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大阪ニコンサロン


juna21
佐藤 潤一郎展[unknown time]
荒木 梨穂展 [都市のふうけい]
菱田 雄介展 [ぼくらの学校 Наша Щкопа]
墨川 真里子展 [地上に立つもの]

8/3 (木)~8/8 (火)
10:00~18:00
会期中無休




[unknown time]

<写真展内容>
夜、作者が見てる時間と違う時間が存在していた。暗さの中で、今まで気づかなかった存在が姿を現した。
それらは作者の目には映らない。写真にだけその姿を見せてくれる。
「作者の知らない時間」そんな場所が作者の周りに無数存在していた。



<作者のプロフィール>
佐藤 潤一郎(サトウ ジュンイチロウ)
1980年生まれ。




[都市のふうけい]

<写真展内容>
作者はいつも、ファストフード店の店員さんはロボットのようだな、と思う。どの人も同じ。いつも笑顔で、いつも親切だ。決まりきった言葉と決まりきった動き。その人自身の人間らしさや個性とはまるでかけ離れている。けれども、それが作者にとってすごく楽で、安心する。
これはファストフード店の中だけに留まらない。「あらかじめ決まっているものにしか安心できない」のは、都市の中で生きるわれわれの悪い癖だ。
メディアのくれる情報を疑問も抱かず鵜呑みにし、それと違うものは間違っているとさえ思う。いつの間にか感情までもがだれかの模倣になっていく。でもそれに気づかずに満足して生きている。
もう今のわたしたちには、「わたしらしさ」などないだろうなと作者は思う。わたしたちには「わたしたちらしさ」しかないのだ。



<作者のプロフィール>
荒木 梨穂(アラキ リホ)
1980年生まれ。2003年大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。05年同大学研究生修了。
04年第23回写真「ひとつぼ展」に参加。06年「ヤング・ポートフォリオ2005」出品。




[ぼくらの学校 Наша Щкопа]

<写真展内容>
21世紀に入り、歴史は急速にその歩みを速めた。
私たち日本人と同じように生まれ、育ち、学校へ行ったり仕事をしたりする日常が、かの国ではいつしかあっさりと、あまりにあっけなく崩れ去ってしまう。
2004年9月1日、ロシア南部北オセチア共和国ベスランでは、いつものような新学期。ちょっとおめかしして学校に集まるのはこの地方の習慣だ。
小さな町の古びた学校の「日常」は、突然乗り込んできた男たち、女たちによってあっけなく絶ち切られた。いつもボールを追いかけたバスケットボールのゴールポストには爆弾の導火線が仕掛けられた。クラスで威張っていた子も、勉強ができた子も、一番かわいかった子も、今ではただの弱い子供だった。
地獄の3日間。そしてバスケットボールのコートの上で、爆弾は爆発した。300人を超える子供と親と教師が、無残に死んだ。
それから1年。ベスランの街は強い西日の中で濃厚な影を伸ばしてたたずんでいた。
それでも買物をして、それでも学校に行って、それでも仕事に行かなくてはならない「日常」。双子のように育った妹を亡くしたザリエナの悲しみが、表情のない引きつった微笑みに刻まれていた。
バスケットボールのコートには、あの事件の前と同じようにボールを追う歓声がこだましていた。



<作者のプロフィール>
菱田 雄介(ヒシダ ユウスケ)
1972年東京生まれ。96年慶應義塾大学経済学部卒業。民放テレビ局入社(主に情報番組のディレクターを務める)。2003年パレットクラブスクール参加。講師の森山大道氏に写真家瀬戸正人氏を紹介される。
写真展に2004年「3Roads 3Countries ~NY ・ Afghanistan ・ Iraq~」(Gallery Place M/新宿)、「未来ノ瞳 ~Afghanistan ・ Iraq ・ Bhutan~」(Days Photo Gallery/四谷)、05年「ある日、アフガニスタンで。」(日本女子大学/西生田)、「ある日、」(Gallery Place M/新宿)があり、写真集に『ある日、』(月曜社刊)がある。




[地上に立つもの]

<写真展内容>
いるべき場所も役割も、すでに決まった状態で私たちの前に現れる、動物。
ペット屋に行けば買うことができ、動物園に行けば見ることができ、食べたければその肉を食べることもできる。
癒しのため、自分たち人間には期待できない動物というものの正直な姿を確認するため、そして味わうために、彼らはすでに私たちの目の前に準備されている。それは多くの人が疑問をもつ余地なくあたりまえのこととして受け入れている、彼らの在り様。私たちの無意識の黙認が、そこにある。
そんな彼らと一対一で向きあうこと。
視線が合う時間、緊張が続く。互いの意識が表面的に摩擦する感覚は、相手が到底理解の及ばない、絶対的な他者なのだという認識をもたらす。と同時に、そこに生々しい存在感をもった「動物」が立ち現れる。



<作者のプロフィール>
墨川 真里子(スミカワ マリコ)
ノートルダム清心女子短期大学英文科卒業。東京綜合写真専門学校第二学科卒業
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