Nikon Imaging
Japan
At the heart of the image.

第八夜 W Nikkor 35mm F2.5

ニコノス用水陸両用レンズ
W Nikkor 35mm F2.5

“ニッコール”レンズと呼ばれるレンズは一眼レフカメラ用だけとは限らない。ニコンS用、M39(通称“ライカスクリュー”)マウント用、大判写真用などの撮影レンズはもとより、引伸し用、製版用、フィルムスキャナ用などさまざまな方面で活躍している。
第八夜では、一眼レフ用のFマウントニッコールを離れて、全天候(オールウェザー)カメラ「ニコノス」シリーズ用の交換レンズ「W Nikkor 35mm F2.5(水陸両用)」をとりあげてみよう。

大下孝一

1、「W Nikkor 35mm F2.5」の生い立ち

現在も「NIKONOS-V(ファイブ)」用交換レンズとして活躍中の「W Nikkor 35mm F2.5」は、昭和38(1963)年、初代「ニコノス」発売と共に生まれ、以来37年のロングセラーを続ける長寿レンズである。現役の35mm(135)判用ニッコールとしては最も長い期間販売されているレンズではないだろうか?まずその生い立ちと歴史を紹介しよう。

「NIKONOS」が、フランス・スピロテクニーク(LA SPIROTECHNIQUE)社の「カリプソ(Calypso)」(1961年)というカメラを基に作られたという逸話は、「ニッコールクラブ」誌そして本ホームページで連載中の「ニコン・ファミリーの従姉妹たち」(第17回)でも語られており、よく知られていることがらであろう。

この「NIKONOS」を日本光学工業で製造するにあたって、メカニズムの設計は「Calypso」の機構をほぼそのまま踏襲したが、レンズは「SOM BERTHOIT. FLOR 35mm F3.5」(「フロール」は、ベルチオ社のテッサータイプレンズの愛称である)などのオリジナルのレンズ群から、ニッコールレンズに置き換えることになり、まず誕生したのがこの「W Nikkor 35mm F2.5」である。

「35mm F2.5」というスペックを聞いて、ニコンS用あるいはM39スクリューマウント用の「3.5cm F2.5」のレンズを思い浮かべた方はかなり鋭い。実はニコノス用「W Nikkor 35mm F2.5」は、S/L用として発売していた「W-Nikkor 3.5cm F2.5」の光学系を基に設計したからである。

なぜこのレンズを「NIKONOS」に装着することになったのか、今となっては想像の域を出ないが、「より明るく高性能なレンズを搭載したい」という要望を満たしていく過程で、このレンズが運良く「Calypso」用レンズの鏡筒の中に収まる寸法であったことが決め手になったのではないだろうか?

S/L用の「W-Nikkor 3.5cm F2.5」といえば、「Nikon S」発売の翌々年の昭和27(1952)年7月に発売したレンズである。レンズの設計を担当されたのは「W-Nikkor 3.5cm F1.8」と同じく東秀夫 氏(第三夜参照)であった。発売当時、最も明るい35mmレンズであり、またその描写には定評のあるところであったが、やや設計が古いレンズであることは否めない。そこでこのレンズを基に、曲率やガラス材料の見直しがおこなわれ、新設計のレンズとして「NIKONOS」に装着されたのである。

こうして誕生した「W Nikkor 35mm F2.5(水陸両用)」は、被写界深度指示板など鏡筒デザインの変更、鏡筒の色の変更(銀から黒へ)、距離つまみの色の変更(銀から黒へ)、レンズコーティングの多層膜コーティングへの変更などの細かい改良を経て現在に至っている。光学系のお手本となった「W-Nikkor 3.5cm F2.5」の開発からたどれば、実に半世紀の歴史を持ったレンズである。

2、レンズの特徴

図1.W Nikkor 35mm F2.5レンズ断面図

図2.W Nikkor 35mm F2.5鏡筒部内部機構図

「W Nikkor 35mm F2.5」は、<図1.>のように、4群6枚の典型的なガウスタイプのレンズと、その前面に配置された分厚い平行平面ガラスからなっている。前面の平行平面ガラスはプロテクターで、空気中ではいわばフィルターと同じであるが、水中では高い水圧から内部のレンズを保護する防水窓の役割を担っている。

さて、ガウスタイプの外見的特徴は<図1.>からもわかる通り、絞りを光学系の真ん中に配置しており、かつ、レンズ径が絞りの近くでくびれたように小さくなっていることである。同じ焦点距離で同じ明るさのレンズでも、3群4枚の典型的なテッサータイプなどよりも絞り径を小さく構成できる利点がある。絞りのメカニズムはレンズ鏡筒の中で大きなスペースを占めている。ガウスタイプのこの特徴のゆえにF2.5の明るさのレンズを、「NIKONOS」用レンズ鏡筒のメカニズムに搭載出来たのである。

また、ガウスタイプの光学的な特徴は、本連載の第二夜の「AI Nikkor 50mm F2」でも書いているが、球面収差と色収差の補正が良好なことである。このレンズにもその特徴が生かされており、多層膜コートを施した現行のレンズでは、色収差の少なさと多層膜コートの効果があいまって、色再現性に優れた、ヌケの良い画像が得られるだろう。色収差が残存していると、被写体のエッジや細かい線が色づくため、発色が濁ってしまう。色再現性の良さは、ガラス素材と反射防止コーティングの特性だけで決まるものではないのである。

