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第四十一夜 Ai AF Nikkor 85mm F1.4D (IF)

ポートレートの定番レンズ、現役ニッコールの代表選手
Ai AF Nikkor 85mm F1.4D (IF)

第四十一夜は、ポートレート用として愛用者の多いAi AFニッコール85mm F1.4D (IF)を取り上げます。このレンズは、フィルム時代はもとより、デジタル全盛の現在でも、ニッコールのポートレート用定番レンズとして人気があります。この魅力的なレンズはどのような特徴を持っているのでしょう。また、開発時にはどんな逸話があったのでしょう。
今夜は、この定番レンズの秘密を解き明かしましょう。

佐藤治夫

1、開発履歴

それでは、Ai AFニッコール85mm F1.4D (IF)の開発履歴を紐解いてみましょう。光学設計を纏め上げたのは、ニッコール千夜一夜物語でおなじみの大下孝一氏です。当時光学部第一光学課に在籍していた大下氏は、同僚の柳沢氏の仕事を引き継ぐ形で、この85mm F1.4の設計に着手します。設計は1992年の初夏にスタートし、描写に関する検討を含め、完了したのが1993年の春も終わるころでした。大下氏は単なる大口径レンズを設計するのではなく、特にポートレートに最適な描写特性をもった大口径中望遠レンズの開発に心血を注いだのです。

歴代の名レンズのボケ味と描写特性を研究し、最適な収差バランスを見出し、更にAFシステムとのマッチングを考慮した、新しいレンズタイプ、新しいフォーカシング方式を創造しました。彼はインナーフォーカスの手法を取りつつ、結像部分のシャープネスを維持したまま、ボケ味を良くする策を見出したのです。その回答がAi AFニッコール85mm F1.4D (IF)だったのです。このレンズは高価なガラスを沢山使っていたため、思ったよりコストがかかりました。しかし、その割には価格を抑えて発売した為、ニッコールの中ではお買い得のレンズでした。試作のスタートは1994年春でした。量産開始は1995年冬のことでした。そして、1995年12月に満を持して発売されました。きっと納得できる会心の作だったに違いありません。

2、レンズ構成と特徴

Ai AF Nikkor 85mm F1.4D (IF)断面図

まずは、断面図をご覧ください。一見すると変形ガウスタイプのようにも見えますが、ガウスタイプから大きく乖離した構成になっています。このレンズの最も特徴的なことは、凸凸凸の3群構成になっていることです。まず、合焦中固定の前群が凸のコンバーターとしての役割をします。そして、絞りを含みマスターレンズの役割をしている中間群でインナーフォーカスによる合焦を行います。さらに、補正群である合焦中固定の最終群で近距離収差変動を防いでいるのです。最終群を固定にしたことは、特に上方コマ収差と像面湾曲の近距離変動を抑える匠の技で、高性能化にも一役買っているのです。この大下氏の新しいレンズタイプは開発時に日本で特許出願され、その数年後には米国でも特許を取得しています。大下氏のユニークなレンズタイプが、世界で発明と認められたのです。

3、描写特性とレンズ性能

それでは、設計報告書を参考にこのレンズの収差的特徴を見ていきましょう。まず、顕著な特徴は、球面収差が小さく、色の球面収差のバランスが良いことです。これは、デジタル全盛の現在では、より大きな利点となります。次に、コマ収差が若干残存し、特に下方コマ収差はボケをきれいにする残し方をしているのも大きな特徴でしょう。歪曲収差が少ないことも特記すべきでしょう。全域で-0.6%以内に収まっています。また、近距離収差変動が少なく、倍率色収差や非点収差および像面湾曲もきれいに補正がなされているのも大きな特徴でしょう。

さらに、スポットダイヤグラムで点像の状態を確認しましょう。点像は中心から周辺にかけて、周りにほのかにフレアーがあるものの、芯のまとまりが良く、高解像を期待させます。また、ピントはずしを行なった時の点像は輪郭に強いエッジを持たない、比較的良好なボケ像を形成していることがわかります。

