Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2010年8月

juna21 Ryan Libre(ライアン・リブレ)
鈴木 慎之介

写真
Portraits of Independence:
Inside the Kachin Independence Army
代謝
7/29 (木) ~8/4 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休

ライアン・リブレ展内容

カチンの政治的リーダーは、ミャンマーの軍事政府に対して信念を持って交渉しており、その態度を見てカチンの一般市民は、勇気と誇りを持ち続けることができる。
カチンの牧師は、信仰を人々に誠実に語り、一般市民は、共に支えあいながら強く生きている。とくに学生は、カチンを平和でよりよい未来にするために強い決意と切迫感を持って学習している。
カチンのような過酷な状況にいる人々も、強さや信念、誠実さや決意、勤勉や希望を持って生きている。

作者のプロフィール

Ryan Libre(ライアン リブレ)
危機報道やその他の分野で The Pulitzer Center から活動の資金援助を受けているフォトジャーナリスト。アジアに住んで8年になる(主に夏は北海道、冬は東南アジアで活動)。アジアのドキュメンタリーをより深いものにするため、NGOである Documentary Arts Asiaを設立した。2009年の冬は、ミャンマーのカチン独立軍人の支配下で3ヶ月過ごし写真を撮った。
今までに『過激派裸足の僧侶たち』や『ジャングルの民主主義の孤児院』など12冊の本を出版。また、フジフィルム(札幌)、The BBC、The Pulitzer Center、ワシントンタイムズ、京都ジャーナル、バンコクポスト、グローバルポスト、Get Lost、アウトドアジャパン、The Irrawaddy などで仕事をしている。

鈴木慎之介展内容

作品は、作者の祖父を写したものである。
撮影地は祖父母の家がある福島県二本松市。作者は幼い頃からこの地を訪れ、学生の時にはカメラを持って行くことが多かった。しかし、祖父の記憶の中から作者が消えていくように思われる頃から、作者はカメラを祖父に向けることが多くなった。
初めて会う人と話すように作者と話す祖父。しかし作者は、家族以外の人には見せることのない表情をファインダー越しにみつけ、今まで見たことのない祖父の姿を写真の中にみつけると、祖父の中の作者は消えてしまったのではなく、新しい孫(作者)として、祖父の中で生まれ変わっているのではないかと思うようになった。
それはまるで“代謝”するかのようである。そう気づくと、作者は幼い頃によく訪れたこの地の風景、山や草、風、虫、日の色、季節も月の満ち欠けも、人も写真の中も“代謝”しているように思うようになった。
この写真は私的なものだが、これは作者自身のドキュメンタリーである。

作者のプロフィール

鈴木 慎之介(スズキ シンノスケ)
1981年生まれ。2005年日本大学芸術学部写真学科卒業。07年から09年8月にかけてカメラマンアシスタント。
05年銀座ペッパーズロフトギャラリー・プライベートプロジェクト4参加(展示作品「THE MIND OF CHEMERA」)、06年銀座ガーディアンガーデン・フォトドキュメンタリーNIPPON参加(展示作品「新盆」)。

juna21 山下 隆博
後藤 悠樹

写真
Suicide Spiral
-tears and birds twittering-
その歴史のつづき
樺太からサハリンへ2009
8/5 (木) ~8/11 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休

山下隆博展内容

インド中部、デカン高原に位置するヴィダルバ地区。ここは古くから綿花栽培地帯として有名であった。しかし、現在では年間1000人以上の人達が自ら死を選ぶことから、自殺地帯として有名になってしまった。
自殺の主な理由として考えられるていのは、多国籍企業の持ち込んだハイブリッド種子や遺伝子組み換え種子の導入に伴う綿花栽培のコストの上昇、WTOのルールを無視したアメリカ政府の自国農家に対する補助金によって起こる国際綿花価格の下落、インド政府の経済援助及び技術援助の不備、ヒンデゥー社会における独特の風習、天候不順などである。
しかし作者は、これらは自殺のきっかけではあるが根本要因ではなく、むしろその原因は、そこに流れているある種の日常性にあるのではないか、と思う。
それは、表面的には実に牧歌的で、どこか作者の田舎を思わせる穏やかな風景だが、一歩踏み込んで話を聞くと、そこは悲しみの中心であるかのように感じられた。
作者は、そんな日常が10年以上にもわたって続いてきたということに、違和感を覚えずにはいられない。カラー作品。

作者のプロフィール

山下 隆博(ヤマシタ タカヒロ)
1984年北海道生まれ。2005年日本写真芸術専門学校二部卒業。鈴木邦弘氏に師事。07年コニカミノルタフォトプレミオ入選。
写真展に、07年「多摩川の陽々」(コニカミノルタプラザ)、09年「この流れの彼方」(トーテムポールフォトギャラリー)などがある。

