Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2012年7月

ニコンサロン特別展
土田 ヒロミ写真展

写真
BERLIN
6/28 (木) ~7/11 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

本展は、三つの異なる時期に、ベルリンの壁とその周辺の風景を撮影したドキュメントである。
時期は、第一期が1983年、第二期1999~2000年、第三期2009年で、それぞれにおける壁およびその周辺の風景、情景を撮影。ベルリンの壁の永年にわたる事象の変化を写真で捉えることによって、その歴史的時間の中で生ずる変容―実在、喪失、記憶―を思考しようとする作品行為である。と同時に、その記録写真の時間軸を自由に交差させ、編集構成することで、ベルリンの壁を「時間」の隠喩として表現した作品である。
※参考資料:土田ヒロミ写真集「BERLIN」(平凡社刊・2011年)

【撮影取材経緯】
1983年、作者は壁を通して冷戦構造を風景として捉えたいというコンセプトから開始したが、撮影が初段階で滞っている間に、’89年に壁が崩壊し、この計画が全う出来ず中断。その挫折後、壁崩壊十年目の’99年に壁の痕跡周辺の風景を撮ることで冷戦終焉後の東西融合を視覚したいと、再びベルリンへ向かう。さらにそれから十年後の’09年、定点撮影という風景を凝視する手法で、’99年に撮影した同じ定点の風景をカラーで再撮影。また同時にモノクロームで’83年に撮影した同じ地点を、’09年に再撮するという、カラーとモノクロによる二重の定点撮影が交差している。
【写真展の基本構成】
1)1983年(モノクローム/中判銀塩フィルム)
2)1999~2000年(カラー/4×5版銀塩カメラ)
3)2009年(カラー・モノクローム/デジタル35㎜カメラ・中判銀塩フィルム4×5版銀塩フィルム)
*プリントは、銀塩フィルムをスキャニングし、デジタル出力したものである。

作者のプロフィール

写真

1939年福井県生まれ。63年福井大学工学部卒業。2000年より大阪芸術大学で教職。
◆主な作品(写真集/写真展)
 「俗神」「砂を数える」「新・砂を数える」「Party」「ヒロシマ」「BERLIN」
◆受賞
 71年太陽賞「自閉空間」、78年伊奈信男賞「ヒロシマ1945~1978」、84年日本写真協会賞「ヒロシマ」、08年土門拳賞「土田ヒロミのニッポン」
◆作品コレクション
 東京都写真美術館、東京国立近代美術館(以上東京)、ニューヨーク近代美術館、サンフランシスコ現代美術館(米国)、ポンピドーセンター、ヨーロッパ写真センター(以上フランス・パリ)、カナダ近代国立美術館(オタワ)など

宮嶋 康彦写真展

写真
東京起源
7/12 (木) ~7/18 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

東京に暮らし始めてずいぶん歳月が流れた。
四十を過ぎたころから、この街で果てることを夢想するようになっていた。
東京郊外の家が、終の棲家になるのか、と。
その頃から、東京は、のっぴきならない撮影のフィールドになった。

東京、とは、どこ、か。
私が発生した母胎の闇から、遠いのか…。

ぼくが生まれた長崎の海辺から、北東1340キロメートル地点にある東京。
いつからだろう…二つの都市を繋ぐ闇のありようを考えるようになった。
闇をまさぐる情動が東京撮影の後ろ盾となった。

ぼくは、てんでに東京の夜を徘徊する。暗がりに溶けこもうとしてきた。
けれども、東京は明るい。あまりに昼化された都市に遭遇することになる。
きみの双眸や耳の奥にさえ、この街の光彩が射しこんだ。
それでも、闇らしきを見つけたときには、慰安のシャッターを切った。

