Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2011年8月

juna21 渡辺 直翔

写真
降る
7/28 (木) ~8/3 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作者が小学生だった頃に流行った、上空を通過していくヘリコプターに手を振ると爆弾を落とされるという噂から制作が始まった。
他愛も無い噂だが、目に見える何気ない日常のなかに凄惨な世界が潜んでいるかもしれないというネガティブな想像は、今もどこかでおこっている戦争や、人の無残な死を考えれば、決して子どもの空想だけにとどまらないはずだ。
轟音を立てながら頭の上を通るヘリコプターや戦闘機は、基地から近い住民にとってすでに日常となっている。誰も見上げることさえしない。しかし、ちいさな子どもだけはしっかりとその存在を確認している。これはいったい何者なのだろうかと。日常に侵入する異物を見つめる。
穏やかな日常の光景に目を向けつつ、その先に広がる世界を表現しようとしている。
カラー約16点。

作者のプロフィール

1988年北海道伊達市生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部映像学科写真コース(小林のりおゼミ)卒業。
主な写真展(グループ展)に、08年第7回サッポロ未来展(札幌)、「miraiten」(金沢)、「GEISAI #11」(東京)、「Photography after digitalization 展」(武蔵野美術大学共同研究)、09年第8回サッポロ未来展(札幌)、「武蔵野美術大学映像学科3年次進級制作展」(東京)、「川口百景2009年度入選50作品展示」(川口市立ギャラリー/埼玉県)、10年「武蔵野美術大学映像学科3年写真コース学外展」(東京)、「GEISAI #14」(東京)、「ライトシアン 小林のりおゼミ展」(東京)、11年「武蔵野美術大学卒業制作展」(東京)などがある。

juna21 原田 直宏

写真
泳ぐ体
8/4 (木) ~8/10 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作品は、背景が黒落ちしている路上の人物スナップである。
なぜ「背景が黒落ちしている」のかというと、偶然そういう写真が2枚撮れてしまったことがきっかけであった。
違う神社でおみくじを2回引き、2回とも同じ内容が出たので、そこに書かれている事は本当かもしれないと思うのと同じように、そのまま「背景が黒落ちしている」写真を撮り続けた。それは、技術的に「路上の人物スナップ」で、「背景が黒落ちしている」ように撮れるトレーニングを積んだことにもなるが、逆に言うと、それ以上の中身なり、狙いなりが、本質的にこの作品には不足しているのかもしれない。
作者はそれを承知しながら、「路上の人物スナップ」で「背景が黒落ちしている」時、一体それはどういう風に見えて、どんなことが感じられるのか、ということだけをただ繰り返し撮影した作品で、作者の執着心を拠り所にしたものである。モノクロ約30点。

作者のプロフィール

1982年生まれ。2010年早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。11年ヨコハマフォトフェスティバルプレイベントオープンポートフォリオレビュー参加。

秋 修一

写真
基点 1995
8/11 (木) ~8/24 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
休館:8月20日(土)・21日(日)

写真展内容

いろいろな自然災害の中で、地震ほど突然に襲いかかってくるものはないのではなかろうか。
1995年1月17日午前5時46分、真冬の早朝に、作者は夢の中の出来事かと思う程に大きな揺れを感じた。一瞬、何事が起こったのか理解できず、台所の食器棚が、居間のガラスケースの置き物が無残に崩れ落ちている光景を見た時に、地震が来たのだと思った。阪神淡路大震災である。
誰もがこの場所で、これ程大きな地震が来るとは予測していなかったのではないだろうか。何百年、何千年かに一度大きな地震が起こるだろうと専門の学者が言っていることを上の空で聞いていたことが、まさか現実に、今ここで起こるとは想像すら出来なかった。
展示する作品は、地震大国日本列島において、いつどこで起きても不思議ではないということ、平穏な日常生活を送っている中で、突然に襲いかかってくる怖さ、そして現代社会がこの地震で教訓にしなければならないことが数多くあったのではないだろうかということを示している。
モノクロ40点。

作者のプロフィール

1956年徳島県生まれ。74年写真家有野永霧氏に師事。83~84年撮影取材のため渡欧。88~91年産経新聞に「街で…」を連載。90~91年撮影取材のため中国へ。91~98年ビジュアルアーツ専門学校・大阪講師。
主な写真展に、84年「ニュージャパニーズ・ブラック・アンド・ホワイト」(ヨーロッパ美術館巡回展)、85年「西欧物語」(新宿ニコンサロン)、86年「車中の人々」(東京デザイナーズスペース)、93年「舎」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、94年「自系図・生まれた町」(平永町橋ギャラリー)、98年「生まれた町」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、99年「兵庫の美術家」展(兵庫県立近代美術館)、「路上の断想・1980~99KOBE」(神戸アートビレッジセンター)、2005年「なにわ街角しぐれ」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)などがあり、写真集に、『車中の人々』(エイムプレス・87年)、『ホライゾン Vol.1』(ビジュアルアーツ・93年)、『自系図』(A.U.Tプレス・98年)がある。

