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talk! talk! talk! 「たったひとつのたからもの」著者・加藤浩美さん


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「たったひとつのたからもの」著者・加藤浩美さん

「たったひとつのたからもの」著者

加藤浩美さん

ある男の子の生涯が数枚の写真とコピーで紹介され、最後にその子をぎゅっと抱き締める父親の写真が写し出される、そんなCMを見たことはないだろうか。写真に写っていたのは、ダウン症にともなう心臓の合併症で余命わずかと言われながらも6年の年月を精一杯生きた秋雪くんと父。そしてそれらの写真を撮影したのが秋雪くんの母、加藤浩美さんだ。6年間、秋雪くんとの思い出を、生きている一瞬一瞬を膨大な枚数の写真に残し続けた加藤さん。なぜカメラを向け続けたのか、加藤さんにとって写真とはどんな存在だったのか、思い出のつまった写真と共に、その思いをうかがった。

プロフィール

かとう・ひろみ。1964年、埼玉県生まれ。高校で写真部に入りNikon FEを購入、写真撮影を始める。1982年、就職。翌年結婚し、1992年長男秋雪くん誕生。生後1ヶ月でダウン症と判明、それにともなう心臓の合併症で1年の命と告げられる。6年あまりを精一杯生き、1999年秋雪くん死去。浩美さんはその間、数えきれないほど家族の写真を撮り続けた。
2000年2月、家族で海に行ったときに写した1枚を明治生命フォトコンテストに応募し入賞する。2000年5月より明治生命の企業CM「あなたに会えてシリーズ-愛情篇」で受賞者の1人として写真が紹介される。2001年8月より「たったひとつのたからもの篇」の放映開始。ロンドン国際広告賞、ACC賞など数々の賞を受賞。2003年4~9月「たったひとつのたからもの-懸命篇、友達篇」が放映され、全国で話題となる。2003年11月に著書「たったひとつのたからもの」(文芸春秋)を出版、多くの反響を呼ぶ。現在は秋雪くんが通っていたいずみの学園で写真を撮るボランティアを続け、子供たちの日常を記録に残している。

思いがけず始めることになったカメラ いつのまにか1番の趣味に

2歳になる直前、ずっと見せたかったという海に初めて行った。波に怖がることなく楽しそうにしていたそうだ
2歳になる直前、ずっと見せたかった
という海に初めて行った。
波に怖がることなく楽しそうにしていたそうだ

高校生のときに写真部に入られていたそうですね。

ええ、入りましたね、写真部に。何で入ったんでしょう(笑)?

何かきっかけがあったのですか?

よくきっかけを聞かれるんですけどね、自分でもよく分からないんですよ。入学してすぐに部活動を決めなくてはならなくて、実は最初に演劇部に行ったんです。でも結局2、3日でめげてしまって、その次に行ったのが写真部だったんです。カメラをさわったり現像しているところを見ているうちに、言い様のない居心地の良さを感じたんです。それで、写真部に入ってみようと思ったんです。

もともとカメラに興味をお持ちだったのですか?

いえ、それが全然。特に当時はまだ女の子がカメラを持つというのは珍しいことでしたから、両親も写真部に入るのを反対していましたし。ところがカメラを持ってみたらうれしくて何だか落ち着くという感じだったわけですから、自分でも不思議ですよね。だから、本当に自分でもどうして写真部のドアを開けたのかよく分からないんです。

カメラを買われたのもその頃ですか?

そうです。もちろん自分で買えるようなものではありませんでしたから、両親に泣きついて何とか説得して買ってもらったのがNikon FEと50mmのレンズのセットでした。それが当時1番メジャーなセットで凄く人気だったんです。高校時代はずっとFEで撮っていました。持っていると何だかリッチな気分になるんですよね。もちろん使いやすいし、持った感じも何だかいい写真が撮れそうって感じがするんですよ(笑)。そのFEは今は家にはないんです。今現在、主に使っているカメラはF4とF100ですね。

