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Japan
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大阪ニコンサロン


東山 幸弘展
[帝国の城塞]

4/20(木)~4/25(火)
10:00~18:00
会期中無休



<写真展内容>
日本の近代要塞の建設は、明治新政府の朝鮮半島支配をめぐって緊張の高まった日清戦争(1894年)の前から、日露戦争(1904年)までのほぼ10年間に集中している。
帝都東京及び横須賀軍港を守る東京湾要塞、海峡要地の対馬と下関、経済の中心地大阪の湾口由良、日清戦争時大本営が置かれた軍都・広島と呉軍港の広島湾と芸予要塞、佐世保軍港、日本海側の軍港・舞鶴、造船所の町・長崎、そして北の要港・函館の10要塞、127箇所に28センチ榴弾砲や27センチ、24センチカノン砲の砲台が築城された。
第一次世界大戦後の軍縮の波は日本海軍の主力艦を9隻とし、未完成の建艦は中止され、廃艦となる40センチ、30センチ主砲や副砲は海峡封鎖用として、東京湾要塞の大房崎、城ヶ島に、津軽要塞の大間崎、豊予要塞の鶴見崎、対馬要塞の豊など12箇所に移された。地下構造でディーゼル機関を動力にした巨大な砲塔砲台が築城された。
1945年の敗戦まで要塞は重要軍事基地として厚い秘密のベールの中にあった。多くは100年以上経過しているが、その時代の最新土木技術を駆使して造られていて、戦後、占領軍に爆破されたところもあるが、自然崩壊はほとんどない。景勝の観光地として、都市化の開発として人工的に破壊されて跡形もないところや公園や野外施設として形象を残しつつ整備されたところもあるが、まだ、多くは山深くに放置されたままである。願わくは「歴史遺産」として破壊しないでほしいと作者は思っている。モノクロ50点。



<作者のプロフィール>
東山 幸弘(ヒガシヤマ ユキヒロ)
1946年福井県生まれ。65年福井県立若狭高等学校卒業。68年頃より写真を始める。
写真展:80年「ひとつ・ふたつの数え繰り唄――大阪泉州紡績女工記」(銀座・大阪ニコンサロン)、84年「ザ・ファッション」(銀座ニコンサロン)、96年「和泉・葛城山のブナ林――冬から春へ」(The Third Gallery Aya・大阪)
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