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第五十三夜 Ai AF Fisheye-NIKKOR 16mm F2.8D

奥深い魚眼レンズの世界
Ai AF Fisheye-NIKKOR 16mm F2.8D

第五十三夜は魚眼レンズのお話しです。対角線魚眼とはどの様なレンズなのでしょう?世界初の近距離補正機構を組込んだ魚眼レンズとはどのようなものなのでしょうか?はたしてどんな写りをするのでしょう?
今夜はAi AF FisheyeNIKKOR 16mm F2.8Dの秘密を解き明かします。

佐藤治夫

1、誰が名づけたのか「魚眼レンズ」

日本光学工業株式会社(現ニコン)における魚眼レンズ開発の歴史は、第六夜に詳しく記載されていますので、ここでは省略いたします。今夜は「魚眼レンズ」の命名者がいったい誰なのか、と言う疑問について考えたいと思います。

R.W.Woodが書いた論文「Fish-EyeViews, and Vision Under Water(Phli. Mag. S6. 12 159(1906))」によると、Wood氏はピンホールと乾板の間に水で充たしたカメラによって、画角180°の全天候写真を撮影したと報告しています。この論文では、その効果が、あたかも魚が水中から外界を見ている風景であると記されています。ここで初めてFish-Eyeと言う言葉が出てきます。したがって、フィッシュアイレンズの名前の起源はここにあると言えます。その後、各光学メーカーはフィッシュアイレンズの学術的な意味、技術的な可能性について追及していきます。その先駆者がイギリスのBeck社のR.Hillでした。

このレンズはSKY LENSと言い、全天カメラの始祖と言われています。しかし不思議なのは名前です。スカイレンズ=全天(空)レンズであり、フィッシュアイと言う名前が出てこないのです。なぜ、フィッシュアイが消えてしまったのか?業界ではしばらくの間、全天カメラおよび全天レンズの名前が一般的でした。それではフィッシュアイレンズ(魚眼レンズ)と名乗った初めのレンズは何なのでしょうか。調査を進めた結果、実は日本光学工業株式会社(現ニコン)のニッコールレンズからではないかと言うことが分かりました。日本光学工業株式会社(現ニコン)では戦前から「魚眼レンズ」と言う言葉を使っていたようなのです。1938年に製作した設計図面に「魚眼レンズ」と記されていたという記録があります。また、戦後の1958年に発売した全天カメラのレンズには「FISH-EYE NIKKOR」と言う刻印があります。この記録によると、今でこそ国際的に認められている「フィッシュアイレンズ」や「魚眼レンズ」は日本で命名された可能性が高いと思われます。

2、全周魚眼と対角線魚眼

魚眼レンズには大きく分けて全周魚眼レンズと対角線魚眼レンズの2種類があります。本来、魚眼レンズは学術目的に作られたレンズであって、芸術写真の分野で使われだしたのは後の話だったのです。全周魚眼レンズは画角180°(またはそれ以上)をカバーする円形の映像が撮像面上に映し出されます。主に気象観測、星、オーロラ観測等が使用目的でした。また、自動車の運転席の視界を確認し、死角の少ない自動車の開発にも一役買っているのです。そんな中、魚眼レンズの像の歪みがユニークなため、徐々に写真家たちも使い始めます。しかし写真作画的には、常に円形になる構図では扱いづらかったのです。

そこで、学術用途のウエイトを下げて、主に写真撮影用として考案されたのが対角線魚眼レンズだったのです。初めの対角線魚眼レンズは1963年旭光学工業から発売されたフィッシュアイ・タクマー18mm f11でした。このレンズを皮切りに、各社がこぞって対角線魚眼レンズを作り出します。満を持して、最もフィッシュアイレンズを沢山ラインナップしたニコンも遂に対角線魚眼・フィッシュアイニッコール16mm F3.5を発売します。そして歴史はAFフィッシュアイニッコール16mm F2.8Dへと脈々とつながってゆくのです。

