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talk! talk! talk! ミュージシャン・綾小路 翔さん


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ミュージシャン・綾小路 翔さん

ミュージシャン

綾小路 翔さん

ヤンク・ロックバンド『氣志團』の團長として、刺激的な曲を歌い続ける綾小路 翔さん。中学生の頃からカメラの魅力に惹かれて、今日まで膨大な数の写真を撮り続けてきたそう。常にツッパリ道を走り続けながら、ファインダーを通して何を見ているのか、お話をうかがいました。

プロフィール

あやのこうじ・しょう 1997年、千葉県木更津にてヤンク・ロックバンド『氣志團』を結成。「大胆かつ破廉恥に、Vのベルトはバレンチノ!!」を合い言葉に、團長兼ヴォーカルを務める。「2001年に『One Night Carnival』をリリースし、大ヒット。同年にメジャーデビュー、2002年にドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS)に出演するとさらに人気に火がつく。『SECRET LOVE STORY』、『結婚闘魂行進曲「マブダチ」』、『夢見る頃を過ぎても』、『愛してナイト!』など数々のヒット曲を生み出し、個性的な曲調が注目される。近年は音楽だけではなく、デザインやプロデュースなど、様々なシーンで活躍。

Beginning 出会い

中学時代からいつもカメラを鞄に入れて持ち歩いていた

カメラを持ちはじめたのはいつ頃ですか?

僕が小学校高学年の頃、世の中にレンズ付フィルムが出始めました。これは面白いぞ、と思って、中学生くらいから常に持ち歩くようになりました。世間に出始めてすぐだったこともあって、まだ持っている人は少なかったですね。僕が持ち歩くようになってから流行ったんです。むしろカメラを持ち歩くというブームを作ったのは僕だと思っています(笑)。当時は1個1000円程と中学生が持ち歩くには高価でしたが、小遣いが貰えなかったのでアルバイトを4つほど掛け持ちして、カメラや服を買っていました。

バイトを4つ!勤労中学生だったのですね。どうしてカメラを持ちたいと思ったのでしょうか?

「いずれ自分は世に出るだろう」と勝手に思いこんでいたんですよ(笑)。だから、自分の周りの記録を残しておきたかったんです。

すごい理由ですね(笑)!その頃はどんな写真を撮っていましたか?

ヤンキーが多い地域に住んでいたので、面白い人が周りにいっぱいいました。だから毎日の出来事を写真に収めるだけで相当面白かったんですよ。それと、学生時代はアルバム製作委員もやっていました。

綾小路さんがアルバム製作委員とは、かなり意外です(笑)

僕の写真がメインになるようにしたかったんです(笑)。後々に僕が有名になったとき、同級生たちがアルバムを売ると考えたんですよ。そのときに高く売れるようにという考えもあって(笑)。昔から勝手に記録係をやる節がありました。ヤンキーって、中学・高校の6年間で人生の全てを燃やし尽くす生き物なんですよ。普通の人が60年かけて使うエネルギーを10倍に濃縮してしまう。短くてパッと輝いている日々を、記録しておかないといけないでしょう!

レンズ付フィルム以降は、どんなカメラをお持ちになったのですか?

インスタントカメラに興味がありました。フィルムを送るときの音が「バシャバシャ!」って格好良かったので。ちょうど知人から頂く機会があって、持ち歩くようになりました。ただ、こちらはフィルムが高価で、気軽に撮影できなかったんです。その頃になるとレンズ付フィルムがだいぶ安くなっていたので、普段はレンズ付フィルムを使って、ここぞというときにはインスタントカメラを使うようにしていました。

インスタントカメラで撮る“ここぞ”はどんなときだったのでしょうか?

当時、勝手に自分達でミニコミ誌を作っていまして、それに載せる写真をレンズ付フィルムで撮っていたのですが、誰ともなく「見栄えしないな」というようになりました。そこで、みんなで親のカメラだとか、良いカメラを持ち寄ろうとなったんです。その時僕もインスタントカメラを持っていって、掲載する写真を撮っていました。今思い出すと、既成雑誌のパクりばかりで、もの凄く恥ずかしいミニコミ誌だったんですが、とにかく「自分達発信」のものをつくりたかったんです。記事になることを常に探していたから、いつもカメラを持ち歩いて、撮って、記事にしていました。