Nikon Imaging
Japan
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ニコンサロン bis 大阪 2011年10月

juna21 矢内 美春

写真
愛をさがしに
9/29 (木) ~10/5 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

1991年6月、NHKの報道カメラマンをしていた作者の父は、長崎県雲仙普賢岳の火砕流で殉職した。当時作者は1歳だったので、父親がどんな人物かわからなかった。
父の不在について、作者はこれまで目を瞑ってきたが、昨年成人式を迎えたことをきっかけに、父を知るための旅に出る事にした。
昨年の夏、父が撮影したホームビデオを見つけた。ビデオには作者が1歳の誕生日を迎えるまでの日々が記録されていた。作者は、父が愛用していたフィルムカメラで、テレビ画面に映し出された当時の記録を、複写した。当時父が見ていた同じ光景を、ファインダーを通してみたいと思った。
液晶画面を通してかつてあった出来事を見るという行為は、今まで想像していた父との距離感によく似ていた。
ホームビデオを複写したことは、他者によって作られた現実を、コピーで所有し自らの現実にしたいという気持ちで行った。まるで過去を追体験しているようだった。
今年は雲仙普賢岳の噴火から20年という節目の年でもある。本展には作者が現場を訪れた際に撮影した写真も織り交ぜた構成となっている。
作者は、ここから新たなスタートが切れるのだと思っている。モノクロ35点、カラー1点。

作者のプロフィール

1990年北海道生まれ。2008年東京工芸大学芸術学部写真学科入学。現在同大学在学中。
雑誌掲載に「フォトコン」(2011年8月号)がある。

奥山 和朗

写真
Shibuya(私が生まれ育った街)
10/6 (木) ~10/12 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作者は渋谷駅の近くで生まれ、二十歳過ぎまでそこに住んでいた。
作者が育った頃と現在とでは街もずいぶん様変わりしているが、渋谷は新宿や銀座とは違う空気感や人々の躍動感、自由でおしゃれな思い思いのファッション等、現在を楽しんで生きる人々の様子から、目を離せない街だという。そしてどんなに変化しても、作者はこの街が大好きで、ありのままの人々の日常の瞬間をさりげなく撮り続けたいと思っている。カラー54点。

作者のプロフィール

1950年生まれ。86年日本カメラ年度賞、94年毎日新聞緑の写真コンテスト都知事賞、96年日本カメラ年度賞、2009年ニッコール大賞長岡賞受賞。

小栁 宣昭

写真
中津 -高架下風景-
10/13 (木) ~10/19 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

「中津」と聞くと、ほとんどの人が大分県中津市を思い浮かべるだろうが、大阪にも「中津」という地名がある。そこは大阪の梅田と十三の間に位置する小さな町で、本展の作品は、そこを通る国道176号線と阪急電鉄の高架下風景を撮影したものである。
撮影を始めたのは2007年。きっかけは夕方の報道番組で放映された近ごろ中津が活気あるとの情報が始まりだった。ところが実際にそこへ行ってみると、人のいない商店街などがあるだけで、どこに活気があるのだろうと思う寂しい街の印象をもった。
しばらく歩くと高架下にたどり着いた。そこには不思議な世界が広がっていた。昼でも薄暗く、時間の感覚を失い、いつの時代かさえも迷ってしまうほどだ。どこまでも続く高架下なのに縦横に走る道路。不気味に光るナトリウム光。それからは、飽きもせず撮り続ける、作者にとって特別な場所となった。
少しずつ、中津高架下は変化している。しかし、作者が初めてそこに足を踏み入れた時の驚きは少しも変わらず、訪れるたびに新鮮な気持になれる空間だという。モノクロ40点。

作者のプロフィール

大阪府出身。2005年末に交通事故で足に大きなケガをして3か月入院し、1年半のリハビリ生活を送る。その間、主治医からリハビリのための歩行を勧められ、目的もなく歩くことができず、カメラを手に散歩しながら撮影を始める。そして本格的に写真を学ぶために、07年京都造形芸術大学通信教育部写真コースに入学。11年卒業。

ニッコールクラブ

写真
『大自然に抱かれた最果ての地、極東ロシア・サハリン』
撮影ツアー作品展
10/20 (木) ~11/2 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
※都合により10月26日(水)は、10:30~17:00までの開催といたします。
会期中無休

写真展内容

本展は、今年7月14日から19日のスケジュールで実施された「大自然に抱かれた最果ての地、極東ロシア・サハリン」撮影ツアーへの参加者と、ニッコールクラブ顧問・海野和男、スタッフの合同写真展である。
極東ロシア・サハリンは、かつては「樺太」と呼ばれ、多くの日本人が暮していたところである。近年では北部のエネルギー開発などの産業が盛んだが、いわゆる観光開発はほとんどされておらず、まさしく手付かずの原風景や素朴な人々の素顔がそこにあった。
広大な原野が続く中をサハリン鉄道が走り、ツアーではその鉄道に乗車して、列車内でモデル撮影やスナップ撮影を行った。また、様々な草花が咲き誇る州植物群特別保護区でネイチャーフォトに挑戦し、ロシア伝統の家庭菜園付き別送“ダーチャ”群や小さな集落を訪れて、地元の人々とふれあいながらのスナップ撮影は、参加者も印象深かったと思う。
日本時代に建築された遺構が数多く残されており、神社跡や製紙工場跡など特別許可を得ての撮影もあった。海岸には廃船等も残されており、彼の地ならではの風景も大変魅力的であった。
ツアー参加者の中にはサハリンで生まれ育ち、66年前にコルサコフ港から日本本土に渡られた方もいて、66年ぶりに訪問した生まれ故郷、僅かな記憶を頼りにその生家のあった場所をツアー参加者の協力で探しだすことができたことは、意義ある出来事であった。
かつて宮沢賢治が、亡くなった最愛の妹の魂の行方を求めて行き着いたのが樺太(サハリン)だった。当時の樺太鉄道(サハリン鉄道)に乗って北を目指した賢治、その旅の経験が代表作『銀河鉄道の夜』のモチーフになったと言われている。
サハリンは、たしかに風土は厳しく、風景は少し寂しげだが、人々は親切で温かく、陽気でとても魅力的な笑顔が印象的であったように、一般のツアーとは異なる特別なツアーの良さを余すところなく写真で表現した作品を展示する。

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