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第十五夜 <New>Zoom Nikkor 28-45mm F4.5

世界初の本格的なワイドズームレンズ ~先駆者たちの夢~
<New>Zoom Nikkor 28-45mm F4.5

今夜第十五夜は、世界初の本格的広角ズームレンズ、「<New>Zoom Nikkor 28-45mm F4.5」を紹介します。
このズームレンズは、ニコン(旧・日本光学工業)が永年にわたり開発し続けている、標準・広角ズームレンズの源流にあたります。

佐藤治夫

1、履歴と特徴

Auto NIKKOR WIDE-ZOOM 3.5-8cm F2.8-4

日本光学初のF用標準・広角ズームレンズは、第四夜で紹介した幻の標準ズームレンズ「オートニッコールワイドズーム3.5-8cm F2.8-4」(昭和36(1961)年に開発を発表)でした。樋口隆氏が設計したこのレンズは、現在、標準・広角ズームレンズで一般的に使われている“凹凸2群ズーム”というタイプを世界で初めて採用した斬新なものでした。残念なことに商品化はなされませんでしたが、この研究成果は無駄にはなりませんでした。これを機に先駆者達は、広角ズームレンズの研究に次第に没頭していきます。その結果、“世界初の本格的なワイドズームレンズ”の冠を携えて「<New>Zoom Nikkor 28-45mm F4.5」が昭和50(1975)年8月に登場したのです。しかもこのレンズは、実にコンパクトな鏡筒にもかかわらず、ズームレンズの泣き所であったディストーション(歪曲収差)を、完璧なまでに克服してしまったのです。日本の名設計者は一般に知られる事がありませんが、その足跡は光学設計報告書、開発履歴、パテント等によってたどる事が出来ます。それでは少しだけ開発履歴を遡って(さかのぼって)みましょう。

「<New>Zoom-Nikkor 28-45mm F4.5」の光学設計は、当時、カメラ光学部第二光学課に在籍されておられた中村荘一氏によるものです。中村氏は日本光学におけるズームレンズ設計の先駆者の一人でした。中村氏こそは“ヨンサン・ハチロク(「Zoom-NIKKOR Auto 43-86mm F3.5」(昭和38(1963)年))”の開発者でもあった樋口氏からズームレンズ設計方法の知識を最も吸収した人でした。このレンズの設計が完了したのは、昭和45(1970)年の新芽が芽吹く五月。特許出願もほぼ同時期に行なわれ、米国では1973(昭和48)年に、国内では昭和49(1974)年に特許が認められました。その特許書類を紐解き見直してみると、驚くべきことに現在の超広角ズームレンズの主流を担う“凹凸凹凸4群ズーム”タイプまで示唆していたとも思われるふしがあります。中村氏によるズームタイプの研究は、まさに時代を先取りしたものだったのです。

また、一方で順調に試作は進められ、昭和47(1972)年の冬に量産図面が発行されました。そして、先駆者達の情熱と汗の結晶は、昭和50(1975)年8月に発売されました。この世界初の本格的な広角ズーム「Zoom Nikkor 28-45mm F4.5」は、新しい鏡筒デザインとマルチコーティングを備えた、所謂(いわゆる)「ニューニッコール」として登場したのです。その後、昭和52(1977)年6月に、AI方式(開放F値自動補正方式)化して「AI Zoom Nikkor 28-45mm F4.5」に生まれ変わります。さらに時が流れ、昭和54(1979)年に「AI Zoom Nikkor 25-50mm F4」が発売され、世界初の広角ズームレンズはその役目を終えます。まさにこの時代は、世界的に見てもズームレンズの創世記でした。ここで培われた設計技術は、社の内外を問わず業界全般に浸透したのです。

<New>Zoom-Nikkor 80-200mm F4.5

<New>Zoom-Nikkor ED360-1200mm F11

中村氏の業績は華々しく、設計したレンズは広角ズームに留まりません。例えば、独自のアフォーカル・ズームタイプを確立した「ZOOM-NIKKOR Auto 80-200mm F4.5」(昭和45(1970)年)や超望遠ズーム「<New>Zoom-Nikkor ED360-1200mm F11」(昭和51(1976)年)等も中村氏の設計でした。また、超望遠レンズのIF(Internal Focusing:内焦)システムの開発者も、何を隠そう、中村氏を筆頭にした、嵐田 和夫氏、林 清志氏の三人だったのです。

