Nikon Imaging
Japan
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銀座ニコンサロン 2012年9月

Alena Dvorakova 、Viktor Fischer 写真展

写真
WATER
8/29 (水) ~9/11 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

私たちは普段、身のまわりの水の存在をかろうじて気にかける程度だが、長期プロジェクト「Mission」において作者たちは、生活における水の現実と、真の重要性を存分に知ることとなる地域と関わった。
地球は面積の3/4が水で覆われていることから、よく「ブループラネット(青い惑星)」と呼ばれる。水の94%は海であり、淡水はわずか6%しかない。現在、世界の全人口で地球上の淡水の54%を使用しており、これが人口増加により2025年までに70%にまで跳ね上がるといわれている。もし同時に水の消費量が増大し続ければ、今後25年以内に最高90%もの水源を使い果たすことになるだろう。
淡水の不足は、いまや私たちの未来の発展において、気候変動に次ぐ最も深刻な問題とされている。21世紀は水をめぐる戦争の時代と定義されており、世界的な水の危機について公然と議論してきた1990年代から、潜在的震央は100以上も記録されているのである。
世界規模の産業は、毎年最大5億トンもの重金属と有機物による汚染廃水を生みだしている。発展途上国では、産業廃水の70%が処理されることなく放流されており、過度の使用と汚染は、水と水に関わる生態系そして川や湖の状態に影響を及ぼす。
世界の最大河川500本のうち半分が深刻な汚染を抱え、魚類の1/5は絶滅の危機に瀕している。理不尽な汚染や水源の枯渇により、環境難民という新たなカテゴリーが生まれ、毎年2500万人もの人々がこのカテゴリーに加わっているのである。
おそらく世界で最も深刻な問題は、生活必需品の基礎である水の不足である。人類のほぼ1/4は清潔な飲料水を入手できず、世界人口の半分は衛生的に使える水の不足に苦しんでいる。毎年、500万人が水を介した伝染病で亡くなりなり、これは戦争で亡くなる人の10倍にも上る値である。発展途上国を中心とする人口増加により、この問題は人類の悲劇という規模にまで達している。よく知られる解決法は比較的単純なものだが、その範囲と財政負担の大きさから、実行するのは困難な状況だ。
問題地域の一つに暮らす写真家として、作者たちは急激に悪化する環境災害においての共通責任をはっきりと自覚しており、写真にはこのような深刻な問題の進展に対する影響力がある、ということを確信し、この非営利プロジェクト「Water」に取り組んでいる。
本展は、もはやほとんど注目されることのない普遍的な話題を示すことで想像力を刺激し、新たな関係を成立させることを目標としている。なぜなら、いまの時代は、私たちはあらゆるものに依存し、そのすべてが相互関係にあるのだから。モノクロ約42点。

作者のプロフィール

Alena Dvorakova(アレナ・デヴォラコヴァ):1970年生まれ。
Viktor Fischer(ビクター・フィッシャー):1967年生まれ
ともにチェコ共和国出身。

両氏はともに、プラハにあるFilm and TV School of the Academy of Performing Artsのスチール写真学科を卒業。92年から共同で写真プロジェクトに取り組む。そのワークスタイルは、個人による作品発表から、徐々に共作としての出版や写真展での作品発表へと移行。2004年に「Missions」、10年に「Water」という2つの大規模なモノグラフを出版した。
両氏の作品は人道的テーマの新しい表現手法に焦点を合わせている。現代的な写真ドキュメンタリー形式をとりながらも観客が想像できる十分な余地を残し、そのメッセージを受け取る人々を惹きつける手法として視覚的シンボルとショートカットを使用するものだ。
また、多くの作家の写真展を開催し、共同展覧会や写真プロジェクトにも多数参加。
この分野での写真展キュレーターとして、人道的な写真や活動に光を当てている。なお、両氏は数々の賞や助成金の共同保有者であり、プラハ・ハウス・オブ・フォトグラフィーの代表でもある。

渡邉 博史写真展

写真
ARTIFACTS-日系人強制収容所からの「もの」
9/12 (水) ~9/25 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
※9/21(金)18:30~20:00 フォトセミナー(渡邉博史×三重綾子)

