Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン

2009年9月

川廷 昌弘展





「松韻」~劉生の頃~

9/10 (木)~9/16 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休



<写真展内容>
日が暮れてきた。まもなく江ノ島の燈台に灯りが点る。
ここに大きな旅館があった頃は、部屋から海の向こうに江ノ島が見えていた。
その頃、このあたりに岸田劉生が6年ほど暮らして、娘や風景を描きまくっていた。
劉生が写生をしている時に抜けた風。描いた光。今も昔も変わるはずがない。
僕が生まれ育った芦屋も海辺の町だった。しかし海は埋め立てられ、町は阪神大震災で瓦解した。喪失感を写真集「一年後の桜」で表現したが、心に刻まれた「松韻」が聞こえる風景を、仕事で転居する事を契機に探すことにした。
芦屋と同じモダニズム文化を嗅ぎとり、湘南・鵠沼の東屋旅館の跡地に家を建てた。この町では「松韻」があちこちから聞こえてくる。しかし、開発による変化は激しく、撮影した場所も次々失われていくようになってきた。
相模湾に面し、塩害を防ぐために黒松を植える事で、自然共生を図ってきた先人たちの知恵。それを忘れた持続可能ではない開発。
僕は「松韻」が聞こえる風景を撮る。地域の大切な資産、守りたい風景、記憶の風景を撮る。
モノクロ55点。



<作者のプロフィール>
川廷 昌弘(カワテイ マサヒロ)
1963年兵庫県芦屋市生まれ。86年博報堂入社。現在博報堂DYメディアパートナーズ勤務。93年大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ)夜間部卒業。
主な写真展に、92年「週末の楽園 ―Minami-boso―」(銀座、梅田キヤノンサロン)、94年「憧憬」(mole/東京・ブレーンセンターギャラリー/大阪)、98年「一年後の桜」(サードギャラリーAya/大阪)、2001年「ロスト・マイ・ワールド」(銀座ニコンサロン)、02年「なまず石」(サードギャラリーAya/大阪)、03年「一年後の桜クロニクル」(ビジュアルアーツギャラリー/大阪)、04年「白杭の季節 ―湘南―」(銀座、梅田、名古屋、福岡キヤノンサロン)、06年「一年後の桜」出版記念展(西法寺/芦屋)、07年「白杭の季節」出版記念展(ギャラリーGAZEBO/神奈川・鵠沼海岸) 以上個展、98年「兵庫アート 震災と写真/ドキュメントを越えて」(銀座・神戸)、00年「震災と美術―1.17から生まれたもの」(兵庫県立近代美術館)、「描かれた芦屋の風景」(芦屋市立美術博物館) 以上グループ展、がある。
また、出版物に05年『一年後の桜』(蒼穹舎)、07年『白杭の季節』(リコシェ)があり、ワークショップに07年「湘南、記憶の風景を撮る」(平塚市美術館)がある。

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加藤 文彦展





屋久島 山水

9/17 (木)~9/23 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休



<写真展内容>
作者が屋久島へ通い始めて12年が過ぎたが、同じ場所を幾度となく訪れても、一度として同じ表情はなかった。季節や天候、時間に応じてそれぞれ違う美しさを見せてくれている。とりわけ作者が気に入っているのが霧に包まれた森や渓谷である。
屋久島は洋上に位置しているため、海上を移動する水分を含んだ空気が山脈にぶつかり、霧や雨を生じさせる。およそ1000m以上の山岳部は、下界が晴れでも、雨や霧に包まれることが多い。そこに浮かび上がる湿度の高い森や沢は幽玄の世界へ変化し、永遠の時間が流れ始める。
移り行く景色は刻々と変化し、一瞬たりとも留まることを知らず、湿度が織りなす色を失った濃淡だけの水墨画の世界を堪能することができる。モノクロ36点。



