Nikon Imaging
Japan
At the heart of the image.

ザ・ワークス Vol.42 ナノクリスタルコート

レンズ鏡筒内・カメラ内の反射によって起こるゴースト・フレア。従来、レンズに斜めから入る強い光によって発生するタイプのゴースト・フレアはさまざまなレンズコートをもってしても除去する事は不可能と思われていました。この現象を大きく軽減する、まさに画期的な、テクノロジーの登場です。世界初の超広角ズームレンズAF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G EDにも採用された「ナノクリスタルコート」の開発者に迫ります。

田中 一政 (たなか・いっせい)

映像カンパニー 開発本部 第二設計部 第二設計課 技監補
1981年に入社以来、半導体露光装置(ステッパー)の光学設計を担当。2003年より映像カンパニーに異動。ステッパーのナノ粒子膜をカメラレンズに転用することを発案した、ナノクリスタルコート誕生のキーマン。現在は交換レンズの光学設計部門で将来技術開発を担う。子供時代はニコン好きの“天体少年”。入社後はオーロラ撮影のため世界各国の極寒地を旅する。

村田 剛 (むらた・つよし)

コアテクノロジーセンター 製造技術本部 レンズ技術開発部 第二開発課 主任研究員
1991年入社後、光機能材料部門でアモルファスシリコンの開発を担当。1996年からは光学薄膜の開発一筋。ナノ粒子膜を研究開発し、ステッパーの投影レンズ、カメラレンズに製品適用したことで、ニコンのコーティング技術を世界に轟かせた。山や海へ釣りに出掛けるアウトドア派で、大学生時代には写真部の部長を務めた。カメラを通じた実体験が、開発に取り組む際の視点に役立っている。

ニコンの半導体露光装置の独創技術がカメラの世界で革命をもたらした

コーティングサンプル(ガラス14枚)
左:28面中26面にナノクリスタルコートをコーティング
右:28面コーティングなしのサンプル

デジタルカメラが主流になって、ゴーストやフレアに泣かされるカメラマンも多いと思います。 反射を徹底して抑えることに成功した、ナノクリスタルコートの効果は、どんなものなのでしょうか?

田中 「ゴーストは、強い光の対角線上に暗い部分があると目立ちやすいレンズの反射現象です。反射を抑えるためにレンズのコーティングを施しますが、ゴーストやフレアは、従来の技術では完全には拭いきれない難題でした。一般的なコートレンズは、表面が緑色に見えたり、青色に見えたりします。これはそれぞれ緑色の波長の光、青色の波長の光を反射する、つまりこの色の波長の反射が残っているというコーティングの波長特性によるものです。そして、もっとも難しいのが斜めに入る光の反射防止なんです。従来のコーティングは、垂直入射に対してはある程度効果が得られても、入射角の大きい光には非常に弱いという特性があります(=角度特性の不足)。レンズをギリギリに傾けて斜めから見るとわかりますが、普通のガラス板のように反射してしまいます。ここにあるサンプルで見比べるとよく分かりますが、ナノクリスタルコートを施したものは、ガラス板が14枚も入っているようには見えないでしょう。14枚ということは反射面が28面あるのですが、レンズを傾けても光の反射はほとんど変化しません。」

一目瞭然ですね。ナノクリスタルコートの方は、透明感もまるで違います。

村田 「レンズを入れ忘れたんじゃないかとよく言われます。反射防止膜に求められる性能は主に3つ。1つはレンズに垂直に入射する光の反射をより低く抑えること。2つめは、広い波長範囲で反射を抑えることができること。そして3つめが、最も難しいとされた、光の入射角が大きいときでも反射の防止効果が得られること。ナノクリスタルコートはこれらの垂直入射特性、波長特性、角度特性全てを、トータルに改善できる画期的なコートなのです。」

ヒーローテクノロジー誕生の瞬間が気になります。そもそも、開発のきっかけは何だったのでしょうか?