写真展内容

作者はサンホセ美術館より同市のジャパンタウン(日本人街)を題材として作品を制作する依頼を受けたため Japanese American Museum of San Jose(サンホセ日米博物館)に所蔵されている日系人強制収容所から持ち帰られた「もの」の写真を撮ることになった。例えば貝のブローチなどで、「これは第2次世界大戦のときに日系人強制収容所の中で作られたものだ。収容所の多くはドライレイクの上に建てられたが、そこは大昔湖の底だったので掘ると貝殻がでてくる。収容所の中に入れられた日系人は外に出ることが許されなかったので、そこで見つけられるものを何でも使って色々なものを作り、長い「我慢」の時間をすごした。」と説明された。その話をしてくれた同博物館長のジミー・ヤマイチ氏も日系人強制収容所にいた一人で、90歳になる。
彼がいた強制収容所はカリフォルニアとオレゴン州境にある Tule Lake(トゥーリーレイク強制収容所)という場所だったが、ここは数ある収容所の中でも、最も厳しい状況と管理下に置かれていたと言われている。当時のアメリカ政府は日系人のアメリカに対する忠誠心を調べる方法として、収容所の日系人に対して「米国に忠誠を誓い、日本・天皇への忠誠を放棄するか」「米軍に従軍する意思があるか」という2つの質問をして、日系人にYES/NOの選択を迫った。運命の分かれ道になるこの2つの質問は日系人の中に困惑と議論を引き起こした。それは「日本・天皇への忠誠を放棄するか」という質問は、YESと答えればそれまでは日本に忠誠心を持っていたという意味に取られかねない質問の仕方だったからであり、また「米軍に従軍する意思があるか」にYESと答えればすぐに徴兵され、日本人を敵として戦わなければなるかも知れないという懸念を持たせたからだった。結果としてNO/NOと答えた者は敵性外国人と扱われ、その多くはTule Lake強制収容所に集められた。
彼は、第2次世界大戦後Tule Lake強制収容所が閉鎖されたときに多くの日系人が自分の手で運べないものを収容所の外の空き地にまとめて捨ててきた場所があるということを教えてくれた。サンホセ日米博物館の所蔵物は収容所から持ち帰ってきたもので、後になって本人や家族から寄付されたものだった。一方、その空き地に捨てられたものはそこで使われたものであり、持主にとって持って行くだけの価値をもたないものだった。しかし今になって考えれば、そのいずれもその人たちの歴史の中で存在した遺物であり証拠であるのだから、写真に収める価値はあるに違いないと思い、作者はその場所に行ってその「もの」の写真を撮ることにした。モノクロ52点。

作者のプロフィール

渡邉 博史(ワタナベ ヒロシ)
北海道札幌出身。1975年日本大学芸術学部写真学科を卒業後、アメリカ、ロサンゼルスに移住、テレビコマーシャル制作の仕事につく。その後サニーサイドアップ社を設立し数多くのコマーシャルの制作に従事する。93年UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)でMBA修士号を修得。95年頃から自分の作品としての写真を撮り始める。2000年、写真を本格的に取り組むためにプロダクション会社を廃業し、ファインアート写真家として活動を始める。以来アメリカ、日本、ヨーロッパで多数の個展を行う。多くの受賞を受け、数多くの作品が美術館に収蔵される。11年ベニス・ビエンナーレにおいて公式プログラム“Real Venice”展に招待される。

フォトセミナー開催のお知らせ

作者の渡邉博史氏と、三重綾子氏(The Japan Times記者)によるフォトセミナーを下記の通り写真展会場にて開催いたします。
ぜひご参加下さい。

日時:9月21日(金)18:30~20:00
会場:銀座ニコンサロン
※入場無料・予約不要です。当日は直接会場にお越し下さい。

三重 綾子 
2001年に立教大学卒業後、TBS報道局で、筑紫哲也のニュース23、外信ニュースを担当。アメリカ同時多発テロでは、テロ直後のニューヨーク取材にあたり、05年からワシントンD.C.支局。08年フルブライト奨学金を得て、カリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム大学院に進学し、10年に修了。卒業後は、AOLが出資するパッチの記者として、サンフランシスコ近郊の政治経済の取材を担当した。
他、日本版ウォールストリートジャーナルにもコラムを寄稿。10年12月に帰国し、ウォールストリートジャーナルでのインターン、米紙ワシントンポストの東京特派員を経てジャパンタイムズの記者。

芦沢 武仁写真展

写真
マラムレシュ 家の記憶
9/26 (水) ~10/9 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者は2006年に初めてルーマニアのマラムレシュ地方を旅した。その時垣間見た村の生活風景に興味が湧き、その後3回にわたってマラムレシュを訪れ、おもに古い家を探してその家と住む人を撮影した。重厚な外観と凝った内装に惹かれ、とりわけピンクやグリーン、ブルーに塗られた独創的な壁の色に魅せられた。
町で英語を話すタクシードライバーを、通訳を兼ねて雇い、タクシーで村々を回った。田園風景の続く山間の道沿いに点在する村々。そこに残る古くて趣のある家や手の込んだ造りの家を探した。気に入った家があれば、ドアをノックして撮影を求めた。突然の外国人の訪問にもかかわらず、ほとんどの人が撮影に応じてくれた。
近年マラムレシュにも、外資系の大型スーパーが、数軒出店した。グローバル化の波が凄い速さで押し寄せている。伝統的な生活を維持する人は高齢者が多い。急激なグローバル化は、すぐにこの地域の個性的な生活も変えてしまうだろう。そうなる前にと作者は、貴重な写真を撮る思いで撮影を続けた。カラー65点。

作者のプロフィール

芦沢 武仁(アシザワ タケヒト)
1948年東京生まれ。写真家芳賀日出男氏に師事。その後フリーカメラマンとして海外を中心に旅、人々の暮らし、ロマ人の文化などを撮影している。

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