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talk! talk! talk! フォトジャーナリスト・ジョー・ギャロウェイさん


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フォトジャーナリスト・ジョー・ギャロウェイさん

フォトジャーナリスト
ジョー・ギャロウェイさん

2002年6月に公開されたメル・ギブソン主演の映画『ワンス&フォーエバー』の原作、『We were Soldiers Once ...and Young』は、全米で17週連続ベストセラーを記録したノンフィクション小説。ベトナム戦争(※注1)が本格化・長期化するきっかけとなった1965年11月の、「イア・ドラン谷」における壮絶な闘いの記録である。この本の原作者のひとりであるギャロウェイさんは、自ら志願してベトナムに向かった戦地特派員だった。彼を、ベトナムに駆り立てたものは何だったのか。身の危険をおかしてまで前線に行き、そこで何を記録しようと思ったのか。そして、そこで見たものは何だったのか……。

プロフィール

本名ジョセフ・L・ギャロウェイ。1941年、テキサス州生まれ。17歳よりデイリー・ニュースのリポーターとなり、19歳でユナイテッド・プレス・インターナショナル(UPI)(※注2)の局長となる。その後15年間、フォトジャーナリストとして、日本やベトナム、インドネシア、インド、シンガポール、ロシアなどに住む。戦地には積極的に出向き、ファインダーを通して戦争の真実を人々に伝えてきた。1982年にUPIを辞めた後、湾岸戦争時にはU.S.News & World Report(※注3)のライターとして活躍。2001年9月から2002年3月まで、コリン・パウエル国務長官のスペシャル・コンサルタントに。

※注1 ベトナム戦争……1960年代初頭から1975年4月30日まで、ベトナムで繰り広げられた、南ベトナムと北ベトナム間の武力衝突。もっとも、その実態は、南ベトナムを支援したアメリカと、北ベトナムを支援したソ連・中国との政治戦略的戦争で、南北ベトナム人民の犠牲者は200万人、アメリカ兵も6万人近くが命を落とした、大規模で壮絶な戦いだった。

※注2 UPI……アメリカの通信社「United Press International」の略。世界各国に特派員を派遣し、現地からのリポートを世界各国に配信している。

※注3 U.S.News & World Report……TIME、NEWSWEEKと並ぶ、アメリカの3大ニュース誌のひとつ。

ベトナム戦争は、「これまでの戦争と何かが違う」と直感した。ならば、その真実を伝えたい。その思いが私をベトナムへ向かわせた……

そもそも、ギャロウェイさんは何がきっかけで、フォトジャーナリストになられたのでしょうか?

幼い頃、第二次世界大戦中に活躍した、アーニー・パイル特派員の戦地リポートを読みました。
 彼のリポートは、兵士、市民、味方、そして敵と、戦争という渦に巻き込まれた人々が戦時中何を思い、感じ、どう生きているのかをつぶさに捉えたものでした。人々の生の声が息づいた彼の記事は、単なる戦況報告ではなく、私は幼いながらも深く感動し、ジャーナリストという職業に憧れを抱くようになりました。

では、最初から戦地特派員に?

ジョー・ギャロウェイさん

ジャーナリストとしては、カンサス州議会担当のUPI(※注2)の政治記者がスタートでした。ちょうどその頃は、急激に通信網が発達してきて、世界各地で取材に当たっている特派員からいろいろな情報が入るようになった時期でもありました。
 1963年頃からでしょうか、後にピューリッツァー賞(※注4)を受賞したニール・シーハンをはじめ第一級の通信記者たちが、次々にサイゴン(現ホーチミン)に集まり、現地からしきりに情報を送ってきたのです。そうした動きの中、「ひょっとすると、ベトナムで戦争が始まるのではないか、しかもその戦争にはアメリカが関わることになる」と感じたのです。それで、「もうカンサスなんかにいる場合じゃない!」 と、いてもたってもいられなくなったのです。

すばらしい直感ですね。幼い頃にアーニー・パイル氏の記事に感動したとしても、ギャロウェイさんには、ジャーナリストとしての鋭い勘が備わっているのかもしれませんね。

どうなんでしょう。ただ、もしこの戦争が始まったとしたら、自分と同世代の人間が戦地に赴き、戦火にまきこまれていくことになるという確信はありました。そして、それを伝えるのは自分しかいない、そう思ったのです。
そこで私は、週に1度、ボスに「私をアジアに送ってくれ」 という手紙を書き続けました。私のボスは、しょうがないから私をアジアに送るか、もしくはクビにするかの選択を、うんざりするほど迫られていたわけです(笑)。そして1964年11月、ついにボスから「東京支局に行ってくれ」と電話がありました。「もういいから、好きな所へ行ってくれ」という気持ちだったのでしょう(笑)。

でも、ギャロウェイさんが本当に行きたかったのは、サイゴンですよね。東京からサイゴンに移るために、今度はどんな策を講じたのでしょう(笑)。

東京に着いて2日後、当時のUPI東京支局長に「実は、私は東京支局に来たかったのではなく、サイゴンに行きたいのです」と訴えました。すると5ヶ月後、支局長は私をサイゴンに送ってくれたのです。それはちょうど、アメリカ海兵隊員が初めてベトナムに上陸したときでした。私は、ようやく念願がかない、「これでいよいよ自分の仕事ができるのだ」と、興奮していました。またその時点では、アメリカが本格的に関わるようになったのだから、この戦争は早期に終結すると信じていました。

