Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2013年9月

青島 千恵子写真展

写真
シリーズ〔光る音Ⅵ〕 New York・彷徨
8/29 (木) ~9/4 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

本展は、作者が十数年来各地(日本、台湾、タイ、デリー、ローマ)を巡り歩き、同じテーマで撮影しているシリーズ「光る音」の第6弾で、今回はニューヨーク(アメリカ)である。
ニューヨークに対して作者は、想像以上に多様性に富んで、混沌とした世界であることを実感した。アメリカという国は近代につくられた新しい国家であり、それが民族毎に移民というかたちで形成されてきた歴史を考えるとき、それぞれの文化、風俗、習慣を本国以上に重んじている人々も多く、いろいろな意味でその多様性をニューヨークでも垣間見ることが出来たという。
2010―12年の3年間にわたってニューヨークに数回出掛け、9・11事件を忘れたかのように忙しなく動くこの都市に展開する日常・非日常の境目の隙間を覗き込むように撮影した。
今回の写真のコンセプトは、前回までのシリーズ「日本」「台湾」「タイ」「デリー」「ローマ」と同じく「私と公」との交差する狭間に存在する空間を捉えようとするものである。モノクロ48点。

作者のプロフィール

青島 千恵子(アオシマ チエコ)
1939年静岡県生まれ。45歳頃より写真を習い始める。98年「アサヒカメラ」月例コンテストモノクロの部年度賞1位受賞。2007年酒田市土門拳文化賞奨励賞受賞。
写真展に、94年「夢歳々」(コンタックスサロン銀座)、2000年「光る音」、03年「光る音Ⅱ 台湾」(以上銀座ニコンサロン)、04年「光る音」(Galerie Satellite/パリ)、05年「光る音Ⅲ タイ」、07年「光る音Ⅳ デリー」、09年「光る音Ⅴ ローマ」(以上新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)などがあり、写真集に「光る音」(05年刊)がある。

鷲尾 倫夫写真展

写真
巡歴の道 オキナワ
9/5 (木) ~9/11 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

2011年1月、作者は沖縄の写真家、伊志嶺 隆氏の回顧展に呼ばれたことをきっかけに沖縄の歴史を書物で触れた。そこで作者は、沖縄を遠方から見ていたのか、あるいは背を向けていたのか、全く沖縄に対し知識がなかった事が解り、今までの自分の言動を恥じ素直に受け止めた。その体感が沖縄に心を寄せた。
沖縄の現状は今も問題が山積され、カメラを持つ前の準備を心掛けるも絞り切れず、魚の骨がのどに引っかかったまま海を渡った。太平洋戦争末期、住民を巻き込み、ありったけの地獄を集めた沖縄。米軍上陸地点、慶良間諸島から作者の沖縄が始まり、本島は北の本部から南は糸満と歩いた。
混沌と動く心の内を、よそ者の作者に語る高齢者との出会い、その体験談は想像以上に重くのしかかって来た。穏やかな朝陽の中で庭の畑で人参の収穫をしているオバーに挨拶すると、日本から来たのかと、手を休めた。
たわいない話で繋がり家に招かれ縁側に腰を据えた。そこで話題を変え、作者の知りたい問いを投げかけると、口を閉じてしまった。沈黙は作者を観察する目に変った。オバーは立ち、奥の間に消えた。暫くすると皿を持って戻って来た。その上には紅イモがあり、口に合うかねえと差しだした。作者は手がでなかった。オバーは目を閉じ、唐突に細い声で、「なんでえ~、私、生きているさあ~、みんな忘れたさあ~、人は目をつぶると何も見えなくなるはずなのに、私は逆にいろんな物が色付きで蘇ってくるさあ~。夜空に走る艦砲射撃は花火のようにきれいだったよ~、その火が途切れると身を起こし逃げるさあ~、目の前には傷つき倒れている人、人で一杯だったよ~」と云って手を合せた。小さな身体は小刻みに震えていた。オバーは作者の匂いでも嗅ぐように顔を寄せ、大きく息をつき、強い口調で、「人間、とことん追い詰められると、私が私でなくなり、とんでもない事をしでかすのさあ~。ぬすんだ生米、口の中でふやかし、周囲を気にして噛む味はさあ~」と云い目頭に手を当てた。「私、布団に入っても目はつぶらないよ、怖いからさあ~」と云い、目を薄く開けた。濡れた目は眩しそうに作者を見据え、やわらかい声で、「カラスがこないねえ~」と目の前の山を見上げた。「そこに魚の煮付けがあるのにさあ~、カラスはオバーの話し相手さあ~」と笑った。
長時間揺れる心で話す生の声は歴史本とは異なり、また頭からの言葉と腹底から吐き出す言葉の違いを作者は身をもって実感させられた。
別れを告げると、イモを持たされた。すぐオバーの話を書留めた。方言を極力避け、根気よく話してくれたオバーの心情に心打たれ、オバーの心の傷を、作者は心に刻んで歩き続けた。
モノクロ47点。