“レンズ系の全体を動かすのではなく、レンズ系内の一部のレンズだけを動かして焦点を合わせる”というこの発明は、現在の超望遠レンズの礎(いしずえ)を築いたといっても過言ではありません。社の内外を問わず、全てのIF超望遠レンズの源流はここにあるのです。この三人の発明者は、この功績が認められ、平成6(1994)年、皇族、政府高官の方々が見守るなか「発明協会会長賞」を授賞されました。この話はまた別の機会にとっておくことにいたしましょう。

2、描写特性とレンズ性能

図1

まず、この広角ズームレンズの基本的な構造について少々書くことにいたします。

このレンズは、“凹凸凸3群ズーム”というレンズタイプから成っています。まず、前方の大きな凹レンズと貼り合わせた凸凹レンズの合計三枚のレンズが、全体で凹レンズの働きをしています。そして、絞りを含む後群レンズが凸凹凸のトリプレット構造を持った、所謂(いわゆる)マスターレンズを構成しています。ここでピーンときた方はかなり鋭いです。この構造は、まさしくレトロフォーカスタイプレンズの構成そのものなのです。平たく言えば、そのレトロフォーカスの基本構成である凹群と凸群とを分けて動かすことによって、ズームレンズ化したと言っても過言ではないでしょう。「Zoom Nikkor 28-45mm F4.5」ではさらに、後群レンズ(マスターレンズ)を2つに分けて移動させることによって、各焦点距離における非点収差と像面湾曲の最適化をはかっています。これは、第十四夜「NIKKOR Auto 24mm F2.8」でお話した近距離補正方式をズームレンズに応用した例なのです。

それでは、このズームレンズはどんな描写をするのでしょう?収差特性と実写結果の両方から見ていきましょう。収差値を見てはじめに気がつくことは、コマフレアが全域で非常に少ないことです。このことから、このレンズにはヌケの良い高コントラストの描写が期待できます。また、ごく周辺部分を除いて非点収差が小さく、色収差も良好に補正されていることが読み取れます。この特徴も、このレンズがクセの無い、色ヌケの良いシャープな描写をするであろうことを予感させます。

作例1と2をご覧ください。共に順光で写しています。適度なコントラストと色再現の良さをご理解いただけると思います。

作例3、4をご覧ください。共に完全な逆光で写していますが、コーティングの良さと相俟って(あいまって)、非常に色ヌケのよい高コントラストでシャープな描写をしています。また、特記すべきはディストーション(歪曲収差)の小ささです。なんと、28mm時の歪曲収差は-1.8%以下(撮影距離が無限遠の時の数値)なのです。通常、負の歪曲収差は-2.5%を越えると目立ち始めると言われています。「28-45mm F4.5」のこの数値は、単焦点レンズに勝るとも劣らない数値です。作例4.をご覧ください。私はあえてディストーションの目立つ被写体を選びました。ズームレンズには非常に酷な被写体ですが、まったく歪みを認識できません。

なぜ、中村氏はここまで徹底的にディストーションを除去したのでしょう?それはズームレンズの設計上、誰もなし得なかったほどの難題だったからです。結果は中村氏の勝利です。さぞかし嬉しかったことでしょう。

中村荘一という人

普段の中村さんは、いつも元気いっぱいで、何事にも前向きで邁進していくタイプの人でした。“声が大きく、足音も大きい!”中村さんが廊下を颯爽(さっそう)と歩く足音は、部屋の隅っこにいても分かるほどでした。何事にも真剣で、良く笑い、時には怒る中村さんは、仕事を離れてもパワーダウンしない情熱的な一面を持っていました。

中村さんの若き日のエピソードを一つ紹介します。今でこそ「有給休暇の取得はサラリーマンの権利だ」と胸を張れますが、昔は休暇届を提出する時には理由を聞かれたものでした。そんな時代に中村さんは突然一週間にも及ぶ休暇を申請したのです。周りの人々は、興味深々。実は、中村さんは熱烈な“ワグネリアン”だったのです。当時の日本では、ワーグナーの有名な楽劇(がくげき)の「指環」三部作を全曲ぶっ通しで上演すること(=四夜かかります)は、非常に稀なことでした。そのチャンスが、中村さんに巡ってきたのです。「本場・ドイツから演奏家達が関西にやって来る」と聞きつけた中村さんは、居ても立ってもいられなかったのでしょう。

私は中村さんに、当時の感想を伺ったことがあります。その時、中村さんは「不覚にも寝てしまったんだよ!」と笑顔で答えられたのです。私には中村さんのお人柄の一端が覗けた気がして、思わず苦笑してしまいました。きっと毎日の激務でお疲れだったのに違いありません。

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