さらにこのレンズは、バックフォーカスの制約がないため、ディストーション(歪曲収差)もほぼゼロと言えるほど良好に補正しており、広角レンズで問題となる非点収差も小さい。ただ、非点収差が小さい反面、像面湾曲は少し残存しているが、「NIKONOS」が目測式のカメラであることを考えればこの収差バランスは適切であろう。目測式のカメラでは絞りを絞り込んで撮影する場合が多いので、像面湾曲は被写体の奥行きと深い被写界深度に埋もれてしまい問題になることは少ない。かえって非点収差の大きいレンズの方が、被写界深度の両端で像が乱れるため、チャートでの解像力は高くても実写上は好ましくないことが多いのである。

ところでこのレンズは水陸両用レンズであるので、水中での写りについても少し触れておこう。水中では、水の屈折率(1.33)倍だけ物が大きく見えるため、レンズの画角が狭まることと、水中で目測した距離でピント合わせをおこなわねばならないことが水中写真の書籍には書いてあるが、それ以外に収差の変動も無視できない。このレンズのように防水窓を平面ガラスで構成している場合、球面収差や非点収差は変動しないが、画面周辺で、色収差と糸巻き型のディストーション(歪曲収差)が発生することが知られている。このディストーションは、前面の平行平面ガラスによって原理的に発生するもので、レンズの画角が広がるに従って目立ってくる。その様子は水槽の中を覗き込む時などに確認できるので、水族館などに行く機会があればご覧になっていただきたい。窓が平面ガラス製の水槽にごく接近して中の景色をよく観察すると、水槽の端の方で景色が歪んで色づいているのが見えるはずだ。

このようなわけで「NIKONOS」では、焦点距離35mmよりも広角のレンズについては、たとえば「UW NIKKOR 28mm F3.5(水中専用)」と「LW Nikkor 28mm F2.8(陸上専用)」(昭和58(1983)年)のように、水中・陸上でそれぞれ専用レンズを用意している(いた)のである。

3、レンズの描写

このレンズの外観的な特徴は、何といってもレンズ鏡筒の左右に配置された「絞りつまみ」と「距離つまみ」、そしてレンズ前面に設けられた「絞り目盛」の窓と「距離目盛」の窓だろう。正面からみてレンズ左側に配置した「絞りつまみ」を操作すると、虹彩絞りが開閉するとともに「絞り目盛」が回転し、同時に、「距離目盛」の窓の「距離指標」(白い△印。現行商品では白い矢印の先端)を左右から挟むように「被写界深度指標板」のペア(赤色)が動き、「距離目盛」の窓に被写界深度の“幅”が表示される。正面からみてレンズ右側に配置した「距離つまみ」を操作すると、「距離目盛」が回転するので、目測した距離の黒(メートル)(または赤(フィート))の数字を「距離指標」に合わせてやる。

この機構(「被写界深度指示板」)は、眼でみて面白いだけでなく、被写界深度が一目で確認できるため、目測式のピント合わせを容易にするのにおおいに役立っている。「目測式のピント合わせ」と聞くと、オートフォーカスに親しんだ世代には「難しそう」と敬遠されそうであるが、35mmのレンズであればf/8まで絞り込めば無限遠から3メートルまでが被写界深度に入る(<右図>)ので、慣れればそれほど難しくはない。目測のコツは、日ごろから自分の歩幅や室内の大きさなどで距離感覚を養っておくことと、例えば人物を撮る場合、「横位置全身なら約3メートル」、「縦位置全身なら約2メートル」などと距離を覚えておいて、ファインダー上での被写体の大きさから距離を判断することだろう。

さて、最後に作例と共にこのレンズの描写について述べてみたい。ただ、筆者は水中写真の経験に乏しいので、大気中の作例しか用意出来なかった点はご容赦いただきたい。

<作例1.>は、都会の風景である。このようなビルの描写は解像力と画面の均一性を必要とするので、f/11まで絞り込んで撮影している。このレンズは、F2.5開放ではわずかにフレアがかかっているが、f/5.6まで絞り込むと画面の主要部はフレアもなくなりシャープな画像が得られる。f/11に絞り込むと、さらにシャープさを増し全面にわたりほぼ均一な描写になる。しかし、f/8~f/11に絞り込んだ場合も、第二夜で取り上げた「AI Nikkor 50mm F2」をf/5.6に絞り込んだ時のような「かちっとエッジの効いた高解像感」というのではなく、「シャープさの中にも輪郭が少し丸まったような」柔らかな描写をする。パソコンのモニタでの作例ではわからない微妙な差異だが、「なめらかな描写をするレンズ」という印象である。さらに、今回使用したレンズは多層膜コートを施した比較的新しいレンズなので、ビルの窓ガラスに反射した強い夏の日差しでも顕著なゴーストやフレアは認められない。ヌケのよい描写がおわかりいただけるかと思う。

<作例2.>では、距離1.2メートルくらいで花を写してみた。絞りはf/5.6であるが、背景はなだらかにボケており、f/5.6~8の常用絞りでは良好なボケ味のレンズと言えるだろう。ちなみに、これくらい近距離になると35mmのレンズといえども目測のピント合わせは厳しい。このように動かない被写体の場合、少しづつピントをずらして何枚か撮影する「ピント(フォーカス)・ブラケティング」が有効である。

この「ニッコール千夜一夜」の連載は、筆者(佐藤、大下)二人のお気に入りのレンズをランダムに取り上げる......という趣向になっているため、振り返ってみると広角から標準を紹介する頻度が高くなってしまったようだ。私が次に担当する「第十夜」では、本格的望遠レンズをとりあげようと思っているのでお楽しみに。