作者のプロフィール

鷲尾 倫夫(ワシオ ミチオ)
1941年東京都生まれ。60年愛知県国立高浜海員学校修了。同年東洋海運(合併後新栄船舶)入社。72年新栄船舶退職。73年日本写真学園研究科卒業。81年新潮社「FOCUS」編集部専属カメラマン(20年在籍)。83年日本写真学園主任講師就任。91年伊奈信男特別賞受賞。96年編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。
写真展に、72年「東アフリカ・マガディン村の人々」「そのままで、君たちは」(以上新宿ニコンサロン)、76年「日々一生」、77年「寿町えれじぃ」、80年「冠婚葬祭」、81年「顔・エトセトラ」(以上銀座ニコンサロン)、「顔・エトセトラ」(大阪ニコンサロン)、84年「ヨボセヨ」、86年「ヨボセヨⅡ」、89年「原色の町 ソウル84―88年」、91年「1977年―13年―1991年 エトセトラ」、94年「顔・エトセトラⅡ」、98年「韓国」(以上銀座ニコンサロン)、2003年「ソウル・シティ」(PLACE M)、04年「野球人」(ギャラリーコスモス)、07年「原色のソナタ」(PLACE M)、09年「写・写・流転」、10年「望郷・エトセトラ」(以上新宿ニコンサロン)などがあり、写真集に、「原色の町」(㈱アイピーシー/90年刊)、「写真」(ワイズ出版/2000年刊)、「THE SNAP SHOT」(ワイズ出版/07年刊)、「原色のソナタ 1992~95 SEOUL」(PLACE M/08年刊)などがある。

田島 さゆり写真展

写真
鏡像の祖国 -アルゼンチンの日系人たち-
9/12 (木) ~9/18 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

アルゼンチンは、日本とは地球上で、最も離れた場所に位置する国だ。タンゴで有名なこの国は、世界で5番目に日系人の人口が多い国であることは、案外知られていない。作者は縁があって、この国で暮らす日系人と知り合った。
彼らが移住した時期は、明治時代から高度経済成長期直前のピークまで長期にわたる。現在では80歳を過ぎた2世から50代の1世、そしてその子孫達と年齢構成も多様だ。2世3世には、日本語を話さなくなった人もいる。だが彼らの生活は、世代にかかわらず、日本の古い習慣を忘れることなく営まれている。
遥か遠い国に渡った日本人は、何時から日系人に変わっていったのだろう。過去の苦労を奥にしまって、こちらの笑顔に応えてくれる彼らの姿は、左右は反転するが、上下は変らないという、鏡に映った姿を見るようだ。
子供の頃に見た、昔の日本の大人の姿がそこにあると感じた作者は、1世を中心に、作者の年齢より長くアルゼンチンに暮らす人々を撮影した。モノクロ48点。

