talk! talk! talk! : 漫画家 新谷かおるさん |
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プロフィール しんたに・かおる。1951年、大阪府豊中市生まれ。高校卒業後、りぼん新人漫画賞に佳作入選したのをきっかけに、1972年、りぼん秋の増刊号に掲載された「吸血鬼はおいや?!」で漫画家デビュー。山岸涼子、松本零士などのアシスタントを経て、1977年に独立。翌1978年に少年サンデーで連載を開始した「ファントム無頼」がヒットし、一挙に注目を集める。続けて「エリア88」「ふたり鷹」を発表、いずれも好評を博し、第30回小学館漫画賞を受賞する。また、「クレオパトラD.C.」「砂の薔薇」などで青年誌にも連載を開始、その後も数多くの名作を発表し、幅広いファンからの支持を得る。現在はコミックフラッパー(メディアファクトリー)で「刀神妖緋伝」を連載中。 戦記もの、レースもの、また魅力ある女性を主人公とした作品の人気が高く、リアルな描写力には定評がある。また、個性的なキャラクター、人間ドラマを織りまぜた奥深いストーリーに魅了されるファンも多い。 |
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これは……すごいですね。カメラとレンズがこれだけズラリと並べられていると圧巻です。
いやぁ(笑)。今回、あらためてニコンのカメラを出してみたのですが、自分でもけっこう持っていたんだなと思いましたよ。一番前で座ぶとんに座っているのが最近買ったS3の復刻版ですね。でも実は、S3のブラックボディが出ると聞いたときは、少し複雑な心境でしたよ。欲しかったレンズ、1、2本はおあずけになりますからね。でも出ると聞いてしまったからにはもう、触手が動いてしまって。すぐに「1台予約します」と言っていました。 きちんと座ぶとんにまで座らせていただきましてありがとうございます。先生がはじめてカメラを手に入れられたのはいつ頃なんですか?
小学生の頃からカメラは好きで使っていたのですが、自分で稼いだお金で買ったというのは漫画家になってからです。ずっと欲しかったニコンFブラックをまず買いまして、そのあとは、F2、F3、F4……と順番に揃えていきました。 ニコンFには何か特別な思い入れがあったのですか?
ありますね。特にブラックボディというのは、持っているだけで自分が強くなれるような、そんな憧れの機種でしたから。これをぶら下げて歩いているときには、僕は無敵だ!という変な興奮状態になるカメラですよね。子供の頃は親父の持っていた二眼レフカメラなどを使っていて、とりあえずフィルムをつめてガシャガシャいじっているという状態でしたが、当時はそれで満足していたんです。でも中学生のときから、やっぱりニコンの一眼レフカメラが欲しいと強く思うようになりましたね。 |
それは何かきっかけがあったのですか?
ええ、忘れもしません、中学3年生のことです。当時、私が密かに思いを寄せていたすごくかわいいクラスメイトがいたんです。春に『新入生を迎える会』という学校の催しがありまして、その中で新入生に向けて各部活動の紹介をするのですが、彼女は体操部でしたから、その会でレオタードを着て踊ることになったのです。当時の僕にとってはものすごい衝撃でした(笑)。
そうしたらなんと先生から、「新谷君、カメラを持っているなら写真を撮ってくれない?」って言われたんですよ。千載一遇のチャンスが巡ってきた! と大喜びだったんですが、僕の持っているカメラ
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は、フラッシュもついていない親父の二眼レフカメラだったので体育館の中で動き回る彼女を撮ることはできなかったんです。 せっかくのチャンスをふいにしてしまったのですね。
そうなんですよ。そうしたら後ろから、「僕が撮ってあげるよ」と言って一眼レフカメラを持ってきたヤツがいたんですよ! フラッシュをバンバン光らせて彼女を撮っている姿を見まして、そのときから一眼レフカメラに対して深い思い入れを持つようになったわけです。「こうなったら一眼レフカメラの中でも最高峰のニコンを持ってやるんだ」と誓いましたね。青春の1枚を失ってしまった傷は深いですよ。 もしそのときに彼女を体育館の外に連れ出して、「1枚撮らせてください」という勇気が僕にあったなら、確実に漫画家になっていませんでしたね。写真を撮ることに味をしめてしまって、きっとカメラマンの道へ進んでいましたよ。僕にとってはあの日が人生の分かれ目だったのかもしれない(笑)。。 |
漫画家の道へ進もうと思ったのも、何かきっかけがあるのですか?