ニコンサロン企画展
江成 常夫

写真
GAMA CAVE 霊魂がやどる聖地
8/25 (木) ~9/7 (水)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

歴史は明日への道標にほかならない。作者はこれまでの40年近く、15年にわたった「戦争の昭和」に翻弄され、声を持たない人たちの声を写真を通して代弁することで、現代史を軽視、記憶から遠ざけてきた戦後の日本人を問い続けてきた。
「戦争花嫁」と呼ばれ蔑みのもとにアメリカに嫁いだ日本人女性との出会い、「15年戦争」の発端となった「満洲」、「満洲」が生んだ日本人戦争孤児、大戦の終焉地ヒロシマを三十数年にわたって見詰めてきた。2004年からは「満洲」と「ヒロシマ」をつなぐ太平洋戦の15の戦歴の島を巡ってきた。
このうちでも本土防衛の最終戦となった沖縄戦は、県民を巻き込み、軍民合わせた戦没者は188,000人余りに及んでいる。
沖縄は島の地質的条件から「ガマ」と呼ばれる自然洞窟が各所に多数点在している。「ガマ」には県民の老若男女、乳児までが戦火を逃れ身を寄せたが、日本軍から追い出され、自決を強いられるなど凄惨を極めた。そしてまた「ガマ」には軍の野戦病院が置かれたことから、米軍が攻め込むなか重傷将兵らは置き去りにされ、多くが没している。こうしたことから「ガマ」はいわば阿鼻地獄のもとで逝った人たちの、霊魂が宿る「聖地」でもある。
写真展では、これまで封印されてきた「ガマ」を克明に浮き立たせることで、太平洋戦の罪の深さを、鎮魂をもって呼び戻そうとしている。カラー30~40点(大型を含む)。

作者のプロフィール

1936年神奈川県生まれ。62年毎日新聞東京本社入社。74年毎日新聞社を退社し、フリーに。以後、一貫して「戦争の昭和」に翻弄された声を持たない人たちの声を写真で代弁することで、戦後日本人の現代史に対する精神性を問い続ける。88年ニッコールクラブ幹事。94年九州産業大学大学院(特遇)教授。98年ニッコールクラブ会長に就任(~2007年)。99年九州産業大学大学院教授(~2010年)。現在九州産業大学名誉教授。
[写真集・著作]
76年「ニューヨークの百家族」(平凡社)、81年「花嫁のアメリカ」(朝日新聞社・講談社)、84年「シャオハイの満洲」(集英社・新潮社文庫)、95年「まぼろし国・満洲」(新潮社)、「記憶の光景・十人のヒロシマ」(新潮社・小学館文庫)、2000年「花嫁のアメリカ・歳月の風景」(集英社)、02年「ヒロシマ万象」(新潮社)、05年「レンズに映った昭和」(集英社新書)、06年「生と死の時」(平凡社)、11年「鬼哭の島」(朝日新聞出版)
[写真展]
76年「家族・ニューヨーク」(新宿ニコンサロン)、78年「ヤーニンジュ・OKINAWA」(銀座ミキモトホール)、80年「花嫁のアメリカ」、84年「小日本人」(以上、銀座ニコンサロン)、85年「シャオハイの満洲・百肖像」、90年「ニューヨーク日記」(以上、銀座・大阪ニコンサロン)、92年企画展「変容する家族の記録」(東京都写真美術館)、「家族の肖像1976-1992」(銀座・大阪ニコンサロン)、95年「昭和史の記憶・まぼろし国・満洲」(銀座・大阪ニコンサロン)、「昭和史の記憶・ヒロシマ万象」(新宿・大阪ニコンサロン)、97年毎日芸術賞受賞記念展(相模原市博物館)、99年「昭和・家族の肖像」(新宿・パークタワーギャラリー1)、2000年「「昭和史の風景」花嫁のアメリカ・シャオハイの満洲・ヒロシマ万象」(東京都写真美術館)、06年「「昭和史の風景」偽満洲国。鬼哭の島」(日本新聞博物館)など多数。
[受賞]
77年第27回日本写真協会新人賞、81年第6回木村伊兵衛写真賞、85年第4回土門拳賞、95年第37回毎日芸術賞、2001年日本写真協会年度賞、第50回神奈川文化賞、相模原市民文化彰、02年紫綬褒章、10年旭日小綬章など

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