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talk! talk! talk! 作家・C.W.ニコルさん


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作家・C.W.ニコルさん

作家
C.W.ニコルさん

自然の美しさに惹かれ日本に移住したという作家・C.W.ニコルさん。作家として活躍を続ける一方で18年前から長野県で森の再生活動を行っている。世界各国で深刻な森林破壊の現場を目撃してきたニコルさんが日本で再生活動をはじめた理由とは、そして活動を通して伝えたいことは何か。
今回は執筆活動中に撮った写真と合わせて、自然を守りたいという熱い思いをたっぷりと語っていただいた。

プロフィール

1940年、英国ウェールズ生まれ。17歳でカナダへ渡り、その後、カナダ水産調査局北極生物研究所の技官として、海洋哺乳類の調査研究にあたる。この間1962年、空手修行のため来日。1967年より2年間、エチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官に就任。シミエン山岳国立公園を創設し公園長を務める。1972年よりカナダ水産調査局淡水研究所の主任技官として、石油・化学薬品の流出事故などの処理にあたる。1975年、沖縄海洋博覧会・カナダ館の副館長として再来日。1978年からは取材のため和歌山県太地町に滞在、1980年長野県黒姫に居を定め、以後、作家・エッセイストとして執筆を続ける。1975年には日本国籍を取得。おもな著書に、『ティキシー』角川書店、『勇魚』文藝春秋社、『風を見た少年』講談社、『盟約』文藝春秋社、『裸のダルシン』小学館、他、多数。
 執筆活動の一方で自ら45,000坪の荒れた山林を購入し、過去18年にわたって生態系の復活を試みる森の再生活動に取り組んでいる。2001年、野生生物とともに人が豊かに暮らせる森づくりをめざしてNPO『アファンの森基金』を設立。2002年には財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団を設立し、新たなスタートを切っている。

「日本の美しい自然で心を癒そうと思った」

C.W.ニコルさん

現在は日本国籍を取得されていますが、もともとは英国、ウェールズのご出身だそうですね。

ええ、でも祖国ウェールズは17歳の時に離れていますから、今ウェールズに戻っても浦島太郎みたいな状態でしょうね。

そもそも、日本に住もうと思ったきっかけは何だったのですか?

僕は17歳でウェールズを出てからカナダでクジラなど海洋哺乳類の調査をしていました。その後、エチオピア国立公園で野生動物や森を守っていたんですが、戦争が起きて公園が戦場になってしまったんです。僕は森のために一生懸命に戦いましたが、結局森の9割が破壊されてしまった。絶望しました。
エチオピアの戦いは本当に凄まじかったんです。その後、カナダ政府で仕事をしていましたが、戦いを経験したことで僕はとてもどう猛になっていて、“このまま仕事をしていると危ない、自己が破壊されてしまう”と感じました。それで心の傷を癒すために日本に来ようと思ったんです。日本には以前空手修行で来たこともあり、美しい自然がたくさんあることを知っていました。日本の美しい自然の中を歩いて心の傷を癒して、それからまた仕事をしよう、日本で人生をやり直そうと思ったんです。そうして日本に来たのが38歳の時です。

長野県の黒姫という場所を選ばれたのもその頃ですか?

黒姫に住むきっかけは、詩人の谷川雁さん(※注)との出会いです。以前、空手修行で日本に勉強に来た時、雁さんと一緒に童話を書いたりしていたんです。僕は日本に来てから和歌山の太地という所で『勇魚』という、くじらと日本人を題材にした小説を書いていましたが、本ができるまで収入がないでしょ? 雁さんは僕にお金がないことを分かっていて、子供向けの古事記の翻訳の仕事を一緒にしないかと声をかけてくれたんです。その時すでに、雁さんは黒姫に住んでいたので、1、2ヶ月に1回、黒姫に行くようになったんです。
太地に1年住んで、そのあと南氷洋に1年行った後、雁さんは僕に「それで君はこれからどうするの?」って聞きました。僕はその時、これからは作家としてがんばりたい、大好きな日本に住もうと思っていると伝えると、「じゃあ、黒姫に住みなさい」と言われ、僕も素直に「ああ、そうですね」と(笑)。それが1980年。40歳の時に黒姫に住むことを決意しました。

