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ニッコール千夜一夜物語






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ニッコール千夜一夜物語


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〜非球面によってサジタルコマフレアを補正した〜
第十六夜 AI Noct Nikkor 58mm F1.2

大下孝一

 第六夜に世界初の一眼レフ用非球面レンズOP Fisheye-Nikkor 10mm F5.6のお話をしたが、今夜はその続きで、非球面を用いた標準レンズAI Noct Nikkor 58mm F1.2についてお話しよう。



1.サジタルコマフレア


 Nocturne(夜想曲)からその名をとったといわれるNoct Nikkorが発売されたのは、Nikon F2 フォトミックAの発売と同じ年の1977年のことである。このレンズは、ノクトという名が示す通り、開放絞りでの夜間撮影を目的につくられたものであった。従来のNikkor AUTO 55mm F1.2とどこが違うのだろうか? まずこの違いについて少し説明しておこう。

 写真レンズの設計は、レンズが明るくなればなるほど収差の補正が困難であり、とりわけ広角化・大口径化するほど著しく発生するサジタルコマフレアがレンズ設計者を悩ませていた。サジタルコマフレアというのは耳慣れない読者の方も多いと思われるが、作例1bに示すように、画面周辺の点像が鳥が羽を広げたような形状に写る収差である。この収差は強度としては弱く、順光の撮影ではわずかにコントラストが低下するだけで、さほど目立つ収差ではない。しかも絞りを2〜3段絞り込むことによって全く解消されることから、一般の撮影ではほとんど問題になることはない収差である。しかし、被写体が点像で、コントラストの高い夜景や天体の撮影に限っては非常に目立ってしまうのである。

 夜景や星は暗い被写体であるので、出来るだけ大口径のレンズで撮影したいところだ。しかし大口径レンズの特徴を生かすために開放絞りで撮影すると点像が鳥の羽のようなベールをまとってしまう。少し絞り込めば解消されるとはいうものの、それでは大口径レンズの意味がなくなってしまう。このやっかいなサジタルコマフレアを、開放絞りから補正すべく開発されたのが、このノクトニッコールだったのである。この課題に取り組んだのは、本稿にたびたび登場する清水義之氏であった。


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2.レンズの構成


図1a
AI Noct Nikkor 58mm F1.2
レンズ断面図

図1a
AI Noct Nikkor 58mm F1.2
レンズ断面図


図1b
AI Nikkor 50mm F1.2
レンズ断面図

図1b
AI Nikkor 50mm F1.2
レンズ断面図



 このレンズの構成は、図1aに示されるように、6群7枚の変形ガウスタイプのレンズである。ガウスタイプの特徴は、本稿で何度かとりあげているように、色収差の補正と球面収差の補正が良好なことで、大口径レンズに最も適したレンズタイプといえるだろう。しかし、このような単純なガウスタイプでは上に書いたサジタルコマフレアの補正は困難で、F値を小さくすればするほどサジタルコマが大きく発生してしまう。そこで、清水氏は、高屈折率ガラスを用いることによって、各レンズの曲率を弱めると同時に、最も大きな前玉レンズを非球面レンズとすることで、サジタルコマフレアを劇的に改善したのである。図1bに示される現行のAI Nikkor 50mm F1.2Sのレンズ断面図と比較してみていただきたい。同じガウスタイプのレンズであるが、よく見比べると各レンズ面の曲率が随分違うことがおわかりいただけるだろう。加えて第1レンズを非球面にすることによってサジタルコマフレアを補正したのであった。

 ところで、非球面は用途によって2つのタイプに分類することができる。1つは以前お話したOP-Fisheyeのように歪曲収差をコントロールする非球面、そしてもう一つは今回のノクトのように球面収差やコマ収差をコントロールする非球面である。実は、球面収差やコマ収差を補正する非球面は、前者の歪曲収差をコントロールする非球面に比べると要求精度が桁違いにきびしいのだ。そこで、ノクトニッコールでは研磨による非球面製作法が採られることになった。研磨による非球面製作は、反射型天体望遠鏡の非球面鏡の作成などに用いられている技術で、高精度に非球面の製作ができる反面、その製作には熟練した研磨技能者の技が必要で、数量、コストの面では大変なものであった。