それ以来カメラはご趣味で続けられているんですね。

はい。就職しても結婚してもカメラは第1の趣味です。写真を撮るためにどこかに行くということはあまりなかったのですが、出かけるときには必ず持って行くものです。

では、秋雪くんが生まれたときにカメラを向けるようになったのは自然な流れだったのですね。

ええ、カメラを秋雪に向けるのは当たり前のことのようでした。カメラはいつも生活の中にあったものですし、「新しいモデルができた!」という感じでしたね。庭の花が咲いたというのと同じかもしれないですね。咲き始めたからその変化を撮りたくなるという。そんなこと言ったら花と一緒にするなって秋雪に怒られちゃうかな(笑)。

毎日毎日、その瞬間を生きる 秋雪の全てを写真に残したかった

「たったひとつのたからもの」著者・加藤浩美さん

撮るペースはどのぐらいだったのですか?

なるべく押さえ目にしていても2日に1本ぐらいは撮っていました。ただ、調子に乗ると1、2時間であっというまに1本、2本いってしまうときもありましたね。でもフィルムですからね、経済的に大変だぞ、というのは常に頭に置きながらでしたけど……(笑)。
主人はいつも呆れていましたよ。まだ起き上がったりお座りもできない頃は横になっているだけですよね。それでも撮っていましたから、他人が見たら「どこが違うの?」という状態の写真がたくさんありました。「でも表情が違うじゃない、さっきとは角度が違うじゃない」って、それだけで私はよかったんです。昨日と違うというだけで撮りたかったんです。

我が子をたくさん撮ってしまうというのは親心でしょうか。

枚数が多くなったひとつの原因として秋雪の病気のことが影響していたとは思います。でも、もともと写真が好きで生活の中にカメラがあることが普通でしたから、生まれたから「さあ、撮ろう」というよりは、カメラ好きの意地といいますかこだわりといいますか、自分が1番かわいく撮ってあげようという思いもありましたから、それまでの延長の中での行動ですよね。

秋雪くんの病気のことで気分がどうしても沈んでしまうようなこともあったかと思うのですが、たとえばカメラを向けることが気分転換になったりということはありましたか?

あぁ、それはありましたね。カメラを持っていると、ちょっと距離をおいて現実を見ることができたんです。
もちろん、秋雪は長生きできないかもしれないから生きている間のいろいろなことを写真で残したいという気持ちは大前提にあって写真は撮っていたんです。だから写真を撮るたびに秋雪を写真に残せているんだという感覚になったんです。現像が上がって写真になると、「あぁ、今日はこんな風な顔が撮れたな」と思える。それが支えといいますか、辛い部分を見るのではなく、とにかく今できることをやらなきゃいけないという思いになったんです。

秋雪くんは今こうして生きているんだということを実感できるような。

はい。もちろん現実を見ると辛いこともたくさんあるんですが、毎日毎日、その瞬間のいろいろな秋雪が1枚、2枚と写真として残っている、自分の中でそれが残せているなということを感じられたんです。

ところで、秋雪くんはカメラを意識していたのでしょうか?

小さなお子さんはよく、カメラを向けるとポーズを取りますよね。固まってみたりピースをしてみたり。そういうことは秋雪の場合、10に1もないぐらいでしたね。全く、我関せずというかね。もしかしたら「お母さんまた始まった」「またやってるなぁ」という、半ば呆れ顔としょうがないなぁという気持ちはあったのかもしれないですね(笑)。

ですがどの写真を拝見しても、秋雪くんは本当に表情が豊かですね。

私が枚数を多く撮ったからこれだけの表情が撮れたということではなくて、本当に秋雪はいろいろな表情をするんです。だから、撮っていておもしろかったし、楽しかったし、やりがいがあったし、被写体としては最高でしたよ。たぶん、私の中ではずっと1番の被写体です。

2歳半ぐらいの頃の写真。近所の公園での1枚
2歳半ぐらいの頃の写真。近所の公園での1枚
お家でプール遊び。水遊びは秋雪くんの一番大好きな遊び
お家でプール遊び。水遊びは秋雪くんの一番大好きな遊び