いえ、それは自然な流れだったと思います。小さな頃から飛行機が好きで、パイロットになるのが僕の最初の夢でした。ところが小学生の頃から目が悪くなってしまって、その夢をあきらめなければならなくなったんです。それでも飛行機は好きでしたから、近所にあった伊丹空港に出かけてはずっと飛行機の絵を描いていたんです。そのうち、飛行機だけでは物足りなくなって、隣にキャラクターを描き足すようになり、そうすると今度は話を付けたくなって……高校生のときには漫画家になろうと決めていましたね。 もともとは少女漫画家を目指していたとおうかがいしたのですが。
そうなんです。実はデビューは少女漫画でしたから。僕が中学生の頃……ちょうど東京オリンピックを過ぎたあたりでしょうか、それまで鉄腕アトムのような児童向け漫画を載せていた少年誌に、さいとうたかを先生(※注1)をはじめとする劇画の漫画家が登場するようになったんです。ディズニーや鉄腕アトムで育った僕には、劇画独特のリアルな描写は刺激が強すぎたんですね。なかなか馴染むことができませんでした。 ちょうどその頃、友達の家で妹さんが読んでいた少女誌をたまたま見たんです。そこに水野英子先生(※注2)の『白いトロイカ』という作品が載っていまして、それを読んだとき、「これだっ!」と思ったんです。絵は洋画のようでしたし、内容もただのメロドラマではなく、きちんとした歴史的背景も含めてストーリーが展開していた。当時の僕の目には、刀や銃を振り回している少年誌より、ずっと魅力的でカッコよく映ったんです。 それからは少女漫画に夢中になった。
そうですね、コロっと少女漫画へ転びましたね。少女漫画のように、ドラマづくりを一生懸命やろう、それから女性を可愛く描こうと思いました。当時の少年誌というのは、女性キャラクターの存在をぞんざいに扱っていたんです。主人公はいろいろな服装をしているのに、お母さんやお姉さんなどはいつまでたっても同じ服装と同じ髪型のまま登場する。一方少女漫画では、学校から帰って制服から私服に着替え、髪型を変える。季節が変わればその季節に合った服装をする。そうやって着替えていくことが人間として当たり前なんですが、当時はそんな細かいところにグズグズこだわるのは男らしくないという風潮もあったんです。“女性は細かいことが好きだから、だから洋服に細かいレースを描いたりするんだろう”ということではないんです。漫画の演出方法のひとつとして、その技法を持っているということなんですよね。 漫画の演出というのは?
その漫画をリアルに見せるための演出です。少年誌が肉体と肉体のぶつかり合いという、力を表現するためにリアルな方向へ進んでいったのと同じように、少女漫画の場合はその世界観、主人公のいる環境をよりリアルに描く方向に進んだのだと思います。 ※注1 さいとうたかを=1956年、『空気男爵』で漫画家デビュー。その後、当時の貸し本屋ブームにのり、青年層に向けた新しい娯楽作品として、漫画ではない“劇画”として自らの作品を確立させ、人気を築いてゆく。代表作に『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』などがある。 ※注2 水野英子=1956年、手塚治虫お墨つきの“天才少女”として漫画家デビュー。壮大なストーリーとテンポを生かした独自のスタイルを持ち、その後の少女漫画界に大きな影響を与える作品をつくり続けた。代表作のひとつである『白いトロイカ』は、1964年から週刊マーガレットで連載、ロシア革命を背景に繰り広げられる、愛と戦いの物語。少女漫画としてはじめて史実を描いた衝撃的な作品で、大人気となった。 |