ナノクリスタルコート採用のズームレンズ製品を手にしな
がら、製品化の喜びを語る村田さん。

田中 「ステッパーは、回路設計図の原版をレンズで縮小して、シリコンウエハーに転写する露光装置。“史上もっとも精密な装置”と呼ばれる超精密機械であり、ニコンでは1980年に国産初のステッパーを開発して以来、他社に先駆けた独自の技術を構築しており、ナノクリスタルコートもその一つです。時はちょうどニューミレニアムを迎える頃、半導体の超小型化・超細密化にともなって、ステッパーの投影レンズも非常に高い解像度が求められました。解像度を上げるためにレンズの数を増やしたり口径を大きくしたりで、レンズが入る鏡筒は重さが約1トン、高さは1メートルもの大きさになっていきました。このような大きなレンズでは、レンズ周辺部の光が非常に大きな角度で入射するため、反射防止が難しくなります。さらに占いの水晶玉のような半球状の曲率の大きなレンズも使うのですが、光の透過率を上げるためのコーティングは、こうしたコロコロとしているようなレンズに形成することは特に難しく、従来の方法では狙った性能のコートを作ることができず、ほとんど効果を得られない状況でした。」

村田 「光学薄膜を開発するのは私の部署ですので、当然この問題がクローズアップされていました。従来のコーティングでは計算しただけでも、充分な効果が得られないのはわかっていましたから。そこでこの問題を解決するために、私はまったく新しいプロセスで“超低屈折率膜”を作製することを提案し、開発をスタートしました。そして誕生したのがナノクリスタルコートの基となった「ナノ粒子膜」だったのです。」

透水性の良い舗装道路のような粗(そ)な構造で「見せ掛け」の屈折率をつくる。

ステッパー用レンズコート開発後に交換レンズの設計
部門に異動になったことで、 カメラへの転用を思いついたと
語る田中さん。

最近、よく耳にする「ナノ」分野ですが、日常ではイメージしにくい世界ですね。 ナノ粒子膜とは、具体的にはどのような構造をしているのですか?

村田 「ナノとは10億分の1を表す言葉です。ナノと聞くと、硬質で緻密なイメージがありますが、実はまったく逆で、素材を構成する粒自体はとても小さなナノ粒子ですが、その粒が隙間無く密集しているのではなくスカスカな構造を作っているのです。ちょうど“雷おこし”のような感じですね。従来のコーティングが “密”であったのに対し、対極の“粗(そ)”な構造であることが大きな特長です。」

田中 「私が初めてこれを見たときにイメージしたのが、透水性の高い舗装道路です。粗な構造なのに、車が通っても簡単に轍ができず、程よい強度がある。」

なるほど。では、なぜ構造を粗にすることで、反射を抑えることができるのですか?

村田 「ポイントは光が反射する際の屈折率でした。まっすぐ進んできた光は、違う性質のものにぶつかったときに曲ります。その曲る角度は屈折率差で決まります。屈折率が大きく異なるほど曲がる角度は大きく、逆に屈折率差が近いものであれば小さい。粒子の間に空気を含んでいるナノ粒子膜は、膜を構成する物質との中間的な性質を示します。空気と混合した状態をつくることで、実際の膜の素材としての屈折率ではなく、見掛け上の屈折率を下げることができるのです。」

田中 「コンタクトレンズを例にするとわかりやすいでしょう。空気中にあるコンタクトレンズは、ピカピカと光ってよく見えます。これは空気中を通ってきた光が硬いコンタクトレンズにぶつかって屈折・反射を起こしているということ。空気とコンタクトレンズの屈折率が異なるためです。しかし水の中に落としたとたん、ほとんど見えなくなってしまいます。つまり、水の屈折率とコンタクトレンズの屈折率が非常に近いので、一体化してしまい見えなくなるんですね。」

透明の物が見えるというのは、光が屈折・反射しているから見える、ということですね。 屈折率を下げるには、空気を含むように構造を粗にすればいいということですか?

村田 「そうではないですね。単純に粒子の構造を粗にするだけでは不十分なのです。光は波長という波の性質があって、単位が長さで表現されますが、光の波長よりも大きい単位の構造を作ってしまうと、光の散乱現象が起きて、ちょうど磨りガラスのように真っ白になってしまいます。これではレンズとしては失格です。光の散乱現象が起きないレベルで粗な構造を作ることが、“ナノ”のテクノロジーであり、ナノ粒子膜のもっとも大きなハードルでした。“何の物質”で実現しているかとともに、“いかにその構造を作るか”かが、この技術の鍵です。」