後藤悠樹展内容

ご存知だろうか。かつて樺太と呼ばれた島、サハリンを。
この島には忘れられた歴史がある。1905年より約40年間、日本領だった樺太は北緯50度以南を日本領、以北をソビエト連邦領とし、陸地にて国境を接していたが、1945年の夏、ソビエト軍が日本領へ侵攻して以来ソビエトの、そして現在は事実上ロシアの統治国となっている。
当時、樺太はパルプ業や漁業などで栄えており、人口は徴用で連れてこられた朝鮮人を含め、40万~45万人程であった。そのほとんどの日本人は、その後実施された引揚げ事業により内地へと引揚げていったが、様々な事情でやむなくこの地に残った日本人がいた。その多くは家族を引揚げさせるために一人残った「長女」たちだった。
一方、1905年の日韓併合以降、日本人として生かされ、樺太へと徴用されていた朝鮮人たちは、各国の思惑に翻弄され、そのままサハリンに残されることになった。
以来、1990年に至るまでの45年間、サハリンへ残留することとなったほとんどの日本人、朝鮮人がソ連による、いわゆる“鉄のカーテン”に包まれ、日本の土を踏むことはおろか、離散した家族に会うことも出来ず、ソ連領となったこの地で暮らしていかなければならなかった。
現在サハリンには、残留日本人や徴用によって連れてこられた朝鮮人一世たち、そして、その子孫たちとロシア系住民によって複雑な社会を形成している。日本最北端の宗谷岬から、サハリン最南端のクリリオン岬まではわずか43キロ。本展は、その忘れられた歴史のつづきである。日本とサハリンは未だ遠い。カラー作品。

作者のプロフィール

後藤 悠樹(ゴトウ ハルキ)
1985年生まれ。2006~09年、韓国、サハリンで数度にわたって撮影を行う。

渡邉 博史

写真
Love Point
8/12 (木) ~8/25 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
8/21 (土)、8/22 (日) 休館

写真展内容

「ラブ・ポイントはあなたのその空になった心を満たすために来る所なのです。」
と彼女は続けた。
「この女たちは、かつては空で音のない部屋だった所に住んでいます。」
壁の向こうで潜在意識の様にポンプが回りだすにつれ、彼女は一人ひとり女たちを指差した。
「見てごらんなさい。この人たちはあなたの子供です。孫もいます。マドンナと売春婦、浮気と失恋の相手、やさしい天使と吸血鬼もいます。みんなここに住んでいるのです。この女たちはあなたの愛人です。そして、この、この女はあなたの妻ですよ。」
クリカという名前の女が眠気をさますように眼をこすり立ち上がり、そして阿瀬の横に座った。彼女は彼の頬に、そして口にキスをした。彼女の唇は海の潮の味がした。髪は海藻の香りがした。彼女の息は海水の上の風のようだった。その目は静けさを反射していた。彼は彼女にすぐ気が付き、自分が今まで長いあいだどこにいたのかも理解した。
「迷子になってしまった船員さん、ラブ・ポイントの灯台からでる光はあなたに当たっていますよ。」
とクリカは言った。
「そして今、あなたの心はあなたが覚えてもいなかった女たちの愛情で満ちています。あなたはこれまでの人生で、愛(ラブ)に大切な意味(ポイント)を見ることはできなかったけど、やっと今あなたのコンパスは正しい方向を向いています。」モノクロ24点。

作者のプロフィール

渡邉 博史(ワタナベ ヒロシ)
北海道札幌出身。1975年日本大学芸術学部写真学科を卒業後、アメリカ、ロサンゼルスに移住、テレビコマーシャル制作の仕事につく。その後プロデューサーとしてサニーサイドアップ社を設立しコマーシャルの制作に業務する。93年UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)からMBA修士号を修得。95年頃から自分の作品としての写真を撮り始める。2000年、写真を本格的に取り組むためにプロダクション会社を廃業し、ファインアート写真家として活動を始める。以来多数の個展を行う。現在、サンホセ美術館の依頼によるプロジェクト他の活動を続けている。
〈写真集〉
「私は毎日、天使を見ている」”I See Angels Every Day”  窓社刊、“Findings” Photolucida (アメリカ)刊、「パラダイス・イデオロギー」”Ideology in Paradise” 窓社刊、“Suo Sarumawashi” photo-eye Editions, USA
〈近年の受賞歴〉
2006年Photolucida Critical Mass Book Award、07年Sagamihara Award(さがみはら写真賞)、08年Santa Fe Center Project Competition First Prize、09年Hearst 8x10 Photography Biennial
〈美術館コレクション〉
フィラデルフィア美術館、ヒューストン美術館、ジョージ・イーストマン・ハウス、サンタ・バーバラ美術館

染谷 學

写真
ニライ
8/26 (木) ~9/1 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

人ひとりのうちにおいても、死は生の果てにだけあるのではなく、また生と対立するのでもなく、生とともにあり、あるいは生が死に包まれてある。そんな分かり切ったことが、琉球列島から南へと続く島々を旅していると、ことさらに強く感じられる。
奄美、沖縄、台湾、フィリピン、インドネシアと南下するにつれて、作者の中でその感覚は熱や湿度が増すように濃くなっていく。島々はたくさんの生とそれを包む死によって繋がっていた。写真に写された風景も人も、そして作者自身も、穏やかで大きな死に包まれた生という時間を生きていた。カラー45点。

作者のプロフィール

染谷 學(ソメヤ マナブ)
1964年千葉県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。
写真展に、95年「生きてゆくカレンの人々」(銀座ニコンサロン)、2000年「Calcutta」(コニカプラザ新宿)、03年「海礁の柩」(ライトワークス)、08年「温泉の町」(銀座ニコンサロン)などがある。また、作品は沖縄県立博物館・美術館にコレクションされている。

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