3、開発履歴と設計者

それでは、開発履歴を紐解きましょう。

Ai AF FisheyeNIKKOR 16mm F2.8Dを設計したのは、手前味噌で恐縮ですが、当年28歳の若かりし頃の私です。当時、魚眼レンズの奥深さに興味を持ち、AF化をきっかけに開発を担当させていただきました。今から23年前に設計開発をスタートさせました。設計完了は1991年(平成3年)の初夏のことでした。その後、1992年(平成4年)に試作開始、そして量産試作を経て、1993年(平成5年)の夏に量産が開始されました。そして、満を持して発売されたのは同年の11月のことでした。このレンズは2014年で21年に及ぶロングセラーを継続しております。

4、描写特性とレンズ性能

断面図

まずは断面図をご覧ください。このレンズも他の魚眼レンズ同様に典型的なレトロフォーカスタイプで構成されています。一般の広角・超広角レンズと異なる点は、負の歪曲収差の発生を抑えるのではなく、過度に発生させるレンズ構成になっている点です。広角レンズを設計する場合、ネックになるのが歪曲収差の良好な補正です。

その点でレンジファインダーカメラの時代では、レンズの屈折力配置が対称に近い「対称型レンズ」が用いられました。この対称型レンズは歪曲補正、像面湾曲補正の点でレトロフォーカス型レンズタイプを凌いでおりました。しかし魚眼レンズにおいては、一般の射影方式(y=f·tanθ)で考えた場合、負の歪曲を過剰発生させることに他なりません。したがって、本来魚眼レンズは、レトロフォーカスタイプが最適なレンズタイプであると言えるのです。

それではこのレンズの設計上の特徴についてお話しします。まずは光学系全体が非常にシンプルな構成になっていることにお気づきになるかと思います。負の歪曲を過剰に発生するために第1、第2凹レンズを工夫しました。強い負の屈折力を持ちながら、凹レンズのみで構成し、最適なメニスカス形状にすることで素直に光線を通過させ、収差発生を抑制しています。その背後の接合レンズで球面収差、コマ収差、色収差の補正を行っています。絞りを挟んで、後群の構成もシンプルです。2組の接合レンズによって、軸上と軸外の各収差の発生を抑え込み、周辺まで安定した描写性能を維持しています。

特記すべきは、この時代としては世界で初めて魚眼レンズに「近距離補正方式(フローティング方式)」を採用したことでしょう。今まで魚眼レンズにおける近距離補正と言う考え方が存在しえなかった理由は後で述べますが、この効果で無限遠から最至近までの均一で高いシャープネスを達成することができました。

それでは、AFフィッシュアイニッコール16mm F2.8Dはどんな写りをするのでしょう。収差特性とMTF、スポットダイヤグラムから考察してみましょう。MTFの評価においても、10本/mm、30本/mm共に周辺まで高いコントラスト再現性を維持しています。また、この画質が近距離収差補正(フローティング)機構の採用と相まって、無限遠から再至近に至るまで良好な性能が維持されています。このレンズの収差的な特徴は、球面収差の小ささもさることながら、像面湾曲の平坦性に優れています。

次に、スポットダイヤグラムで点光源の結像状態を観察しましょう。

中心部は点像のまとまりも良くフレアーも少なく良好です。しかし、周辺に行くに従い芯はあるものの、若干サジタル方向にフレアーが出ています。魚眼レンズとしては小さい量ですが、天文写真を撮る場合には1、2段絞り込んだ方が良い結果が得られると思います。