  • ※注谷川雁=詩人、評論家。1923年熊本県生まれ。1954年以降、詩集『天山』『大地の商人』『谷川雁詩集』を発表。1953年に黒姫に移住、以後評論家として評論集を刊行。1965年に上京、宮沢賢治の童話の世界をもとに児童文化活動にも取組んだ。1995年、肺がんのため死去。

『think globally act locally』 地球規模で考え、身の回りから行動を起こす

ニコルさんは長年、黒姫で森の再生事業を行っていらっしゃいますよね。

そうですね、18年になります。黒姫の土地を少しずつ買い足していって、手間ひまをかけてその土地に豊かな森を育む作業をしています。“アファンの森”と名付けたその森は、昨年、念願叶って財団法人になりました。

アファンの森を作り始めたいきさつを教えていただけますか?

僕が黒姫に来たとき、そこはどこよりも豊かで美しい自然に溢れていました。もちろん日本全体を見れば開発、開発で、貴重な原生林が各地でバッサバッサと伐られている事も知っていましたが、この黒姫の自然だけは大丈夫だと思っていました。ところが実際、それは間違いだったのです。黒姫のような山奥でさえ原生林が伐られてしまっていたんです。
僕はこれまでいろいろな場所で森を守ろうと戦ってきました。世界には僕と同じような考えを持った人も大勢いましたが、森を守りきることはできなかった。やっと辿り着いた黒姫でも森が破壊されていってしまうことに憂鬱になり、一時期は自暴自棄になってしまいました。

高度成長期頃の日本では、全国各地でダム建設が行われたりと森林破壊が進んだ時期でもありましたね。

本当に憂鬱になりましたよ。言論の自由があって宗教の自由があって、国民のほとんどが字を読み書きできて、平和でお金もある。こんなに豊かでいい国でさえ自然の良さがわからないのかと思いました。こんなに平和な国がダメならば、他の国もダメですよ。そんな時に、祖国、ウェールズから手紙が来たんです。“アファン・アルゴートという場所に森を作った。日本の木をそこに植えたいのだけれど、何がいいだろうか?”と。
僕は信じられませんでした。産業革命で森林をどんどん破壊してしまったウェールズは、私が子供の頃には月の表面のように荒れ果てた土地でした。1920年頃までは、国の20%以上あった森林が、第一次、第二次世界大戦の間でわずか6%しかなくなってしまったんです。その国が森を作っていると聞いてウェ-ルズに行ってみました。ウェールズでは豊かな緑を取り戻すために本当に森を作っていました。現在森は12%までに増えたそうです。川の再生なども行っていますから、30年後には森は倍に増えるでしょう。僕はそれを見て、日本に森を作ろうと思ったんです。日本はまだ助かる、僕はそう信じたんです。“アファンの森”というのは、アファン・アルゴートからとって付けました。

C.W.ニコルさん

例えばそこでこれまでのように、エチオピアなど、日本以外の深刻な地域に行って活動を行おうとは思わなかったのですか?

それはしません。僕はこれまで世界中を見てきて、戦って、疲れて逃げてきました。そして辿り着いた日本ではもう逃げたくなかったんです。それに僕はまず、自分の周りの環境を保護すべきだと思ったんです。人の国に口を出すのではなく、まず自分の周りの環境を守れと僕はいつも言うんです。

まずは自分の住んでいる黒姫を救おうということですね。

はい。エチオピアのためにどうにかしようと言われても、僕はやりませんよ。“think globally act locally”という言葉があります。1人1人が意識して自然を残していかないとどうにもならない問題なんです。