 加えて精度の厳しいレンズには精度の高い検査が必要である。ノクトニッコールでは、非球面レンズ単体での面形状の測定はもちろんのこと、組み立て後のレンズについて、通常の解像力試験に加えて、専用の検査装置を使って収差の測定を行い、製品のフレアの管理を行っていたという。一見するとAI Nikkor 50mm F1.2Sと変わらないレンズなのに、なぜ値段が3倍もしたのか、おわかりいただけたのではないだろうか?それだけ製造から検査にいたるまで手間をかけたレンズだったのである。


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3.レンズの描写


 作例をもとにこのレンズの描写をみてみよう。

 今回の作例はノクトの特徴が発揮される夜景の写真である。夜景の写真というと、低感度フィルムで三脚にカメラを据え、レンズの絞りを絞ってスローシャッターでじっくり撮影というのが定石である。しかし、このノクトはF1.2の明るさがあるから、ISO100のフィルムでも明るい夜景なら手持ちで撮ることが出来る。夜景をスナップ感覚で撮影するテンポが新鮮で心地よい。この作例も三脚を持ってゆかず、全て手持ちで撮影したが、調子にのって安易に撮影しすぎて、垂直線が少し曲がってしまった。


作例1

作例1 拡大  


作例2

作例2 拡大  

 さて、ノクトニッコールは、銀座の夜景を撮影してサジタルコマフレアの評価を行ったという。それにちなんで、銀座の夜景をAI Nikkor 50mm F1.2Sと比較して撮影してみたのが作例1である。どちらも開放絞りの写真であるが、ノクトニッコールでは、AI Nikkor 50mm F1.2Sに見られるサジタルコマフレアがほとんど目立たないことがわかるだろう。開放からフレアの少ないシャープな像である。これに対してAI Nikkor 50mm F1.2Sは画面中心から少しフレアっぽく、画面周辺部の街灯には鳥の羽を広げたようなフレアがとりまいている。ノクトが高いコントラストとエッジの切れで被写体を浮き上がらせるような描写をするのに対して、AI Nikkor 50mm F1.2Sは、線の細い緻密な細部描写で被写体像をつくってゆくような描写をする。AI Nikkor 50mm F1.2Sは人物撮影に適したレンズといえるだろう。

作例3

作例3 拡大  


 作例2はガラス越しにショーウインドウを撮ったものだ。このレンズのボケ味については賛否あるが、筆者は後ボケはすなおできれいなのではないかと思う。ピントの合った面はシャープに切り立ちながら、ショーウインドウの背景や街灯はなめらかに融けている。しかし、前ボケにはややくせがあって、被写体との距離によってはエッジの立ったぼけになることがある。

 夜景の撮影は、強い光源がレンズに入り込みやすいが、マルチコート化されているため、ゴーストが目立つことはないだろう。しかし画面外の強い光源によるフレアを防ぐためフードは常用したい。

 1977年に発売されたこのノクトニッコールは、1982年にAI-Sにモデルチェンジされ、F5発売の翌年の1997年に販売を終了している。思えばこのレンズは、描写性というものに付加価値をつけた唯一のニッコールレンズではなかったのではないだろうか? 未だにこのレンズの生産終了を惜しむ声は多いという。しかし、その名は消えてもサジタルコマフレアを除きたいというノクトの思想は、他のレンズに受け継がれ、生きつづけている。
 この続きはまた別の機会にお話しよう。


:本稿は、ニッコールクラブ が発行する「ニッコールクラブ会報182号」(平成14(2002)年9月30日発行)に初出、ニコンホームページ用に増補改稿したものです。 文中の会社名、商品名は、各社の商号、登録商標または商標です。 画面上に表示の作品(画像データ)の著作権は、作者(大下孝一)に帰属し、法律によって保護されています。 この作品(画像データ)を、非営利の個人的な観賞用としてお持ちのディスプレイに表示することはできますが、それ以外の目的または形態で利用することはできません。 さらに、加工・改変、営利目的への利用、不特定または多数の人への展示等を禁止します。

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