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talk! talk! talk! 漫画家・しまおまほさん


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漫画家・しまおまほさん

漫画家
しまおまほさん

授業中にプリントの裏に描かれた漫画が、口コミで広まりベストセラーに。社会現象にもなっていた「コギャル」を描き話題となった「女子高生ゴリコ」から5年。作者・しまおまほさんは今では若者のサブカルチャー界では欠かせない存在となっている。
ゴリコはどこでどのように生まれたのか?独特の感性を持ち、写真家の両親を持つ彼女の目には「写真」はどう映るのか?多方面で活躍するしまおさんに、ゴリコ誕生の話から、写真の話まで幅広く語っていただいた。

プロフィール

1978年東京生まれ。高校2年生のとき、授業中にプリントの裏に描いた漫画「女子高生ゴリコ」が口コミで都内の女子高生の間に広まり、大ブームとなる。ついにはそれがマスメディアに発掘され、1997年秋に扶桑社より出版されベストセラーとなった。昨年には文庫化もされている。その後も様々なメディアで活躍を続け、「relax」(マガジンハウス)、「H」(ロッキング・オン)など、多方面の雑誌で文章にイラストなどを駆使したページを展開して若者に圧倒的な支持を得ている。現在は月に5~6本の雑誌連載を持ち、他の著書には「タビリオン」(ブルースインターアクションズ)がある。今年3月に多摩美術大学を卒業。両親は写真家の島尾伸三、潮田登久子。祖父は「死の棘」で知られる作家・島尾敏雄。

皮肉と憧れの入り混じった愛すべきキャラクター「女子高生ゴリコ」。「少し退屈な高校生活の中でのストレス発散でした」

『女子高生ゴリコ』
『女子高生ゴリコ』(扶桑社/本体952円+税)
もともとは、高校の授業中にプリントの裏に描かれた
マンガのコピー本でした。当時流行りのコギャル
(なぜか、鼻毛がはみ出していますが)であるゴリコ
が主人公。「ゴリコ、最近暇すぎー」などとぼやき
ながら、街で学校でかならず大失敗。そんなマンガが
女子高生の間で瞬く間に口コミで広がり、ベスト
セラーになったマンガです。(表紙より)
しまおまほさんと恩師の鈴木志郎康先生
卒業式に袴を着けました。
となりは恩師の鈴木志郎康先生。

今やしまおさんは月に何本もの雑誌連載を持つなど大活躍されていますが、そんなしまおさんの最初の作品が、有名な「女子高生ゴリコ」ですよね。昨年は5年ぶりに文庫にもなりましたね。

そうです。ちょうど5年前ですね。描き始めたのはちょうど高校生でしたから。

ちょっと古い話になりますが、またさかのぼって「ゴリコ」の誕生秘話をお聞きしたいのですが、もともとのきっかけが、授業中にプリントの裏に描いたのが始まり、というのは本当なのでしょうか?

そうです、その通りなんですよ。授業中、本当にひまで(笑)。最初に授業中に漫画を描くようになったのは中学生の時で、その時描いていたのが「ゴリオ」という男の子が主人公の漫画だったんです(笑)。それからしばらくして高校2年生の頃に、昔、授業中に漫画を描いていたことをふと思い出して、「女子高生ゴリコ」を描き始めました。
 当時はルーズソックスとかが大流行していて、いわゆる「コギャル」の全盛期だったんですよね。だから、「じゃあ、“ゴリコ”でコギャルを描いてみようかな」と(笑)。なぜ「ゴリオ」「ゴリコ」という名前にしたのかは全く覚えてないんですけど、自分なりにそれが面白いと思ったんでしょうね(笑)。

「ゴリコ」は授業中に先生の目を盗みながら描いていたのですか?

そうですね。描く授業も大体決まっていましたね(笑)。たしか世界史、古文はいつも描いていたなあ。

それは、嫌いな授業ですか(笑)?

嫌いな授業というか、先生がほとんど注意しない授業や、あまり質問とかをされない授業ですね。だから、すぐあてられてしまう数学とかは絶対無理でした。

当時はゴリコのような「コギャル」が大ブームでしたが、しまおさんご自身はどんな高校生だったんですか?

そうですね、見逃してくれたことを感謝しないと(笑)。

では、世界史や古文の先生が厳しい先生だったら「ゴリコ」は生まれていなかったかもしれないですね。

私自身は、「ゴリコ」とは全く違う高校生でしたね。その頃は、やっぱり私の学校でも「コギャル」という感じの子が本当に多かったんです。私服の学校だったのに、みんな中学校時代の制服のスカートを短くして、ルーズソックスをはく、という感じでわざわざ制服を作って着ていたし、ちょうど「パラパラ(※注1)」もはやっていましたね。
 でも、私はそういう子たちとは全く興味の方向が違ったんです。学校にも私服で行っていたし、みんなとは見るテレビ番組も、読む雑誌も、趣味も違う、という感じで、当然話題も全く合わないので、学校には気の合う友達がほとんどいなかったんですよ。授業中に「女子高生ゴリコ」を描くことは、ちょっと退屈な高校生活の一つのストレス発散でもありましたね。

では、実際にしまおさんがいわゆる「コギャル」だったわけではなく、周りにいる女子高生を観察して、「女子高生ゴリコ」を描いていたのですね?

そうなんですよ。だから、最初は結構、「なんだ、あれは?」っていう皮肉の意味もこめて描いていました。でも、そのうち「ゴリコ」に対する愛着も出てきて、途中からはキャラクターもだんだんけなげな感じのかわいい路線に変えていきました(笑)。

描いているうちに少しは自分に近い性格も入れたりしましたか?

自分がやりたくてできないことを「ゴリコ」に漫画の中でやらせる、ということはありましたね。

例えば、どんなことでしょう?

Photo 撮影・しまおまほさん
学校の卒業展のパーティー。
その場の雰囲気を楽しみながら
パチパチ撮った写真です。

ルーズソックスももちろんそうだし、合コンに行ったり、デートしたり、クラブに行ったり、DJの彼氏を作ったり(笑)。だから、やっぱり私もちょっとは憧れていたんですよね、周りの「コギャル」の子達の世界に。
 でも、だからといって「コギャル」の子が不良だとか、不真面目だと思っていたわけじゃないんだけど、それでも自分とはあえて一線を置いていたのは、やっぱりプライドもあったのかな、と思いますね。簡単に言うと、自分ではできないことをゴリコに経験させたっていうことですね。

そのようにしてしまおさんが自分とは異なる高校生活を描いた「女子高生ゴリコ」は、どのようにして広まっていったのでしょう?

私は自分の高校では友達が数人しかいなかったんですけど、高校2年から美術の予備校に行くようになって、そこで初めて友達がたくさんできたんです。予備校には、私と同じ感覚を持った、同じ価値観の子がたくさんいて、その子達と遊ぶことによって、私の高校生活も急に楽しくなりました。それまではモヤモヤした気

持ちを漫画を描くことで発散させていたけど、だんだんそんな必要もなくなってくるくらい。
 そんな時に、その予備校の友達に、それまで描いていた「女子高生ゴリコ」をコピー本にしたものを見せたんですよ。そうしたら、みんな面白いと言ってくれて、ちょっとした騒ぎになりました(笑)。それからはその子達がそれぞれ自分の学校に持っていって、そこでまた評判になって、という感じで、自分の高校とは違う場所でどんどん広まっていったんです。

そしてついには本になり、ベストセラーとなったのですね。

  • パラパラ=ユーロビート調の曲に合わせて、集団で同じ振り付けで踊る踊りのこと。