<作者のプロフィール>
加藤 文彦(カトウ フミヒコ)
1951年大阪市生まれ。同志社大学中退。商業写真スタジオ勤務を経て独立。加藤写真事務所設立。現在建築写真を中心に活動中。
写真展に、89年「中南米写真漫遊記」(スタジオCOCO/京都)、91年「NIGHT LIGHTS」(FLOG/東京・四谷)、92年同展(PRINTZ/京都)、2005年「「QUIET LIFE」サボテンの神秘生活」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、07年「屋久島 沢と源流」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、「PORTRAIT OF CACUTAS」(銀座コダックフォトサロン)、08年「晴れた日に永遠が見える」(コニカミノルタプラザ新宿)、「古への憧憬」(オリンパスギャラリー東京)、アルル国際写真フェスティバル参加などがある。

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鶴崎 燃展
林 秀煥展



juna21

9/24 (木)~9/30 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休






海を渡って

<鶴崎 燃展>
満州国の存在は歴史の教科書で習い、中国残留邦人のことも作者は子供の頃からニュースで知っていた。しかし、中国残留邦人は異国の地となった場所に取り残され、何十年後かにやっとの思いで帰国できた時には、言葉や年齢の事情もあり、いい仕事が見つからない。多くの人が今も生活保護を受けなければ生活できない状況だ。二世、三世の問題もある。
一方で、中国には今やたくさんの日系企業が進出し、多くの日本人が海を渡っている。かつて日本人によって造られた街や建物があちこちに残る満州国の地も例外ではない。
「かつて海を渡った人の今」「今、海を渡った人」
同じ時間に存在するこれらが、どうも繋がって見えない。過去が切り捨てられてきたからではないか。国が積極的にこの問題に取り組んでこなかったため満州国の後遺症は個人に押し付けられている。
過去の経験は共有し、未来へつないでいかなければいつかまた何か別の形で後悔する時が来るのではないだろうか。
カラー作品。



<作者のプロフィール>
鶴崎 燃(ツルサキ モユル)
1975年愛媛県生まれ。中部大学土木工学科卒業。2003年名古屋ビジュアルアーツ写真学科卒業。卒業後1年間同校助手を勤め、その後写真家大石芳野氏の助手となる。現在大石芳野写真事務所に所属しながらフリーとして活動中。





Picturesque

<林 秀煥展>
<時間は空間上に存在して、物体は多面をもっている。>
歴史的に写真は、固定されたひとつの消失点で停止した時間を記録する機能を示してきた。
固定されたまま、時間的、空間的な“停止”の対象をただの視線(カメラ)の動きを使って時間の流れと空間の移動を同時に1つの写真で表現しようとした。つまり、静止した被写体の静止した空間を、ただカメラの瞬時の動きを通る時に、空間の流れを込めて見ることができる。
1カットの写真で、カメラのシャッターを長く開放したまま、瞬間的な動きを与えるイメージは、固定されたひとつの消失点を基準にすることができない。このような視線自体の水平的な動きは、遠近感の破壊を試みる。遠近感の破壊は、物事の間の距離感も、物体の明確な形と色も消え、ただ流れの形状のみを残す。これは、動かず1カ所を長く受けることができない、忙しい現代の人々の風景を認識する方法と似ていると、作者は思う。
交通手段(高速歩行を含む)を利用して、すぐにどこかに移動しながら眺めた風景は、自分が見た多数の画像と一緒に解読し、頭の中に保存することに忙しい。
このような風景は、ひとつの消失点に停止された遠近感の深さに来るより早く、多くのイメージとすれ違いながら、かすんでいることの残像だけで覚えているだけだ。
カラー作品。



<作者のプロフィール>
林 秀煥(イム スハン)
1974年韓国ソウル生まれ。98年慶煕大学校視覚デザイン科卒業。94~99年フリーランスのデザイナーとして活動。98年Blinkプロダクション入社(CGデザイナー)。2000年同社退社し、Mixプロダクション入社(CGチーム・チーフ)。03年同社を退社し、EONプロダクション入社(音楽ビデオ多数制作)。05年同社を退社し、日本外国語専門学校入学。07年卒業。日本写真芸術専門学校入学。現在同校(3年)在学中。
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