Nikon Imaging
Japan
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銀座ニコンサロン 2015年12月

菊池 東太写真展

写真
日系アメリカ人強制収容所
WAR RELOCATION CENTER
11/18 (水) ~12/1 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

本展では、第二次世界大戦開戦時に設けられた日系アメリカ人強制収容所を訪ねて撮影した作品を展示する。
当時、アメリカに居住していた日系アメリカ人は12万7,000人。その95%、12万0,313人が大統領令によって強制収容された。収容された日系人の70%がアメリカの市民権を持つ米国民だった。かれらは移住の命令を受けると、ほぼ1週間以内に手に持てるだけの荷物(トランク2個)を持って指定された集合センターに集結させられ、列車で収容所に送られていった。収容先はカリフォルニア(2カ所)、アリゾナ(2カ所)、アーカンソー(2カ所)、コロラド、ワイオミング、アイダホ、ユタの10カ所におよんだ。
夏には摂氏50度を超える灼熱の地だったり、逆に冬にはマイナス30度を超える酷寒の地だったり、ガラガラヘビが棲む砂漠や、湿度90%の湿地とさまざまな環境である。収容者の大半はロサンゼルスなど街中の住民が多く、このような過酷な環境には不慣れな人が多かった。しかし過疎地とはいえ、たいがい移住先の近くには町があり、ともすれば収容者のほうが現地のアメリカ人よりも身なりがよかったり、町には電気のない生活を送っている人がいるのに、収容所には電気がきていたこともあったりして、周辺に住む者と収容されている者との間にはさまざまなトラブルがあった。しかも各収容所の人口は1万人前後と近隣の町より大規模だ。
終戦とともに収容所は閉鎖され、かれら日系アメリカ人たちは解放された。現在、跡地の大半は内務省国立公園局の管理下に置かれ、歴史保存地区として見学者を受け入れているのが現状だ。兵舎仕様のバラックのあった跡地は畑になっていたり、和風庭園の跡と思われる大きな庭石が残っていたり、終戦後買い取られたバラックが近隣の町で今も住居や物置として使用されていたり、さまざまな状況がある。
1988年8月10日、合衆国大統領ロナルド・レーガンは議会で元収容者たち日系人へ強制収容について謝罪し、1人につき2万ドルを支給することでこの問題に決着をつけた。

作者のプロフィール

菊池 東太(キクチ トウタ)
1943年大阪府生まれ。出版社勤務の後、フリーになる。日本写真芸術専門学校講師を務め2012年に退任。日本写真家協会会員。日本カメラ財団 菊池東太写真塾講師。
写真展(個展)に、81年「砂漠のひとびと」(ミノルタフォトスペース)、87年「二千日回峰行」(有楽町そごう)、94年「木造モルタル二階建て」、95年「アメリカンウエスト〜ミシシッピの西」、97年「ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年」(以上コニカプラザ)、04年「足尾」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、同年「DESERTSCAPE」、06年「WATERSCAPE」(以上コニカミノルタプラザ)、09年「白亜紀の海-海底にあったアメリカ-」(銀座ニコンサロン)、13年「DESERTSCAPE 2」(コニカミノルタプラザ)、13年「白亜紀の海 2」(新宿ニコンサロン)がある。 
著作に『ヤタヘェ〜ナバホ・インディアン保留地から』(佼成出版社)、『ジェロニモ追跡』(草思社)、『大地とともに(共著)』(小峰書店)、『パウワウ アメリカ・インディアンの世界』(新潮社)、『「アメリカ」ワールド・カルチャーガイド⑮』(トラベルジャーナル)などがある。

長 洋弘写真展

写真
インドネシア残留元日本兵
-なぜ異国で生涯を終えたか-
12/2 (水) ~12/15 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

1984年、作者は残留元日本兵の一人に、元ジャワ憲兵隊長の子息と間違えられた。衝撃的な出会いであった。彼の最初の言葉は「生きた証(あかし)が欲しい、このままでは死ねない」だった。彼には原隊(日本軍)を離れたという逃亡兵の負い目があった。旧軍刑法では敵前逃亡は重罪、その汚名は留守家族、親族まで及んだ。彼らの心の中に「戦陣訓」の一節「生きて虜囚の辱めを受けず~」が生きていた。
敗戦後の原隊離脱は逃亡なのだろうかと、作者は素朴な疑問をもった。彼らが残らざるをえなかった真実とは何か。彼らの言葉が作者を動かし、作者はシャッターを切った。爾来、30年の長きにわたり日本とインドネシアを作者は行き来した。東部ジャワに住む元陸軍曹長・小野盛氏とは死ぬ間際の一年間付き合った。2014年8月、彼が最後の日本兵となった。
多くの将兵や邦人を犠牲にした戦争、家族を一通の赤紙で引き裂いたあの戦争とは何だったのか。戦後70年の今、祖国に帰ることなく死んだ元日本兵の生きた証を作者は写真で残した。
カラー18点・モノクロ56点。

作者のプロフィール

長 洋弘(チョウ ヨウヒロ)
1947年埼玉県生まれ。谷川岳の山岳ガイドの高波吾策氏に師事。東南アジアや中東を得意とする写真家であり、作家としても活動。日本写真協会会員。 
著書に『帰らなかった日本兵』(朝日新聞社)、『海外日本人学校』、『二つの祖国に生きる』(以上、草の根出版会)、『遥かなるインドネシア』、『バリに死す』(以上、燦葉出版社)、『インドネシア残留元日本兵を訪ねて』『冒険に生きる』『バパ・バリ』『インドネシア残留元日本兵』(以上、社会評論社)などがある。  
受賞歴に、国際児童年記念写真展大賞、95年第4回林忠彦賞、03年第9回酒田市土門拳文化賞奨励賞、社会貢献者表彰などがある。
近年ではインドネシア・日本国交樹立50周年記念写真家として世界遺産などを取材。

コジマ キエ写真展

写真
私から海のふちまで
12/16 (水) ~12/29 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者にとって写真を撮り、紙に焼き付け、それらを提示することは、自己を肯定する行為である。セルフポートレイトという方法を用いることで、作者はそれをより強固に確信するのだろう。
一方、写真の中の像は作者から離れて、静かに紙の上に存在するだけである。モノクロ44点。

作者のプロフィール

コジマ キエ
1971年埼玉県生まれ。92年大妻女子大学短期大学部国文科卒業。2009年からカロタイプ(白岡順氏)講評講座に参加。写真展(個展)に、10年「庭」(ギャラリー恵風/越谷)、12年「遠雷」(新宿ニコンサロン)がある。

12/30 (水) ~1/4 (月)
年末年始休館
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