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銀座ニコンサロン


渡辺 行雄展
[三番瀬 眺め入る潮間(しおま)]

5/15 (月)~5/27 (土)
10:00~19:00
5/21(日)休館



<写真展内容>
1983年8月、もし埋められてしまうなら、せめて写真に残そうと、作者はカメラ片手に三番瀬に向かった。埋立て決定から10年目の夏だった。
遠浅の干潟、そこからぐるり見渡す陸地は大型船舶が着岸する埠頭や臨海工業地帯だった。その中で「海のことは一生かかってもわからねえ」と呟きながら先祖伝来の漁法で黙々と生きる猟師がいた。また、潮の引いた干潟には多彩な生物が連鎖分布していた。
三番瀬は、東京湾最奥部に位置する。そこを中心に取り巻く首都圏。人口は3000万人を超す。その大量の終末排水の多くは東京湾に流れ込む。かつて遠浅の干潟は自然浄化の回帰線だった。だが、東京湾の干潟は埋め立てにより、その9割が失われた。今では三番瀬・盤洲・富津と東京内湾ではわずかしか残っていない。
三番瀬の埋め立てが決定したのは、高度成長期の1973年3月である。その5年後の1978年、世界経済を揺るがした第2次オイルショックによって着工が延期され、さらに200海里時代を迎えて稚魚の揺籃に欠かせない干潟の重要性が叫ばれるようになった。そして埋め立てか保全かのせめぎ合う中でバブル経済が弾け、藤前干潟や諫早湾干拓問題と共に三番瀬は環境問題最前線へと浮上した。
2001年9月、千葉県は埋立計画案の白紙撤回を表明し、環境保全から再生へと方針を明らかにした。だが三番瀬は、沖合から発生する青潮、また豪雨など内陸から流入する河川水など、生態系の危機にさらされ続けていることに変わりない。つねに微妙なバランスの上にある。
東京湾の原風景と現風景が交差する三番瀬。すべてが膨張する我々の暮らし方への不安をフラスコの中に見るようでもある。
都会色の中にありながらポッカリと浮かぶ三番瀬。約1800haの海域は大潮の時、潮位2mを超える。その潮間帯には多様な水生動植物の生態を目にすることができ、それらを餌とする渡り鳥が地球の南北から四季を通してやって来る。また、干潟は魚たちの産卵や揺籃の場だ。冬に孵化したスズキやカレイの姿を見ながら自然に向き合い天恵を糧とする漁師がいる。その姿や三番瀬の自然を48枚のモノクロ写真で表現している(なお、展示作品は1983~2005年の22年にわたって撮影されたものである)。



<作者のプロフィール>
渡辺 行雄(ワタナベ ユキオ)
1948年千葉県生まれ。67年千葉県立大多喜高等学校卒業。
写真展に、84年「船橋浦」(船橋市役所美術コーナー)、2002年「三番瀬」(船橋市民ギャラリー)などがあり、05年7月、写真集『三番瀬』(冬青社刊)がある。
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