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talk! talk! talk! アルパ奏者・上松美香さん


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アルパ奏者・上松美香さん

アルパ奏者
上松美香さん

きらびやかで、どこか懐かしい音色をもつラテン生まれの楽器・アルパ。その美しい音色で、今、多くの人の心を魅了しているのが上松美香さんだ。
「とにかくアルパが大好き」と瞳を輝かせて話す上松さん。アルパとはどんな楽器なのか?そしてアルパによって優しい音色を紡ぎだす上松さんとはどんな人なのか?上松さんとアルパとの出会いから、その魅力、そして、多忙な上松さんの大切な存在となっている写真についてまで、その思いをお聞きした。

プロフィール

1982年長野県安曇野・穂高町出身。13歳のときアルパ奏者の母のもとでアルパを始める。1998年5月にパラグアイにアルパ留学し、同11月にパラグアイ「第21回グアランバレ・フェスティバル」で特別賞を受賞。1999年に第2回全日本アルパコンクール優勝。2000年5月にはメキシコ・シティで開催された「第4回ラテンアメリカ・アルパ・フェスティバル」に招待出場し、ベラクルス芸術大学より「アルパ・マエストラ」の称号が授与される。
2000年6月にアルバム「INOCENCIA」でデビュー。2001年11月に3rdアルバム「PASION」を発表。CD付エッセイ集「PASION~白い鳥のつばさに乗って」(講談社)、CD付写真集「TIERRA 白い天使」「TIERRA 風の天使」(芳賀書店)も好評発売中。テレビ、ラジオにも多数出演し、懐かしく優しいアルパの音色で多くの人々を魅了している。

【アルパとは?】
竪琴ハープのスペイン語。37本の弦をもつ楽器で、グランド・ハープより小型でペダルがない。スペイン人によってラテンアメリカにもたらされたといわれ、メキシコ、ベネズエラ、ペルー、チリ、パラグアイなど広い範囲に分布している。それぞれの国や民族の文化に根ざし、独自の奏法が工夫されている。とくにパラグアイのアルパは、きらびやかな音色と優美な形を持つことで有名である。

人生の転機となったパラグアイへの留学。「毎日が喜びの連続でした!」

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父と母と2匹の可愛い猫チャンたちです

上松さんがアルパという楽器と出会ったきっかけは?

私の父が、昔からクラシックギターを弾いていて、そのギターに合った楽器がないかなあ?ということで母が見つけた楽器が、アルパだったんです。私は長野県出身なんですけど、父と母はそれから二人で、長野県中のいろんなイベントやコンサートで演奏するようになりました。私がアルパを始めたのも、気がついたらそんな二人の間に入って自然に一緒に弾くようになっていたという感じですね。13歳くらいの頃からだったと思います。

では、アルパはお母様に習われたのですか?

はい。最初は習ったというよりも、真似をしていたと言う方が近いかな(笑)。本当に自然に、アルパがいつの間にかどんどん近づいてきていたという感じなんですよ。私は音楽好きの両親に育てられて、生まれたときから常に音楽が身近にあったけれど、両親は私が音楽の好きな子に育ってくれればいいな、と思っていただけで音楽家にしようなんて全く思っていなかったそうです。

では、上松さんが本格的にアルパの道を目指そうと思われるようになったのはいつ頃なのでしょうか?

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生まれ育った家。
ここから私が始まりました

私は中学時代はテニス部に入っていて、最初は部活に夢中でアルパには見向きもしない、という感じでした(笑)。でも、両親と一緒にアルパを弾き続けるうちに学校を休んで演奏会にも出たりするようになって、だんだん自分の中でアルパが占める割合が大きくなっていったんです。
 だから、中学を卒業するときに、普通の高校生もきっと楽しいだろうけど、やっぱり自分はこうして音楽に囲まれた環境にいて、せっかくアルパという楽器にも出会ったんだから、自分の好きなことをやらなきゃ損だと思い始めました。それで、アルパを弾ける東京の高校への進学を決めて、音楽の勉強のためにすでに東京で暮らしていた兄のところへ来たんです。

初めての東京での生活は、どうでしたか?