作者のプロフィール

田島 さゆり(タジマ サユリ)
1968年埼玉県生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科(有野永霧ゼミ)卒業。在学中、ロングアイランド大学芸術学部写真夏期講座を受講(比嘉良治氏の指導を受ける)。写真専門学校勤務後に渡仏。南フランスの写真家ルシアン・クレルグに師事。98~2000年海外青年協力隊隊員としてブルガリアに派遣され、国立写真印刷専門学校に勤務。帰国後フリーカメラマンへ。04~05年ブエノスアイレス(アルゼンチン)に生活の拠点を移す。その後もアルゼンチン在住の日系人の取材・撮影を行っている。

juna21 世羅 拓人写真展

写真
フィシス
9/19 (木) ~9/25 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

機械の知覚によって捉えられたこの川の写真には、作者自身が見た事もないような景色が広がっている。
たとえ作者がどんな心境だろうと、カメラは撮る者の目の前の現象をただ淡々と捉えていく。捉えられた写真は、作者の思いとは真逆の視界を持ち、作者にその新たな視界を提示してくる。
物事のフィシス(「Physis」ギリシャ語で「あるがまま」の意)を見つけることは何か、と考えると、そこには人の感情や思い入れなどは必要なくなり、機械に与えられた知覚にしか捉えられないのではないか。
作者は新たな体験を求め、この川を遡上し続けてきた。撮り進めると自分と写真との距離感はますます離れていき、その感覚を得ることによってさらにこの川を歩き続けることが出来たのではないだろうか。
作者は新たな体験は自分自身が得る体験ではなく、自分が介在せずに、捉えられた写真に写るフィシスによって得ていたのだと考えている。カラー32点。

作者のプロフィール

世羅 拓人(セラ タクト)
1983年東京生まれ。2006年立正大学文学部哲学科卒業。
写真展に、06年「笑う眼」、10年「決別」(以上 Place M)、グループ展に、12年「ROOMS floor 1 Portfolio exhibition」(Place M)がある。

juna21 島田 悠吾写真展

写真
NYC/Yellow-blue
9/26 (木) ~10/2 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

ニューヨークという街は、数年で劇的な変化を見せる街ではない。少なくとも表面上はそうだ。
2010年、作者は会社を解雇され、現実逃避するように飛行機に乗った。職も収入もなくなったが、全てを忘れるように歩き、写真を撮り続けた。中心から離れたひと気の無い場所、路地裏や工場地帯、人を避けるように、人を避けるように。
やはり忘れるなんて出来ないのだ。帰国は近づき、日本での生活が待っている。見返した写真には、誰もがイメージする華やかな街は、写っていなかった。
先の見えない心は、砂煙に霞んだ空のようだ。わずか1週間の、逃避の旅は終わった。
それから2年が経った。以前からは想像もつかないくらい、忙しい日々を送る。そんなある日、写真学校で世話になった先生に、久々に会う機会があった。先生は「写真は撮っているか?」「写真を見せろ」と言う。最近は忙しく、写真を撮れていないことを伝えた上で、「古いものなら」とニューヨークを見てもらう約束をした。
ずっとハードディスクに眠っていた写真と向き合う。真逆の環境、心情に身を置く今、それらは何故か力強く、愛しく思えた。誰にも見せなかったことを悔いるほどに。
2012年から13年、年末から年始にかけて、再びニューヨークの街を歩く。変らない街並みがそこにあった。あの頃と違う自分が、過去の為に今を写す。1月の冷たい風と、時折見える青空、冷静な眼差しを持って。カラー約30点。

作者のプロフィール

島田 悠吾(シマダ ユウゴ)
1983年京都府生まれ。2005年日本写真芸術専門学校卒業。06年株式会社光洋カラー社(現株式会社ピク光洋)入社。08年FIGHT CLUB Co, LTD 入社。10年フリーランスとして活動を始める。11年super sonic(http://www.super-sonic.jp)に参加。

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