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大阪ニコンサロン


小柴 一良展
[水俣・MINAMATA「水俣よサヨウナラ、コンニチワ」]

7/2 (木)~7/15 (水)
11:00~19:00(最終日は15:00まで)
会期中無休



<写真展内容>
作者は30年ぶりに再び水俣を撮影することになった。
1974年、作者は現地の状況を記録すべく移住を決意した。前年には熊本裁判で原告が勝訴し、患者の人達は「もう、そーっとして欲しい」そんな気持ちだったと思われる。
撮影は仲々困難であったが、作者は無我夢中でシャッターを押し続けた。当初新鮮に見えた被写体も、目が慣れてくるのか平凡なものとなった。作者は生活の為ここで漁師になろうと漁船免許も取り、そしてある網元の家内(身内)となり、そして現地の漁師の人達も受け入れてくれた。そして作者の子供も生まれた。
4年間歴史的現場に身を置きながら、写真はうまくいかなかった。作者は、「水俣は私の青春の失敗の場」と考えざるを得なかった。そして1978年、親子3人で大阪へ戻ることにした。これまでの四半世紀の間、水俣の写真は発表しなかったし、将来的にも発表する気持ちはなかった。
2006年、桑原史成氏より「水俣を見た7人の写真家たち」展開催の話はあったが、参加の意思はまったくなかった。しかし、強く背中を押され、結果的に参加することになった。
2007年4月、作者は20数年振りに水俣に“帰郷”した。4月29日にはかつての義母宅を訪れ、兄弟たちと抱き合って再会を喜んだ。30数年前漁師の一員となったが、その後訳あって疎遠となった。「子供を大きくしてくれて有難う」元妻の言葉に20数年間の空白が埋まった気がした。
再会を果たしたあくる夜、かつての親類・縁者が集まり、盛大な宴を催してくれた。
水俣でのシンポジウム等に数回参加するうちに、作者は今の水俣こそ記録すべきではないのかと考えた。モノクロ47点。



<作者のプロフィール>
小柴 一良(コシバ カズヨシ)
1948年大阪生まれ。72年西川孟写真事務所(大阪)に撮影助手として入所。その間土門拳氏の『古寺巡礼・大和篇』『女人高野・宝生寺』等の撮影助手を務める。74年水俣・出水の水俣病を取材。78年帰阪。この年より自治体・企業の広報、CM写真を中心に活動。2007年、写真展「水俣を見た7人の写真家たち」を水俣で開催。写真集も出版。その後宮崎、浜松、豊橋等で巡回展を開催。日本写真家協会会員。
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