寂しくて大変でした。ずっと長野の山の中で育っていたので、東京に来た途端にビルや車がいっぱいで、それだけでとにかくパニック状態になってしまったんです。当時の私には東京の空気や朝の電車のにおい、まわりの人の感じなど全てがとても冷たく見えてしまって、自分があまりにも小さく感じて、悲しくてたまらなかったんです。学校の勉強も忙しくて精神的にどんどん追いつめられてしまい、アルパもあまり弾けない日々が続きました。ついにはストレスのあまり、東京へ来てたった1ヶ月で、一目ではっきりとわかるほど太ってしまって…。

そんなつらい時期があったのですか…。どうやってそこから乗り越えられたのでしょう?

私の様子を見に上京してきた母が、「これじゃいけない、このままでは美香が壊れてしまう」と思ったんでしょうね、突然言ったんです。「美香ちゃん、パラグアイに行こう!」って(笑)。母の一言であっという間に話が進み、とりあえず2ヶ月間という形で私は母と2人でパラグアイにアルパ留学することになりました。母の提案の1週間後には、もうパラグアイに向かう飛行機の中にいたんですよ(笑)。

急展開ですね! パラグアイへの留学はいかがでしたか?

もう本当に楽しくてたまりませんでした! やっと念願のアルパだけの生活になって、それまで乾ききっていた私の生活に「アルパ」という水がドーッとすごい勢いで流れこんで、潤ってきたという感じでしたね。とにかく毎日が喜びの連続で、「ああ、私はこれからこうしてずっとずっとアルパをやっていくんだ」と、本当に満たされた気持ちで毎日を過ごしたことを今でもはっきりと覚えています。

留学中はどんな練習をなさっていたんですか?

マルティン・ポルティージョさんという、パラグアイではとても有名なアルパ奏者の方に教えていただきました。マルティン先生は、パラグアイ特有の力強いアルパの演奏というよりは、女性的な繊細な演奏をされる方で、私はいろんな刺激を受けましたね。
 アルパには楽譜がありません。だから教えていただくときも、先生の指を見て、耳で聴いて、体全体で直接覚えていきます。先生には1日1曲というペースで、とにかくたくさんの曲を教えていただきながらテクニックなども学びました。自分でも驚くくらいのスピードで先生の曲をどんどん吸収することができて、2ヶ月間で覚えた曲は全部で50曲。2年間分くらいの勉強をすることができたと思いますね。

どれくらいの練習量だったのでしょうか?

毎日食事と睡眠時間以外はひたすら弾き続けていましたよ(笑)。でも、それは楽しい中にあったものだから、全然苦とも思わなかった。逆にアルパを弾くことが私の生きる力になっていたので、とにかく弾いても弾いてもただ楽しくて、寝る時間ももったいないくらいでした。それくらいアルパに夢中だったんです。

アルパも弾けなくなっていた東京でのつらい日々が嘘のようですね。

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家中いたるところにアルパがあります。これは居間

はい。もし、あのとき母がパラグアイに連れていってくれなかったら、私はアルパをやめてしまっていたかもしれない。だから、母には本当に感謝していますね。

パラグアイでの2ヶ月間が、上松さんの人生の大きな節目になったとも言えるのですね。

本当にそうです。私の故郷は長野県ですが、第二の故郷はパラグアイだと思っているんです。今もパラグアイに帰ると、アルパの音色があふれていて心が落ち着きます。2ヶ月間の留学を終えたとき、私には学校があったということを思い出しました。でも、そのときの私の頭の中にはもうアルパしかなかったんです。だから、両親にも正直にその気持ちを伝えました。そうしたら、両親は「自分のやりたいことがそれだけはっきりしているんだったら、もう高校に行く必要はないよ。好きなアルパだけを思いきりやりなさい」と言ってくれたんです。なかなか子供にそう言ってくれる親はいないんじゃないでしょうか。自由にのびのびと生きることを教えてくれる両親のもとで育って、私は本当に幸せなんだな、とそのときしみじみ感じました。それで、ついにアルパだけの道を決心して、高校も自主退学という形をとったんです。

それからはまさにアルパひとすじの生活ですか?

はい、本当に! もう嬉しくて嬉しくて、それまでより一層アルパに没頭するようになりました。