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talk! talk! talk! 映画監督・四ノ宮浩さん


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映画監督・四ノ宮浩さん

映画監督
四ノ宮浩さん

フィリピンのゴミ捨て場という苛酷な環境の中にありながらも誇りを失わず、たくましく生きる住民の姿を映したドキュメンタリー映画「神の子たち」。監督の四ノ宮浩さんは映像を通して私たちに生きる意味、家族の絆などさまざまなことを考えさせてくれる。
監督はなぜこの映画を撮ったのか、そして何を伝えたかったのか。映画と同時に写真展も開催していた監督に、被写体への眼差しやドキュメンタリー映画への情熱、そしてこれからの映画作りについて、その熱い気持ちをお聞きした。

プロフィール

1958年、宮城県仙台市出身。日本大学経済学部在学中に寺山修司氏主宰の劇団・天井桟敷に入団。その後さまざまな職業を経て1986年監督デビュー。
1995年にフィリピンのスモーキーマウンテンを舞台にした長編記録映画「忘れられた子供たち/スカベンジャー」を完成。第44回マンハイム国際映画祭ベストドキュメンタリー賞など数々の賞を受賞し、世界中で大きな反響を呼んだ。2001年5月、フィリピンのパヤタスゴミ捨て場を舞台にした「神の子たち」完成。2001年11月より劇場公開され、再び大きな話題となっている。

ドキュメンタリー映画「神の子たち」

 前作「忘れられた子供たち/スカベンジャー」の舞台にもなり、アジア最大のスラムと呼ばれてきたマニラ市郊外の巨大ゴミ捨て場“スモーキーマウンテン”が、1995年にフィリピン政府により強制撤去された。ここで資源ゴミを拾い、廃品回収業者に売ることで生計を立てていた人々はマニラから約20km離れたケソン市パヤタスゴミ捨て場に移り住むようになる。
 しかし、2000年7月10日に起きたゴミ捨て場崩落事故(500世帯1000人に及ぶ犠牲者が出たといわれている)が原因で、事故発生5日後にパヤタスゴミ捨て場へのゴミの搬入が中止され、ゴミ捨て場に住む人々は生活手段を失うことになってしまった。この映画は、そうした苛酷な環境にありながらも、誇りを失わずに堂々と生きる人々の姿を克明に描いたドキュメンタリーである。
 2001年11月30日まで東京都写真美術館ホールで公開され、大反響を呼ぶ。第52回ベルリン国際映画祭の正式招待作品決定に伴い、2002年2月9日(土)~24日(日)まで同ホールにて凱旋記念アンコール上映される。現在は大阪・梅田テアトルにて12月21日まで絶賛上映中。こちらも2002年1月5日よりアンコール上映が決定した。また、全国各地で順次、巡回上映会を開催中。上映会を希望する各諸団体、個人の方はオフィスフォープロダクション(03-3354-3869)まで問い合わせを。

地獄のような環境の中でも輝く子供たちの瞳。「この澄んだ瞳の理由を知りたい」

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資源ゴミを拾うことで生計をたてている住民
にとっては、1台のトラックから下ろされるゴミ
が命の綱となる。
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小さな子供も、家族のために懸命に働いている。

監督は前作「忘れられた子供たち/スカベンジャー」に引き続き、今回の「神の子たち」でもフィリピンのゴミ捨て場に生きる人々の姿を撮っていらっしゃいますが、最初にゴミ捨て場の人々に目を向けたきっかけとはなんだったのでしょうか?

最初は、ストリートチルドレンの映画を撮ろうと思って1989年にフィリピンに行ったんです。ところが、実際にストリートチルドレンに会ってみると、彼らはあまりにも「お金をくれ」と言って集まってくるんですよ。そのことに僕はすごく失望して、撮る意欲を失ってしまいました。
 そんなときに、ゴミ捨て場にも子供がいるということを聞いたので、スモーキーマウンテンに行ってみたんです。それが最初にゴミ捨て場に足を踏み入れるきっかけでしたね。

実際にゴミ捨て場に行かれて初めて、そこに住む人々を撮ろうと思われたわけですね。

はい。ゴミ捨て場って、想像を絶するようなひどい環境なんですよ。強烈な悪臭と、ハエの大群。何百という人が1台のトラックに群がってゴミを拾っているその姿を見て、ここは僕の想像するに、まさに地獄だな、と思いました。
 でも、驚いたことにそこにいる子供たちは非常に澄んだ瞳をしているんです。そして、「お金をくれ」なんて絶対に言わないんですよ。この子たちは地獄のような環境にいながら、なぜこんなにも澄んだ瞳をしているんだろう? その理由を知りたくて撮り始めたのが、前作の「忘れられた子供たち/スカベンジャー」です。

前作が公開されたのが1995年。6年たって、再びゴミ捨て場を舞台にドキュメンタリー映画を撮ろうと思われたのはなぜですか?

たまたま知りあいのカメラマンにゴミ捨て場を案内してほしいと言われ、1998年にまたフィリピンを訪れたんです。スモーキーマウンテンは1995年11月にフィリピン政府により強制撤去されていたので、そこにいた人々が移り住んでいたケソン市のパヤタスゴミ捨て場へ行きました。
 そこにはやはり、澄んだ瞳を持った子供たちがたくさんいて、僕は「ああ、やっぱりいいなあ」とそのとき改めて感じましたね。取材を進めていくうちに、僕はこのゴミ捨て場にダウン症や水頭症など、障害を持った子供たちがたくさんいることに気が付きました。そして、そのとき出会ったある家族が、僕に映画を撮ることを決意させてくれたのです。

どんな家族との出会いだったのでしょう?

生まれたばかりの水頭症の赤ちゃんのいる家族でした。実は、僕はその赤ちゃんを初めて見たとき、あまりにショックで触れることすらできなかったのです。しかし、その家族は常にほおずりしたり抱きしめたりして、赤ちゃんに惜しみない愛情を注いでいてね、その姿を見て僕は強く心を打たれました。そして、思ったんです。家族として暮らすということは障害なんて関係ないんだな、と。
 2ヶ月ほどしてもう一度訪れたとき、その赤ちゃんはすでに死んでいました。でも、僕の中でその子のことがどうしても忘れられなくて、そのとき「僕はこのゴミ捨て場で生きる障害を持った子供たちを撮らなくてはいけない」と感じたのです。

では、最初は障害を持つ子供たちを主人公にする予定だったのですね。

そうなんです。でも、障害を持つ子供たちに毎日毎日接しているうちに、僕自身、その子たちが「障害を持っている」という感覚がなくなっていることに気が付いたんです。だんだん家族に近い気持ちになっていくと、その子の障害も1つの個性のように見えて、逆にそれがとても愛おしくなってきたりしてね。障害があるとかないとかの垣根がすっかり取れていったんです。
 むしろ、そんな境遇にもかかわらず家族が1つとなってひたむきに生きているその姿に感動して、もう障害は関係なく純粋に「家族の絆」を撮ることに決めました。だからこの映画の主人公には、障害を持つ子もいれば、持たない子もいます。