5、魚眼レンズの物体面と像面との関係を考察

はたして魚眼レンズの物体面はどう考えるべきなのか。当時28歳の私は大きな疑問を抱えました。この基本的でかつ根本的なテーマは、高画質を得るために必要な課題でした。魚眼レンズの場合、無限遠方にある被写体は天空に広がるドーム状球面が物体面と考えて良いのです。しかし無限遠の場合、どこでもピントが合っているのですから、無限遠方の平面被写体から光が降り注ぐと考えても良いのです。無限遠被写体の場合、物体面の形状はあまり気にすることはありません。しかし、撮影距離が無限遠から近づいて有限距離になった場合はどうでしょう。近距離ではどうなるのか。この考え方や定義の方法が非常に重要です。なぜならば、物体面と像面の関係の定義次第で写真の画質が変化するからなのです。一般の狭角レンズの場合、物体面と像面の関係は平面対平面で考えられます。しかし、画角が180°以上ある魚眼レンズにおいては、物体側を平面と考えた場合、原理的に問題が生じます。例えば3mの位置に被写体が存在した場合、画面中心部分は3mの距離に被写体がありますが、画角180°の光線の被写体はどこにあるでしょうか?答えは無限遠です。

これでは物体面と言う考え方に無理が生じます。まして画角が180°を越えた場合、さらに複雑な考察が必要になります。そこで、当時我々は色々な観点から考察、解析の末に2つの仮説に行きつきました。1つの仮説は近距離被写体の場合も無限遠同様にドーム形状球面であるという考え方です。大きなドームがどんどんと近づいてくるイメージです。そう考えれば周辺光線は中心部分と同一距離で結像し、容易に解があります。また、もう1つの仮説は、やはり物像間関係を平面対平面で定義し、画角180°を越えた部分は特異点と考える方法です。仮説1の被写体がドーム状の物体面の場合、全体繰り出しのような通常の合焦方法で収差的な解は容易に導き出せます。しかし、それで本当に良く写る魚眼レンズができるのか?やはり、写真レンズとしては平面物体を基準にすべきなのではないのか?当時、私はいくら考えても、どちらが正しいのか明確な判断が付かなかったのです。そこで私は、上司の青野氏に両方の解を試作して検証させてほしいと嘆願しました。そして、今までに世の中になかった近距離性能も重視した魚眼レンズの開発がスタートしたのです。

まず、無限遠に対して高性能な魚眼レンズを設計します。そして、物像間関係を平面対平面と考えたときに対応した新たな近距離補正方式(フローティング方式)を考えました。その設計解とドーム状の被写体に対し像面湾曲が保証されている解の2案を試作評価したのです。この試作品は近距離補正機構以外の違いを徹底的に排除する様に設計的配慮を行いました。我々は、その2つの試作品を使いて数々の試験や実写、解析を行ないました。その時の実写記録写真が残っていますのでご覧下さい。A、B、2つの写真がありますが、これらはどちらも平面解像力チャートを撮影距離0.3mで撮影した右半分を示しています。それぞれ左の中央がレンズの中心になります。したがって、右隅が最大画角になります。写真Aのレンズが近距離補正機構ありの試作品です。写真Bは近距離補正機構なしの、ドーム状の被写体に対し平坦な像面湾曲を持った試作品です。みなさんどちらが良く写っていると思いますか?違いは明らかでした。

像面湾曲作例・近距離補正

平面対平面の考え方の勝利です。この瞬間、世界で初めて近距離性能をも重視した魚眼レンズが誕生したのです。

6、実写性能と作例

次に実写結果を見ていきましょう。各絞り別に箇条書きに致します。

F2.8開放

中心は割合に解像感はあるが、像高が増すにつれて、徐々にシャープネスが低下していく。しかし、最周辺でも実用に耐えるレベルの画質と思われる。また、色にじみが少なく、発色はすっきりしている。