  • 注4 ピューリッツァー賞……アメリカの新聞王、ジョセフ・ピューリッツァーの遺志で制定された、世界でもっとも権威ある賞のひとつ。「ジャーナリズムのアカデミー賞」「言論のノーベル賞」とも称される。ジャーナリズム、文学、ドラマ、音楽の4分野に分かれ、ジャーナリズム分野では「写真」のほか14部門の賞が設けられている。日本では、これまで「写真」部門で、カメラマンの長尾靖、沢田教一、酒井淑夫の3名が受賞。沢田、酒井両氏の受賞写真は、いずれもベトナム戦争中のものである。

人間が、それぞれ何を思い、何のために戦うのか。戦地の真実を伝えること、それが「私の仕事」。

ベトナム戦争はその後、8年間も続きましたね。さすがのギャロウェイさんも、この戦争が、これほど長期化するとは予測できなかったと?

実際に現地に入るまでは、私は「戦争」がいったいどういうものなのか、本や映画から得た情報の中でしか知りませんでした。ですから、それまでに世界で起きた他の戦争のように、ベトナム戦争もアメリカが関与すれば長引くことはないと思っていたのです。しかし、サイゴンに着いて1週間後に、私はすべてを理解しました。「この戦争は早期終結なんてあり得ない」と。
 サイゴンに着いて2日後に取材許可が下り、3日後にはダナンに入りました。着いたばかりの私に、ユエルさんというUPI所属のベトナム人ジャーナリストが「とにかく、現地に行こう」と言うのです。「海兵隊が、この近くの闘いで犠牲になったアメリカ人の遺体を回収しに行くらしい。それに同行しよう」と。ヘリはすぐ出発するというのに、そのときの私はスーツケースを持ち、シャツにズボンという、ごく普通の"市民"の姿をしていて、とても戦地に行く格好ではありませんでした。しかし私はスーツケースを放り出し、カメラだけを持ってユエルさんと一緒にヘリに乗り込んだのです。
 15分くらいすると、眼下に広がる水田の中にひとつの丘が見えてきました。そこには、300人くらいの兵士の姿が見えました。ところが、地上に降りて兵士たちに近づいてみると、そのすべてが南ベトナム軍兵士の死体だったのです。

ジョー・ギャロウェイさん
取材許可証
今でも宝物だという大切な取材許可証
を見せながら、許可証の内容
を丁寧にご説明してくださいました。

そのとき、まず何を感じましたか?

目の前に300もの死体ですよ。衝撃でした。こうしていきなり、壮絶な現実の中に放り込まれた私は、「これは大変なことになる、アメリカはとても深刻な状況に陥っている、この事実を人々に伝えなくては」と思いました。

その後、ギャロウェイさんは、戦地の最前線にどんどん飛び込んでいって撮影(取材)を続けられましたが、ご自身があの犠牲になった300人の兵士たちのようになるかもしれないという恐怖はありませんでしたか。我が身の危険を感じながらも、ギャロウェイさんを撮影に駆り立てたものは何だったのでしょうか?

戦地で何が起きているのか、そこにいる人間は何を思い、何を感じているのか。その"真実"を伝えるのが「私の仕事」です。私はそのために志願してベトナムに行ったのですから、たとえ自分の命がかかっていても、撮影をしなければ行った意味がありません。記事を書くだけなら身を伏せていられますが、カメラマンは撮影するためにはつねに兵士について動き回り、立ち上がらなければならないので、必然的に銃弾を受ける確率が高くなるのです。ベトナム戦争では70名以上の特派員記者が亡くなっていますが、その大半は常に身の危険にさらされているカメラマンです。

映画の中のギャロウェイさんが、「私は非戦闘員だ」と言いながらも、カメラをハル・ムーア中佐に渡されたライフルに持ち替えるシーンがとても印象的です。

私は2年半、ベトナムにいたのですが、その間に銃を持ったのは、あのシーンを含めて2度だけです。自分自身の命がかかっている、または周囲の人間を守らざるを得ないという状況に陥らない限り銃を持ちたくなかったし、事実、そのような事態以外では持ちませんでした。
 私は、敵か味方かということよりも、いまここで戦いを交わす兵士たちの思い、戦っている意味などの、この戦争の真実を伝えたかったのです。そのために私が持つべきなのはカメラであり、銃ではありませんでした。

特派員の取材許可証には、「この人間は非戦闘員である」と記されているとか?

ええ。許可証の裏には、こう記されています。「この持ち主は市民であり、戦闘員ではない。もし、この持ち主を捕らえた場合、捕らえた人はこの許可証を上官に見せなければならない。そして、この持ち主を捕虜とする場合は、"将軍"に値するだけの敬意をもって処遇しなければならない……云々」。つまり、この人間は兵士とは違うのだから、戦いに巻き込んではいけない、ということです。ただ、いざ戦闘、というときに、ベトナム兵に対して「ちょっと待って。これを読んでください」なんて許可証を見せている余裕なんてありません(笑)。