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At the heart of the image.

talk! talk! talk! 写真家・中村征夫さん


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写真家・中村征夫さん

写真家

中村征夫さん

地上に生きる人間にとって未知の世界とも言える海の中。写真家・中村征夫さんは
計り知れない海の魅力にとりつかれ、美しく、そして厳しい海の世界を写真で私たちに伝え続けている。
今回は写真や海との出会いから撮影秘話、そして海の魅力についてたっぷりとお聞きした。

プロフィール

なかむら・いくお。1945年、秋田県生まれ。20歳のときに独学で潜水と水中写真を始め、専門誌のカメラマンを経てフリーランスとなる。現在、撮影プロダクション、スコール代表。日本写真家協会、日本写真協会、日本自然科学写真協会会員。
国内外の海や自然、人々、環境を含め精力的に取材。数多くの話題作を発表する。ライフワークの東京湾をはじめ、水俣湾、空港建設で揺れた石垣島・白保、沈没による重油流出が問題となったナホトカ号の漂流地三国町、奥尻、諫早湾など、社会性のあるテーマにも果敢に取り組み、水中の報道写真家としても定評がある。またスチールのみならず、TVコマーシャル、映画やハイビジョン映像の撮影も行っており、その撮影技術は高く評価されている。講演および出版物、テレビ、ラジオなど様々なメディアをとおして、海の魅力と環境問題を伝え続けている。
最近の写真集に、『沖縄珊瑚海道』(アスペクト)『海の夜間飛行』(TBSブリタニカ)『水中の賢者たち』(集英社)、エッセイに『仲良しサカナ組』(さかなクンと共著・三五館)などがある。7/25~8/6の13日間、仙台藤崎デパート(仙台市一番町)本館7階にて写真展「水中の賢者たち」「海の季節」を開催。また、7/29~8/31にはJCIIフォトサロン(千代田区・日本カメラ博物館内)にて25年間撮りためた日本の南の島々に暮らす人々、風景、海中写真などをモノクロームにて展示する写真展「熱帯夜」を開催予定。

写真もダイビングも知らずに…… サラリーマンから水中写真家に

Photo(撮影・中村征夫氏)
オキナワトラゴロウ(沖縄)

海と写真、興味を持たれたのはどちらが先だったのですが?

珍しいかもしれないけれど、ダイビングと写真を始めたのは同時なんですよ。20歳のときに真鶴で海の写真を撮っているグループに出会ったんです。「海の中で写真が撮れるのか」という衝撃を受けて、自分もやってみたいなぁと思ってすぐ、「これやろう!」と決めてしまったんです。

それまで海や写真とはまったく縁がなかったのですか?

そうですね。僕の生まれは秋田で、海は遠かったんです。八郎潟(※注1)がそばにありましたから小学生の低学年ぐらいまでかな、1メートルぐらいの浅瀬に潜って水浴び程度に遊んでいましたけど、それぐらいですね。
写真は……僕、実はカメラが嫌いだったんですよ。全然興味がなかったんです。一度だけ高校生のときにハーフサイズのカメラ(※注2)を買ったことがあったんです。でも72枚撮れてしまうから撮っても撮ってもなくならないし、現像に出したらプリント代は高いし(笑)。「俺にはカメラは向かないな」って思って好きな女の子にカメラをあげちゃいました。それ以来まったく触ってなかったんですけどね。人生のいたずらとはこのことなんでしょうね。

中村征夫さん

ほんのちょっとした出会いがきっかけで、海の中でカメラを構えることになったというのはおもしろいですね。

初めて真鶴の海を見たときに、いろいろな生き物がいることにびっくりしたんですよ。海に人が潜って写真を撮れるんだという驚きとともに、海って凄いなぁというダブルの衝撃があって、それで決心してしまったんです。僕、結構めちゃくちゃなんです。何ごとも自分の勘のままに、こうと決めたらすぐ行動に移してしまうんです。水中カメラマンになると決めたときも、それまでやっていたサラリーマンを身内に何の相談もなしに“ぱーん”と辞めてしまいました。

では、ご家族はびっくりされたのではないですか?