東京、とは、どこ、か。
私が発生した母胎の闇から、遠いのか…。

プラチナ・パラジウムプリント40点。

作者のプロフィール

宮嶋 康彦(ミヤジマ ヤスヒコ)
1951年長崎市生まれ。75年フリーランスのカメラマンとして活動を始める。81年東京から標高1,500メートルの奥日光に移住し、写真と読書の日々。85年「お月さん釣れた」で「プレイボーイ・ドキュメントファイル大賞」受賞。写真と文章の合体による作品の発表を始める。86年、5年暮らした奥日光を引き払い、再び東京の生活に戻る。
主な写真展に、83年「風奏」(ニコンサロン)、86年「宮嶋康彦作品展」(ギャラリーWIDE)、89年「気 風景の始原」(ニコンサロン)、90年「おくのほそ道」(オリンパスギャラリー)、91年「一本の木」(ペンタックスフォーラム)、95年「水母音(sui-bo-in)」(出版記念:オリンパスギャラリー)、97年「水母音」(自作小説の朗読&スライドショー:銀座アートグラフ)、98年「同」(同:ポレポレ座スペース)、99年「同」(同:新宿スモーキーマウンテン)、2000年「一本の木」(自作小説の朗読&スライドショー:保谷こもれびホール)、02年「水母音」(自作小説の朗読&スライドショー:ニコンプラザ新宿)、「汎自然 自(じ)然(ねん)から副詞的自(し)然(ぜん)へ」(新宿ニコンサロン)などがある。
主な写真集・著作に、『水母音(sui-bo-in)』(私家版:オフィス・ヒッポ刊)、『母の気配』、『カバ KIBOKO』(注:Kiboko はスワヒリ語でカバ)、『あおぞら』(以上情報センター出版局刊)、『世界の子供たち 中国』、『世界の子供たち ロシア』(以上偕成社刊)、『文学2000』(講談社刊)、『誰も行かない日本一の風景(シリーズ)』、『にっぽん花撮り物語(全3巻)』、『日本列島 ホタル前線の旅』、『日本列島 桜旅』(以上小学館刊)、『日の湖 月の森』、『一本の木』、『紀の漁師 黒潮に鰹を追う』(以上草思社刊)、『花行脚 66花選』(日本経済新聞社刊)、『さくら路』(集英社刊)、『だからカバの話』、『河馬の方舟』(以上朝日新聞社刊)、『たい焼の魚拓』(JTB出版事業局刊)などがあり、これまでの集大成の写真集『汎自然 han-jinen 自(じ)然(ねん)から副詞的自(し)然(ぜん)へ』をかんげき屋から刊行。

今岡 昌子写真展

写真
トポフィリア -九州力の原像へ-
7/19 (木) ~7/25 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

アジア大陸に接する文明の十字路、古くからさまざまな人や物が往来する九州。
現代日本に息づく普遍的な日常の源流に着目し、個々の知と技の集約による地域力をたどるとき、作者が感じたのは人々の心に宿る土地への愛情「トポフィリア」であった。
新しいもの(わさもん)、多様性を受け入れつつ、大切なものを頑なに守る(もっこす)精神。グローバル化が加速する時代、日本の光を牽引する力の原像に迫る。カラー・モノクロ約50点。

作者のプロフィール

今岡 昌子(イマオカ マサコ)
1965年横浜生まれ。紛争や災害による被災地域、アジアやイスラム圏を中心に撮影活動を行う。2001年SSFアワード、02年さがみはら写真新人奨励賞、07年東川賞新人作家賞受賞。
写真集に、『re・birth~ガレキの隣のオンナたち』(窓社刊・03年)、『天山南路~Around the Taklamakan Desert』(冬青社刊・05年)、『トポフィリア―九州力の原像へ』(自費出版・11年)があり、写真展を多数開催している。

juna21 瀧野 恵太写真展

写真
ソマリア 戦場に生きる人々
7/26 (木) ~8/1 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

世界有数の危険地帯と呼ばれ、紛争、飢餓、海賊問題で揺れるソマリアの首都モガディシオに暮らす人々をテーマに撮影した作品を展示する。
自分自身と家族を守るために銃を取り、戦闘に赴く若者達。病院で手当てを受ける患者の9割以上が銃撃や爆弾による負傷者という。
目を背けたくなるような現実。紛争に翻弄される日々に追い打ちをかけるように、過去60年間で最悪といわれる干ばつによる飢餓が発生し、難民キャンプでの暮らしを余儀なくされる現状。
明日の食糧調達も覚束ない上、明確な戦闘の最前線が存在しないソマリアでの生活は、常に死と隣り合わせである。そのような苦境の中でも、彼らは決して生きることを諦めず、平和な国からやってきた作者を温かく迎え入れ、時には笑顔まで見せてくれた。
彼らの“生きる”姿から、われわれ日本人が学ぶことも多いのではないか。作者は、本展をきっかけに、ソマリアという国に少しでも関心を持ってもらいたいと願っている。カラー約45点。

作者のプロフィール

瀧野 恵太(タキノ ケイタ)
1981年生まれ。日本でテレビ報道業務に携わった後、ベトナムに2年在住。アジアンバリュー社ホーチミン支局でカメラマン兼記者として働き、写真を経済誌およびWEBサイトに発表。その後フリーランスのカメラマンとして、フィリピン南部ミンダナオ島、韓国・北朝鮮国境、ソマリアなど、独自で紛争地帯での撮影を続け、写真を雑誌に発表している。ソマリア取材は、2009年10月に続き、11年8月に2度目の渡航。

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