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talk! talk! talk! 作曲家・船村徹さん


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作曲家・船村徹さん

作曲家

船村徹さん

「王将」「矢切りの渡し」など、数々の名曲を世に送り出してきた作曲家・船村徹さん。歌で日本人を励まし、勇気づけてきた船村さんにとってのかけがえのない長年の趣味がカメラである。自他ともに認める大のカメラ好きで、所有するカメラは130台ほど。新製品のチェックもかかさないそうだ。「これを買うために仕事をしているようなもの」とカメラを手に目を輝かせながら語る船村さん。
今回は、ひと言ひと言にカメラへの愛情が滲む船村さんのカメラ談義をたっぷりとお伝えします。

プロフィール

ふなむら・とおる。本名、福田博郎(ひろお)。1932年、栃木県塩谷郡船生(ふにゅう)村(現・塩谷町)生まれ。17歳で上京し、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)ピアノ科に通う。同校で知り合った盟友、高野公男氏の詩に感化され、22歳から作曲活動を展開する。その後、苦しい下積み時代を過ごし、1955年11月にキングレコードから発売された「別れの一本杉」(春日八郎)が大ヒットとなり世に出る。翌1956年、高野氏と共にコロムビアレコードの専属となるが、高野氏は肺結核が悪化し他界。1961年、「王将」(村田英雄)で戦後初の「ミリオンセラー」という金字塔を確立、その年のレコード大賞特別賞受賞。
これまでに、「哀愁波止場」「みだれ髪」(美空ひばり)「兄弟船」(鳥羽一郎)「矢切りの渡し」(細川たかし、ちあきなおみ)「風雪ながれ旅」「北の大地」(北島三郎)「傘ん中」(五木ひろし)など、数多くのヒット作品を世に送り出している。現在、社団法人日本作曲家協会会長、日本レコード大賞制定委員長、栃木県警察本部顧問、栃木女子刑務所篤志面接員、横綱審議委員会委員など、作曲はもとより、講演、審査員と多方面で活躍中である。1995年、紫綬褒章受賞。2003年、旭日中綬章受賞。
1978年にフリー作曲家となってから、無名時代に苦楽を共にした親友高野氏への思いを胸に歌作りの原点を模索する「演歌巡礼」の旅を開始。「日本人が日本人であり続ける限り、演歌や日本のメロディーが息絶えることはない」という船村氏は、今年で作曲生活52年目を迎えた。現在も全国各地に自ら赴き日本人の心を歌う「演歌巡礼」を続けている。

初めて手にしたニコンカメラは 世界を共に歩いたFフォトミック

カメラを持ち始めたのはいつごろからですか?

高校生のころから本腰を入れてやってました。上京して大学に入ったのが昭和24年ですから、その前だとちょうど戦後ぐらいですね。そのころはまだ、日本のカメラ産業はよちよち歩きでしたし、カメラは貴重品でしたね。まずフィルムが手に入らない、そういう時代です。それでもカメラをやっていたんですよね。

船村徹さん

当時、カメラを持っているということは、大変珍しかったんでしょうね。

あまりなかったでしょうね。家に、ドイツ製のスプリングカメラ(※注)がありまして、それを使っていたんです。当時から生意気でしたからね。食べるものもなくて痩せっぽちなのに、スイス製の時計をしてたり、そんなヤツだったんです(笑)。でもね、実際に撮るのが楽しかったんですよ。そのころはモノクロですから現像も自分でやっていましたし、そういうものも含めてカメラ全体が好きだったんですね。

撮影技術はどうやって身につけたのですか?

本をいろいろ買ったりして自分で勉強しましたね。それからね、これくらいまで(手にしたFを指して)のカメラだと、パシャっていうシャッター音でシャッタースピードが何秒かわかるんです。音を扱う仕事をしていますからね、これは職業柄なんでしょうね。だから夜でも撮っていましたよ。うんと練習していましたから、開放で10秒ぐらい、手持ちでもぶれないで撮れたんですよ。

ニコンのカメラも長く使っていただいているそうですね。

20代の終わりごろ、2年ほどヨーロッパで仕事をしていたんですが、その時に持っていたのがFフォトミックなんです。そのころからニコンを使っています。このFはね、僕と一緒に世界を歩いたカメラなんですよ。あの時代のヨーロッパの農村の風景というのは、青春の思い出と共に印象深く残っています。

現在のお気に入りの機種というと?

最近は、今日持ってきたD1X、F5も使っていますし、D100は軽いからちょこっと旅に出るときにいいので、それもよく使っています。でもね、不思議なんですが、このF5などは最近の他のカメラと比べると重いですよね。ところが写真を撮るときに構えると、きっちりと安定感のある重量になっているんですよ。軽ければいいというものでもないんだと思いますよ。弱い相撲取りみたいなものでね、下半身が決まらないんです。これぐらいの重量があるほうが僕は好きですね。

  • 注 スプリングカメラ=ボタンを押すと、前蓋の中に折り畳まれて収納されていた蛇腹とレンズ部分が表れスプリング(バネ)の力で自動起立するカメラのこと。

新製品は買わずにはいられない「カメラシンドローム!?」

船村徹さん

カメラをたくさんお持ちだとおうかがいしたのですが。

今はどれくらいかな。たぶん、カメラ本体だけで130台ぐらいはあるんじゃないかな。カメラでいっぱいになってしまってね、それに付随してレンズなどもたまるでしょ。だからね、この前、家一軒建てましたよ。

え! 家を?

例えば、D1を買いましてね、そうしたらD1Xがすぐに出て、ああ、画素数がこんなに上がっているじゃないかって思って買うでしょ。そうしたら今度はD100が出ましたよね。これも一応おさえておかないとっていうことで買っちゃうんです。そうやってどんどん増えちゃうんですよ。新しいカメラが出るとやっぱり気になるんです。次のはどんなだろうって。出たらね、買わなきゃしょうがないんです。

「しょうがない」んですね(笑)。

きっとカメラ病、カメラシンドローム、そういうものにかかっているんですよ。新しいカメラやレンズが出ると、こう体がムガムガッと(笑)してくるんです。それからね、注文してから手もとに届くまでがものすごく緊張するというか、興奮するというか、まだ来ないかなぁ、まだ来ないかなぁって思って、それで仕事が手につかなくなったりするんです。
ところがね、物が届いてその箱を見るでしょ、その瞬間にガクーンと。その後はもう冷静になっているんですよ。そういう感覚は毎回非常に感じますね。

でも、手に入ってからも、何度も出しては眺めてしまうなんてことはありませんか?

ありますね。仕事などで疲れると眺めるんです。私はレンズが好きなものですから、レンズを手に取って眺めていると気持ちが落ち着くんですよ。今は機械で作るんでしょうけれど昔は手で磨いていたんですよ。特にそのころ生産されたレンズを見ているとね、ひとつひとつ丁寧に磨いている職人さんのクラフトマンシップみたいなものが伝わってきて、「俺もいいものつくらなきゃなぁ」と思うんですよ。それでまた仕事ができるんです。かなりオタクな世界ですかね(笑)。

同じ物を生み出す人として、何か人ごとではないように感じるんでしょうね。

そうそう。レンズはそういう対象になりましたね。でもレンズもそうだけれど、カメラもすごい技術だと思いますよ。このあいだ復刻したS3だって、来るまでにずいぶん時間がかかるなぁと思ったけれど、設計図を起こしてビス一本一本から作ったんでしょう。そう考えると時間がかかって当然だし、あの値段でも安いもんですよね。