それでは、Ai AFニッコール85mm F1.4D (IF)はどんな写りをするのでしょうか。遠景実写とポートレート領域の撮影結果の両方から考察してみましょう。

F1.4開放時は、ほのかにフレアーが取り巻いていますが、特にセンター近傍は解像感があり高解像を実現しています。中心から周辺に向かうにしたがって、若干ですが、徐々にフレアーが増し、解像感がほのかに減少します。四隅ではビネッティングの影響で若干周辺光量不足がありますが、このクラスのレンズとしては良好なレベルです。後方ボケは中心が最も柔らかく、周辺に行くにしたがって、ビネッティングの影響もあり若干硬くなる傾向があります。しかし、全体的には比較的好ましいボケ味を示します。F2に絞ると、ほのかに取り巻いていたフレアーが無くなり、四隅をのぞいて高解像でコントラストもより良好になります。ボケ味もビネッティングが改善され、エッジもなだらかになり、より好ましいボケ味を示します。F2.8~4に絞った場合、更にシャープ感が増し、周辺まで十分なコントラストが得られます。F5.6~11に絞ると、周辺部まで解像力が向上し、画面全体にわたり均一で良好な画質になります。コントラストも最適な量になり、階調豊かな描写をします。F16まで絞ると、点像の形は揃いますが、若干回折の影響が現れ、ほのかにシャープネスが低下します。ポートレートには、ボケ味、ボケ量、ピントの深度の関係から、F2近傍での撮影が良いと感じました。また、物撮りや風景写真にはF5.6~8近傍が適していると感じました。

作例1

ニコンD3、Ai AFニッコール85mm F1.4D (IF) 絞り:F1.4、シャッタースピード:1/4000sec. ISO200(-0.7EV補正)画質モード:RAW D-ライティング ピクチャーコントロール:スタンダード

作例2

ニコンD3、Ai AFニッコール85mm F1.4D (IF) 絞り:F2.2、シャッタースピード:1/3200sec. ISO200に対して1段減感 画質モード:RAW D-ライティング ピクチャーコントロール:ニュートラル

それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。作例1はF1.4開放で撮影した作例です。花(植物)を前後に配置した、最もボケ味を観察する上で厳しい条件で、撮影しました。髪の毛やまつげ、目の辺りの質感を見れば、ピントのあったところのシャープネスは理解できます。また、徐々にデフォーカスしているところに着目すると、前後ともなだらかにボケて、二線ボケの発生を抑えている様子が分かります。ビネッティングの影響で、ごく周辺は柔らかさを若干失いますが、階調も豊富で、このクラスのレンズとしては、ボケ味が良好で自然な描写をしています。

作例2はF2.2まで絞った作例です。絞り込んだため、シャープネスは更に向上し、ピントの合う範囲も適度に広がっています。また、特記すべきは、更に好ましいボケ味になっていることでしょう。ボケの輪郭がなだらかになり、ごく周辺のビネッティングによる影響も減少しています。コントラストも最適で、階調豊かな自然な描写をしています。

大下孝一という人

大下氏と私は同期入社で、配属前の新人教育の頃から、共に時間を過ごしました。また、プライベートでもよく一緒に、写真撮影やカメラ屋めぐり、旅行に行ったものです。その頃から、2人で各社各様の特徴あるレンズを片っ端から比較して、写真レンズの特性を理解しました。この経験がニッコール千夜一夜物語を執筆する礎になったのです。彼は昔から物事を分析的にとらえる思考を持っていました。また、彼は誰よりも、データを厳密に考察する姿勢を持っていました。私は若い頃、彼と仕事帰りに良く飲みに行きました。そんな時、必ずと言って良いほど、最後には写真レンズの話で激論を交わすのです。そんな年月を過ごしてきましたが、今日は数あるエピソードから彼らしい逸話を紹介します。

ある日、会社の同僚と飲みに行った時のお話です。居酒屋で日本酒を注文しました。すると、お決まりの枡にコップが入っている器が出てきました。そして店員が日本酒をなみなみ注ぎます。日本酒はコップからあふれ、枡の中にいっぱい注がれました。そこで、大下さんが得意げに言いました。「飲むときにコップに口をつけて飲んで、枡には入った酒をこぼすドジなやつがいるんだよなぁ。」みんな、そうだ、そうだと言って、枡からコップだけを出して飲み始めました。ものの3分も経たないうちに、「ん~ッ」と声が上がりました。ふと見ると、胸をびちゃびちゃにした大下さんが、うなっていました。みんな大爆笑でした。そうです、自ら実証してしまったのです。そんな、レンズだけではなく、良いボケ味を披露してくれた大下さんですが、仕事に精一杯の情熱を傾け、ニッコールの銘玉を生み出しました。その功績で現在、デジタルカメラのレンズ部分を設計開発する職場を任されています。今後ますます良い製品を開発してくれるでしょう。

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