F4~5.6

F4~5.6に絞り込むことによって、中心部分から周辺にかけてシャープネスが向上。ごく周辺部分を除き満足いくシャープネスに到達する。

F8~11

周辺の解像感がぐっと向上。ほぼ全域で満足できるシャープネスになる。常用するならこの絞り値が望ましいと思われる。

F16~22

画面全体が均一な描写になるが、回折の影響が若干現れ解像感を若干損ねる。

シャープネスを期待するなら、F8~F11の絞りで使用すると良好な結果を得られるでしょう。

また、周辺を若干やわらかい描写で使いたければ、F2.8~4を試されるとよいと思います。

それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。

作例1は東京駅のドームを写した作例です。高感度で撮影したため、高感度ノイズが発生しておりますがご了承ください。シャープネスや色再現も良好なことがご理解いただけると思います。また、目立った色ずれもなく好感が持てます。作例2は街角のスナップ写真です。ピント自体は比較的近距離被写体に合焦していますが、近距離から遠距離まで十分なシャープネスを持っていることが確認できます。作例3は東京都庁を撮った作例です。中心部分が遠景で周辺部分は近景になる構図です。やはり破綻のないシャープネスを維持していることが分かります。作例4は、完全逆光の作例です。画面上部のぎりぎり外れたところに太陽があります。通常であれば、ゴースト・フレアーの最も出やすい条件ですが、目立つゴーストはまったく発生しておりません。魚眼レンズの場合、晴天時はどこかに太陽が写り込むことが多く、ゴースト・フレアーの発生が少ないこのレンズは重宝します。各作例をご覧いただければ、比較的古い設計ですが、現在でも十分実用に耐えることがお分かり頂けると思います。

作例1

ニコンDf Ai AF FisheyeNIKKOR 16mm F2.8D
絞り:F11
シャッタースピード:1/80sec
ISO:5000
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:スタンダード
撮影日 2014年4月

作例2

ニコンDf Ai AF FisheyeNIKKOR 16mm F2.8D
絞り:F11
シャッタースピード:1/320sec
ISO:800
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:スタンダード
撮影日 2014年4月

作例3

ニコンDf Ai AF FisheyeNIKKOR 16mm F2.8D
絞り:F11
シャッタースピード:1/800sec
ISO:400
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:スタンダード
撮影日 2014年4月

作例4

ニコンDf Ai AF FisheyeNIKKOR 16mm F2.8D
絞り:F11
シャッタースピード:1/1000sec
ISO:400
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:スタンダード
撮影日 2014年4月

7、最大画角を持った魚眼レンズは何?

今回のコーヒーブレイクは画角のお話です。写真レンズの最大画角は、果たしてどこまで広げられるのか、皆さん興味ないですか?私はとても興味があったので、文献や特許を調べてみました。すると、吉田正太郎先生の「カメラマンのための写真レンズの科学」と言う本の中に答えがありました。記録によると、1位はオランダ国立防衛研究会議(略称NDRC)のA.C.S.V.ヒールら3人で発明した12.3mm F10という中判用魚眼レンズです。なんと2ω=270°の画角を有していたようです。実際に作られたものなのか、机上の発明なのかはわかりませんが、おそらくこのレンズが世界一ではないでしょうか。

それでは今度は実際に製造され、現存しているもので最も画角の大きいものを探してみましょう。みなさんはどのレンズを思い浮かべましたか?

正解は、1969年に製作されたSAPフィッシュアイニッコール6.2mm F5.6です。大学の先生の要請もあり、数本製作されたこのレンズは、非球面レンズを用いて等立体角射影方式の230°をカバーする魚眼レンズでした。量産はされませんでしたが、今でも数本は現存しているようです。それではなぜ、230°の画角が必要だったのでしょうか?それは人間の眼の最大視野が220~230°であることに起因しています。人間の眼の最大視野を、完全に1枚の写真に収めるために画角230°の魚眼レンズが開発されたのです。このレンズのSAPとは等立体角射影の略称です。正確にこの等立体角射影を実現するために非球面を採用したとのことでした。

OPフィッシュアイと言い、SAPフィッシュアイと言い、当時の日本光学工業株式会社(現ニコン)の魚眼レンズに対する研究の力の入れようは、中途半端なものではなかったことが良く分かります。ちなみにSAPフィッシュアイニッコールの設計者は当時研究所に居られた一色真幸氏です。一色先生は光学設計のみならず、光学ソフトの開発者でもありました。退職後は大学で教卓をとり、現在もご存命で光学の世界で頑張っておられます。

先日このSAPフィッシュアイニッコールにお目にかかることができました。その1本はアメリカ在住の日本人コレクターの方が大切にコレクションしています。きっと後世に伝えていただけることでしょう。

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