江成 常夫 写真展

写真
多摩川 Tama River 1970-1974
9/29 (木) ~10/12 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

戦後の日本は経済を至上価値としてきたことから、奇跡と呼ばれるほど復興、発展を遂げてきた。しかし、その一方で水俣病に象徴されるように海を汚染し、列島改造のもと自然を破壊してきた。そうしたなか、東京の空が光化学スモッグに覆われ、都民の〝水瓶〟としての多摩川が砂利採取や生活排水によって〝死の川〟となるのは、東京オリンピックや大阪万博が世界の耳目を集めた1960年代後半から70年代にかけてである。
堰堤を滑り降ちる汚水から妖魔のような泡が湧きあがり、風に乗って舞いあがる。それは川の精霊が怒り狂って叫んでいるように思えたりする。
上流では鶯や山女が自然を謳歌する反面、岸辺を下るごと鯉や鮒、ウグイやオイカワが酸欠死し、そこはまぎれもなく〝死の川〟である。そこが首都の川であれば、この国の自然に対する無知狼藉ぶりが見てとれる。
人間は古来、過去の過ちを未来の教訓としながら、その間違いを忘れることを生の糧とする指摘がある。事実、半世紀前の一河川の汚染が、どれだけ記憶されているかは、心もとないところである。しかし命の源泉である川が、死に瀕したとあれば、人間の生死に通じる、時を超えた重大事である。
すでに半世紀が過ぎた今、生活排水の泡が川面を埋め、魚の死骸が浮かぶ首都の川を、あえて写真展として纏めたのは、未来は過去の罪の反省によって築かれる、と考えるからである。折しも今年は水俣病が公式に確認されて60年に当たる。戦後の経済至上の価値観がもたらした、首都の多摩川を死に追い込んだ記憶が、未来の人間と自然との共生を占ううえの縁(よすが)になれば仕合せである。  (江成常夫)

モノクロ約50点。

作者のプロフィール

写真

江成 常夫(エナリ ツネオ)
1936年神奈川県相模原市生まれ。62年東京経済大学経済学部卒業。同年毎日新聞東京本社に入社。74年同社を退社しフリーとなる。
74年から75年、ニューヨークに滞在。敗戦後、米兵と結婚し渡米した日本人「戦争花嫁」と出会い、再度渡米。カリフォルニアに滞在し、花嫁と家族を撮影取材。
以後、一貫して、昭和の15年戦争の発端となった「満洲国」(中国東北部)をはじめ東南アジア、オセアニア諸島を巡り、大戦のもとで翻弄された声を持たない人たちの声を写真で代弁し、戦後日本人の現代史に対する精神性を問い続ける。
88年からニッコールクラブ幹事、98年から07年まで同クラブ会長を務める。九州産業大学名誉教授。
主な写真集・著作に、1976年『ニューヨークの百家族』(平凡社)、81年『花嫁のアメリカ』(講談社)、84年『シャオハイの満洲』(集英社)、同年『花嫁のアメリカ』(講談社)、86年『花嫁のニッポン』(講談社)、88年『シャオハイの満洲』(新潮社)、89年『ニューヨーク日記』(平凡社)、95年『まぼろし国・満洲』(新潮社)、同年『記憶の光景・十人のヒロシマ』(新潮社)、2OO2年 『ヒロシマ―万象 : Sleeping souls of Hiroshima』 (新潮社)、O5年『レンズに映った昭和』(集英社)、同年『記憶の光景・十人のヒロシマ』 (小学館)、06年『生と死の時』(平凡社)、11年『鬼哭の島』(朝日新聞出版)がある。 
受賞歴に、1977年「第27回日本写真協会新人賞」、81年「第6回木村伊兵衛賞」、85年「第4回土門拳賞」、同年「第52回毎日広告デザイン賞 (公共福祉部門)」、95年「第37回毎日芸術賞」、2001年「2001年度日本写真協会年度賞」、同年「第50回神奈川文化賞」、同年「2001年度相模原市民文化彰」、02年「紫綬褒章」、10年「旭日小綬章」、15年「酒田市特別功労表彰」がある。

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