僕はこれで食べていきたいと思っていたんですけど、親兄弟からは海に潜って写真を撮るなんて遊びとしか思えなかったでしょうね。「趣味と実益が一緒になるわけがない!」って、まさに勘当モノでしたね。親兄弟は僕が会社をクビになったんだと思ってましたね(笑)。自主的に辞めたんだと言っても「なんかやらかしたんじゃないの?」って言ってたんじゃないでしょうか。

  • 注1 八郎潟=秋田県のほぼ中部に位置する湖。日本海とつながっていたため淡水と海の両方の魚が採れ、周りには多くの漁民が暮らしていた。しかし、戦時中の食糧難解消の目的で米を作るため干拓が計画された。昭和32年に干拓が始まり現在八郎潟は大潟村に姿を変えている。
  • 注2 ハーフサイズカメラ=画面サイズフォーマットを通常の24×36mmではなく17×24mm前後にすることで、より多い枚数の写真を撮影できるカメラ。画質や規格の違いから今ではあまり使用されなくなったが、愛好家には根強い人気がある。

露出不足で失敗の連続 「撮っても撮ってもフィルムは真っ白でした」

Photo(撮影・中村征夫氏)
ヤギとキンメモドキ(沖縄)

写真もダイビングも、ゼロからのスタートだったのですよね。相当苦労されたのではないですか?

ええ、最初は全然ですよ。写真の「し」の字も知らないんだから。撮っても撮っても真っ白なネガフィルムが写真屋から返ってくるんです。「露出が足りないんですよ」と言われるんですが、「足りないなら普通は黒くなるんじゃないの?」って言ってましたから(笑)。露出が合っていると黒くなるんだといくら説明を受けてもわからないんです。
あまりのひどさに見兼ねて写真屋のお兄ちゃんが海まで着いて来てくれたこともありましたよ。でも彼は潜れないから、海岸で1人でパチパチ撮っていて結局何も教えてくれなかったんですけど(笑)。

海の中ではとくに露出が足りなくなってしまうのでしょうね。

そうですね。そもそも光がなければ写らない、ということが分かっていませんでしたね。最初は素潜りでしたし、スピードライトを買うお金もありませんでしたから自然光で撮っていました。素潜りも下手だから水面に浮いて、カメラを下に向けて撮影しているんです。おまけに絞りもシャッタースピードもよくわからず、何の設定もしていませんでしたから、どうしたって写らない。何枚フィルムを浪費したわからないですよ。

他に撮影で難しかった点というのはどこですか?

素潜りだから体が揺れてブレてしまうんです。おまけに僕はカメラを下に向けて撮っていたから余計に光が足りなくなる。光の不足を補うために感度400のフィルムを使って絞りを解放にしたとしても、シャッタースピードは1/15か1/30と、かなり遅くなってしまうのです。これは陸上での撮影でも手ブレをしてしまうシャッタースピードですから、これが不安定な水中だとかなり難しいです。
今でもその難しさは同じですよ。いかに自分の体を揺らさないか、動かさないかっていうことが重要なんです。

コツをつかみ始めたのはどのくらいたってからですか?

少し写るまでに2年ぐらいかかりましたね。ダイビングもその頃から素潜りではなくボンベを付けて潜るようになりました。

どんな生き物に出会うかわからない その一瞬を撮らえられるかが勝負

中村征夫さん

現在カメラはニコンを中心に使ってくださっているそうですね。

初めて手にしたのはニコノスI型なんです。今持っている人は少ないでしょうね。僕も10年ぐらい使っていたんですが、小笠原の撮影で観光船に乗り込むときに海に落としてしまってそれっきり……今は泥の中に埋もれているんでしょうね。
実はそのあと他のメーカーのカメラを使っていたんですが、ニコノスVの広告をシリーズで撮影する機会がありまして、それをきっかけにまたニコンに変わったんです。

数種類のカメラをお持ちだと思いますが、どのように使い分けていらっしゃるんですか?

撮る目的によって全部違いますよ。たとえばニコノスRSだったら巨大生物や雄大な風景。F3、F4だったら小指の先ぐらいのおもし

ろい生き物だったり。まぁ、本当にその時々、まちまちですね。
1本の潜水時間でどんな生き物に遭遇するかわからない世界なんです。その一瞬を撮り逃さないために、2~3台は持っていかないといけませんよね。それにスピードライトを各カメラに1、2台とタンクを背負って潜ります。

大変な大荷物ですね。

そうですね。でも、常にどんな生き物にも対処できる状態で待っていないとダメなんです。一番腹が立つのはカメラがオフになっているときです。「来た!」って思ってアシスタントからカメラをもらうとシャッターが下りないんですよ。次の瞬間にはもうその生き物がいなくなってしまうこともありますからね。シャッターチャンスはもう二度と来ないですから、それを撮れなかったというのは一番くやしいですよ。